陸王睦には友人がいる。
霊魂というものは、肉体に宿るものだとされている。肉体に宿った霊魂は、その肉体を動かすための心肺機能や反射活動などの根底であり、電動の玩具に於ける電池や電源のような働きをするものである。マサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル(Dancan MacDougall 1866–1920)は人間の死の前後を計算し、21gが生前と死後に減少したことを発表した。これらは1907年に心霊現象研究協会 の 『Journal of the American Society for Psychical Research』に掲載され、更に『ニューヨーク・タイムズ』『American Medicine』へ掲載されるなどの大きな反響となった。しかしながら実験の行われた年代を考慮するに、21gという数字に正確性は無く、『死体は語る』などの著者、監察医の上野正彦氏らの研究によれば、人体は死後皮膚や粘膜から水分が蒸発することを指摘している。『ゴーストハント』シリーズの著者、小野不由美氏は同タイトルの中で日本の霊魂研究の不足や、霊魂が存在するかを学問とするには全く調査が足りていないことを指摘している。
例を挙げたが、霊魂は人間のなんらかの存在とする考え方は非常に多い。民俗学者今野圓輔は著書『怪談 民俗学者の立場から』(2005年中央公論新社)から引用、「(中略)霊魂信仰そのものとしての幽霊はもちろん、これらの諸現象は一つとして、その発生がわれわれの信仰にもとづかぬものはない。」としており、矢張り霊魂というものは重量という物理的なものから信仰に至るまで、幅広い考え方が存在している。その考え方そのものが霊魂だと解釈することも可能である。
うんぬんかんぬん。
「これ、提出すんの?」
「まさか。カレーのレシピの都市伝説のが数倍マシ。」
陸王睦の友人、水海志信は理屈っぽい。そのくせYouTubeの履歴は都市伝説や怪談紹介ばかりだし、Google検索タブにはいつも大島てるがいる。子育て幽霊から両面宿儺までその知識は古典からネットまで幅広くカヴァーして、柳田國男や折口信夫は義務教育だと宣った。最近のマイブームは検索してはいけない言葉である陸王は、水海が著作権のレポートを仕上げた片手間に持ってきた千二百文字に馬鹿みたいに笑った。
「逆にセクシーだよ。」
「小泉語録やめろ。」
「んあ、クール?」
「洋画かよ。」
「なんで外国語の授業なんてあんだよ、僕は日本の片隅で芸術品に囲まれてたらそれでいいんだよ。」
「芸術品があるのは東京やら京都だよ。俺は兵庫県に住む。」
「遠野じゃなく。」
「柳田折口は兵庫県出身だべ。」
「浅学ですまぬ。」
碌に頭を働かせることなくころころ話が転がっていくのは先ほど齧ったぽたぽた焼の弊害かも知れぬ。甘いものを摂取すると灰色の脳みそがぶるぶる回って真っ赤になった。水海はスマートフォンをたったか滑らせTwitterを開きトレンドに移動する。今日とて事故が起こって事件があって赤ん坊が泣いている、とても哀しいだけの世間である。二人が腰掛けたのは大学構内の唯一となった喫煙所である。大学敷地内完全禁煙に向け、ヘビースモーカーの学長先生が泣きついた場所である。教員がたまに利用している様子は見るが、果たして陸王と水海が出会ったのはこの喫煙所であった。いつも決まった時間の決まった場所で出会うものだから、日に日に「やや」とだけ会釈し、「おっす」と手を挙げ、「最近どうよ」と隣に座ってシラバスを眺める仲になった。
別段話が合うわけでない。水海は人文専攻で民俗学をやるし、陸王は画商を目指して現在は外国語と経済学が必須である。白い煙の立ち上る学舎の影は、夏場は案外に良い避暑地であり、秋になった今は遠くに椛がいつ赤らむかを見物するのみの場所である。強いて言えば気性があった。季節季節のヒットを抑えるのみでサブカルに傾倒する辺りだとか、一人でふらっと出かけてふらっと帰ってくる辺りだとか、約束して出かけることもないし連絡がまめなわけでもない。ついでに連絡先を交換したのはつい二時間前である。
「この前、新しい心霊スポット行こうとしたん。」
「行った?出た?」
「近隣への聞き込みの結果、ガセでした。」
「一家惨殺の家な。」
「あれ日本各地にあるんだわ。」
一家惨殺の家に幽霊が出る。これは水海の個人的研究の一つであり、フィールドワークをやる程度には習慣化している。陸王はそれらを聞いて、吟味するというより考察することが好きであった。曰く、一家惨殺の家は日本各地の、観光地から車で一時間程度の場所にある。観光というのは実は企業による戦略の結果である。夏目漱石ゆかりの道後温泉までそれらは遡る。明治からこちら、資本主義にかぶいた日本列島は、東京府を中心に日本各地に大名家のゆかりがあり財閥があった。地元の太い資源があって、僻地のスキャンダルがあった。こうして出来上がる中心地は人間が集まり流動する。そしてちょっと気質の歪んだものが生み出したのが『一家惨殺の家の怪談』である。
「去年の夏も言ってなかったか。」
「行った。あっちは戦没者慰霊とごっちゃになってた。江戸川乱歩や横溝正史は偉大だ、ほんとマジで。」
「岡山は春休みに行く。」
「俺も連れてけ。」
「環境保護かなんかの……。」
「シラバスある。」
「ん。」
スクリーンショットをエアドロップで即共有。便利な時代になったもんだと上の世代は言うが、彼らはネットネイティヴ、デジタル交流が主流の世代である。ネットやデジタルがなかった時代の学生は、大量の紙束を持って歩いていたに違いない。すったかすったかほぼ無言でリマインドまで共有して、バイトのシフトが出たら、単位習得状況で、就職活動の裏で。若いうちは忙しなく動いておくものだ。歳を取ったらまず足腰が弱くなる。一日で疲労は回復しないし一晩で睡眠は足りなくなるし、労働は義務である。
「で、さっきのさ。」
「ん。」
「陸王的に、どう。」
「生死は肉体の有無による。」
「ほう。」
「僕は祖霊信仰と賓信仰と、もう一つあると思ってる。」
「お、俺のレポートを仮説に使っちゃう?」
「21gはググったら出るじゃん。僕は霊魂に重量があるとしたら、」
「感情?メッセージ?悔恨?」
「気圧みたいなもんだろ。」
「わかりにくいのにわかりやすいな。」
Twitterのトレンドには秋の台風が次々生まれて消えている、リアルタイムの天候の映像が流れてくる。昔の人はテレビの天気予報だけを頼りに生きていたのだという。テレビがない時代はラジオか、ではそれ以前は。そういえば霊魂はラジオのようなものだというのはどの作品であったか。電磁波や電波のような情報の塊が霊魂であり、それを受信して幽霊が見えるという理屈であった。
「そもそも人間なんて生きてるか死んでるかなんだから、わからんよ。」
「死んだように生きるってのは。」
「そりゃ詩情が過ぎると思うね。死んだ後は肉体がない。」
「詩情は大事にしなよ、陸王。俺はそういうとこから研究は始まると思うね。」
「萩原朔太郎だっけ?僕は永井荷風が好きだが。」
「ボードレールもいいぞ。」
釈迢空なんか詩情と研究で名義変えてんだぞ、と水海はけらけら笑う。フェレンゲルシュターデン現象のように二人して低気圧前の鱗雲を見上げれば、雲はまだらに黒い。きっと今夜はところにより雨がぱらつく予報であろう。そう言えばラジオができる前はどのように天気予報を共有していたのか、寧ろ共有する必要はなかったのかもしれない。そこは祖霊に守られてマレビトがやってくるような村であったのだから。雨の前のアスファルトが燃えるようなにおいであるとか、晴れの日に立ち登る死骸のにおいであるとか、きっと多くの人が知っていたのだ。
「幽霊って成仏すんの?」
「成仏って、仏に成るって解釈でいい?」
「あ、や、俺のミス。三木和尚はブティストだわ。」
どう言えばいいのかね、と人差し指と中指に挟んだ煙草を浅く噛む。脚を組んで膝を置き、ほぼ垂直に立てた肘の上に顎を置く、水海はそんなふうに煙草を吸う。陸王は頬を覆うように横向きに手を持ってくる。
「僕には、もやが晴れるみたいに見えた。」
「へえ、どこで。」
「あっちの踏切。」
「ハハハ、確かに事故りそ。」
「痛覚は肉体に依存するじゃん?もう肉体がないわよ、その人はさ。」
「事故?」
「どっかで記録されてんじゃないの、犯罪白書みたいに。」
「飛び込みは……俺も大学来てからだからなぁ、詳しくねーわ。」
「僕も。」
「そいで?」
「痛くないじゃん、って気づいたら消えた。」
「痛いのが心残りだった、ってコト?」
水海は指先をふらふら泳がせて、今このへん宇宙よ、と首を傾げた。陸王はこめかみを叩いた。背景だけなら良いが、頭の中まで疑問符が溢れて灰色の脳細胞とやらは宇宙空間のような色になった。
「心残りってなんだろ。」
「知らねえ。」
「心残りがなくなったらか成仏したん……ダメだ、言葉の定義に持ってかれる……。」
踏切にいた幽霊が仏教徒かどうかは不明であるし、思い残したことがあったとしてそこまで焼き付くだろうか。心霊写真的イメージがぼんやり頭に浮かぶ。陸王が何を見たのか、精密なところはきっと陸王自身も知らないだろうと水海は考える。だって一年前に喫煙所と出会ったのに、連絡先の交換まで丸一年気づかなかった男だ。
水海志信は陸王睦を一方的に知っていた。幽霊が見える、と噂される男だった。物静かで、廊下の右側に偏って歩く癖はある。文系理系問わず必要な単位を必要なときに取る。たまに図書館に入り浸ってはいるが、それは熱心な学生であればその程度。煙草に火をつけ、一口重く吸う、そしてただの虚空を見ているにしては、そのまなざしには詩情があった。陸王は何かを見ている。少なくとも水海には見えない何かを見ている。蜃気楼かもしれないし、陽炎かもしれないし、遠くに飛んだ蝶でも見つけたのかもしれない。アタシサバサバしてるから、とスタバの窓際席で歯を見せて笑った後で窓の外を見る女より、無情で無感情で、慈愛があった。
「豆腐の角で小指ぶつけたみたいなもん?」
「豆腐の角で小指ぶつけたら……そら、ウン……。」
「な、ドウイウコトナノ?って。半角カナで思うよな。」
「アー、汗の絵文字は海外ではエロを意味するのを知った時とか。」
「名札は燃える豆腐らしい。」
「それは気になってそこに留まるわ。」
仕方ないわ、と水海は耐えきれず小さく噴き出し、くしゅりと苦笑する。そのままふふふと耐えきれなくなって、すまん、と前置きしてフハハと笑う。指に挟んだ煙草は長い灰になっていて、折角新しい季節に下ろしたスニーカを汚すところである。
「だから、水海の祖父さんは、孫が今夜は何を食うのか気になってるだけなんだよ。」
「ひひ、まじで。じーちゃん俺の人生大丈夫か見ててよ!」
「サイゼ行けってさ。ドリア食いたいって。」
「昭和一桁がサイゼのドリアねだるな!」
もうついに耐えきれないでげらげら笑う。元々水海は中学まで笑い上戸であったのだ。その後は成人するまで、陸王に会うまで、病床で痩せ細った祖父の今際の際に間に合わなかったことだけ、素足の上に落っこちた、柔い絹豆腐の潰れた姿のように、脛に伝う雫の感触のように気になっていただけで。
「あーあ、サイゼ行こーぜ、陸王。」
「僕はドリアよりパスタの気分なんだ。」
喫煙所のベンチは屋外にあるから細かな部分が錆びていて、立ち上がる時には膝の裏の鉄錆を落とすことが常となる。
「なあ、あっちになんかあんの?」
陸王を初めてこの喫煙所で見かけた時に、彼は確かに見たのだ。フェレンゲルシュターデン現象かもしれないし、ただ視線を遠くにやっただけかもしれないし、しかし。
「窓の外を見る乙女。」
「都市伝説の?」
「ウン。」
サイゼの千円ガチャなど回している陸王は、別段視線を向けるわけでもなく、ボディバックを肩にかけ、水海が同じように隣に立ったことを確認してスマートフォンをデニムのポケットに仕舞い込む。
「今なら家賃、心理瑕疵。」
「なんでお前、俺のアパート更新知ってんの?」
「あれ。言ってなかったか。水海は有名なんだよね、事故物件ばっか選んで住んでるって。」
マア家賃安いし、僕もその心理的瑕疵狙って探したけど、と陸王は言うでもなく歩き出す。妙に品がよく見える黒のスニーカは、水海のスニーカと並ぶと急に色彩が反射した。鏡のような男だな、と水海は思うでもなく考えた。
「一応、俺にも世間体が、ございまして。」
「有名なのは、僕の中での話だから、ドンマイ。」
陸王睦には、水海志信という友人がいる。最も、彼らがお互いに友人だと考えて感じているかは、彼らの今後によるだろう。
了
この物語はフィクションです。
実在の事件、人名、団体とは一切関係ありません。