足元
完全な無から有は生まれる。
発明を繰り返し様々なものを作り上げてきたこの歴史がその証拠だ。
しかし、有が完全な無に帰すことはない。
存在が消滅しようが、「有った」という“事実”が残る。“証拠”が残る。“概念”が残る。
すなわち完全な無こそ本来の姿。
有りと有らゆるものは無から生まれ、現代で息をしている。
では、光はどうだろうか。
概念としての“光”は今ここに有る。
つまり無かった頃があるわけだ。
光が存在しない世界。
それこそは“本来の世界”と呼べる場所であろう。
“光”はすなわち“視覚”
かつて人間は見ることを生み出した。
“色”を生み出した。
見たもの全てに“色”という属性を定義した。
世界を染めたのだ。
光無き本来の世界は真っ暗だ。
閉め切った部屋で電気を消した、そんな感じである。
このように、光のないところに本来の世界が顔を出す。
そう、影だ。
影こそが“本来の世界”の破片なのだ。
影が暗いわけじゃない。現代が明るすぎる。
明るくなりすぎた現代には、“本来の世界”は欠片ほどしか残っていないのだ。
しかし、有を完全な無に帰すことは叶わない。
“無”である「本来の世界」も概念として“有った”ために、“無”は“無”となり得ない。
それはいつだって、足元に有る。
太陽は地球より先に誕生してたから光が世界に無かったことは無いというツッコミは受け流します