006
さて、真犯人を見つけて二人をぎゃふんと言わせると決意したはいいものの、まずは何から始めよう?
そう考えを巡らせたのは、夜も更け天蓋付きのベッドに身を沈めた時のことだ。お昼を食いっぱぐれた私はその日家に帰ってアフタヌーンティーを食べるまで使い物にならなかったので、放課後聞き込みをする事は諦めた。腹が減っては戦は出来ないものです。かといって天下の白鳥家のお嬢様がカロリーメイトとか食べるわけにはいかないし、学校の帰りは車の迎えがあるので買い食いももってのほか。お嬢様ってなんでも好きな時に手に入れられると思ってたけど、外聞を考えるとそうもいかないのよね~。
まあ、それでもミステリーを読み漁った前世を持つ私である。
一番最初にする事は決めていた。
◇ ◇ ◇
「あの、ちょっとよろしいかしら?」
翌朝、早めに学校に向かった私は、まだ助さん格さんの姿がないことを確認してからこっそりと隣のB組の子に声を掛けた。適当にじゃなくて、適度に落ち着いてそうで、適度に人畜無害そうで、ぺらぺら起こった事を言い触らしたりしなさそうな、学級委員長でもやってそうなタイプの男の子。正直遠巻きにされている事が多いので、知り合いがあんまり多くない私は、わりと打たれ弱いのである。
周囲に視線を配る。特に花山院と西門には見られたくない。
「白鳥さん? どうしたの?」
「わたくしの名前、ご存知ですの?」
「そりゃ有名だし……あ、俺は風見栄一郎だよ。隣のクラスの」
「あ、ありがとう、風見さま」
「はは、風見さまなんてくすぐったいな。“くん”でいいよ」
思ったより物怖じしない爽やかな男の子だ。これは色々聞きやすいかも。
「風見くん、ちょっと聞きたいのだけれど、昨日私のクラスで起こった事件はご存知?」
「ああ、なんか大変だったみたいだね。壺が割れたとか」
花瓶である、ということはめんどくさいので置いておく。
「そうなの。それで、もしかしてと思ったんだけど……風見くん、壺が割れた音を聞いた?」
「そのことか。聞いたよ」
やった!
そう。まず行うべきは聞き込みと、犯行時間の確定である。
私は警察手帳ならぬ生徒手帳を取り出し、フリクションペンでメモを取った。
「確か一時間目、生物の授業が始まって少しした頃……十分後ぐらいかな。ちょうど先生が授業に使うプリントを忘れたとかで教室を出た後だったからよく覚えてるよ。この学校って各教室の防音もそれなりにしっかりしてるから、大袈裟な音は聞こえなかったし、てっきり他所のクラスがチョークケースでも落としたのかと思ってたんだけど」
「なるほど……ちなみに怪しい人影とかは見ていない?」
「うーん……俺も気になって廊下側見てたけど、誰も通ってはなかったと思うよ。見掛けたのは戻ってきた先生だけだしね。まあ、こちら側に抜けるより、塔の方から外に出るなり何なりした方が人目につかないだろうし、廊下を通ってるかどうかは怪しいと思うな」
「確かにそうよね……」
せっせと風見くんが言った事を書き写す。風見くんのクラスでも透子ちゃんが疑われているのかなど他に聞きたいことはあったけれど、そろそろみんな登校してくる頃だろう。白鳥エリカが人畜無害そうな男の子に声を掛けている事もだいぶイレギュラーなうえに、告白はもちろんだけど、脅しているように見られたらまずい。私は正直周りから見える白鳥エリカ像に関してちょっと無頓着過ぎたのかも、と、昨日花山院と西門に言われて思ったので、なるべく悪役に見えるような振る舞いは避けなくっちゃ。
「ところで白鳥さん、なんで探偵みたいな事してるの?」
「わたくしを疑うバカが二人いらっしゃるからよ」
「あ、もしかしてそれ花山院くんと西門くんのこと?」
「なんでお分かりになったの!?」
「だって昨日同じこと二人にも聞かれたから」
「ああ~~~……」
くっ……二人に先を越されるとは……まあでもだから私の事を疑ったのか。アリバイがどうのこうのなんて犯行時間が分かってないと言えないもんな。私のバカ~~!
いつでも力になるよ、と爽やかに笑ってくれた風見くんにお礼を言って、私は自分のクラスに戻る事にした。扉を潜るといつの間にか噂の花山院と西門が席に着いて何事かを話し合っていたのでゲンナリしたけど。
しかもこいつら、私が入った途端、ひそひそと声を潜めてチラチラこちらを窺ってくる。
内緒話って対象に分かるようにするのって陰険な女子だけだと思ってたんですけど!? せっかく西門にキュンキュンしていた私の気持ちがどんどん萎えてゆく……。ああ、風見くんは優しくてよかったな……顔は普通だけど、恋人にするなら風見くんみたいな人がいい……。
現実逃避しながら席に着いて、本を読む振りでやり過ごそう。
「白鳥」
「………………」
………本を読んでやり過ごそう。今日はジェフリー・アーチャーの『100万ドルを取り返せ!』よ。
「あれ。聞こえなかったみたいだね。おはよう、白鳥さん」
晴れやかな笑顔が机の前に回り込むけど無視。今の私は文学少女。『美女と野獣』のベルなのよ。そう、本を読み始めると周りの声が耳に入ってこないほど集中してしまうの~! なんて風変わりな女の子エリカ~!
「白鳥、お前本逆向きに読むの?」
よくよく目を凝らすと、文字が全て逆に流れている。ブックカバーをかけているせいで気付かなかった。こんなの風変わりどころかかくし芸の域だよ。私は諦めて本を閉じ、机の周りに立つ二人を見上げてにっこりと微笑んだ。
「…………………ごきげんよう。花山院さま、西門さま」
「ごきげんよう。ちょっと時間貰える?」
「残念ながらわたくし昨日課題をし忘れてちょっと忙しいんですのよ」
「来なきゃ昨日の話言い触らすけど」
「あっ昨日きちんとやったんでしたわエリカうっかり!」
臭い小芝居を挟んでしまい自分自身に虫唾が走る。ああ…………。
さすがにちらほらと人気のある教室で密談は出来ないので、昇降口から遠い位置にある階段の踊り場へと移動した。だいたいの生徒は移動教室以外でこの階段を使わないし、私達一年は最上階だから、廊下に目を向けて下からの足音にさえ気を遣っていれば、まず会話内容が聞こえる事はない。そもそも上から下への声は響きにくいしね。
「それで? 何の用ですの?」
腕を組んで二人を睨み上げた。今までは極力無関心を装うため、基本的に表情は好意にも悪意にも偏らないように気を遣っていたけれど、昨日のお昼ご飯食いっぱぐれ事件があった今、感情を隠す努力は諦めた。食い物の恨みは根深いのだ。とはいえ、西門とにらみ合うと目力で負けるので、私の目線はもっぱら花山院に向くあまりである。
「昨日白鳥さん言ってたじゃない? 真犯人を見つけてみせる、って」
「ええ。冤罪吹っかけられて一家離散なんて事になったらとんでもありませんからね」
「そこまで考えたのかよお前」
「当然です。人に罪を擦り付ける、という事はそういう事でしょう?」
「まあ確かにね」
曖昧に笑う花山院の意図は「それをお前がやろうとしたんだろ」というところだろうか。う~ん。漫画の中ではもっと性格がいいと思ってたけど、こうして見ると笑って誤魔化す花山院より、ストレートにその意を出してくる西門の方が良い人な気がするな。まあ親友のために自分の恋心を抑えようとする辺り良い人なんだろうなとは元々思っていたけど。
話の腰が折れたので、再度促すように見上げると、花山院は微笑んだ。
「それさ、僕達にも手伝わせてくれないかな、って」
「………………はあ?」
どういう意味だ?
私のこの気持ちは、そっくりそのまま表情に現れたのだろう。西門が続ける。
「手伝うっていうより、お互いに持ってる情報を共有してかねえかって事に近い。そうすればフェアに推理できるし、俺達からすればあんたが情報を秘匿する線を消せる。で、白鳥は白鳥で、俺達が間違ってると思えば正しい方向に導ける」
「……昨日わたくしが何を言っても信じなかったじゃありませんか」
言外に、どういう風の吹き回しだ、と。
さすがに聡い二人だから、私の批難するような物言いには気付いただろう。てっきり同じような敵意で返されると予想していたものの、私の予想に反して、二人はバツが悪そうに顔を見合わせるだけだった。
最初こそ見当がつかなかったものの、不意に私の灰色の脳細胞が働いた。
「花野井さまに、なにか言われました?」
漫画みたいに肩がビクリと揺れる、なんて事はないけれど、二人は明らかに動きを止めた。花山院は微笑みのまま、西門は眉間に皺を寄せたまま、動画を一時停止した時みたいに。図星だな。
ああっ、透子ちゃんと(比較的)穏やかに会話出来ていてよかった~~! やっぱり善行は重ねてナンボ!
「まあ、白鳥さんがやった、っていう決定的な証拠もないわけだしね。とりあえず思考ロックは解いておこうかと思ってるよ」
「ふうん。それで共闘してまいりましょう、って事ですのね?」
「ああ。お前が犯人の線俺はまだ捨てきれないけど、犯人をはっきりさせるって点に関しては……目的は同じだと思ってる。お前が自分の疑いを晴らしたいように、俺も、……俺達も、花野井の疑いを晴らしたい」
「…………」
――狡いな。
そう、思った。
ここが『わたとげ』の世界だって気付いてから、そういう意味で二人を見たことはない。どうせ二人とも透子ちゃんに夢中になるって分かってるし、叶わない片想いに身を焦がすには、私の中身は成熟しすぎていた。
だけど、今、初めて「羨ましい」と思ってしまった。
私が“白鳥エリカ”じゃなければ、信じてもらえたのだろうか。
「……白鳥?」
気付かない間に、二人から視線を逸らすように俯いていたらしい。
呆けていたことに気付かれないように、私は小さくため息を吐いた。ため息というよりも、諦念の吐息と聞こえますように、と願いを込めて。
「分かりました。お互い目的は同じですもの、協力いたしましょう」
かくして、私と花山院、西門の同盟が成立することとなったのである。