「霧のはし 虹のたもとで」について考えたあれこれ
私はとても記憶力が悪い。生活に支障をきたすほどいろんなことが、ぽろぽろと抜け落ちて行く。
今考えていることも、きっと直ぐに忘れてしまうから、書いて留めておこうと思いました。
基本、私は自作の解説が嫌いです。作品で語るべきことに解説をつけるなんて、自分の表現力のなさを嘆いているみたいで。
でも、今は考えを改めました。
まず、自分自身の自作の解釈が変化する。
こういうことを言いたい、伝えたいという主張をもって書いている訳ではないのです。
わたしはいつも作中人物の声に耳を澄ませて綴っています。じっと息をひそめて見守っているのです。
なので、この話がどんな道筋を歩んでラストシーンにたどり着くのか、私は知りません。
ただ、結末だけは知っています。
彼の運命の最終結末だけは知っていて、彼が何を思い、考え、行動するのかを眺めているのです。
その時は、そうか、そんなふうに考えていたのか、と思い書き綴っているのに、後になると、別の意味が見えて来る。
語調を整えたりする以外の改稿はほぼしたことはないのですが、とにかく解釈はどんどん変化している。
だから今、こう解釈している彼の心情が、書き終えた時には別のものに見えるかもしれない。
今この時は、私は彼のことをこう考えていると、残しておこうと思ったのです。
そして、もうひとつ。
自分と、私の書くものを目にして下さる方々との基盤が余りにも違い過ぎるのだ、と今更ながら気づきました。
どのような思想、教養が、こんな作品が生まれるベースになっているのか、種明かししたっていいじゃないか、と思ったのです。
「胡桃の中の蜃気楼」シリーズは、英国舞台で判りやすく、キリスト教文化がベースです。信仰ではないところがミソ。
あくまでキリスト教文化の影響の上で、神を信じない人たちの話。その中に、何人かのクリスチャンがいます。(アレンのテーマはヨブ記です)
同じ英国が舞台でも、「霧のはし 虹のたもとで」には伝統的習慣以上のキリスト教的な思想は出て来ません。
結構、自分で書いていてびっくりですよ。なんだっていきなりなスピリチュアル展開になってるんだ!
アルビーの心の問題と克服がテーマのはずが、脱線するする。
コウの一人称ですからね。
初めのイメージでは「夏の嵐」のジオのような、主人公であっても語り手的な立ち位置で、物語を進行していってくれると思っていたのに。
無茶苦茶に脱線してくれたお陰で、私は久しぶりに自分の思想基盤というものを思い出しました。
私はキリスト教は嫌いです。あれは高度に完成された支配システムだと思うからです。
「神の無償の愛」などとよく言われますが、無償だと思ったことは一度もありません。
キリスト教の神は、絶対の信仰を要求します。信じなきゃ神は何もくれません。完全なギブ&テイクな世界観だと思っています。
そして、信じるということの、いかに難しいことか。
仏教でいう、親鸞の苦しみです。
と言う訳で(すっとばします)、キリスト教要素が多分にあっても、私の思想ベースは西洋ではないのです。
自分が世界について考える時、その根っこにある思想は、仏教なのです。それも、日本で育っていった大乗仏教ではなく、インド仏教にインド哲学です。
あまり表にでてくることはありません。私自身忘れていました。
で、ひょんなきっかけで、久しぶりにタゴールの本を借りてきて、酔っ払って(言葉にです。お酒は飲まないので)変な短編を書き、
クリシュナムルティを読んで、今、こうして長々としゃべっている訳です。
「私は何も信じない クリシュナムルティ対談集」星雲社
の「気づきへの旅」の中に、こんな会話がありました。
「愛情を得たい、あるいはそれを失いたくないという気持ちが、私の思考や行動の奥に潜んでいます」
「あなたが望んでいるのは何でしょう? それは愛情ではありません」
「私自身の心のなかに、愛情ではなく、何か外からのものを求めているとおっしゃりたいのですか?」
「そのとおり。あなたは内なる空虚を満たそうとしているのです。それはけっして満たせない、空っぽの漏りやすいバケツを満たそうとしているようなものです」
ああ、やっぱり自分のベースはここなんだ、と思った訳ですよ。
コウとアルビーのベッドインのシーン。
私はこの二人はこういう関係にはならないと思っていた。
アルビーは大人だし、コウの未熟さも充分に分かっている。彼のことを大切に思っているし、こんな形で手は出さないだろうな、と。
それに彼は臨床心理を学ぶ学生なのですから。こういう形での体験が、コウの心に傷を残す可能性も理解している。何でだろうな、って未だに思います。
でも、自分の中の決意が翻らなかった彼は、せめてもの大人として、「好きだから」と言い、段階を踏んで気持ちの確認をする。
コウをいたわれるほどに気持ちを切り替えて、これは愛であると示そうとする。
でも、コウはそんなアルビーの思考を理解しても、騙されない。コウにはアルビーの空漠が視えていて、自分ではそれを埋めることが出来ないことに、涙するのです。
そして「空っぽの漏りやすいバケツを満たそうと」している自分に、やりきれなさと虚しさを感じている。
そんな状況が苦しくて堪らないから、コウは逃げたんです。
そして旅が始まってみると……。訳の分からない方向に話が転がっている!
どうなるのか知りたい……。なので、今日もこれから頑張ります。




