【三題噺】茜色の残響
マグネット! 第四回三題噺参加作品、転載。 お題は「メール」「神」「リス」
うとうとと心地良く夢現を彷徨っていた意識は、静寂を破る甲高い女の声によって、無理やり現実に引き戻されていた。
それとも、今し方響いていた声こそが夢だったのか。
ぱっちりと目を開けた視界に映るのは、神社のお社のくすんだ杉板の天井。幾つもの人形の首の描かれた奉納額。閉め切った板戸から細く差し込む茜色。この茜色の陽射しが、横たえた躰を切断するように横切っていた。だから、あんな変な夢を見たのかもしれない。
いつの間にか、陽はかなり傾いているようだった。
寝起きのぼんやりとした頭で辺りを見廻し、自分は何をしてるのだっけ、と思い返した。しんと鎮まっていた空気を、また、降り注ぐ蝉の声が震わせている。
祖母の法事で、久方ぶりに母方の実家を訪れた。電車からフェリーに乗り換え数時間。瀬戸内の小さな島は幾年もの年月を経ても、取り立てて変わり映えもなく。潮の香。海鳥の声。お盆のこの時期だけは満員のフェリーが幾ら客を下ろしたところで、港は瞬く間に閑散として、気がつくとタクシー待ちの僕しか残っていない。
方言のきつい運転手と軽い世間話をしながら、ここから更に隣の島へと渡る。赤い鉄橋でこの二つの島が繋がれてから、本土から母の故郷の島への直行便は廃止されたからだ。海沿いの道から内陸に入り、小さな山の麓で降車した。
僕の見知った祖母の家は既になく、綺麗に建て替えられた叔母の家がその跡地に立っていた。これから数日間、ここでお世話になるのだ。
僕の顔を見ると、叔母も、叔父も人の好い笑みを浮かべて「おおきくなったねぇ」と喜んで、冷たい麦茶を出してくれた。
父や母は元気か? 忙しくしているのに、わざわざこんな田舎まで来てもらって悪いねぇ、と、本心から申し訳なさそうな顔をして、法事の手配は全て叔母夫婦に押し付け、代理に学生の僕をよこすような両親の不義理を責めることもない。僕は却って恐縮しながら、曖昧な笑みを顔に貼り付かせていた。
一つ下の従弟や、母の弟一家も、もうじき帰って来るから、気楽に休んでおいで。と、離れに通された。小さな部屋の窓には風車が一本、畳と窓との隙間に差し込まれ、カラカラと回っていた。
祖母が亡くなるまで過ごした部屋に飾ってあったものだ。お通夜に訪れた晩、場違いな子どものおもちゃのような、ピンクのプラスチックの風車が風を受けてカラカラと掠れた音を立てていた記憶が鮮烈に残っている。
覚めやらない意識の底から泡の様に浮かび上がる記憶と、視界に映るこの景色がまだ夢の中にいるような錯覚を引き起こしているだけだ、と、僕は大きく息を吸い込んで深呼吸を数回、繰り返した。
蝉の声が、洪水のようだ。
屋根の高さを超える大木に囲まれ、日中でも直射日光に晒されることのないお社の中は、厳粛な冷気に包まれている。黒光りするほどに磨かれた床板は、戸外の容赦ない陽射しを忘れさせてくれるほどに、ひんやりと心地良い。
ため息を一つついて、立ち上がった。
そうだ。退屈と、懐かしさから、子どもの頃楽しみにしていた盆踊りの行われるこの神社の境内まで散歩に来たのだった。宮司も誰もいない無人の小さな神社だが、記憶そのままの形でここに在ることが嬉しくて、つい、中に入り涼を分けてもらった。そして、そのまま寝こけていたのだ。
開き戸の格子から覗く緑が眩しい。だが、陽射しはかなり和らいで見える。
戻ろう。
と、扉に歩み寄った時、格子の隙間から、白い敷石の敷かれた参道の上に、小さなリスがちょこんといるのに気がついた。
まるで神さまにお参りしているかのように、小さな手を擦り合わせている。その姿があまりにも微笑ましく、愛らしかったので、驚かすまいと扉を開けるのを留まった。
そのかいもなく、リスはビクリと怯えたよう震え一目散に走り去ってしまった。つい、その後ろ姿を目で追った。茶色いふわふわとした尻尾を弾くように揺らし、境内の大きな楠に駆け登って行く。
だが、僕の目はその時にはもう、別のものに釘付けにされていた。
楠の根本。乾いた土から持ち上がった太い根の一本に、白い腕が、その手首から先だけをべっとりと赤く染め上げられた腕が、投げ出されていたのだ。そして、その横には長い黒髪。ばらばらと散らばる髪の掛かる、白い顔。何も映さない瞳。
夢の中の声の主だと、直感した。夢ではなかったのだと。
言い争う声、悲鳴にもならなかった、くぐもった呻き声……。
砂利を踏む足音に、息が止まった。
楠の巨木の後ろ。この位置からは見えない。いるのだ。言い争っていた相手の男が……。
警察! 警察を呼ばなければ。
足音が近づいて来る。通り過ぎたか……。駄目だ、戻って来た。行ったり来たり、何をしているんだ。
いつの間にか僕の脚は崩れ、床に座り込んでいた。壁の一方の隅ににじり寄り、格子からの死角に、隠れるように身を縮こまらせる。後ろポケットの携帯を取り出し、メールを開いた。電話は駄目だ。声を出せば気づかれる。震える指で、アドレスを、……。
警察のアドレス! そんなもの解るわけないじゃないか!
誰か、誰か、誰に?
そうだ、従弟の、じきに戻ると言っていたじゃないか。あいつに。
――殺人現場に遭遇怖いすぐきて山住神社にいる警察よんで
メールを送信し、ほっと息を継いだ。これですぐに従弟が警察を呼んでくれる。
狂ったように鳴き続ける蝉の声に紛れて、社の外から、場違いな電子音が鳴り響いた。
神さま……。
縁側の敷板が軋み、格子戸が、小さな悲鳴に似た音と共に開いた時、なぜだろう、僕の瞼裏で、祖母のおもちゃの風車が、カラカラと音を立てて、回っていた。




