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紡ぎ車の廻る先
口が悪くなったのは、貴女の所為です
order.1 現地集合
雲一つ無い吸い込まれそうなほど青い空。
光を弾く瑞々しい柔らかな草が生える地面をチョコレート色の革靴の下に感じて微笑んだのは、ややぼさっとした紫紺の短い髪に白い肌。フレームレスの長方形レンズ眼鏡と眠そうな夕闇色のタレ目、全体的に細身の体躯を白シャツにループタイ、白い手袋、紺のベストと同色のスラックスで包んだ青年だった。
歳は二十くらいだろうか。
寝癖のように髪が跳ねている頭をゆっくり周囲を確認するように動かし、自分のいる場所が周囲を山々に囲まれた丘の麓で、その丘の上には人が住んでいるらしき三角屋根のこじんまりした建物がある事を理解すると、軽い足取りで丘の上を目指して歩き始める。
楽しそうな笑みを浮かべ、ほどなく建物に辿り着いた青年はドアをノックして出てきた女性にこう言った。
「はじめまして。魂と交換に素敵な服を仕立てませんか?」
まぁ、そんな事を言えばよほどでない限り塩対応は致し方なかろう。
しかし、だ。
塩対応で即刻やり取りを終了させた女性……というには若い。十六才程度に見えるので少女の方が正しいだろう、赤毛に茶色の瞳、色褪せた黒い修道服のようなワンピースを着たその彼女は、万感の思いを込めて叫んでいた。
「何で普通にご飯食べてるのよ!」
当然即座に帰れいらんと門前払いされたはずの青年は何故か、雑多に物が床に散らかっている建物の中で一番大きい部屋、数人の子供達と共にいわゆる食堂の長テーブルの一席に着いて、固そうなパンを上品に小さく千切って口に運んでいる。
「ふふ。一度断られて、はいそうですか、と帰っていたら仕立て屋は務まりません。ところでこのパン美味しくないですが貴女の作ですか? これを毎日食べるのは子供達にとって苦行かと」
さらっと笑顔で暴言を吐く。
「出てけ!」
「嗚呼、このスープもひどい……」
もうこいつ殺そう。そんな、神の恩恵に感謝し神に祈りを捧げる建物で働く者にはどう考えても相応しくない思いを、彼女が抱いてしまうのも当然と言えば当然。なのかも知れない。
「ねぇねぇ、ニーナ姉ちゃん。この人だれー?」
大きな瞳を瞬いて、子供の内の誰とも知らずそんな声が上がるが、それこそ知るわけない。
暴言を吐いた青年は食後の口許を軽くナフキンで拭く。
「私はフォルシシア=アマランサス=テイラー。お気軽に、ルシアとお呼び下さい。しがいない仕立て屋ですから」
「どこがよ! 普通の仕立て屋が魂とか言うわけないでしょ!」
「人間の仕立て屋はそうでしょうけど、私は魔族ですから」
またしてもさらっと。立て板に流れた水の如く、神への祈りを捧げる建物に居てはいけない存在だと自ら暴露する。
「ふざけないで! そんなのが何で神聖な神の御加護を受けたこの家に入れるのよ!」
「信仰心が足りないのでは?」
「なっ」
「ふふ。なんて。冗談ですよ。貴女達の信仰心は関係なく、私が神なんて信じていないからだと思いますし」
そう言って、ルシアは優雅に席を立つ。
「信じていないものなど、怖くもなんともないでしょう?」
眼鏡の奥で、夕闇と黄昏の混じり合うような色をした瞳の瞳孔が横にゆっくり細まった。
そしてパチン、と片目を瞑って言う。
「ご安心を。子供達には今はまだ手を出しませんし、貴女の死装束は私が責任を持って仕立てますので!」
どこに安心できる要素があるのだろうか、否ない。
しかし自称魔族の仕立て屋は尚も笑顔でのたまう。
「貴女の魂で作る糸はきっと素晴らしい布地を生み出してくれます」
「た……」
「ええ。これだけ上質な素材は滅多にお目にかかれませんから、私も楽しみです」
ニコニコと笑顔でとんでもないと言うかろくでもない、褒め言葉なのか物扱いの侮蔑なのかわからない、そんな事を言う。
「本当に、驚きです。こんな貧相な見掛けなのに。……おや、怒りました?」
当たり前だがこれまでの発言でニーナの好感度は底辺割りも良い所である。回し蹴りの一つも無言で入れたくなっても仕方なかろう。
しかし残念な事に、あっさりとその蹴りは避けられる。
「嗚呼それにしても、この世界は文化レベルが低そうですね。未だにドロワーズですか」
避けつつしかもそんな言葉まで。
思わずスカートを押さえ、ニーナは真っ赤な顔で声にならないのか、パクパクと口を動かす。
「な、な……!」
「あ。大丈夫ですよ。貴女の下着に興味があるわけではないので」
「死ね!」
反射的に近くにあった箒の柄を掴んでぶん投げたのだが、やはりこれも避けられた。
「まあ、どんな文化レベルだろうと私の障害にはなりませんが」
掃除機も電気もなさそうですね、と。ルシアはコンセントなんて存在しない漆喰の壁を見て呟く。
「何言ってるかわからないけど、とにかく出て……!」
最後まで言えなかったのはルシアがにっこり笑って、片手でニーナの口を塞いだからだ。
「あまりギャーギャー騒ぐものではありませんよ? 子供達が怯えるでしょう」
ハッとしてニーナが部屋を見回すと、確かに子供達が少し怖がるような顔をして二人を見ている。主に怖がるような視線はニーナに向かっていた。
ニーナがとりあえず落ち着いたのを見ると、ルシアはそっと口から手を離す。
「さて、それでは商談の前に、お片付け致しましょうか。皆さん、自分の食べた器を持って、整列して下さい」
子供達にくるっと向き直って、ルシアは変わらぬ笑顔でそう言った。
世界、というのは自分がいる所以外にも、沢山ある。
それぞれの世界は、それぞれのルールで回っていて、通常は行き来はおろか、互いの存在など知らないもの。
それでも、それは確かにそこにある。
ルシアというこの仕立て屋も、そんな数多ある世界の一つから、どうやってかニーナのいるこの世界へやって来た、そんな存在らしい。
で。そこは人間の魂を食べたり素材にしたりする世界だと。
「やっぱり良く聞いても悪魔じゃない!」
「魔族です。魔力というものを扱う種族ですよ。仕方ないでしょう? 人間だって食べなきゃ死ぬのですから。私達も同じ。それが血肉か魂かの違いです。そもそも、他者の生命を頂くという点では、人間も魔族と変わりないでしょう?」
牛も豚も植物さえ生命ですよ? と。
子供達と食器を洗って拭きながら、ルシアは言った。
「はい。終了です。皆さん、お疲れ様でした。遊びに行って良いですよ」
最後の皿一枚が食器棚に仕舞われたのを確認して、笑顔で両手を打ち合わせ、ルシアが言うと子供達が歓声を上げながら我先にと外へ飛び出して行った。
端から見ている限り、魂がなんたらと言っている以外は普通の青年にしか見えない。
「それでは、本題に入りましょうか」
「入らないわよ。帰れ」
子供達の手前、我慢していただけで、ずっと言い続けているはずだが、ニーナの言葉など聴いていないのかもしれない。
「貴女に最高の死装束を仕立てて差し上げますから、代金として死後の魂を私に下さい」
「イヤ。そもそも服なんかと魂を交換する奴なんかいるわけないでしょ!」
「居ますよ。たくさん」
「は?」
クスクスと笑ってルシアは微笑む。
「私の仕立てる服は、特別ですから」
横に細まる瞳孔が瞳に妖しい光を宿す。
「どんな服を望みますか?」
「え」
「覇王の服、傾国の美しさを与える服、復讐を遂げさせる服というのを、望んだ方も居ましたね」
その全てに、応えてきた。そう静かに告げて。
「願いを叶える服を、仕立てましょう」
ルシアの笑みは深まる。
さぁ、どんな願いを叶えたいですか? と。
「叶えたい願い事。あなたにはありますか? 叶えられる手段が目の前にあったら、どうします?」
仕立て屋は微笑む。
「素直な方は、好きですよ」
「次回、order2.プレゼンテーション です」