この気持ち
この作品は『べたべた恋愛同好会』の作品です。
昼休みの教室は賑やかだ。あっちからもこっちからも笑い声が聞こえてくる。昨日のドラマの話。芸能人の話。女子の話。恋話。いろんな話題で楽しんでいる。
俺は友達と話さず弁当をさっさと平らげ、教室を出た。別に嫌いな訳ではない。ただ昼休みだけ、いつも屋上に行くと決めていた。あそこに行くと自然と頭が真っ白になって清々しい。
今日も階段をいつもの様に上がっていく。すると、
ドン!
「うわっ!」、「キャ!」
誰かとぶつかった様だ。それが分かったのは頭に痛みが走ってからだ。俺はゆっくりと目を開けると、艶のいい黒い髪が目の前にあった。
「ふにゅー」
ぶつかってきた相手は奇妙な声を出しながら顔を上げた。俺は息を飲んだ。
……女の子だ。
白い肌に小顔で大きな目、小さな鼻、柔らかそうな唇。そんな彼女を俺は見入ってしまった。
「未来! 大丈夫?」
駆けてきた女の子に未来と呼ばれた彼女は瞬き一つしてからゆっきりと起き上がった。俺も少し遅れて起き上がり、学ランに付いた埃を手で払う。心臓が慌ただしく動いてる。それに若干変な汗が出てきた。
駆けてきた女の子が俺をチラチラ見ながら未来に何かを話している。俺は居心地が悪くなったのでさっさとその場を去った。
屋上へのドアを開けると、風が吹き込んで涼しかった。今日の屋上は珍しく人がいなかった。俺は柵に両腕を乗せながら、阿浜の街を眺める。
次第に頭の中が真っ白になり、心臓も落ち着いてきた。だが、彼女の事だけ消えなかった。それに胸の辺りがもやもやしている。俺は不思議な感覚に戸惑いながらも、屋上から見える景色を眺めた。
○
俺は階段を上がりながら携帯電話で友達にメールを打っていた。内容は4時間目の授業には出ないというもの。
あの出来事から1週間が経つが、未だに胸のもやもやは消えない。そのせいで授業は集中出来ない。全然あいつのせいだ。
最近は屋上に行く回数が増えた。昼休みだけだったのが、授業を抜け出してでも行く様になった。あの女の子の事が頭から離れないのだ。何故自分があの女の子の事を考えているのか分からない。知りたくもない。
そんな事を考えていると、あっという間に屋上に着いた。ドアをゆっくりと開けると、視界に青空が入ってきた。そしてもう一つ。
セーラー服を着たツインテールの女の子が。
その子がツインテールを揺らしながら振り返る。あの女の子、未来だった。
「あっ」
何か言おうとしたので俺は踵を返し、屋上を出ようとした。
「待って!」
その声に思わず振り返ってしまった。
「……下さい」
未来は俯きながら俺に言った。よく見ると襟のラインが赤なのに気づいた。という事は1年という事か。多分あっちも俺が1学年上に気づいて語尾を改めた様だ。
「こないだはすみませんでした」
未来は頭を下げた。
「別に謝ることじゃないだろ」
すると、4時間目が始まるチャイムが校舎に響いた。
「……始まっちゃいましたね」
「…………」
俺は適当な所に腰を下ろし、街を眺めた。その横に未来が座る。なんだよこいつ。
「あっ、自己紹介がまだですね」
は?
「あたし、朝倉未来です」
マジでなんだよこいつ。俺は無視しながら街を眺める。すると未来が前に出てきた。
「先輩の名前は?」
「ちょっと待て。なんでお前に教えなきゃいけないんだよ」
「お前じゃありません。未来ですよ。み・く」
未来は腰に手を置き、頬を膨らませながら言った。なんだこいつ。怒ってんのか? だとしたら全然怖くないな。
「そんな意地悪しないで教えて下さいよ」
「断る」
「うー、先輩の意地悪」
未来はそう言うと目に涙を溜め、呼吸が乱れていく。さすがに焦った。
「お、おい。分かったから泣くな」
すると、
「え? 本当ですか?」
さっきまで溜まっていた涙が一瞬の内に消え、笑顔が戻った。俺はそれを見て唖然としてしまった。嘘泣きかよ。ムカムカしてくるな。でも騙された悔しさより、未来を見てドキドキしてる自分に腹が立った。
「……岡田慎也」
俺はわざと小さく言ったが、未来は聞こえた様だ。
「岡田先輩。宜しくです」
未来は微笑みながらもう一度横に座った。俺はわざとらしく溜め息をついた。なんでこんな奴の事を考えてたんだろ。
「先輩って、彼女いるんですか?」
未来が俯きながら聞いてくる。
「いや」
冷たく言い放つ。頼むからもう喋らないでくれよ。だがその願いも虚しく、
「じゃ、先輩。明日お弁当作ってきます!」
と言った。
「は?」
今度は何言い出すんだよ。
「愛妻弁当です」
「いつから妻になったんだよ」
「う〜ん、今からです」
俺はまた溜め息をついた。
「おかず何がいいかなぁ〜」
「おい。まだ俺は良いなんて言ってないぞ?」
「あ! 先輩、エビ大丈夫ですか?」
ダメだ。まったく聞いちゃいない。お前の耳は飾りなのか?
○
そして次の日の昼休み。未来は本当に弁当箱を持って俺の教室に来た。何であいつは俺のクラスを知ってんだ?
「せんぱーい! お弁当作ってきました!」
教室中にいたクラスメイトが一気にざわめき出した。
「誰の彼女?」、「結構可愛いじゃん」、「まさかお前か?」、「早く行ってあげなよ」
いろんな所から声が飛び交う。俺は黙ってじっとしていようと考えていたが、未来はそんな考えを見事に壊してくれた。
「岡田先輩! 早く早く!」
教室が再びざわめいた。クラスメイトから変な目で見られる。俺は足早に教室を出て、未来の手首を掴み、屋上に向かう。なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ。
屋上に着くと未来がスキップしながら前に出た。そして弁当箱を差し出してくる。
「はい、先輩」
「お前さぁ〜、恥ずかしいとか思わないの?」
そう言うと未来は首を傾げるだけだった。それを見て俺は溜め息をつく。こいつは馬鹿なのか?
「そんな事より、お弁当食べましょうよ」
未来は昨日と同じ場所に座り、俺を招く。仕方なく座る事にした。仕方なくだ。
「ジャーン! 美味しそうでしょ?」
未来は弁当箱の蓋を開けて、中身を見せた。エビフライや卵焼き、みずみずしいサラダ、そしてご飯。至って普通の弁当だ。
未来は箸を取り出し、卵焼きを摘む。
「はい、先輩。あ〜ん」
「な、なんだよ?」
すると、卵焼きを口に押し込まれた。未来が目を輝かせながら見てくる。取り合えず食べてみる。どうせ美味くはないだろう。だが結果は……美味かった。
「どうです?」
未来が不安そうに聞く。それを見て、「まずい」と言うのは止めといた。きっとまた泣き出す。嘘泣きかもしれないが。
「……美味いよ」
そう言うと未来の顔がパッと明るくなった。
「ホントですか!?」
未来が弾んだ声を上げながら、次はエビフライを摘んだ。
「自分で食える」
「あ、恥ずかしいんですか? それはそうですよね。こんな可愛い後輩に食べさせてもらってるなんて」
未来は胸に手を置き、しんみりとしている。
「自分で言うな」
「美味しー!」
未来はエビフライを頬張っていた。
「人の話を聞け!」
俺は未来の耳を引っ張った。
「先輩痛いですよ! こんなか弱い女の子に暴力を振るうなんて」
「お前が話を聞かないからだ」
俺はエビフライを摘み、口の中に放り込んだ。くそー。なんで美味いんだよ。てかなんで俺こんな事してるんだ? 楽しいから? なんで楽しいんだよ。なんだこの感覚は?
「どうしたんですか?」
未来が覗き込んでくる。俺はすぐに遠ざかると、
ガン!
「いっ!」
頭をぶつけてしまった。未来が笑う。
「先輩ドジですねぇ〜」
「うるさい」
未来が手を伸ばしてくる。俺は反射的にそれを払ってしまった。お互い見つめ合った状態で変な空気が流れる。先に口を開けたのは俺だった。
「わ、悪い」
「あたしは気にしてないですよ。でも……」
未来は突然口を閉ざし、顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。
「おい。大丈夫か?」
そう言うと、
「……なんでもないです!」
未来が勢いよく顔を上げ、未来の満面の笑みが目の前に迫った。鼻が当たるギリギリの位置で止まり、汚れのない瞳を向けてくる。俺はそれに吸い込まれそうになったが、視線を反す。
「あっ! 先輩の負けですよ」
「は?」
「喧嘩とかする時って、先に目線を反らした方が負けなんですよ? 相手に隙を見せるようなもんです」
と未来は人差し指を立てながら語る。それで終わるかと思ったが、続けて口を開く。
「ほら。ブルース・リーも弟子に言ってるじゃないですか。なんて映画だったっけ」
「燃えよドラゴンだろ」
何気に言うと、未来は空に向けていた人差し指を俺に向ける。
「それです!」
「それじゃ、俺とお前は敵ってことか?」
ある意味そうだが。
「とにかく! 先輩の負けです!」
反らしやがった。でも何でだろう。なんか可愛らしい。って俺は何を考えているんだ。
「という訳で、あたしのお願いを聞いて下さい」
どういう訳だよ!
未来はそう言うと持っていた箸を俺に握らす。
「あ〜、お腹すきました。卵焼きが食べたいですぅ〜」
未来はそう言うと目を閉じ、口を開けた。俺は卵焼きではなくサラダの上に乗ったミニトマトを摘み、未来の口の中に入れた。途端に目を開けた。
「んっ! トマトじゃないですか!」
「食べながら喋るな」
「あたしは卵焼きが食べたいですぅー!」
未来は手足をばたつかせ、子供の様に駄々をこねた。こいつはホントに子供だな。思わず綻んだ。なんか笑うの久しぶりだな。なんでだろう。未来といると自然と笑える。不思議な奴だな。
○
それから未来は毎日俺のクラスに来ては俺を呼びに来た。もう未来と会うのが日課になってしまっている。もしかしたら先生より会ってるんじゃないだろうか。
今日も俺は未来と一緒に屋上で弁当を食べていた。だが今日の未来は様子がおかしかった。いつものマシガントークも今日はまだ聞いていない。
「具合でも悪いのか?」
俯いた未来の顔を覗き込むと、急に顔を上げて笑顔になる。だが無理してるのがバレバレだ。
「大丈夫です! さっ、早く食べましょう!」
未来は肉団子を口に放り込む。だが時間が経てば笑顔が消え、黙り込んだ。
「本当に大丈夫か? 保健室に行った方が良いんじゃないか?」
「何言ってるんですか! この通り朝倉未来は元気いっぱいです!」
それ以上俺は何も言わなかった。黙って未来の作った弁当を平らげ、涼んだ。風の音。木の葉が揺れて擦れる音。笑い声。それぞれがよく聞こえた。
沈黙を破ったのは未来だった。
「先輩。今日一緒に帰りましょう」
「いつも帰ってると思うんだが」
未来は何も言わず俺を見る。その顔はいつもの明るい顔ではなく、真剣そのものだ。
「……分かったよ」
「えへへ。約束ですよ」
唐突にいつもの笑顔に戻ったのに俺は驚いたが、安心した。
未来はその後元気になり、マシガントークをしながら弁当を平らげた。チャイムが鳴り、俺たちはそれぞれの教室に戻った。そこでふと思った。未来はなんで暗い顔をしていたのか。
5時間目の授業が始まるが、ずっと未来の事を考えていた。何かがおかしい。いままで未来と一緒にいたが、あんな顔一度もしなかった。絶対何かある。
結局、5時間目も6時間目も考えたが分からなかった。本人に聞くしかないのだろうか。……聞きづらい。
「せんぱーい!」
未来がドアから満面の笑みで手を振っていた。あの笑顔の奥でお前は何を考えているんだ? そう思いながら鞄を持って未来のもとに向かう。
「さっ、帰りましょう!」
未来はいつもの笑顔で横にくる。そこに、
「待てよ朝倉」
聞き慣れない声に俺は振り返った。そこには茶が混じった黒髪で背も俺より高く、整った顔立ちの男が立っていた。明らかに俺よりイケメンだ。
息を切らしているのを見ると、相当捜し回っていた様だ。
「まだ答え聞いてないぞ」
男が近寄ってくる。俺は未来と男を交互に見ながら状況を理解しようとした。すると突然、腕を掴まれて走らされた。男が追いかけてくる。
「お、おい」
「逃げます」
未来はさらにスピードを上げ、廊下を駆け抜けた。階段を駆け降り、靴をかえずに外に飛び出す。そのまま校門を抜け、しばらく走り続けた。
公園の中に入りようやく未来が止まった。俺は息を切らしながら噴水の縁に腰を下ろした。
「おい! ちゃんと説明しろよ!」
思わず怒鳴ってしまった。自分でもなんでこんなに感情的になっているか分からない。ただ胸の中が異常にムカムカする。
「……告白されたんです」
ムカムカが増す。
「でもあたし……好きな人がいるんです」
「……誰だよ?」
俺は苛立ちながら聞くと、未来は一度俯くがすぐに顔を上げ、口を動かした。はっきりと。
「先輩です」
「……は?」
思わぬ答えに俺は呆気に取られ、ただ呆然と聞いていた。
「先輩が好きです」
再び未来ははっきりと言った。
「いや、ちょっとま……」
未来に顔を固定され、未来の顔が近づく。そして……唇が重なる。
俺は何も出来ず、ただ体を硬直させながら目を閉じた未来の顔を見るしか出来なかった。
少しして、未来がゆっくりと唇を離す。
「大好きです。……先輩」
いつの間にか涙を流し、涙声になっていた。嘘泣きじゃない、本当の涙。
「はじめて会ったその時から」
俺は何も言わず、涙を流す未来を見つめる。
「先輩の事を思うだけで心が張り裂けそうなんです」
未来は息を乱し、涙を拭く事もせず俺をずっと見つめる。答えを待ってる。
俺は……どうなんだ?
俺にとって未来って何なんだ?
ただの知り合い?
弁当を作ってくれる優しい後輩?
それとも……。
答えは体が知っていた。
俺は未来の涙を親指で拭う。きょとんとした未来は瞬きもせずにされるがままだった。そのまま、唇を重ねた。優しく。温かく。
しばらくしてから唇を離した。
「俺もだよ。…………未来」
未来が驚く。
「いや。多分……愛してると思う」
俺は未来の涙で濡れた瞳を見ながら言った。すると、顔を赤くした未来は視線を反らす。
「今回は俺の勝ちだな」
再び顔を正面に戻した未来は鼻を啜り、
「じぇんばい」
と言った。
「大好き!」
未来が抱き着いてくる。体が後ろに傾く、後ろにあるのは噴水の池だ。
「ば、馬鹿!」
俺と未来は見事に池の中にダイブした。水が音を立て、飛び散る。冷たい水が服を濡らす。それでも未来は俺から離れなかった。
俺の目の前には未来が幸せそうな顔をしながら抱き着いている。未来が顔を上げる。
「あたしも先輩の事、愛してます!」
未来が目を閉じて顔を近づけてくる。俺も顔を近づけ、ゆっくりと唇を重ねた。噴水の雨が降る中。
読んで下さってありがとうございました。本作で恋愛三作目ですが、全然進歩してないと思いました。文章力も相変わらず。
こんな作品ですが、皆さんの心に少しでも残れば幸いです。