~I cannot stop the Romantic scene, I wanna stop my heartbeat~
珈琲に纏わる切ない物語を語りましょう。
珈琲は様々なドラマを演出する小道具として使われます。
それは、香り、酸味、苦みといった感覚が、ある感情を呼び起こすからかもしれません。
今回はまたまた作風と舞台も変え、お話ししましょう。
『~I cannot stop the Romantic scene, I wanna stop my heartbeat~』
2016年2月13日土曜日。
仕事を終えて帰宅したのは、21時ごろだったと思う。
立春を迎えたといっても、夜の寒さは相変わらずだ。
東横線武蔵小杉駅を降りて、自宅へ向かう。
わずかに雨が降っていたが、傘が必要なほどでもなかった。
高層マンションを通り過ぎ、自身のマンションへ向かう。
今時オートロックもない入口から階段で3階まで上がる。
自宅のドアに鍵を差し込み回転させる。
ドアを開けて中に入り、玄関先の灯りのスイッチを入れる。
暗い廊下。誰の声もしない、いつもと変わらない静けさ。
2DKの間取りは、独りで暮らすには広すぎるかもしれない。
廊下の灯りのスイッチを入れ、玄関先のスイッチは切る。
寒い。
コートを着たまま、ケトルに水を入れ、湯を沸かす。
湯が沸くまでに、コートをハンガーに掛け、スーツを脱ぐ。
ネクタイを外しながら、エアコンを暖房設定で動かす。
すぐに温まるわけではないけれど、室内着に着替えてやっと一息つける。
オーディオに何のCDを入れていたか忘れてしまったので、
なんとなくFM設定にして適当に流す。
時期的なのか、流れてくるのはラブソングばかりだった。
自分は、無音の状態が苦手なだけなので、チューニングはそのままにしておく。
湯が沸いた。
いつものマグカップとサーバに熱湯を入れ、残りを銀ポットに注ぐ。
ドリップ用ペーパーを丁寧に折り、ドリッパにセットする。
冷蔵庫から珈琲の粉を取り出し、大雑把に2杯分ほどの量を広げたペーパーに入れる。
1人分の珈琲を淹れることは難しいし、珈琲の粉くらいは贅沢に使いたいから、
自分はいつも目分量で2杯分淹れていた。
銀ポットから少量の湯を粉の上に落とす。蒸らしの作業を行うとともに、なるべくポットの湯を落ち着かせるため、そのまましばらく置いておく。
珈琲をドリップするようになったのは、いつごろからだろう。
サーバが温まった頃合いをみて、サーバの湯を銀ポットに戻す。
それにより銀ポットの湯の温度が少し下がる。
熱湯よりも温度が下がった状態で、ドリップを始める。体感で90℃前後といったところか。
自分は濃く苦味が強い珈琲が好みなので、大抵この程度の温度でドリップを行う。
いつも週末は夕食はせず、珈琲とタバコで済ますことが多かった。
静かな夜を独りで過ごすことが好きだった。
休日は人と会う機会でもない限り、あまり出歩かなかった。
大学時代の友人や仕事場の同僚とは、SNSでのコミュニケーションで十分だと
思っていたし、一人で好きな時間に起きて、したいことをする。
自由に時間を使うことが好きだった。
ドリップをしながら、タバコに火を付ける。
この寒い夜に、ベランダでタバコを吸う気にはなれなかった。
なるべく部屋のなかでは吸わないようにしていたが、
換気扇を回しているときは、キッチンが喫煙場所になっていた。
灰をシンクに落としながら、ドリップを続ける。
ドリップをしている最中は、何も考えていないのか、何かを考えているのか、
自分でもよくわからない状態に陥る。ただ、ペーパー近くの粉を崩さぬよう、
中央部分だけを使ってドリップすることに集中力を使っていた。
丁度銀ポットの湯を注ぎ終わるころ、インターフォンから呼び出し音がした。
週末の夜、来訪者の予定はなかったし、友人からもメールはなかった。
ネットで買い物をした記憶もなかったので、居留守を決め込むこともできたが、
廊下の灯りを消していなかったことを思いだした。
仕方なく銀ポットを置き、来訪者が誰なのか確認すべく、玄関に向かう。
玄関の鍵を開けて、扉を開く。
小説やドラマによくある風景や描写は、
小説やドラマの中でこそ映える演出だと思っていた。
それらが現実に起こったとき、人間は意外と動揺するものだ。
そういった出来事は、作り物の中でしか起こりえないと思っているからだろうか。
それとも刷り込まれた反応なのか。
兎に角、自分の中ではありえない人物の訪問を受け、動揺したことには間違いない。
彼女『紅実』は大学時代の友人で、同じゼミに所属していた。
ボクは彼女に惹かれていたけど、ボクの友人も同じく彼女に惹かれていた。
あとはよくある話で、ボクは彼女への想いを秘めたまま卒業し、
彼女は友人と付き合い、やがて友人と同じ苗字になった。
就職してからも何度か会う機会はあった。彼女が会うたびに綺麗になっていく気がした。
その姿を観るたびに、後悔と羨望がココロの中で次第に大きくなり、
心臓に茨が巻き付いたかのように、苦痛を感じはじめた。
ボクは仕事を理由に友人と会う機会を減らしていき、
3年前の転職を機会に、自分から連絡することはなくなった。
大学を卒業してから7年経つが、彼女に最後に会ってから何年たっただろう。
彼女への想いは時間の経過とともに確実に薄れていき、
その代償として、ボクは積極的に人間関係を構築する努力をしなくなった。
「思い出」をつくること自体に抵抗感を感じていたのかもしれない。
珈琲とタバコと音楽と、ついでに仕事があれば毎日が自然と流れていく。
感情を押し殺し、目立たない。そういった生き方しかできなくなっていた。
扉の外に立っていた彼女は、赤のレザージャケットにブルーウォッシュドのジーンズ、
長い髪はわずかにウェーブがかったレッドブラウン。
革紐の首飾りのトップは、植物の葉を模した赤味のある金色の金属に
木の実のように紅色の球形の石が留めてあり、
中央には大き目のオーバルカットの紅玉石が爪留めされている。
彼女は大学時代から、自然をモチーフにしたアクセサリを身に着けていたことを思い出す。
大学時代と違うのは、スポーティなシューズではなく、
濃紺のヒールを履いていたことだった。
外は雨が降っていたようで、彼女の髪は濡れていて、
リアルレザーのジャケットも酷い状態だった。
彼女は俯いたまま動かない。ずいぶんと痩せたように思った。
あまりにも突然の再会だった。
ボクは咄嗟に声をかけることができずにいたが、
とりあえず洗濯したての白いバスタオルを彼女に無造作に被せ、
腕を掴んで部屋に引き込む。
引き込む勢いが強すぎたのか、
彼女は乱雑にヒールを脱ぎ、ボクにもたれかかってきた。
自然と抱き合うカタチになる。
扉が閉まる音が響く。
彼女の瞳から、滴が頬を流れる。
彼女がただ雨に濡れているだけではなかった。
再び、心臓が茨で締め付けられる痛みを感じる。
切なさを止められない。
心臓の鼓動が早くなるのを止められない。
彼女を支える腕に力が入ってしまう。
自分で自分の衝動を抑えられない。抑えてくれる誰かもいなかった。
部屋に招き入れ、なんとかココロを落ち着かせようとするが、
冷静を装っても、心臓の鼓動は相変わらずだった。
彼女はボクにしがみついたまま離れなかった。
手を伸ばしてFMのボリュームを絞る。
淹れたての珈琲の香りが部屋に広がっていたが、
それ以上に彼女の髪の香りと雨の匂いを強く感じる。
彼女を抱く手に力がこもる。
彼女がペンダントの留め具を自分ではずし、テーブルに丁寧に置いた。
お互いに声が出ない。出さない。
二人でいるのに、なぜか孤独感を強く感じる。彼女からも、同じ孤独感を感じる。
彼女の瞳に自分が映っているのに気づく。潤んだ彼女の瞳から滴が溢れる。
ボクらは、お互いに同じ孤独を感じていた。
窓の外が明るくなり、目を覚ます。
独りだった。
起き上がって、昨夜飲めなかった珈琲を淹れ直すために、
ケトルに水を入れ、湯を沸かす。
サーバに溜まった珈琲は、残念ながらシンクに流し、熱湯でサーバを洗う。
湯が沸いた。
いつものマグカップとサーバに熱湯を入れ、残りを銀ポットに注ぐ。
ドリップ用ペーパーを丁寧に折り、ドリッパにセットする。
冷蔵庫から珈琲の粉を取り出し、大雑把に2杯分ほどの量を広げたペーパーに入れる。
1人分の珈琲を淹れることは難しいし、珈琲の粉くらいは贅沢に使いたいから、
自分はいつも目分量で2杯分淹れていた。
銀ポットから少量の湯を粉の上に落とす。蒸らしの作業を行うとともに、なるべくポットの湯を落ち着かせるため、そのまましばらく置いておく。
サーバが温まった頃合いをみて、サーバの湯を銀ポットに戻す。
それにより銀ポットの湯の温度が少し下がる。
熱湯よりも温度が下がった状態で、ドリップを始める。体感で90℃前後といったところか。
自分は濃く苦味が強い珈琲が好みなので、大抵この程度の温度でドリップを行う。
ドリップをしながら、タバコに火を付ける。
ドリップをしている最中にふと昨夜のことを想う。
日常に飛び込んできた非日常的な出来事。
テーブルの上に置かれたペンダントだけが、
その非日常の出来事が現実に起こったことだと証明してくれている。
ドリップを終え、銀ポットを置く。
ココロが落ち着いていくのがわかる。
テーブルに残されたペンダントトップを手に取る。
程良い重さを感じる。ピンクゴールドの地金に木の実は珊瑚を使っていた。
中央の大きなオーバル石は、思った通り、コランダム石だった。
ピジョンブラッドカラーで、光に当てると十字に拡散する。
星紅鋼石。
サーバからマグカップに珈琲を注ぐ。
今日はなにも予定を入れていなかった。
どこかに出掛ける気にもならない。
彼女がこのペンダントを取りに戻ってくるか否か。
淡い期待を持ちながらも、彼女とは二度と会えない予感もする。
ただ、自分の心臓が茨から解放された感触だけ、実感していた。