第四話 悩み選んで進む道(4)
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夢を見た気がする。だが言葉にはできない、朧気な夢だった。
瑞々しい葉をつけた大樹が、遠くで佇んでいる夢だ。
もしかしたらあれがレーラズの樹と呼ばれるものではないだろうか――。
その感想だけが目が覚めた後でも、いつまでも残っていた。
小鳥のさえずりとともに、サートルは目を開けた。上半身を持ち上げようとしたが、痛みが走ったため、無理せず起き上がらなかった。クァールに手痛く背中を叩きつけられたときにできた怪我だろう。
視線を左横に向けると、黒髪の少女がベッドの端で両手を枕にして顔を埋めていた。髪をおろしたのか、垂れ下がった黒髪のせいで寝顔は見えなかった。
「ずっといれてくたのか?」
左手で彼女の頭に触れようとしたが、静かな寝息をたてているのを察して、寸前で手を止めた。
手を戻し、ベッドの左に置かれている棚に目を向けた。紺碧色の魔宝珠が陽の光に当てられながら輝いている。何事もなく納得のいく剣を召喚できてよかった。
あまり大きな剣は扱いきれなかったため、ショートソードの長さ程度に納めたかった。その結果、サートルが思い描いていたとおり、とても使いやすい長さと軽さの剣を召喚できたのだ。
新たに召喚したときに発する光は、モンスターにとっては劇薬に近いものだと聞いていたため、クァールの目の前で召喚を試みた。一か八かであったが、思っていた以上に長い時間動きを止めてくれたのは非常に助かった。
両親にもエルダにも、あとで召喚について説明しなくてはと思っていると、黒髪の頭が動き、ゆっくり顔を上げてきた。寝惚けまなこな表情をしていた彼女は、サートルの顔を見るなり、飛び起きる。
「おはよう、エルダ」
「お、おはよう……」
何かを言われる前に返すと、彼女は粛々と椅子に座り込んだ。
「俺、どれくらい寝ていたんだ?」
「一日半くらい。三日は起きないだろうって聞いていたから、かなり早い方だと思うよ」
「一回還すだけであの反動。還術ってやっぱり難しいな……」
「今までやっていない人が、しかも精霊の加護を借りて還すなんて、自殺行為にもほどがあるって、グリニール隊長が散々言っていたよ」
エルダが深々と溜息を吐く。あとで隊長と会った際、いつも以上にねちねちと嫌みを言われるのが容易に想像できた。
「ちなみに還術印を施してもらった武器であれば、やり方をきちんと学ぶことで、少し疲れが出たくらいで済むそうよ」
「グリニール隊長は二匹還しても、平然としていたな……」
「あと、こんなことも言っていた」
エルダはサートルの魔宝珠に視線を向けた。
「精霊の加護を受けても、還せない人はたくさんいる。それでサートルは還せたのだから、きっと常人より還術に対して適正があるって」
「つまり俺って、還術士になれる可能性があるのか?」
サートルが目をぱちくりして言うと、エルダは軽く頷いた。
「隊長さんが言っていたことだから、たしかだと思うよ。騎士団でも還術できる人は、多くないんだってね。……ねえ、サートルが頑張れば、もしかしたらこの地で重宝される存在になるんじゃない?」
少女はやや躊躇いながらも、表情をうっすらと緩まして言った。だがその表情は無理に作られたものだと察していた。
サートルは呻き声をあげながらも、ゆっくり上半身をあげる。途中でエルダが手伝ってくれたため、比較的楽に持ち上げられた。
そして魔宝珠を手にし、深い緑色の瞳に向かって空色の瞳を合わせた。
「エルダ、俺決めた」
「何を?」
曇りのない瞳に向かって、サートルは言い切った。
「これから俺はラウロー町の自警団員として、お前や町を護る。できれば還術士になって――モンスターを在るべき処に還す人になりたい」
エルダは目を大きく丸くした。
「騎士になるんじゃないの? 隊長さんだって口煩く言っているけど、サートルには好評価をしているのよ?」
「俺は町の人を護る人間でありたい。騎士はかっこいいしさ、領全体を見て凄い存在だけど……、国の未来を護るっていう感じがして、俺がやりたいことと、ちょっと違うと思ったんだ。自警団員は目の前にいる誰かや町を護るために動いているだろう? ……そっちの方が俺らしいって思ったんだ」
憧れではなく、自分の本当の想いからあぶり出した道――。
この数週間、ミスガルム王国にて学んだことは、知識を得る大切さと、現実を見据えるための決断だった。
エルダはまだ困惑しているようで、落ち着きがなかった。
「でも、なんか勿体ない……」
「勿体なくねぇよ。俺よりも凄い奴は騎士団の中にいるだろ。それに騎士ってさ、結構貴族さまたちとのやりとりが面倒らしい。俺がそんな立場になってみろ、すぐに堪忍袋が切れて、怒鳴り散らしてしまうぜ」
忌々しい表情で言い切った。
騎士になれば面倒な足かせや駆け引きが多くなるのだと、ミスガルム王国で騎士と話をして初めて知った。生々しい彼らの声は、サートルの道を変えるには充分な内容だった。
エルダはまだ言葉を探しあぐねていたが、ようやく頷いてくれた。
「……わかった。サートルが決めたことだもの、私がとやかく言うことはない。たしかにここは縛りが多そうね。サートルには合わなそうっていうのは、薄々感じていたし」
「やっぱり」
「当然でしょ。サートルのことを何年見てきたと思っているの?」
エルダは肩をすくめ、そしてくすりと笑った。サートルも表情を緩めると、互いに声を出して小さく笑い始めた。エルダは手を口にあてながら笑っている。それを終えると彼女はすっと立ち上がった。
「お医者さん、呼んでくる。経過を見てもらわないと」
「ありがとな。……なあ、俺、どれくらい安静にしてなきゃいけないんだ?」
「まだ背中が痛むんでしょ? あと数日はベッドの上でしょうね。その後もすぐに剣を振るのは難しいって言っていたから……、城を去るまで実技はできないんじゃない?」
「そっか……残念だ……」
せっかくの貴重な機会、できるなら最後まで剣を振り続けて、騎士団の鍛錬を吸収したかった。
しょんぼりとしたサートルを見たエルダは、軽く自分の腰に手をあてた。
「ただし今のは医者の見解。グリニール隊長に掛け合えば、どうにかなるかもよ。――そうだ、サートル、魔宝珠借りてもいい?」
棚の上に乗っている、紺碧色の魔宝珠と茶色の宝珠に視線を向けられる。
「ああ、構わないさ。体力が戻らない限り召喚はしないから」
「そうよかった。数日で返すから……。あのね、細工をしたいと思っているんだけど、いいかな」
「細工? 町に戻ってからするって言っていなかったか?」
目をぱちくりする。エルダはにこりと笑みを浮かべた。
「ジェードさんに教えを請いながら、ここで細工したいの。道具も貸してくれるっていうから」
「あの馴れ馴れしい男か……」
顔を思い浮かべると、苦虫を潰したような表情になる。それを見たエルダはサートルの頭を軽く小突いた。
「そんな顔しないの。グリニール隊長の魔宝珠を細工した人なんだから、実力はお墨付きでしょ。――じゃあ、少しの間借りるね」
小袋の中に二つの宝珠を入れ、エルダはウェストポーチの中にしまった。そして医者を呼んでくると言って、彼女は部屋から出ていった。
サートルは頭をさすりながら、彼女の背中を見届ける。部屋のドアが閉められると、開け放たれたカーテンの先にある窓に移した。
晴天が広がっている。穏やかな昼のいっときだった。




