第四話 悩み選んで進む道(2)
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土の精霊が去ってから、二十五分が経過した。サートルたちはショートソードを握りしめて、階段付近に移動する。ファグとルースも同じように剣を握りしめていた。その後ろには班長を背負ったヘイムスが、背後を護るためにキンナがついた。
「本当に隊長たちは来るのか?」
未だに信じ切れていないファグが言葉をこぼす。サートルは黙ったまま耳を澄ました。
気のせいだろうか。少し前よりも騒がしい気がする。ここの真上を徘徊していたと思われるモンスターは、どこかに行ってしまったらしく、先ほどから土埃は落ちてこなかった。
「来ているんじゃないですか? 先ほどよりも外がうるさい気がします」
騎士たちも耳を傾けると、目を軽く見開かせていた。どうやらサートルの杞憂ではなさそうだ。
結局、土の精霊はあれ以来現れていない。ここと外を行き来し、逐一状況を伝えてくれれば大変助かったが、世の中そこまでうまくいかない。一度でも接触できただけ、よかったと思おう。
「あと一分……」
ヘイムスが緊張した声で呟く。先頭にいたルースは天井の板に手をつけた。
懐中時計をじっと見ながら、カウントダウンをしていく。
「十秒前……五秒前、四、三、二、一――ゼロ!」
ルースは板を思いっきり押し上げた。その間をすり抜けたファグが先行する。
騒々しい音が耳に飛び込んできた。モンスターの遠吠えだけでなく、勇ましい人の声も聞こえてくる。
地下から飛び出ると、こちらに気づいた狼型のモンスターが一匹駆け寄ってきた。ファグが軽やかに足を切って動きを鈍らせ、ルースが深々と喉元を刺して還していった。
教会の扉が周囲の壁ごと壊され、そこから燦々と光が射し込んできている。どうやらあそこを通って、扉より大きい巨大なモンスターたちが侵入してきたようだ。
周囲をぐるりと見回したが、そのモンスターは見当たらない。なぜだと思っていると、外で巨大なモンスターと対峙している騎士たちの姿が見えた。彼らが外に引きつけてくれたようだ。
ヘイムスに背負われた班長が、大きく息を吸い込んで言い放つ。
「教会を出て、隊長たちと合流するぞ!」
「はい!」
返事をしてから一斉に走り出す。
しかし走り始めて数歩して、サートルは得も言えない殺気を感じた。班長の声を無視して立ち止まる。
何かがサートルたちを見つめている。
いったいどこだ。
ゆっくり背後を振り返ると、長い髭を宙に浮かしている、黒豹が悠々と歩いてくるのが見えた。教会の祭壇の後ろに隠れていたらしいが、まったく気配が感じられなかった。
「おい、サートル、早く来い!」
外に出ようとしていた班長に怒鳴られる。サートルは後ろ足で進んでいく。
四つ足の爪は非常に太く、引っかかれたら痛いでは済まない。黄色の瞳がサートルのことを迷わず見据えていた。
「あれはおそらく……クァール」
座学で勉強した一匹だ。豹のように素早く動き、あの爪で敵を怯ませ、最後は牙で噛み砕くらしい。素早いのも迷惑なことだが、それ以上に厄介な能力があった。
クァールが歩いている途中で、姿が揺らぐ。少しして姿が明確になり、目視できるようになった。しかし次の瞬間、今度は姿が完全に消えた。
サートルは一瞬びくっとするが、すぐに目に映った。ほっとしつつもクァールを睨み続ける。
クァールは神出鬼没なのが非常に厄介点の珍しいモンスターだ。生き物の目の錯覚などを利用することで、そのように映しているらしい。たしかに厄介であるが、それは短時間であるため、見逃しさえしなければどうにか対処できると座学では言っていた。逆をとれば、姿を確認した後、一度でも視線を逸らして見逃してしまえば、かなり辛い状況に陥るということだ。
「ヘイムスさん、先に隊長たちと合流してください!」
「駄目だサートル君!」
「今、すぐそこにクァールがいます。それを俺が見張っている間に早く!」
ヘイムスと班長は何かを言い掛けたが、サートルの顔から揺るぎ無い覚悟を汲み取ってくれたようで、それ以上言わずに出て行ってくれた。
クァールは低い鳴き声を出す。一度足を止めた後に、今度は歩くのではなくサートルに向かって走ってきた。
クァールの動きを見て、サートルは接触する直前に左側に転がりこむ。すぐに腰をあげた。クァールはサートルがいた場所に止まると、顔を左右に動かす。こっちと視線が合うなり、再び襲ってきた。
「俺に狙いをつけてくれたようだな!」
立ち上がり、冷や汗を流しつつも、ついつい口元に笑みが浮かべた。
体を仰け反りながら、ひっかき攻撃をどうにかかわした。爪が服をややかすっていく。
間合いが詰まっている状態で、再度クァールは爪でかいてきた。サートルは両手持ちしたショートソードで、それを真正面から受け止める。柄の近くで爪を受け止める形となった。
サートルの顔のすぐ傍に、肉を容易に抉りそうな爪がある。唾をごくりと飲みながら、それを睨みつけた。
当初は拮抗していたが、ほどなくして押され始めた。すぐ後ろには教会の壁がある。舌打ちをしながら、重心を前に置いた。
クァールの動きが止まる。サートルは全体重を使って押しのけた。どうにか剣から爪を離すことはできたが、離した反動で左手の甲を爪でかすられた。
表情を歪めながらも、全力でクァールから離れる。獲物が目の前にいなくなったと気づいた黒豹だが、サートルの姿を確認すると、真っ先に追ってきた。
サートルは奥にある祭壇に軽々と飛び乗る。長細い幅広の祭壇の上を走っていると、後ろからクァールも上に乗って追いかけてきた。それを見てすぐに祭壇からおり、出入り口に向かって走る。
そんな中、左手がやや痺れてきた。クァールの爪に毒が仕込まれていたようだ。一対一で決着をつけたかったが、これではかなり分が悪い。
破壊された扉が近づいてくる。しかしクァールはあっという間に追いついてきた。
踵を返して反転し、牽制のためにショートソードを振った。
一振り目を受けたクァールは、やや後退した。しかし二振り目は下がることなく、前進してきた。
ショートソードがクァールと真正面から衝突する。剣先がクァールの歯の間にはまりこんだ。瞬間、剣にひびが入る聞きたくもない小気味のいい音がした。
モンスターが押してくると、さらに音が鮮明に聞こえてきた。ヒビが広がる。
そして次の瞬間、ショートソードが真っ二つに折れた――。
サートルは僅かに呆然とした。その隙にクァールの頭突きをまともに腹に受け、壁に打ち付けられた。
「かはっ……!」
壁に当たり、ずるずると床に落ちていく。腹を押さえながらクァールを見た。
黒豹のモンスターが一歩一歩近づいてくる。長い髭がゆらゆらとなびいていた。時々体が揺らいでおり、消えたりもしていた。
サートルは壁に手を添えて立ち上がる、クァールが牙を見せつけながら近づいてきた。歯を噛みしめて、先端が折れた剣を突き出す。
「こんなところで、くたばってたまるか……!」
眼力だけは衰えずに睨みつけていると、何の前触れもなくクァールが教会の奥に突き飛ばされた。
目を丸くして、黒豹に視線を移動する。そのわき腹には一本の槍が突き刺さっていた。
「まったく、まともな武器を持っていない状態で何をしようというんだ、サートル。死にたいのか?」
嫌みが込められた中性的な声が聞こえてきた。腰まで伸びている褐色の長い髪を首もとで結っている男性。ひょろっとした背の彼が、教会の内部を堂々と歩いてきた。
「もう少し大人しく籠もっていれば、怪我をすることもなかっただろうに」
「三十分後に外にって聞いたので……」
「そうか。それは悪いことをしたな。思った以上に厄介なモンスターがいて還すのに手間取っていた。……クァールなんて領内で見ないモンスターだ。なぜこの地にいるんだろうな」
溜息を吐きながら褐色の髪の男性――グリニール隊長は、クァールに向かって悠々と歩いていく。
刺された黒豹のモンスターは体を横にしていたが、のろのろと起き上がった。そしてグリニールに向かって歩き始めると、途端に姿が見えなくなった。刺さっていた槍ごと消えている。
しかしグリニールが歩む速さは変わらなかった。横にずれると、彼がいた場所にクァールが現れた。現れるなり刺さっていた槍を右手で掴む。
「目に見えなくても、血の臭いは消えない。さて、得物を返してもらうぞ」
槍をぐるっと回し、軽々と抜いた。間髪おかずに槍の先端で体の側面を傷つけ、クァールの髭を切った。黒豹が甲高い声を上げる。
悶え苦しんでいるクァールを見ながら、グリニールは両手で深々と体に刺し込んだ。
「在るべき処へ――還れ」
彼が言い終わると、クァールの全身は黒い霧となり始める。教会内に漂っていたが、それは徐々に窓の方に引きよせられ、そこから空に消えていった。
壁に寄りかかって、サートルは呆然とその光景を見ていた。
あっという間だった。あれだけサートルが苦しんだにも関わらず、隊長は傷一つ負わず、さらに息も切らせずに事を終えている。これがミスガルム騎士団の隊長――。
彼の大きな背中を眺めていると、聞き慣れた少女の声が耳に入ってきた。
「サートル!」
目を大きくして、サートルは入り口に目を向けた。黒髪を結った少女が駆け寄ってくる。すぐ傍まで来られると、上から下まで何度も見られた。
「エルダ? おい、危ねぇぞ……。なんでここにいるんだよ……」
今にも泣きそうな少女に向かって口をとがらす。エルダは口をへの字にしてから、口を開いた。
「馬鹿! 何カッコつけているのよ! クァールなんて手に負えるわけないでしょ!」
「その言い方はないんじゃないか?」
「剣が折れた状態で、そんなこと言えると思っているの!?」
「ああ……」
右手で握っている半分に折れた剣を眺める。それを床に投げ、壁から背を離してエルダと向き合った。
「これからは気をつける。それで何でここまで来た? いくら隊長がいるからって、危ねぇよ」
「私は結界を張るルヴィーたちの補佐に来たの。使用する結宝珠の磨きが足りなかった場合に対応するために。――これから廃村全体に結界を張って、一時的にモンスターの通行を妨げる。それから浄化をすれば、もうここにモンスターは入ってこられないはずよ」
「浄化?」
エルダは頷く。
「この廃村にはモンスターの臭いみたいなのが付いてしまったために、何度もモンスターが侵入してきているんだって。でも結界とある魔宝珠を使えば、その臭いがとれる浄化ができるらしい」
「へぇ、それは凄いな……」
感嘆の言葉を漏らす。その時、少女が巨大な影で覆われた。サートルは眉を跳ね上げる。とっさにエルダの手首を握って引き寄せ、彼女を覆い被さるようにして伏せた。




