第四話 悩み選んで進む道(1)
うつらうつらとしていたが、天井が激しく叩かれる音を聞き、サートルは目をはっきり開けた。他の者たちも目の色を変えて、天井を睨みつける。天井から土埃が落ちてきた。天井の真上にある床が激しく踏まれているようだ。
教会の地下に隠れてから数時間がたった。集合予定時間からは一時間以上が経過している。ヘイムスは持っていた懐中時計で、逐一時間を確認していた。
「上で何か動きでもあったのか……?」
サートルはぼんやり呟き、視線を階段に向けた。天井にある板を押せば教会にでる。
確かめに行くか――? そう考えながら立ち上がろうとすると、突然ズボンのベルト穴からぶら下げている、魔宝珠が入った小袋が光り出した。慌てて袋を開く。父からもらった紺碧色の魔宝珠と茶色の小さな宝珠のうち、茶色の方が光っていた。
小さな宝珠をつまみ、目線まで持ってくると、ひときわ大きな光を放った。その光は地面に落ちる。やがて輝きが収まると、そこから帽子を被った小さな老人が現れた。
サートルは目を点にする。老人と視線があう。
『お、やっと会えたな、坊主』
「土の精霊!?」
調子の外れた声で言うと、周囲にいた人は怪訝な表情で顔を向けてきた。剣を磨いていたファグが口を開く。
「何を言っているんだ、サートル。お腹空きすぎて、思考が回らなくなったか?」
「へ? 今、俺の目の前に土の精霊が立っていますよね?」
ヘイムスはサートルの横まで来る。土の精霊を指さすが、彼は首を傾げていた。
「ここにいるのかい? ごめん、僕、加護が強くなくて、精霊は見えないんだ。班長が辛うじて加護は強いみたいだけど、だいぶ弱っているから……」
俯せになってぐったりとしている班長。顔だけはこちらに向いている。
「……何かいるのは感じる。サートルには見えるのか?」
「はい。俺も加護は強くないんですけどね」
『わしがお前だけには見えるよう力を調整しているから、見えるんじゃ。見えない者に見せるのは、結構力を使うからな。……しょうがない、一時的に皆に声だけ聞こえるよう、調整してやろう』
土の精霊が息を吐き出すと、彼を包んでいた温かな空気が広がった。
『さて、聞こえるか?』
サートル以外の者たちの目が大きく見開かれた。サートルは精霊の声が先ほどよりも響いているように感じた。
「聞こえる……。少ししゃがれた声の老人が。これが土の精霊の声」
『よかった。必要事項を話したら消えると思っていてくれ』
皆の視線がサートル側に向く。それに従って、サートルも土の精霊に向け直した。
「それで土の精霊、俺に何か用?」
土の精霊は視線を逸らして、肩をすくめた。
『ちょっとはいっちょまえの顔つきになったかと思えば、やはり中身は変わらんか……』
「は?」
『何でもない。――嬢ちゃんから伝言を預かってきた』
土の精霊がサートルに対して言う、嬢ちゃんとは――
「エルダから伝言!?」
サートルの幼なじみの少女だけだ。
腰を屈めて、土の精霊と視線を近づけると頷かれた。
『そうじゃ。お前に危険が迫っていることを知って、駆けずり回ってくれているぞ。どうやら予想通りじゃったな』
土の精霊は目を細めて、天井から降ってくる埃を見る。
「俺に危険が迫っているのをエルダが知った? どうしてわかったんだ?」
『坊主が持っている魔宝珠の加護が、嬢ちゃんが研磨した宝珠に移ったからじゃよ』
「そんなことあるのか?」
『ある。割と知られていることじゃ。もうちっと勉強しろ』
周囲の人間はどっと笑った。いつも座学で唸っているのを思い出されたのかもしれない。
『さて――ここはどこだ』
土の精霊の言葉とともに、空気ががらりと引き締まる。
「廃村の中心にある教会の地下。一番背が高いから、場所自体はすぐに気づくと思う」
『地下というのが曲者じゃな。ぱっと見ただけでは、詳細な場所まではわからん』
「そう。だから俺たちがここをでないと、外にいる人には気づかれないと思う。ただ……」
『モンスターが外にいて、でられないと言うことか』
「そういうこと。あの大群のモンスターを突破するのは、正直言ってきつくて……」
両手を力強く握りしめる。かつて助けてくれたセリオーヌ副隊長のように圧倒的な力を持っていれば、突破できるだろう。しかしサートルら、ここにいる並の騎士程度では太刀打ちできなかった。
『なるほどな。ならば、もし外である程度モンスターが還されていたら、でられるか?』
「どういうことだ?」
眉をひそめて土の精霊を見る。精霊は外に続く板を見た。
『そのままの意味だ。今エルダが外にいる騎士たちに掛け合って、還すよう頼んでいるところだ。こちらが了承すれば、すぐにでも本格的に還し始めるだろう』
「本当なのか?」
まるで夢のようなことを言われている気がした。思わず頬をつねる。痛かった。
『普通の人間のお前にわかれと言っても無理だろう。じゃが今は信じてくれないか? エルダがお前のことを信頼しているように』
土の精霊がじっと見てくる。三角帽子を深くかぶり、白い髭を生やしているため、表情は読みとれない。それでも強く訴えてきているのは、切実に伝わってきた。
サートルは首を縦に振った。
「……わかった。つまりタイミングを見て、外にでればいいんだな」
「おい、サートル、何を言っているんだ!?」
血気盛んなファグが立ち上がる。
「外にでたらモンスターに囲まれる! 真上に何かいるの、気付いているだろう!? たとえ隊長たちが還していたとしても、この上のまで手が回るかどうか……」
土の精霊が話している間も、天井から砂が落ちてきている。重量感があるものが上にいるようだ。
サートルはファグたちに向かって、力強く言い返す。
「わかっています。もし大きいのが一体だけなら、俺が何とか気を引きつけます。その間に教会の外にでてください」
「何を馬鹿なことを言っている! お前は騎士でも何でもない――」
「今は騎士とか自警団とか関係ない!」
大声で言うと、ファグたちは目を丸くした。サートルは目を伏せた後に、言葉を続けた。
「――この中で一番動きが素早いのは俺です。モンスターの気を引き付ける役なら、俺が適役だと思います。ただ、上のを引き付けたとしても、教会内部にはまだいるでしょうから、それらを還しながら、ファグさんたちは進んでください」
淀みもせずに言う。不思議と手は震えていない。
「本気か?」
ファグの言葉に対し、サートルは表情を緩めた。
「はい、大丈夫ですよ。逃げることだけは定評がありますから。――俺は何があっても、あいつの元に行きます」
土の精霊が現れた茶色の宝珠を握り直す。磨いてくれた黒髪の少女の想いを感じ取るために――。彼女の働きかけを絶対に無駄にしない。
ファグがそれ以上何も言い返してこないのを一瞥してから、精霊に目を向けた。
「それで土の英霊。俺たちはどう動けばいい?」
『なるべくお主らに負担をかけないようにするには……今からわしがエルダ側に移動する。そこで坊主たちに会い、エルダの考えを伝えたと言う。そしてわしが戻ってきたら、ここを出る流れになるのが一番いいじゃろうが……、わしが再びここに戻って来られる可能性は限りなく低い』
「どうしてだ?」
『初めに言っただろう。やっとの思いでここに入り込んだんじゃよ。おそらく教会に他の精霊の残滓が残っている』
土の精霊の視線が奥に向けられる。不格好な深緑色の大きな石が置かれていた。
『ほら見ろ。風の精霊の加護が若干だが残っている。道理で近づけなかったわけじゃ』
忌々しい表情で呟く。サートルにはただの石っころに見えるが、目には見えない何かが影響を与えているようだった。土の精霊は腕を組んで見上げてくる。
『できればエルダと坊主のやりとりをもう一往復ぐらいしたかったが、これでは無理だろうな。だから互いに時間を合わせて、事を起こすことになる。わしが去ってから三十分経過したらここをでろ、とひょろ長い男は言っていた。それまでにその男は教会に向かい、周辺にいるモンスターをあらかた掃討すると言った』
「ひょろ長い男って、もしかしてグリニール隊長がそんなことを!? たったそれだけの時間でできるのか!?」
サートルが見た限り、三十匹以上のモンスターがいた。大きさも様々、人の体格よりも遙かに大きいモンスターもいた。だいぶ苦戦するはずである。
だがその考えに反して、騎士たちは口元に笑みを浮かべていた。
「隊長が言ったのなら、その時間が妥当だな」
「そうだね。もしかしたら教会内部にいるモンスターも還してくれるかもしれない。そしたら大手を振って、ここをでられる」
彼らの視線がサートルに向かれる。誰もが力のこもった目をしていた。
「サートル、隊長ならやるさ。あの人の異名は〝狩る還術士〟。まさしく狩るような流れで、還していくんだ。前線にでていた頃の話をあとで聞いてみろ。すごいから」
「はあ……」
とりあえず相槌は打ったが、激しく同意はできなかった。
サートルは再び土の精霊に視線を戻した。精霊の体が徐々にぼやけていく。
『そろそろ時間か。――サートル、一連の作戦、わかったな』
「はい。三十分後にここをでるってことですよね。それまでじっと耐えています」
『よろしい。別れる前にお前の魔宝珠を見せてみろ』
土の精霊に言われるがままに、紺碧色の魔宝珠を取り出した。それを彼の前に差し出すと、両手をかざされた。途端に宝珠が輝き始める。
『まだ命を吹き込まれていない宝珠じゃな。それでも多少加護を付けておけば、モンスター除けくらいにはなる』
「ありがとう、土の精霊」
ほどなくして精霊が手を離すと、輝きは収まった。サートルは大切に扱いながら、宝珠を小袋の中に入れる。
それを見届けた土の精霊は、背を向けて数歩前に進んだ。そしてちらりと振り返る。
『お主らに幸あらんことを』
そして精霊の姿は忽然と消えた。音もなく風もたてずに、この地からいなくなってしまった。
消えた数秒後、サートルはヘイムスを見た。
「ヘイムスさん、時間を確認して!」
言われた青年は懐中時計を開き、時刻を言った。
「三十分後となると、キリのいい時間になるね。さて、時間もあまりない。こちらも移動する準備を始めよう」
教会の地下に逃げ込んだ六人は視線を合わせる。そして互いに頷いてから準備を始めた。
* * *
『この選択が正しかったかどうかなんて、たぶん永遠にわからないと思うの。でも私は後悔しない。あのときの私自身が全力で考え抜いた結果だから――』
浅緑色の魔宝珠を細工したペンダントに触れながら、黒髪を高い位置から結っている少女はサートルに向かってそう言った。その表情はとても清々しく魅力的で、彼女は己の道を進み出したのだと感じ取った。
昔以上に雰囲気も表情も明るくなった少女。自警団の鍛錬場にも時折彼女は顔を出していたため、察しのいい人たちにはその変化にすぐに気付かれてしまった。
先輩たちからサートルに対し、小声でその点を言われたりもしたが、適当にあしらって流した。本当は「そんなの俺が最初に気づいている」と言いたかったが、からかわれると思って黙っていた。
ある日、土の精霊を奉る祭りに誘い、その際に彼女の顔をまじまじと見たことがあった。強い意志を秘めた彼女の深い緑色の瞳を見ていると、唐突に見たこともない大樹の葉が思い浮かんだ。
不思議だ。今までそんなことは一度もなかったのに――。
その瞬間、一人の人間と一本の樹が同じような存在だと思えた。
樹は芽から成長し、枝葉をつけて、やがて立派な樹になる。その過程のように、彼女は劇的に成長しているのかもしれない。
最近サートルは、将来に向けて進みたいと思っている道をぼんやりと考えていた。
憧れでも夢でもない、地に足をつけた現実の道を。
それを言ったら、彼女はどういう反応をするだろうか。
きっと笑い飛ばしもせずに、何かを言ってくれるだろう……。
先に進んでいる、幼なじみの宝珠細工師の少女。
あいつの背中を――俺は追いかける。




