第三話 互いを想う絆の光(3)
土の精霊が声を大にして発したのを聞き、エルダは視線を地図と土の精霊をいったりきたりした。
「何かあるんですか?」
『何かと言われると、難しいところじゃが……』
土の精霊は自身の白い髭を軽く触る。
『その森はいわゆるモンスターの巣窟と言われる場所じゃ。量も多いだけでなく、凶暴なものもたくさんおるじゃろう。それが大量にいれば、近くにある廃村にまで流れ込んでくる可能性は高くなる』
「そうですね。だから騎士たちは巡回と掃討戦に行ったんですよ。隊長さんも同行していますから、何かが起こるとは考えにくいのですが……」
『ちなみに掃討に出た部隊に、還術できる奴は何人いると言っていた?』
モンスターを在るべき処に還す人物、すなわちモンスターとの戦いを終わりに導く人。それがどの程度いるのかという意味らしい。
サートルから聞いた話では、騎士たち全員が還術できるわけではないようだ。
「おそらく……多くて半分くらいだと思います。騎士たち全体の割合から考えたので、多少前後はするでしょうが」
『つまり乱戦になった場合、還せぬ者もでてくるわけじゃな』
「乱戦?」
物騒な言葉をだされて、エルダは眉をひそめる。土の精霊は髭をいじりながら、机の上を歩き出した。
『わしが思うに、既にその廃村はモンスターの巣窟の一つになっている。必死に掃討しているようじゃが、日がたてば結局は元に戻る』
「じゃあ掃討戦が無駄だというのですか!? 今サートルたちがしている行為は、ただ危険を冒しにいっているだけなのですか!?」
グリニール隊長もいるから心配しなくてもいい、と言い切った少年。そうは言われても、エルダは心配だった。モンスターがいる地に自ら身を投じていく。結界に囲まれて暮らしているエルダには、考えられない行為だった。それが否定される――?
エルダの顔色が徐々に青ざめてくると、土の精霊は首を横に振った。
『そこまでは言っていないじゃろう。掃討した後、しっかり処置をすれば廃村はモンスターの巣窟にはならん』
「どういう処置ですか? 誰でもできることなんですか?」
土の精霊は立ち止まり、じっと自分の足元を見る。しばし逡巡した後に、エルダの方に振り返った。
『結宝珠を周囲にばらまき、結界を張るんじゃ』
「町の周辺に結宝珠を置くみたいな感じですね。それはそんなに難しいことではないと思います。どうして考え込んだのですか?」
『落としてはいけない点が他にあるからだ。それをやり遂げるのが……難しい』
土の精霊はすっと指を立てた。
『一つが廃村全体に結界を張る前に、中にモンスターを残さないことだ。つまり完璧な掃討が求められる。結界というのは外からの攻撃には強いが、中からの攻撃には滅法弱いものじゃからな』
「結界は内側にいる者を護るためのものですから、必然的にそういう構造になりますね」
エルダが頷くと、土の精霊も頷き返した。
『そうじゃな。――二つ目が浄化を意図した宝珠を用意することじゃ』
「一般的な結宝珠と違うんですか?」
エルダがウェストポーチの中から透明の結宝珠を取り出した。護身用に持っているものだ。
『普通の結宝珠でもできなくはないが、効果は一時的じゃ。だから特殊な形をした宝珠が必要になってくる』
「どういうのですか?」
『一つが二つに分かれた、通称双子石の宝珠じゃ』
エルダは目を瞬かせた。なぜと問い返す前に、土の精霊は続けた。
『通常の召喚は内側から外側に発する、一方通行での召喚だ。しかし浄化というのは平たく言えば汚い空気を吸い込み、綺麗な空気に変えること、つまり二方向での召喚になってくる。だから双子石が必要なのじゃ』
話題に出た双子石は、とても珍しい魔宝珠だ。ジェードはいくつか所有しているが、その値段が破格なのは知っている。値段に比例するかのように、滅多に表に出てこない宝珠だった。
エルダは腕を組んで、ジェードの作業場を眺めた。棚の中には細工途中のものや、できあがったが店内にはまだ出していない宝珠がある。
「土の精霊」
『なんじゃ』
「仮に双子石があったとしたら、それは必ずしも結宝珠である必要はないですか?」
『ああ。どんな魔宝珠であれ、優れた結術士が力を込めれば、それは結宝珠になり得るからな』
ジェードから双子石を手に入れることができれば、今後廃村をモンスターの魔の手から解放することができるかもしれない。ただそれを実行するかどうかは、今回の件とはまた別の話だ。
今はサートルが何事もなく、無事に戻ってくるのを祈るしかない。
窓の傍に寄り、窓越しから町の様子を眺める。窓には腕を組んで俯いている土の精霊が映っていた。
「土の精霊、どうしたんですか?」
『いや、なぜわしがここに現れたのかを考えていただけじゃ。たまたまというのは考えられない。わしも忙しい。大樹が気まぐれで、わしを嬢ちゃんの元に寄越す訳ないからな』
「魔宝珠の持ち主の意に反して現れるのは、どういう場合が多いのですか?」
『精霊の加護をきちんと受けている者であれば、その者に危険が迫った時くらいじゃ。加護の持ち主が亡くなれば、加護を与えていた精霊も用済みになってしまうからな。もしかしたら――』
土の精霊が息を呑む。そして顔を上げ、エルダのことを見据えてきた。
『坊主に会いに行けるか?』
「サートルに?」
『もしかしたら坊主の身に危険が迫っているかもしれん』
唐突に出された言葉に、エルダは顔を固まらせた。
「ど、どうしてそんな考えに?」
『嬢ちゃん、坊主が持っている何かに、己の魔宝珠で研磨したか?』
「あ、はい。数日前にサートルが両親からもらった紺碧色の魔宝珠と、一緒に袋に入っていた茶色の宝珠を、手持ちの宝珠で研磨しました」
『茶色の宝珠……か。もしかしたらそれにわしの加護が残っていた関係で、嬢ちゃんの宝珠と反応しやすくなったのかもしれん』
「あの……すみません。理解し切れないので、わかりやすく話をまとめてくれませんか?」
サートルの身に危険が迫っていると聞いてから、エルダの思考が鈍くなっている。これくらいの情報があれば、ある程度推測できるはずなのに、今はまったくできなかった。
土の精霊は机の中央から端に向かって歩いてくる。エルダもその近くに行くと、精霊に手を触れられた。
『落ち着け。深呼吸をするのじゃ』
言われたとおりエルダは息を大きく吸い込み、ゆっくり吐き出した。それを何度か続けると、速くなっていた鼓動が収まっていった。
「……ありがとうございます」
『心配になるのもわかる。嬢ちゃんにとって坊主は大切な人間じゃからな。――さて、話をまとめよう。おそらくわしが現れたのは偶然ではない。坊主が持っていた宝珠にわしの加護が残っていた。それを研磨した嬢ちゃんの宝珠にさらに移った。しかし何からの理由……おそらく坊主の内に秘める能力――今回は精霊を召喚する能力じゃな、それが強くなかったために、こっちに影響がでたんじゃないかと思う』
「巡り巡って私の宝珠に……。それが本当なら急いで彼の元に行かないと!」
エルダは視線を部屋から廊下に続くドアを向けた。
『だがどうやって行く? 行ってどうする? 坊主に及んでいる危険が一過性のものかもしれんぞ?』
土の精霊が静かに聞いてくる。エルダは浅緑色の魔宝珠を軽く握りしめた。不思議と心のざわめきが落ち着いてくる。
「一過性とは思えません。サートルの魔宝珠を磨いた宝珠が、さっきから幾度もなく光っていますから」
バックから宝珠が入った箱を開くと、ゆっくりとした間隔で光っていた。精霊がほうっと息を呑んだ。
「城に行き、知り合いに掛けあって、サートルたちがいる廃村に連れて行ってもらいます。――あくまで私の考えですが、危険が迫っているということは、サートルは隊長さんと別の班で動き、その後何かしらの乱戦に巻き込まれたのではないかと思います。隊長さんはとてもお強い方らしいので、彼と共に行動していれば、危険に晒されないはずです」
ねちねちと嫌みは言うが、実力は本物らしいとサートルは言っていた。
「もし隊長さんがこの件について既に気づいていれば、こちらの杞憂に終わったということになります。それはそれでいいでしょう。ですが気づかないまま時間がたってしまったら……。その場合を想定して、私が隊長さんと合流し、このことを伝えたいのです」
『つまり戦火につっこむのではなく、情報を伝えると?』
「力がない人間がモンスターと対峙しては、二次被害がでますから」
土の精霊はふっと表情を緩めた。
『なるほどな。うまくいくかはわからないが、今は進むべきだろう。嬢ちゃん――いやエルダ、わしはサートルの魔宝珠側にでられるかどうか探ってみる。その間に村に向かってくれ。できる限り二人には協力する』
「サートル側に出られるんですか!?」
今、エルダの前に現れているのは、彼の方に出られないから、こちらに出た、という口振りだったはずだが。
『何らかの理由があってサートルの方に行けないのなら、それ相応の支度をして、向かうまでだ』
土の精霊は再び歩み寄り、エルダの魔宝珠に向かって手を伸ばしてきた。それを察したエルダはペンダントを首から外し、机の上に置いた。精霊が両手で魔宝珠に触れ始める。
『よく磨かれている。常に最高の状態じゃな』
「自分のを磨くのが暇つぶしになっています。布で軽く拭くだけですけどね」
磨いている時が、一番心が落ち着く時間でもあった。
土の精霊がしばらく触れていると、浅緑色と灰茶色の宝珠が光り始めた。内から発された光は、宝珠の色をより引き立たせてくれている。それを惚けたように眺めていた。
『エルダとサートルの間にあるのは、薄っぺらな言葉で語れるものじゃない。幼なじみ、友人、恋人、好敵手、いろいろと言えるじゃろうが、それらに共通しているのは、こうだろうな』
土の精霊がふふっと笑みを浮かべて、エルダを見た。
『互いを想う、強固な絆』
そう言った直後、土の精霊がその場から消えた。魔宝珠の光も同時に消えた。
エルダは宝珠の周囲を見て、さらに部屋をぐるりと見渡した。土の精霊がいない。文字通り消えてしまったのだ。
「サートルのところに向かった……?」
断定はできないが、そんな気がした。今は思考を切り替えて、土の精霊に言われた通りに進もう。
魔宝珠がついているペンダントを首から下げ、ぎゅっと拳を握りしめた。そしてジェードがいる店側に向かって、大股で廊下を歩いていった。




