第三話 互いを想う絆の光(2)
「サートル君、大丈夫!?」
後ろから声をかけてくるヘイムスに振り返った。その瞬間、顔を強ばらせた。
猿だけでなく、狼も含めた四つ足の獣型のモンスターが、ざっと見て十匹ほど集まっていたのだ。唸り声をあげながら寄ってくる。ヘイムスと班長も顔をひきつらせた。
「あの猿、やはり仲間を呼んでいたのか」
近づいてくる度に、皆で一歩ずつ後ろに下がる。
「班長、逃げますか?」
「逃げたいのは山々だが、後ろもいるんだろう、お前ら」
後ろに向かって声を投げると、ルースが声を発した。
「はい班長。ぞろぞろと近づいていますね。巨体のもいるので、逃げるのは一苦労です」
サートルもちらりと背後に視線を向けた。そこに広がる光景を見て、ぎょっとする。狼や猪系だけでなく、巨大な獣も一体近づいていたのだ。
「これだけのモンスターを相手にするのは、さすがに危険だ。一度下がって、戦略を練るぞ。――おいお前ら、声をかけたら教会の中に入れ。絶対に躊躇うなよ!」
誰も返事をしなかったが、否定しないということは、了承していることを暗に示していた。
班長がモンスターたちの様子を見ながら、声をかけるタイミングを伺う。モンスターはまるで逃すまいと、ゆっくり前進し始めた。
サートルたちは武器を持った状態で、モンスターから視線を逸らさず少しずつ下がる。
一匹の狼が遠吠えをあげる。それを皮切りにモンスターたちがまとう雰囲気が変わった。
「今だ!」
班長が大声で叫ぶ。踵を返して、脱兎のごとく教会に向かって走り出した。
人間たちが動くと、モンスターたちも一斉に飛びかかってくる。
「絶対に相手をするな。今は走れ!」
一番後ろにいた班長が声を荒げる。サートルたちはその声に従って全力で走った。
教会に先に着いたファグとルースが、扉を開ける。サートル、ヘイムスとキンナが滑り込む。あとは班長だけというところで、一匹の狼が跳び、班長の背中に向かって爪をたてた。彼の顔に苦悶の色が浮かぶ。その場に倒れそうになるが、彼はたたらを踏みながらも、どうにか進んだ。
サートルはとっさに剣を持って飛び出し、再度班長を襲おうとしていた狼に向かって剣を振り、牽制をかける。狼は軽やかに後ろに下がって、サートルの攻撃をよけた。それが離れた隙に、サートルは班長の腕を首に回して、急いで教会の中に連れ込んだ。
ヘイムスがクロスボウの矢を何本か放つ。モンスターがそれに気を取られているのを見計らって、騎士たちは教会の扉を閉めた。
直後、突進してきたモンスターが外側から激しくぶつかってくる。ファグとルース、そしてキンナで扉を押さえて、侵入を阻止しようとした。
しかし廃村にある教会では扉以外にも侵入方法はいくらでもあった。サートルが振り返ると、ぼろぼろになった窓から、今まさに一匹のモンスターが侵入しようとしていた。
「あっちの窓からモンスターが!」
「班長、もっと奥に下がるしかありません。今は地下に逃げ込みましょう!」
ヘイムスが班長を抱え、扉から離れていく。サートルは剣を握りながら、ヘイムスたちの後ろについた。
中を歩き回ると、祭壇の近くで地下へと続く階段を見つけた。そこを用心深く下りると、薄暗い地下室が広がっていた。光宝珠で周囲を照らして、奥に進んでいく。
少しして扉を押さえていた三人も慌ただしく下りてきた。そして地上と地下を繋ぐ扉をしっかり閉じた。
一同は地下でしばらくじっとして、扉の様子を伺う。モンスターが上に乗ったのか軋む音がした。だが扉を剥ごうという音は聞こえられなかった。
「これでしばらく大丈夫だろう……」
ルースが言うと、少しだけ胸をなで下ろした。
ヘイムスは班長を仰向けにして服を脱がしだす。彼の背中を見ると、眉をひそめた。
「思ったよりも深い……」
サートルたちは二人の傍に寄ると息を呑んだ。右肩から左腰まで、三本の赤い線がはっきりと走っていた。
「班長、よく歩けましたね」
「正直辛かったが、支えてくれたおかげで助かった……」
無理して笑みを浮かべる姿がむしろ痛々しかった。
ヘイムスは無言のまま、リュックから応急処置用のタオルなどを出し、それを班長の背中に押し当てた。班長の呻き声が漏れる。水をかけると、さらに声をあげた。ヘイムスは表情を歪めながら、作業を続けた。
しばらくその様子を見ていた騎士たちは、処置が進んでいるのを見届けると班長らから少し離れた。そしてサートルに対し、手で拱く。サートルはちらっと班長の顔を見てから、騎士たちに寄った。
四人で集まると、円を作るようにして床に腰を下ろした。冷たく、ひんやりとしている。床に軽く手を触れていると、いつも先頭で突っ走るファグが口を開いた。
「班長はしばらく休ませる。あとは俺たちでどうにかするぞ。――ここから脱出して、モンスターの群れを突破する」
「そうは言っても、かなり大変なことだよ」
ルースが冷静に言葉を返す。彼に同意するかのように、サートルとキンナは頷いた。
モンスターが何匹いるかはわからないが、ざっと見ただけでも三十匹以上。それが付近に徘徊しているとなると、まったく接触せずに突破するのは不可能だ。
「隊長たちがこの異変に気づいて、掃討してくれたら助かるんだけどな……」
ファグがぼそっと呟くと、ルースとキンナも躊躇いながらも頷いた。サートルはグリニール隊長の実力を目の当たりにしていない。しかし彼ちの反応からすると、かなり強いのだろう。
「隊長たちはモンスターを見つければ、俺たちが何も言わずとも還し始めるはずだ。ただ、この教会の内部に入り込んだモンスターまで手を付けてくれるかは……」
「廃村内部にいるモンスターを、今回だけで完全に掃討するとは言っていなかったから、もしかしたら多少取りこぼすかもしれない」
今回の掃討戦は全部で四回に渡って行われる。第四部隊を四つに分けたのもそのためだ。
三人は俯きながら、言葉を詰まらせる。彼らの様子を眺めていたサートルは思ったことを呟いた。
「もし俺たちが集合時間までに戻らなかったら、隊長はどういう動きをするんですか?」
「俺たちが巡回予定のところを手分けして探してくる。同時にモンスターを見つけたら還しはするだろう」
「どれくらいの時間までですか?」
「日が暮れる前にはここをでるだろうから、遅くてもそれまでだろうな。それ以後は翌日以降の捜索になる」
「ちなみに今まで時間までに見つからなかった班はあるんですか?」
ルースはちらりと隣にいるキンナを見る。ルースたちよりもやや年上の女性だ。彼女は首を横に振った。
「今までそういう班はなかった。もしいくら探しても見つからなかったら、グリニール隊長なら見捨てると思う。それくら自力でどうにかしろって言う人だから……」
キンナは拳をぎゅっと握りしめる。
ふと天井を塞いでいた板が軋む音がした。何かがそこに乗ったようだ。サートルは思わず肩を震わせた。
あの板が破られれば、もう逃げ場はない。この狭い空間でモンスターと真正面から対抗しなければならないだろう。果ては最悪の結末を迎えるかもしれない。
隊長たちが助けにくるのを待つか。しかしここに隠れていることを知らせていないため、ここまで来てくれる保証はなかった。
では自力でここをでるか。それには大群のモンスター中を、自分たちだけで突破せねばならなかった。
もし――外と話ができれば、隊長たちが還し始めたのと同時に、こちら側も思い切って飛び出ることができるのだが、こんな閉鎖空間の中ではそれは無理な話だった。
* * *
ジェードの店で光宝珠を磨いていたエルダは、ふとした拍子に宝珠を床に落としてしまった。幸いにして割れなかったが、一部傷ついていた。見かねたジェードが声をかけてくる。
「エルダちゃん、朝からずっと磨きっぱなしでしょう。そろそろ休んだら?」
「そうですね。これが終わったら休みます」
エルダは小さな箱を開け、大きさも色も様々な宝珠を眺めた。その中から小さめの焦げ茶色の宝珠を取り出した。それを一度光にあててから、研磨していく。
先日、サートルに渡された茶色の宝珠を研磨するときに使ったもののため、感覚のままに磨くことができた。あっという間に宝珠は滑らかになり、それを小さな皿の上に置いた。
これで目の前の仕事は終わった。両手を組んで、大きく上に伸びをする。そして立ち上がり、店の内側に下がろうとすると、直前で研磨に使った宝珠が光った気がした。エルダは目を瞬かせて、それに顔を近づける。
するとまた一瞬だが宝珠が内部から光を発した。エルダはそれを摘み上げる。
「何?」
何かを召喚するとき、宝珠は光る。もしくは精霊など、宝珠に何らかの影響を与えるものが手に触れたとき、光ると言われていた。だがこの宝珠はどちらも当てはまらない。
エルダは眉をひそめながら宝珠を見つめていると、突然首に下げている自分の魔宝珠が光り始めた。葉っぱをイメージした浅緑色の魔宝珠、そしてヴァランからもらった茶色の宝珠の両方が輝いていた。
訳がわからぬまま魔宝珠に触れる。すると光はさらに大きくなり、机の上を包み込んだ。エルダは目を手で覆う。ほどなくして光が収まると、机の上に出現したものを見て、目を丸くした。
机の上にちょこんと乗っている、三角帽子をかぶった小さな老人。尖った鼻や耳も印象的な方だ。
「土の精霊……?」
エルダがぽつりと呟くと、土の精霊は頷いた。
『そうじゃ。久しいな、嬢ちゃん。まさかまたお主の前に現れるとは……』
「あの森で私の宝珠に加護を与えてくれた、土の精霊でいいんですか?」
精霊はその土地でどっしりと構えているものが多い。普通であれば、遠く離れた地に現れないはずだ。
しかしエルダの考えに反して、土の精霊は頷く。
『おそらく加護が少し残っていた関係で、嬢ちゃんの前に出てこられたのだと思う。ただそうだとしても、いくつか解せない点があるのじゃが……』
「なぜこのタイミングででたか、ですか?」
『その通り。嬢ちゃんはさっきまで何をしていた?』
「何って、この光宝珠をこっちの宝珠で研磨した――」
「エルダちゃん、一人で何を喋っているんだい?」
突然後ろから声をかけられる。エルダはびくっとして、振り返った。ジェードが訝しげに見ている。
「独り言? やっぱり疲れているんじゃない? 今日はもういいから帰って――」
「ジェードさん、ここに土の精霊がいるの、見えないんですか?」
「精霊が? そこに?」
エルダの隣まで来て、あちらこちらを見渡している。土の精霊がいるのとは別の方向だ。「机の上」と言うが、彼は首を傾げるばかりだった。
「もしかして見えない……?」
『わしが意図して見せようとしなければ、加護が弱い奴には見えん』
「ではジェードさんには見えていないんですね……」
『見せる理由がないからな』
エルダは未だに明後日の方向を見ているジェードの肩を叩いた。
「すみません、気のせいです。奥でしばらく休んでもいいですか? こちらの宝珠の磨きは終わりましたので」
机の上にある皿に目を向けた。ジェードはそれを見てから頷く。
「今回も綺麗に磨いてくれたね……。奥でゆっくりしていなよ。辛いのなら帰ってもいいから」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
礼を言ってから、エルダは店の奥にある部屋に足早に移動した。土の精霊が後ろからてくてくとついてくる。ジェードは精霊に目も留めずに椅子に座り、宝珠の研磨を始めた。
「まったく気づいていない……」
『こんな町の中で皆がわしのことを見えていたら、そちらの方が恐ろしいわ。ここは……ミスガルム王国だな』
「わかるんですか?」
『土の精霊にも縄張りがあってな、この王国内にいる精霊は独特だから、すぐにわかるんじゃ。あとで一言断っておけば問題ないから、安心しろ』
ジェードの家の居間と併設している作業場に来ると、土の精霊は丸机の上に軽々と乗った。エルダはお湯を沸かし、紅茶を淹れる準備をする。
『どうしてこっちにいる?』
「ちょっとした偶然が重なって、一ヶ月ほど城下町にいる兄弟子に世話になっているんです。サートルも王国に来ていますよ。今は城で騎士たちと混ざって鍛錬中です」
『本当か? あの小僧の気配、感じられないぞ?』
茶をこしながら、湯をカップに注いでいたエルダは、ポットを勢いよく机の上に置いた。
「え? それってどういう意味ですか!?」
『城も含めて町中にはいないという意味じゃ。もしかしたら城壁の外に出ているかもしれん。騎士ならば遠征はよくあることだろう』
「そ、そうですよね……」
軽く胸の上に手を当てた。鼓動が速くなっている。気配がないと聞き、最悪の展開が脳裏によぎってしまったのだ。
紅茶を入れたカップを持って、土の精霊がのっている机の横にある椅子に腰をかけた。
「遠征……。そういえば今日サートルは外を巡回すると言っていました。ここから早馬で数時間離れた森の近くにある廃村に向かうらしいです。基本は廃村の巡回、場合によっては掃討戦になると」
『それはいつもやっていることなのか? 森とは具体的にはどこじゃ?』
「数か月の間隔を置いて、行っているそうです。具体的な場所は……」
エルダは立ち上がり、壁に貼り付けられている、王国周辺まで描かれた地図のある一点を指で示した。そこは半島の中心にある、同心円上に広がる森のすぐ脇だ。
そこを示した瞬間、土の精霊は目を大きく見開かせた。
『アスガルム領周辺の森の傍だと……!?』




