第二話 なぜ騎士になるのか(3)
* * *
「ねえ、ご飯進んでないよ。サートル、大丈夫?」
エルダはスプーンを片手に持ちながら、目の前でうつらうつらと全身を揺らしている少年に声をかけた。彼はこちらの声に気づくと、首を激しく横に振って頭を起こし、再びスプーンを動かし始めた。食事の量はエルダの倍はあったが、あっという間になくなっていく。そんな彼の姿を見つつ、エルダも食を進めた。
サートルと対面して食事を進めていると、彼は後ろから肩を叩かれたり、声をかけられたりしていた。にやついている青年もいたりと、色々な人に干渉されていた。
ここは騎士たちが住まう寮に併設されている食堂。城の中にも食堂はあるが、夜遅くまで開いているのはこちらのみのため、夜が遅いにも関わらず席の半分以上が埋まっていた。
どちらかといえば質より量の食堂。エルダには少し多いので、先に別の皿に分けて、育ち盛りの少年に食べさせている。
サートルたちが騎士団の鍛錬に合流してから、早十日たった。つまりエルダがジェードの元で働き始めてから、十日たったということでもある。
当初は宿を借りていたが、空いている寮の部屋を使ってもいいと言われたので、サートルたちだけでなく、エルダも有り難く利用させてもらっていた。ルヴィーと同部屋のため、部屋に戻れば彼女と楽しく談笑している。
サートルは遅くまで鍛錬場にいることが多く、今日は数日ぶりに食事を共にしていた。
「鍛錬、やっぱり大変なの?」
「大変は大変だけど、勉強にはなる……」
四角く切られた野菜にフォークを突き刺しながら、サートルは言う。
「体を動かすこと以外にも座学があるから、毎日頭は痛い……」
「学校では赤点とりまくっていたものね。ついていけているの?」
「座学のあとにヘイムスさんに教えてもらっているから、半分くらいは理解できたと思う」
野菜を口の中に入れて、もごもごと口を動かす。ごくんと飲み込むと、フォークを空になった皿の上に置いた。そして左肘をついて、左手の上に顎を乗せた。
「……昔、もっと勉強していればよかったって思っている」
「まだ大丈夫でしょ。いくらでも挽回できる。人はね、どんなに歳をとっても、向上心さえあれば、伸びるものなのよ」
エルダは残っていた水をゆっくり飲み干す。そしてサートルを眺めながら表情を緩めた。
「数ヶ月前のサートルだったら絶対に聞けないような話を聞けて、私は嬉しいよ。ねえ、ここで隊長さんと仲良くなれば、いいことあるんじゃない?」
何気なく言ったつもりだが、サートルはその台詞を聞くなり、両肘を机の上につき、頭を抱えて、深々とため息をはいた。
「な、なに?」
「あの隊長、やっぱりきつい……。いつも小言しかいわねぇ……」
「グリニール団長って厳しいけど、正論を言う人なんでしょう? そういう人って、とても貴重だとは思うけど……」
「正論すぎて、ぐうの音もでねぇよ! 小言だされる度にムカついているけど、事実だから、どうしようもねぇっていうか……」
現状に満足ができず、ぶつぶつと言う姿は以前も見たことがあるが、随分と内容が変わっていた。相手を叩くのではなく、自分自身に対し反省しているようだった。
ヘイムスからサートルの様子を時々聞いており、辛抱強く鍛錬に取り組んでいることは知っていた。サートルの行いは良くなっているけれども、それにも増してグリニールの言葉が鋭くなっているらしい。頑張りが報われないのは、少々かわいそうだった。
「隊長さんもきっと考えがあって、そうしていると思う。ヘイムスさんや他の自警団員の方たちが、動きがよくなったって言っていた。だから自信を持って、これからも励めば?」
「……わかった。まあ頑張ってみる」
顎を手からおろし、サートルは机の上で両手を握りしめた。眠そうにしていた彼の姿はもうなかった。
徐々に食堂の中の人がはけてきたので、エルダも部屋に戻ろうと思った矢先、身を乗り出したサートルに右手首を掴まれる。目を丸くしている隙に、彼に何かを持たされた。手を解放されたエルダはそこにある物を見た。
小さな布袋がそこにあった。中に何か入っている。それを手の上に転がり出すと、紺碧色の魔宝珠と、使い古された茶色の魔宝珠が現れた。紺碧色の宝珠は見た瞬間から惹かれるような鮮やかな色合いのものだった。
「これは……」
「紺碧色のは俺の魔宝珠で、茶色のは人からもらったもの。それ、預かっていてくれ。できそうなら細工をしてもらっても構わない」
「……は、はい!?」
エルダは素っ頓狂な声を上げた。彼は口元に笑みを浮かべている。
「前にも言っただろう。俺の魔宝珠の細工はお前に任せるって」
「それは聞いたけど、今、ここで渡す!? 町に戻ってからでいいじゃない! 道具もすべてあるとは言い難いのに……」
研磨や最低限の細工ができるよう、常に道具は持ち歩いている。しかし細かな装飾までするとなると、ヴァランの店に戻らないと道具が揃わなかった。
「それになくしたらどうするの……」
「なくしたらまた親父がくれるって。その点は心配しなくていい。俺の責任だから」
「え、でも……」
まだ命が吹き込まれていない、他人の魔宝珠を持つのは恐れ多い。それがたとえ幼なじみの物だとしてもだ。
宝珠を持ったままサートルに手を伸ばそうとすると、途中で彼の手で遮られた。豆が潰れて固くなっている手だった。
「なあ、いい色だろう? どういう風に細工をするか、見ながらちょっと考えてほしいんだ。細工をするのは町に戻ってからでいい」
本人からの希望を考慮した上で、細工はする。しかしそれ以上に対象物をじっくり観察することが大切だった。宝珠の色合い、肌触り、柔らかさなど、細工をする上で重要な要素を見極めるためだ。ヴァランも急ぎでなければ、数日は手を付けずに宝珠を眺めている。
「エルダ以外に細工をさせるつもりはない。だから……とりあえず持っていて欲しいんだ」
いつかは自分の半身にも等しい物になる、魔宝珠。
それを預かる精神的な重みと、よりいい細工をするために見ておきたい、という想いが拮抗し合う。
しかし最終的にエルダが思い浮かんだ考えは、迷っていた昔では考えつかないものだった。
「――わかった。サートルの魔宝珠、預かるよ」
エルダは微笑みながら頷いた。サートルの顔が明るくなる。
「ただし」
その三文字をはっきり言ってから、魔宝珠を自分のもとに引き寄せた。
「細工できるかできないかは、わからない。あくまでも預かるだけ。事を起こす前にはきちんと相談するから、覚えておいて」
「ああわかった。用心深いエルダらしい返事だな」
笑顔で言って、彼は手を引っ込めた。
彼の表情を見ると、こちらも思わず微笑んでしまう。
(随分ときりっとした顔つきになったな……)
少年はまた一歩青年に近づいたようだった。
* * *
サートルから魔宝珠を預かった翌日、ジェードの店に行くと彼に挨拶するなり眉をひそめられた。
「何かあった?」
「え?」
「随分と怖い顔をしているよ」
エルダはジェードから視線を逸らし、頭を軽く下げた。
「すみません。開店中は気をつけます」
「いいよ、そこまで気になるほどではないから。――昨日、何かあったのかい?」
再度問われる。エルダはおもむろに脇に垂れている髪に触った。
「幼なじみから、まだ召喚されていない魔宝珠を預けられただけです」
「ああ、エルダちゃんが必死にここまで追いかけてきた、彼氏だっけ?」
「幼なじみです!」
間髪おかずに言い返した。ジェードは口元に笑みを浮かべつつ、軽く両手をあげた。
「そうだね、ごめん、ごめん。――へぇ、命が吹き込まれていない魔宝珠を君に預けたんだ。またどうして?」
「いつか細工をしてもらうから、先に見ておいてくれっていう意味らしいです」
エルダは濡れた雑巾を持ってきて、ガラスケースの上を拭き始める。色とりどりの魔宝珠が入れられたケースを丹念に拭いていく。
「細工……か。エルダちゃん、細工はいくつやった?」
「自分のを含めると四つですね。型にはまるよう形を整えろとか簡単なものばかりです」
「駆け出しだと、それくらいが普通でしょ」
その簡単なものが基本であり、細工の八、九割を占めていた。
大きい魔宝珠を持ってきて、その宝珠だけで凝ったペンダントを作れと言ってくる人は多くない。なぜならそれだけの大きい魔宝珠を手に入れることができないからだ。
ヴァランは魔宝珠だけで指輪や腕輪、ペンダントトップを形作っていたことはあったが、決して数は多くなかった。形によっては一か月近くもかかるため、あまり個数をこなせないのも現状なのである。
ジェードも開店に向けて店内を掃除しだし、背を向けた状態で聞いてきた。
「サートル君はどういう細工をしてほしいか言ってきたの?」
「いえ。私に任せるとしか言っていません」
「信用されているんだね」
「付き合いは長いですから」
横一列を拭き終わると、エルダは肩をすくめてジェードに振り返った。
「ジェードさん」
「なんだい?」
「その……男の人が持つ魔宝珠って、どういう物がいいんですか?」
ジェードは手を休めて、自分の首下に視線をおろした。四角く形作られた緑系統の色の魔宝珠がぶら下がっている。
「そうだねぇ……、正直言って男性はアクセサリーにする人、少ないんだよね。適当な小袋にいれてポケットにしまっている人が大半。手元にあればいいという考えの人が多い。騎士とかはまた別だけど」
騎士団ではすぐに召喚ができるよう、首元にぶら下げているのがほぼ絶対条件となっている。
ジェードは自分の魔宝珠を手で取った。
「基本的には邪魔にならないものがいいだろうね。こういうシンプルなペンダントトップとか腕輪とか……。どれにするかは本人に聞くのが一番いいだろうけど、任せられたんだよね」
エルダは頷くと、ジェードは腕を組んで唸る。
「うーん、つまり自分を目立たせるという目的で、魔宝珠を細工しなくてもいいってことだ。こだわりがあれば言ってくるはずだから、別に今、無理に考える必要はないと思う。気になるようなら、とりあえず磨いておけばいいだろうし」
細工はあくまでも魔宝珠をお洒落に身につけるための手段であり、やらなければならない作業ではない。磨き、輝かせるだけでも充分効果はある。
エルダはウェストポーチの中から、サートルから預かった紺碧色の魔宝珠を取り出した。それをこの場で見るが、やはり何も閃かなかった。
その場で立っていると、ジェードに肩を軽く叩かれた。顔をあげれば、にやにやしている彼の顔がある。
「細工するのに期限はないんだろう。今は一つでも多くの宝珠を手にして、体に細工の技術を叩きこんでいこう」
「そうですね……。そうします、ありがとうございます!」
ジェードの言葉を受けて首を縦に振ると、エルダは魔宝珠をしまい込んだ。そして朝一番で取りに来る、研磨された結宝珠を店の奥に取りに行った。




