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美術展に行ったよ

3/17日までやってます。最寄駅は東京の大塚です。線路沿いの細い道を抜けるとあります。「事故と死」で重いですが濃密な体験ができます。

 新芸術校上級コース成果展「まつりのあとに」連動企画「ⅮeathⅬine」展について書く。私は現代美術のフィールドに疎い人間なので専門的な内容ではない。一般人の私的な目による「ⅮeathⅬine」展の感想になる。

「DeathLine」展は三人のアーティストが事故をテーマにした作品で構成されている。弓指寛治氏の事故によって体調を崩し自死した母のこと、小林Ā氏の不慮の事故を起こし(道交法で無罪)巻き込んでしまった被害者のこと、ALI‐KA氏の義母の家出に喚起されトレーニングを始めて事故に巻き込まれたという義父のこと。その作品群は密度もあり、引き連れている背景もあり、展覧会の空間デザインも興味深い(入口冒頭のふすまや無数の顔の絵、交通事故瞬間の絵・事故の十字路・天井から垂れる巨大な言葉を包括する展示スペース、壁一面の故人の文字、狭い通路、茶室のごとき入口、暗闇、映写される文字達)

私はこの「DeathLine」展をどのようなアートかと問われれば、沖縄の戦争資料館の展示に似ていると言う。戦時下の少女の手記と靴、実寸大の塹壕、反戦の祈りを込めた絵、終戦の新聞記事。だが、「DeathLine」展は戦争資料館とは異なり至極私的な空間である。後者は戦争という巨大なモチーフだが、前者には個人的悲劇、誰しもが生活の創造の中で経験しうるかもしれないことだ。

私はこれまでいくつかの個人的悲劇を見た。初体験をレイプで喪失しリストカットを繰り返し精神病院に入院していた女性、アルコール依存症で実の母相手に刃物沙汰を起こした男性、夫に先立たれ女手一つで子供を育て上げた女性、母を交通事故で失ったがそれがまだ理解できず葬式の席で鼻を弄りながら「ママはいつ帰ってくるの」と言った(もしかこれは彼女なりの現実逃避だったのかもしれない)幼い少女。私には「DeathLine」展がこれらの個人的悲劇と同上もしくは同質のものとしか見ることができなかった。無論、それは欠点などではない。だが、私は創作を経て個人的悲劇を許容できるような空間が見たい。切実な渇望だ。

私は出自は忘れてしまったがとある本の記事を気に入っている。「南米のアマゾン川に接するある村の人々はそれの上流を生まれる前の魂の場所、下流を死んだ者の行く死者の場所としている。そして目の前の一区画を生者のための空間とし、そこで漁をする」私は直感でこれこそがアートだと感じた。村の人々は広大なアマゾン川に恐怖(=これを個人的悲劇というのは無理があるだろうか)を感じ、生まれる前の魂の場所と死んだ者の行く死者の場所を創作することで世界を許容できるものに作り替えたのだ。話を「DeathLine」展に戻す。

私は「DeathLine」展に村の人々の生まれる前の魂の場所と死んだ者の行く死者の場所のような世界を許容する力を感じなかった。それは公的(公共化?)な・巨大な意識への目覚め、ブリコラージュ・器用仕事が足りないからかと考えた。つまり現実世界(前述に当てはめるならアマゾン川等の自然界・本像)との位置関係の薄さである。「DeathLine」展の作品群は人間界・幻像との繋がりは密だが現実世界との繋がりが弱い。私見だが、死は外在化(これを公共化としてみる)することで折り合いがつくものではないか。公共化は仲良しこよしではない。現実世界と個人との関係を明瞭化することだ。そこ両者間の生み出す磁場は空間であり許容になる。現実世界を「DeathLine」展の外で悠々と流れさせてはいけないのだ。これは私見で私の信念であり根拠もない。しかし、たしかにこの世には人を許容させる作品がある(これ個人の価値観いかんで掬える層かわりますよね。そーゆー心持ちで私はガンバリたいなぁ)そもそも人間界自体が創作以外の何物でもない。寺山修二の市街劇よろしく現実世界は創作によって飲み込まれるのだ。創作こそが現実となる瞬間は時折来る。

私はアーティストは死んで初めてその作品世界が体系化され完成すると考える。この「DeathLine」展のアーティストも創作を経て様々に変貌してゆくかもしれない。悪戦苦闘しながら現実世界と戦ってゆくアーティストやワーカー、万人を私は格別尊敬する。またどこかで私が望んだような生まれる前の魂の場所と死んだ者の行く死者の場所が現れるかもしれない。それは人と人をつなぎ個人を押し潰そうとする現実世界から身を守る巣になる。死の円環(DeathLine)の果てにいかなる悟りを得るのかにも興味がある。だからこそ、そんなことを考える私は「DeathLine」展の次作を期待したい。

3/17日までやってます。最寄駅は東京の大塚です。線路沿いの細い道を抜けるとあります。「事故と死」で重いですが濃密な体験ができます。

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