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エルグレコだって

今回、私が選んだ作品はエルグレコの1600年頃に制作され、現在ティッセン=ボルミネッサ美術館所蔵されている「受胎告知」です。彼は、ヴェネチア共和国統治時のクレタ島に生まれ、スペインのトレドを中心に活躍した画家です。彼の作品の特異的な点を挙げるとすれば、それは引伸ばされた身体表現である、と言うことができます。この表現は、当時、衰退の一途を辿っていた、マニエリスムの影響を受けているといわれています。私がエルグレコの作品に着目した理由は、彼がこのマニエリスムの中において も、一等重要なものととらえることができるのではないか、と考えたためです。私が考えるマニエリスムの特性は自然や現象を超えた形而上学的な美への追求です。そのような作家の衝動は、寓意的な図像を用いた難解な構図や、内面の葛藤を作品に加えることによって生じる歪みやちぢみのポーズとして現れます。では、エルグレコの作品はどうでしょうか。エルグレコの代表的な作品に対し、強力なデフォルメによって、引伸ばされた身体と評されることがあります。私が興味をひかれた点、それは、エルグレコが身体そのものを変容させてしまった点にあります。それまでのマニエリスムは、モチーフやポーズに寓意をあてはめ、作品上に表現することで美を追求していました。その中では、モチーフとされる物体や現象、身体はそのままで維持されていました。それ自体は、美そのものの意識が物体や現象、身体に縛られていることを意味します。しかし、エルグレコは違いました。人体学の素養を備えた写実的な表現を二の次とし、人体をデフォルメして引伸ばしてしまったのです。それは、マニエリスムが求めた美が、真の意味で一歩近づいたといえるでしょう。マニエリスムが自然や現象を超えた美を追求するならば、現実に存在する物体や現象、身体を越えなければならないのです。エルグレコの表現は、そのような要求に十分に応えるものとなったでしょう。そして、エルグレコの表現はもう一つの産物を生みました。それは、新たなる寓意性の位置です。エルグレコ以前のマニエリスムは、物体や現象の上に寓意を付加させ、それを作品上に配置することで一つの意味を示すことが可能になっていました。それに対し、エルグレコのように物体や現象そのものを変容させ、寓意を内へと挿入することにより、モチーフ単位で意味を示すことが可能になったのです。それは、今までの寓意は様々なモチーフをちりばめて、帰納的に意味をつくりだしていくのではなく、一つのモチーフを中心に演繹的に広がってゆく意味への変化でもありました。しかし、エルグレコの表現は当時の人々に受け入れられることはありませんでした。なぜなら、当時の人々が求めたのは、自分自身、自分の生活を強力に肯定してくれるような唯一無二の意味であり、エルグレコの表現のように同一の作品の中に複数の意味が介在してしまうようなことは、むしろ、悪しきものに近いともとらえられてしまったのです。しかし、現在、エルグレコの表現はとても好意的に、意義のあるものだったととらえられています。それは、エルグレコの表現が美術表現の幅を広げたのは言うまでもないからです。エルグレコに影響を受けたといわれているパブロピカソの作品にも、写実的に外側に寓意を与えていくのではなくモチーフを変容させ、内へと寓意をもってきたのではないかと思える表現が見えてきます。

エルグレコの特異的な表現は、我々に重要な示唆を与えてくれると考えています。


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