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ツイッターだってさ

ソーシャルメディアというものは、我々の生活から切り離すことのできない重要なものになっている。今回はツイッターを取り上げるのだが、ツイートやリツイート、拡散などによって広がってゆく電子上のコミューンは、我々がいまだ遭遇したことのない広がりを見せている。しかし、私はこのツイッターに疑惑の念を抱いている。一つは、私がツイッターの内に、マイノリティの黙殺する主体無きマジョリティを感じるからである。だが、とある者はツイッターの力というものは、主義や思想といった集団を束ねる主体がない純粋な力であることに意義があると解くかもしれない。それに対し私は、二つ目にアンニュイな答えが許されないネットという空間への考えを述べたい。以上の二つを中心に話を進めていく。まず一つ目にマイノリティを黙殺する主体無きマジョリティであるが、まず、主体無きマジョリティの発生の過程から考える。ある者のツイートが多勢の人々にリツイートされ、急速に広まってゆく。そして、そのツイートが共有され、一つの協調を生んだとき、ツイッター特有の無形の集団が生まれる。この集団は今までの我々が見てきた集団とは異なり、主義や思想、元来集団を束ねてきたそういったものがない。では、この集団を束ねるものはなにか。それは、リツイートによって肯定された自身の意見への自信である。これは、エリザバート-ノエレ=ノイマンの“沈黙の螺旋状仮説“の応用と言える。自らの発した意見の中でより多く肯定を受けたものが正しいと思い込むことを解説したものだが、この仮説の中では、自身の意見の根拠は自らの内にあるものではなく、外側から与えられるものとなっている。中には、ツイートすること自体が自らの確固たる意志があるという人もいるかもしれないが、そういった我を出しすぎたツイートは、得てして不評を買ってしまう。そのため、集団をまとめる、自信を生み出すツイートとは最大公約数的で曖昧な意見となってしまう。このようなツイートによってできあがった集団を、主体無きマジョリティとする。黙殺されたマイノリティという表現はこの、主体無きマジョリティの悪性を伺うことができる。もともとマジョリティは黙殺されてしまうようなものであるが、主体無きマジョリティの前では無に等しい。それは、主体無きマジョリティは主義、思想ではなく自信によって束ねられた集団であるが故に、マイノリティを自覚することができないのである。これは、主体無きマジョリティの行為が自らが肯定されたという自信を原動力にしているため、彼らの行為の正当性を問うような批判が出たところで、彼らがそれを受け止める必要性を感じることができないということである。リツイートが広がることによって自信のみで束ねられた集団が主義、思想を超えた自信のみで行動する、私はツイッターをそのように分析している。ここまで私は論理性の足りない、自身の違和感を肥大化させた批判を述べたが、現段階のツイッターの具合を見る限り、私の批判は邪推なのかもしれない。しかし、それでもなお、私は冒頭で述べたアンニュイな答えが許されないネット空間への疑わしさが消えることはない。これは、ツイッターを含めたネット空間全般にいえることである。ネット空間における議論において重視されるものは自身が議題に対して賛成か反対かという意見である。


それはネットが、身体は無いが、画面上で関わることのできる無数の人々に対し、自身の存在の確証を己が身体ではなくなにか単純かつわかりやすい枠組みに入ることでコミュニケーションが円滑になる非常に特異な空間だからである。この空間の議論で露になる解、少し飛躍させて言い換えれば世論(この議論にコミットしている無数の大勢において)は、純粋な議題への解ではなく、自身がいかにしてこのコミューンに入ったかとその正当性、また相手側の反論コミューンへの批判などの主張でしかない。それは真の議題への解、導き出されるべき世論とは大きくことなったものとなっている。この世にそのようなものが推量の域の産物なのかもしれないが、多様化し、複雑化した人々のつくり出す、いまだ全貌を掴みきれない現代社会の世論を探る行為において、このような辺鄙な視座に着いてみることも一興ではないだろうか。


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