#03 蕎麦とメイドと男と女
世界の顔となるそこは、税金の無駄遣いだと言われるようなお国柄でもない限りはおおむね大金が投入されている。異界の者に国が――世界が豊かであると印象付けるためだ。
ここは総大理石の広いホールに職人がひとつひとつ丁寧に織った質のいいカーペットを敷き詰め、巨大なシャンデリアや華美な装飾が施されている。当然ながら職員ひとりひとりの制服もまた最高級の仕立てで、その雰囲気から自身がカジュアルな服装であることに居心地の悪さを覚えてしまうほどだ。
「ああもうっ、いい加減にしてほしいですわっ!」
いくつかのテーブルをたらいまわしぎみに歩き回り、厳しい教育の施された契約専門の魔神使い――異界に接続しない、もしくはできない"もどき"――から異界への滞在に関する契約書を発行してもらい、怪しい魔法陣の刻まれたいくつかのドアの前に立つ役人にパスポートやらを提示し、初めて異界の門が開かれる。
その後は行先によって違うが、今回の目的地である日本では国際空港の税関ような施設で指紋の採取や顔写真の撮影、一部の種族は特殊な道具で爪のカットなどが行われる。ただ門をくぐるだけでどうしてこんなにややこしいシステムなのだと訴えるものは後を絶えない。
これほどややこしいシステムは彼女らにあまり馴染みがないからだ。
「…………爪が短くてすーすーします」
獣人族のうち、マルガリッテは爪の鋭い狼種――ウェアウルフだ。その爪の強度ときたら、さすがにどこぞのファンタジーのように革鎧も引き裂くとまではいかないが、人間の柔らかな皮膚程度ならば容易に食い込み引き千切ることができるほどの凶器である。
ただ一か月もしないうちにまた鋭く再生するし、なくてもスナック菓子の袋をきれいにカットできない程度だ。彼女もまったく困った顔をしていないが、指先が落ち着かないのかしきりに指を動かしている。
「しかもこう、コーさんの国はいつも空気が重苦しいと言いますか、使われない魔力がこう、飽和しているような…………悪酔いしてしまいそうですわ」
ハンカチで口元を抑え、毒づく。
「まったくでございます。有角族の皆様方のように角に魔力を溜められる体質ならばよいところでしょうが。しかしながら呪術祈祷の苦手な私にはつらいものがございますな」
「…………角に魔力は迷信でしてよ?」
その迷信のせいで優れた魔法使いである有角族の角は魔力衰弱によく利く優れた特殊な水薬になると考えられ、亜人族の中でも人扱いされなかった――見た目も悪魔のように青黒い肌をしていたというのもあるが、動物であると定義したほうが狩りやすく販売しやすかった――迫害の歴史がある。
ちなみに獣人族にも角を持つものはいるが、彼らは種族全体としては魔法が苦手であったためか、亜人族の角とは違い滋養強壮に利くと信じられていた。もちろん迷信である。
「それはそれとして、異界ですと我が神の声が非常に聞き取りづらいと申しますか、やはり次元の壁を越えられないマイナーゴッドはダメですなと思わず愚痴りたくなると申しますか、しかしそうすると我が神に見捨てられそうで思わず心が冷えると申しますか」
奇跡使いであるメイドが難しい顔をして、
「しかしながら、我が神が見ていないのであれば戒律破り放題じゃねとちょっと言葉遣い悪くにやりと笑ってしまいそうでええい静まれ我が邪念我が心のうちより悪魔よ去れ…………っ!」
かぶりを振って懊悩する姿はまるで邪気眼である。しかもメイド服だ、フレンチメイドでないだけましだが。
「………………人の多い往来でなに騒いでんだよ、お前ら」
なんでこいつら日本に連れてこなきゃならないんだと、男は心中複雑な思いを低い声音に乗せて言い放つ。
「コーさん!」
お嬢様が駆け寄る――それをひらりとかわした。
胸に飛び込んできたというわけではないのでたたらを踏むこともなかったが、微妙な距離感にエリザベスは残念そうな顔をした。
「ようやく出てきましたか」
「俺の契約書だけ複雑なんだよ。お前の、お嬢様のせいで」
事前に魔神使いから契約書を作成してもらえば一部手続きを省略できるのもそうだが、彼のような"異界渡り"の滞在における多重契約は非常に面倒くさいことになる。彼の召喚主であるエリザベスに頼んで事前作成しなかったらもう少し時間がかかっていたことだろう。
「とりあえずホテルに荷物置いて…………昼飯にしよう」
「ほう、つまりはお嬢様が昨今ありふれたチョロイン的なキャラ付けがなされていることを利用しちょっと雰囲気の良い宿に連れ込んでそのおっぱいに思うさまむしゃぶりつこうということですねこの万年発情ザルめ」
「………………犬に言われたくねぇーなー」
「我が氏族に喧嘩を売っているものと判断しても?」
「マルガリッテ! あなたが先に言い出したことでしょう!? おやめなさい!!」
「しかしながら」
「くどいっ!」
「………………………………申し訳ありませんでした」
含むところがたくさんあるよと言うように、しかし眉ひとつ動かさず腰をくの字に曲げて謝罪する。まさしく形ばかりの謝罪といったふうだった。
「申し訳ありませんコーさん」
「別に。マルガリッテとは前からそういう仲だったし」
「ほう、つまるところコーさんはドМですか」
「マルガリッテ!」
「反省しておりますとも」
舌打ちこそしなかったが、視線だけ外して心無い言葉だけを述べる。ああこういう奴だったな昔からと、呆れたようにため息をつく。
「ホテル、荷物置いて、飯。アポとったら、後は観光。オーケー?」
結花の保護者の都合もあるだろうからと、日本での滞在は一週間を予定していた。
「オーケーにございます」
男はお嬢様を半ば無視するような形で、メイドに確認をとった。
毛深い三角耳をぺたんと畳んで、ベッドの上でしょんぼりうなだれる。
「無視されましたわ…………」
主人のその情けない姿に、従者はため息をつく。
「……………………うちのお嬢様が面倒くせぇー件について」
口の中で小さくつぶやく。
「え、なに?」
優秀な主人の獣耳は、メイドが何か口にしたことだけは捉えた。
「いえ、別に」
しれっと誤魔化す。
「しかしながら、お嬢様のこれまでの所業をかんがみるにいたしかたのないことです」
拉致して兵士に仕立て上げたようなものだ、そりゃあ含むところもできるというものである。多少なり言葉の壁があたっとはいえ、引き受けたあの男も相当アレだが。
「ですわよね…………」
「しかしながらお嬢様。あの男、さして気にしてはいないかと」
「――――ほんとうに?」
希望の光が差し込んだかのように、従者の顔を見上げる。
「うわ、うちのお嬢様まじかわ…………こほん」
小さな咳払いで喉を整え、
「お嬢様、あれは距離を測りかねているのです。真にお嬢様を嫌っているのであれば、あの男ならば接触もしてこないでしょう。わざわざ契約書の関係でお嬢様を頼り、あまつさえ今回のように同行を許すあたり、あの男もまたお嬢様と心を同じくしているものかと」
「まぁ――――」
うちのお嬢様がまじチョロい。
今度こそ口には出さなかった。
「わたくし人の心は読めませんが、しかしながらあれは手に取るようにわかります」
「彼が好きなの?」
「どちらだろうと対策するならば相手をよく知らねばなりません」
「別に気にしませんのに」
独占欲の強いごく一部を除いて、獣人族は一夫多妻を容認している。元々は虎種の「男の甲斐性は嫁の数」といういささか過激な風習が、国の一員として他種と生活していくうちに広まったとされている。
そうした環境で育っているお嬢様は当然ながら一夫多妻に寛容なのだ。
「ともあれ、脈があるならば手はございます」
「……………………あなたの考える手という点に、わたくしとてもとても不安を感じるのですが、まぁ、言うだけ言ってみてくださいまし?」
「なんという信頼関係、わたくし涙が出てしまいそうです。まぁそれはそれとして、これは魔王軍がまだ健在であった在りし日のころ、あの男が非常に好んでいたシチュエーションなのですが」
「待って」
お嬢様は片手で制する。
「え、なに、付き合ってらしたの…………?」
一夫多妻に寛容でも序列にまで寛容というわけではない。ことによっては戦争だ。
「あれは山羊のような胸を好む男ですよ……?」
下から持ち上げるように、しかし胸の前をスカスカと空振りする。
「山羊種はいいですね胸が大きくてそのうえ魔法まで得意なのですから。最強ではありませんか」
ちなみにお嬢様は山羊種のうち角のないザーネン氏族である。彼女らは非常に乳房が発達しやすく濃い母乳が多量に出るという特徴を持つことから貴人の乳母として重用されてきた一族だ。後継ぎが男児よりも女児のほうが喜ばれるくらいなのだから相当である。
「わたくしもそんないやらしく腫れた胸を揺らしてあら足元が見えませんわとか肩が凝って仕方がないですわとか言ってみたいものです」
「…………あの、わたくしが言うのもなんですが、そういいものではございませんわよ?」
「巨乳はみなそう口にするのです」
真理であった。
「それはそれといたしまして、あの男の好むシチュエーションは――――――首輪にございます」
「……………………はい?」
「首輪にございます」
二度言う。
「首輪に、ございます」
受け入れがたいであろう事実を突きつけるがごとく、呆けた顔をする主人に向かってメイドは三度重ねて言う。
「銀の鎖があればなお可。ひざまずき、涙をたたえた瞳で見上げればもはや陥落したも同然にございます」
「あの……ずいぶんと実感がこもってらしてるようですが、付き合ってましたの?」
「あれは奴隷というものにあまりいい顔をしない男ですが、しかしながらプレイならばむしろ望むところのようでございます」
「ですからっ」
「ははは」
答えず、表情を崩さず、ただ笑う。
「お嬢様。そろそろお時間でございます」
「はぐらかさないでくださいなっ!」
「遅れますと、嫌われますが」
「くっ…………!」
忌々しげに睨みつけて、
「今日はこのくらいにしてさしあげますわっ!」
まるで噛ませ犬が逃げる時に口にするような捨て台詞を吐いて、立ち上がった。
灰色で黒い粒の入っているのは、この蕎麦屋の主人が殻ごと引いたものを好んでいる証拠だ。確かに白い更科蕎麦も美味いが、こちらは殻ごと挽いてあるので香りが強く、すすった時にこの粒が唇を程よく刺激する心地よさがある。舌触りやのど越しが悪いようにも思えるが、しかしながら意外にもそのざらざら感がクセになる。喉奥をほどよく刺激してくる蕎麦の粒がなければもはや蕎麦ではないような気さえしてくるくらいだ。
本日立ち寄ったこの店は、日本にいくつか存在する蕎麦の本場のうち山形のほうで修業した頑迷な亭主がやっており、美味い蕎麦の条件であるという"挽きたて打ちたて湯でたて"の三たてにこだわった、つゆも江戸時代半ばより続く門外不出のものが教えられるほどに認められた知る人ぞ知る達人の手打ちそば処だ。
そのこだわりは食器にも表れている。フォークでは金属の味と臭いで蕎麦の香りと味が台無しになると、箸の使えない外人向けに介護用品のピンセットのような竹製の箸をわざわざ作って用意してあるのだから相当だろう。
「ずぞっ――――!」
びしりと角が立った実にコシの強そうないでたちをする蕎麦を、ピンセット箸で一つまみ。それを芯の強いやや辛めの蕎麦つゆにちょんとつけて一気にすすり上げ、
「――――――んふぅー」
丸のみにして、鼻から抜けるそばの香りを楽しむ。
「はしたない」
「しかしながらお嬢様、蕎麦とはこのようにして喉で味わうものだとマンガで読んだことが……ですよね?」
「それでも丸のみはねぇーわ」
「裏切り者め」
マルガリッテのような獣人族の狼種は人間よりも嗅覚が優れている反面、実は生物的に味蕾があまり多くない味音痴種族である。そのうえ穀類に比べて消化の容易い肉を多く食する文化を持っており、噛む、という行為をあまり行わない丸のみの食文化を持っているのだ。
だからこそ、そんな彼女が香りを最大限に楽しむための食べ方として紹介されれば鵜呑みならぬ丸のみにしてしまうのはしょうがないことだろう。
「ですがお嬢様の食べ方もいささか…………ええ、率直に申し上げて、どうかと思います」
「はぁいぃい?」
指摘され、お嬢様は妙に甲高い声を上げた。
「お嬢様、蕎麦は塩で食べるものではございません」
「これ、濃すぎるんですもの」
彼女ら山羊種は嗅覚に関しては人よりも同じかやや高いぐらいではあるものの、味覚ははるかに上回る――だからといって美食家であるかというとまた違うのだが、この際それについてはどうでもいい――そのため、お嬢様にはこの辛めの蕎麦つゆはいささか濃すぎるのだ。
まぁこの蕎麦つゆは人間の味覚に合わせているからしょうがないっちゃあしょうがないし、それに蕎麦に塩を振って食べるというのは塩蕎麦というものがあるので別段おかしくはない。ツウというか外人らしいというかそういう感じではある。
が、塩で食べるなんて想定していない、香りの強い蕎麦に合わせた芯の強い蕎麦つゆを作った頑迷な主人が先ほどからすごい形相で睨んでいる。食べ辛いったらありゃしないのはなんとかならないのか――メイドはそう言っているのである。
「そもそも蕎麦はパスタではございません」
その上せっかく主人が気を利かせてピンセット箸を用意してくれているのに、まさかそれでフォークのようにくるくると蕎麦を巻き付けるとは誰が思うだろう。そりゃあ睨まれもするわけである。
「すするなんてはしたないじゃありませんか」
麺類をすする文化というのはあんまり多くないというかアジア圏ぐらいのもので、そもそもすするという食べ方ができない場合が多い。すすらない文化圏では肺活量というか、ほお肉が鍛えられていないというか、とにかく身体的にすするという行為が難しいのだ。
もちろん、すすることはできるが文化的にはしたない、下品であるという認識ですすりたくないという思想である場合もある。
お嬢様の場合はその両方だ。
「お嬢様、麺類をすすれませんと男性を喜ばせられませんよ?」
「はぁ?」
「具体的には旦那様の御子息へのご奉仕と申しますか――――」
「どうでもいいけどあんまりうるさくすんな?」
飯時になんてことを口走ろうとしてんだこの女は、と。男は信じられないようなものを見るような目でメイドを見やる。
「しかしながら」
「いいから」
「好きでしょう?」
「そういうのいいから」
「スキモノですものね」
「お前俺のこと嫌いだろ」
「ははは」
眉ひとつ動かさないで笑い、蕎麦をつまんで、
「ずそっ――――!」
何事もなかったかのように食事を再開する。
「…………そういえば、その、コーさん?」
そんな空気でよくもまぁ声をかける気になるものだが、しかしながらお嬢様もそれなりに追い詰められてるほうである。ちょっとしたくそ度胸であった。
「はい」
帰ってきたのは互いの間に壁を感じるわりと硬質的な声。お嬢様、思わず心が折れそうになる。
「えっと、お宅はどのような場所か、きちんと把握してますの?」
これでも亡国ではお貴族様というかお姫様という立場の女である。訪問先の主人の名前はもとよりどんな業種でどれくらいの地位にいるとかそういうのを把握しておくのは当然の感覚である――のだが、このお嬢様はまぁ柔軟なほうというか貴族制のない日本でそこまでカッチリやらなくてもいいよねという思考の持ち主なので、ただの話題振りであった。
「おおむね。面接で聞きましたので」
「そ、そうなの……」
「はい」
「…………」
「………………」
ぱったりと会話が終わる。
「……………………ふぅ」
それはため息か蕎麦の香りを通すための吐息か、判断のつかないタイミングだった。
「さすがは魔王軍随一の美食家が薦めるそば処。鼻に抜ける強い蕎麦と鰹節の力強い香り、唇や喉奥をほどよく刺激する快感……堪能させていただきました」
箸を置いて、ごちそうさま、と両手を合わせる。
「しかしながら、ここのわさびはわたくしにとって刺激が強すぎます。新鮮な本物をすりおろしたものでしょうが、それを喜ぶ獣人族はなかなかいないかと。嫌がらせでしょうか? それともプレイでしょうか?」
わさびの辛み成分はカプサイシンと全く異なり、揮発性の高いアリルイソチオシアネートという成分が主だ。これは聴覚障害者用に開発された臭気発生タイプの火災報知器で用いられるものでもあり、深い眠りについていても確実に覚醒するほどの劇物だ。
「もっともわたくしでさえこの程度のわさび濃度では涙ひとつ浮かびませんが。お嬢様の涙ぺろぺろしたかったのでしょうが残念でしたねほんと残念ですよ残念ですのでお嬢様わたくしに他意はこれっぽっちもございませんがちょっとこのわさびを口に含んで思いっきり呼吸していただけませんでしょうか」
「するもんですか」
「てーかお前、口開くたびに下ネタ挟まんと気が済まないのか?」
「ははは」
「いや、答えろよ」
「しかしながら」
「おい」
「このたび冒険者になりたいと戯言をほざいた残念なおつむのお嬢様というのはいったいどのような方なのでしょう? わたくしとても気になります」
「……お前、言葉が通じないからってぜってぇ口開くんじゃねぇーぞ」
「わきまえておりますとも」
しれっと答えるメイドに、どの口が言うかと呟いた。
「歳は十六。言葉は日本語と、できて英語ぐらい。身長はまぁ……こんくらい?」
椅子に座ったまま、肩のあたりで手を水平にスライドさせる。
「それくらいですと、百五十ぐらいですか。小さいですね」
「あー……もうちょっとあるかもな。あっちも基本、座ってたし」
「まったくもって貧弱ですね」
「だよな」
冒険者は体が資本である。ゲームと違って魔法使いでさえガチムチのナイスガイである場合が多い現実では、貧弱な体というのはそれだけで大きなデメリットなのだ。
そもそも冒険者の狩猟はいささか特殊で、害獣に対して少数で真正面から剣や斧を使うという戦い方をしている。魔法使いだろうが最終的には白兵戦だ。
これはほんの少し前、危険な害獣だからさっさと終わらせようとそれなりの人数で挑んだら自称動物愛護団体が「レジャー感覚でもって大人数で追いかけまわし、余計な恐怖を与えて殺している」というアホなことを言い出したせいである。
そのせいで「我々は動物を一個の誇りある生命と認め、正々堂々と決闘しているのだ」という建前をつけ、年に数人は命を落とす害獣駆除を少人数でしかも剣や斧で挑まざるを得なくなってしまったのだ。
あいつらほんと余計なことしかしねぇ、というのは冒険者たちの総意である。
「しかしながら、そんな貧弱なお子様があなた方のような変態の仲間入りをしようと決めたからには、何かしらの特技があるということでよろしいのでしょうか? それとも本気で現実舐めくさった救いようのない餓鬼なのでしょうか?」
「お前ほんと口悪いな!」
「ははは」
喜んでいるのか、話題を逸らすためなのか。眉ひとつ動かさないメイドの無表情なその顔からは判断がつかない。
「して、どうなのでしょう?」
「あー……"異界渡り"」
「――――あら、まぁ」
声を上げたのはメイドではなく、その主人。お嬢様だった。
「いいじゃありませんか、才能があって。欲を言えばもう少し早くに目覚めていれば、経験がよく積めたでしょうに」
「あんなん戦場にぶち込もうもんなら死ぬわ」
冷静に、しかし思わず言葉を崩して男はツッコむ。
「で――でしょうね!」
その崩れた言葉がうれしいのか、ほんの少し顔が華やいだ。
「それはそれとして」
キてる、今すごい波がキてる! このまま押し込みますわ――! と、そんな風に考えてるに違いない笑みを浮かべながら言葉を綴る。
うちのお嬢様はまったく手がかかってもう……とばかりに、メイドは鼻を鳴らした。
「いろいろと面倒になる前に何とかしてしまいたいところですわね。ね。ほら、法律とか条約とか」
"異界渡り"の真価はまた別に存在するが、条件さえそろえば割とホイホイ異世界に移動できるという能力は非常に危険な能力である。白い粉や黒い武器が密輸し放題と言えばわかりやすいか。
「わたくしならすぐにでもっ」
「お、おう……」
押してくるお嬢様に面食らって、思わず呆けたような返事を返す。
「ともかく。冒険者になるのはあきらめさせるにしても、その辺の制御だけはやっておかないとなぁ」
「最低でもそうでしょうね――……コーさんみたく、うっかり埋まってしまってはイヤでしょうしね?」
「思い出させないでくれよ……」
「うふふ」
異界を行き来するという特性をうまく利用すればテレポートじみた挙動ができるのだが、彼はそのせいで壁に埋まってしまったことがある。薄い壁一枚だったからこそ助かったようなものだが、それでも顔が埋まっていたら死んでいたかもしれなかった。
「大変でしたわよねぇー。抜刀隊のみなさんを集めて、みんなで掘り出して……」
懐かしむように、目を細める。あのころはまだ平和でしたと、感慨深げにため息をついた。
「ええ、まったく。わたくしその時ちょうど反対側でして、あの時はほんとうに何事かと思いました。壁から尻が生えていて、あれが拘束プレイもとい尻壁ジャンルというものなのかとわたくし興奮してしまい思わずネギを取りに行ってしまうほどで」
「思い出させるんじゃねぇーっ!」
「しかしながら尻壁しながらわたくしにズボンを下ろさせまじまじと観察させた肛門に太くて大きな曲がりネギをツッコまさせようとするとかあなたもずいぶん高度なプレイをご所望で気持ち悪い変態ですね死んでしまえ」
「変態はキサマだろぉーが!」
どうでもいいが未遂で終わった。
「……ねぇマルガリッテ? わたくしその話は聞いた覚えがないのだけれど」
「ははは」
「というか、興奮ってあなた」
「――――オヤジサン、ソバユー」
何も聞かなかったかのように、メイドは片言の日本語で蕎麦湯を請求した。