#04 私のヒミツ
2015/05/06
一話抜けてたので前に差し込み投稿
大変失礼しました!
その女は比率だけ見れば、肩幅の広いがっちりとした体形をした美熟女、といった風だ。ちょっとしたクセッ毛を短く切ってあり、快活そうだ。姉貴分というか、姉貴肌という印象を受ける。
しかし、いかんせんサイズが巨大すぎる。少女たちがぽかんと口をあけて見上げる彼女の身長は、およそ十二メートルはあるだろう。四分の一巨人の彼なんかがまるで赤ちゃんのように見えてしまうぐらいで、それよりもさらに小さい自分たちは小人かと錯覚してしまう。
「なんだい、お嬢ちゃんたち――――!」
巨大であるということはそれだけで凶器である。
上から浴びせかけられる、耳をつんざくほどの大音量。本人は普通にしゃべっているつもりなのだろうが、肺の規模もサイズも筋力もとにかくジャイアントサイズなのだから当然か。もしかしたら、ささやくようなレベルでちょうど釣り合うくらいかもしれない。
空気がビリビリと震えるその声に、存在感の大きさ、同じ人型でありながら巨大であると言う異形、威圧感。そこからくる、本能的な恐怖……普通ならば、巨人族を目の前にした時の感情は、そんなものばかりだ。
ゆえに、亜人の女は思わず一歩引いてしまった。メイドは動かなかったようだが、少し手が震えている。四分の一巨人のバーナードにも気おくれしなかったはずの日焼け娘や三つ編み少女まで、思わずたじろいでしまう。
「あーのぅ! バーナードの酒場からぁ! やってきましたぁー! アマンダさんですかぁー!?」
しかし、少女は物怖じしない。
まるで以前に巨人族と頻繁に会っていたような……そんな慣れすらあった。
「確かにアタシがアマンダだぁ――――」
その物怖じしない態度を気に入ったのか、巨人族の女はにやりと笑って胸を張る。
「そうか、小僧んところから来たのかぁ――――!」
「これぇー! しょーかいじょー! でぇーす!」
「おぉ――――悪いねぇ――――――――!」
しゃがみこんで、ずぅ、と手が指し伸ばされる。自分の体と手のひらがほとんど同じサイズだ、本能的な恐怖すら感じるはずのそれをちっとも意に介さないふうに、少女はくるくると丸めた、まるでござのような手紙を差し出した。
「はぁ――ゴブリンがねぇ――――!」
紹介状を読み終わると、腹の底が揺さぶられるようなため息。
「それなのに、よく来てくれたねぇ――――!」
「いえいえー!」
「まぁ――、酒しかないところだけど――ゆっくりしていきな――――!」
踏むと悪いから運んでやろう、とでも言うように両手を伸ばす。
巨大であるほど動作はゆっくりと見えるが、しかし実際の速度は尋常ではない。そのギャップに、ツンツン頭以外がびくりと怯えた。
○
「……あれ?」
三つ編みの少女が声を上げる。醸造中の酒を蓄えている巨大な瓶が並ぶ酒蔵のど真ん中に、似合わない絵画が飾ってあるのだ。肖像画ならまだわかる。創業者だとかそうした人物が飾られているのだろうと考えることができる。
だがそれは、そうした絵画ではなかったからこそ、少女は疑問に思った。
「どうかしたのかい――――!」
しかし五人を両手に抱えた巨人族の女にしてみれば、当たり前すぎてなんでもないものなのだろう、不思議そうに問うた。
「えと、あれ、なんでしょう?」
金色に輝く太陽の日差しを避けるためにフードのついたケープで顔を画した女性が、前屈みになって収穫用の大鎌を振るい、大きく実った麦を刈り入れている……おおよそ、酒蔵には似合わない絵だった。
「あれかい――――?」
見上げて、巨人族の女は答える。
「アタシにもよくわかんないけど――――この辺に昔から伝わる昔ばなしを――――誰だったかが描いたやつさ――――」
「ほぇー……」
どんな昔ばなしなんだろう……なんて考えながら、少女はそれをぽかんと見上げ続け、
「絵なんて何が面白いのかね」
それを日焼け娘が茶化す。
「…………」
いつもならその茶化しに乗ってくるはずのツンツン頭は、珍しく真剣な顔をしていた。
「……結花?」
「――――ん、あ、なぁに?」
それをいぶかしげに思った日焼け娘が声をかけると、ツンツン頭は間抜けな声で応じた。
「疲れちゃったの?」
「あはは、そんなとこー」
「さんざん騒いでたし、そりゃそうか」
呆れたように肩をすくめる。
「あ、ところでこの辺の神殿とかってどこでしたっけぇー?」
「神殿かい――――?」
「なんでそんなことを聞く?」
「いえー、いちお、勇者なのでぇー! 勇者といえば精霊さんの言葉かぁー! 神託かなぁーってぇー!」
いつもの妄言を吐くかのように、少女ははにかみながらそう口にした。
巨人族には人形を作る文化がある。
諸説あるが、元は田畑を守る精霊とも、共存していた人間種のとある民族の姿とも言われている。部族によっては死者の似姿だとも言われ、はっきりとは判明していない。
その理由は、巨人族は文字によって歴史を残さなかったからだ。文字の発達に必要な書きやすい紙や布は、我々の数倍ものサイズを持つ彼らにとっては用意しづらいものの一つであったため、文字がさほど発達しなかったのではと考えられている。
いずれにせよ、彼らにはそうした守り神のような人形を作る文化がある。そして同時に、その人形たちが心と体を休めるための建物を作る技術が発達した。
日焼け娘はぽかんと口を開け、それを見上げた。
「うわぁー……おっきぃ……」
材質こそレンガや材木だが、そこらじゃちょっとお目にかかれないような豪邸がそこにはあった。そんな豪邸も巨人族にかかればDIYで犬小屋を作るような手間でしかないだろう。なにせ、どれだけ大きかろうが巨人族の腰ほどもないのだから。
「あっはっは――――! ちょっと雑なところがあるから――――まじまじみられると、照れるねぇ――――!」
大気が大きく震える。頬を赤くするその巨人族の笑い声は、まるで竜の咆哮にも似ていた。
――まぁ三人娘はドラゴンと出会ったことはないが。
「ちなみに――――壁が外れるから――――気を付けるんだぞ――――」
ドールハウスだから当然ではある。
「よーっし! 私いっちばぁーん! おっきい部屋とるぞぉー!」
「おい待て。この駄犬メイドを運ぶのを手伝え」
「中のほう確認してから"ディメンジョン・ゲート"したほぉーが楽じゃありません?」
「む」
「なんなら――――アタシが運んでやろうかい――――?」
正論を言われて黙る亜人の女に、巨人族の女はそう申し出た。
「いや、そこまでやってもらうのは申し訳ない」
「そうかい――――?」
巨人族の女は、前掛けのポケットに大きな手を突っ込んで、
「じゃぁ、これ――――夏っちゃ夏だけど、夜は寒いかもしれないからね――――その屋敷で使う薪だよ――――!」
巨人族からしてみれば一握りの木屑だろうが、少女たちからしてみればちょっとした薪の山だ。がらがらと音を立てて置かれたそれにぎょっとして、
「わぁー! ありがとぉーございまぁーす!」
しかしツンツン頭だけは、嬉しそうに頭を下げた。
○
ぱちぱち……と暖炉の中で薪が小さく爆ぜる音が響く。
夕食後のけだるい雰囲気に包まれたところに、その音は不思議と心に染み渡る。
ロッキングチェアーに身をゆだねた日焼け娘はうとうととし、三つ編み少女はぼーっと暖炉の熾火を見つめて、亜人の女はソファーで長い足をだらりと延ばして、この酒蔵で造られた透明な酒を飲む。
この場にいないのは、気絶させられて部屋に寝かされたメイドのみだ。職業柄比較的勤勉である彼女がいないだけで、そこにいる四人の間には、だらだらとした怠惰な空気に包まれていた。
「……そろそろ、眠くなってきちゃったんで、お先に休ませてもらいますねぇー?」
そんな空気の中で、ツンツン頭がそう口にするのはごくごく当然の成り行きだろう。
彼女は今日、乗合馬車で同席した見ず知らずの旅人たちに面白おかしい弾き語りをしていたのだ。当然、誰もが疲れていると理解している。
「あ、うーん、おやすみー」
ただ、三つ編み少女のみ。日焼け娘はまったく気づいた様子もないし、亜人の女に至っては適当に片手を上げるだけだった。
就寝前のあいさつを口にして、少女はゆっくりとした足取りでその部屋を後にする。
「…………さて、とぉ」
ドアを閉めた途端、少女はくりくりとした瞳を大きく見開いた。
疲れを感じさせないような軽い動きで、なかば駆け足に、しかし足音を立てぬよう静かに。目の細かい絨毯が敷かれた廊下を風のように進む。
――少女の部屋は二階にある。リビングから一番遠い、角部屋だ。
少女は自分にあてがわれた部屋にするりと滑り込むと、すぐさまドア近くのチェストボックスの上からいつも身に着けているショートソードを手に取る。
いつものように鞘から抜き放ち、そしていつものように切っ先でくるりと円を描く。すると一瞬にして少女の体にいつも身に着けている籠手や胸当てが装着された。
「………………」
ごそごそと肩から下げたポシェットをまさぐる。異界をまたいで自分のスペースに存在する、抱き枕に使うための、三日月のような曲線を描いた大きなクッションをずるりと引き出した。
「これを、こーして…………」
小柄な少女が一人で使うにはいささか大きすぎるベッド――家具も巨人族の手作りなので、ほんの少しばかり大きめに造られているのだ――にそのクッションを入れる。まるで横向きになって寝ているような盛り上がりがシーツの下に形作られた。
「……………………よーし」
その出来栄えににんまり笑いながら、意味もなく額を拭うしぐさをする。
少女は改めてショートソードを抜き放ち、切っ先で空中にくるりと小さな円を描いた。
「"ディメンジョン・ゲート"ぉ…………」
ぽつりと小さくつぶやくと、異界をまたいで屋敷の外――酒蔵の外へとつながる次元の穴が少女の前に広がった。
夜空には煌々と輝く、欠けはじめた月が浮かんでいる。その光は日本ではとうていお目にかかれないようなもので、まぶしいと言い表すこともできるほどだった。
その月光がテラス酒蔵の屋根に、少女はぬぅ、と姿を現す。
「えーっと……月があそこであれがそれでこれがあれで……」
呟きながら星を指さし、少女は方角を探る。
「……でぇ、北極星が、あれ、と」
目当てのものを見つけると、にんまり笑う。そして月を背にし、少女はしっかりと目的の方角を見据えた。
「じゃ…………いきますかぁ」
「どこへ行こうというんだ」
「――うひゃぁ!?」
突然声をかけられ、少女は飛び上がるほどに驚愕する。
「ど、どこから――――!」
そして、誰が、と。慌てて周囲を見渡す――しかし、どこにも人影は見えなかった。
「上だ。ばかもの」
「はっ!」
言われて、ようやく上空を見上げる。
「なにそれカッコい――じゃなくて! アスタリッテさん!?」
巨大な月を背に、蝙蝠の羽にも似た二対の翼で音もなく、亜人の女は空中に浮かんでいた。
「妙な胸騒ぎがしたかと思えば……貴様、こんな夜更けにどこへ行くつもりだ」
腕を組んで威風堂々と、まるで悪の組織の四天王の三番目あたりにいる紅一点的存在が、正義の味方に問いかけるような厳かな口調で、亜人の女は問うた。
「――誰が悪の女幹部だ!」
「せっかくかっこよかったのにいちいち変なところに接続しちゃ駄目ですよぅ!」
魔神使い特有の持病というか、時折おかしな次元に接続して叫んでしまうそれに対して少女はツッコミを入れる。
「ってゆーか……アスタリッテさんって空飛べたんですね?」
「誤魔化すな」
亜人の女は二対の翼をはばたかせ、少女の近くへと降り立つ。すると、すぐさま背中から翼が剥がれ落ち――吸血コウモリのような、鋭い牙を持つ四枚羽の魔神が虚空へと掻き消えた。
「あはは……誤魔化してなんかないですよぅ?」
それこそ誤魔化すように、少女は目一杯可愛いフリをしながら、首をこてんと傾けた。
「夜に武器と鎧を身に着けて、星で方角を確認し、あまつさえ『いきますかぁ』なんて言っておいて、いったい何をするつもりだったんだと聞いているんだ」
「さん」
「散歩なわけなかろう」
「……えと、声真似上手ですね?」
「だから、誤魔化すな」
亜人の女は憤慨するように鼻を鳴らし、
「それとも貴様、力づくで体に聞かれたいというタチか?」
真正面から堂々と、少女を脅す。
「言っておくが魔神ログは呼ばんぞ? それよりももっと拷問向きの魔神二三体と契約しているからな」
とたん、少女は黙って両手を挙げた。
少女の能力で一気に移動しなかったのは、単純に少女に自由な時間を与えないためだ。
"異界渡り"の少女ならば、どこまでも距離を縮めることができる。その性質から、誰も彼女を完全に拘束することはできないだろう。だが少なくとも、彼女が慕う男のところへ向かっても二三言葉を交わす程度の時間しかないような状況にできれば、目的は達したも同然だ。
ゆえに今回の依頼、実質の疎開は成功だろう。
――少女の思惑を別として。
「あの絵はですね、ある神様のお話に出てくるものなんです」
少女は酒蔵の屋根の淵に腰掛けて、足をぶらぶらさせながらそう口にした。
「……私の知識に、あんな絵が出てくる宗教などないぞ?」
奇跡を描いたものであるなら話は別かもしれないが、しかしあの絵は単に麦の収穫をしているだけの絵だ。背景に何かが書き込まれているわけでもなく、ただ、それだけの絵だった。
「だって、もう名前とか消えちゃった神様ですもん。地母神ゲーと同一視されちゃって」
「――――!」
話だけは、男やドワーフの娘に聞いていた。
――ドワーフの国付近に見つかった、地下神殿に祀られていた神像。
エルフの青年が苦い顔をしながら話していた。
――麦穂と大鎌を持つ、生と死を司る邪神。
「アトリビュート、ってゆうらしいんですけど。こーゆう服を着ているから、とか。こーゆう物を持ってるから、とか。そうゆうふうに、文字が読めなかったり、頭が悪くたって宗教の話ができるようにするための絵で、その人を表すアイテムのことで……」
少女は虚空に、三角形を描いた。
「この辺が麦穂で、こっちの辺が前屈みになった人、でぇ、底辺が麦を刈る大鎌……ようするにあの絵、聖印の元になったものなんです」
「…………貴様は、なぜ、そんなことを知っている」
三人娘のうち、本来ならば頭脳労働を担当するのはこの少女ではない。三つ編みの少女ならば知っていてもおかしくないとは思えるが、しかし、三つ編みの少女が気付かなかったことを口にする彼女に、亜人の女は強い違和感を覚えた。
「私が、転生者だから」
「…………」
「という設定はいかがでしょう?」
「貴様よほど拷問されたいらしいな……?」
亜人の女は、とぼけてみせた少女の頭に腕を伸ばす。
手のひらの中に契約した魔神の力を借りて小さな次元の門を開く。その穴の向こう側で、ダンゴムシに似た魔神の複眼がぬらぬらと輝いていた。
「こいつの消化液はな、肉や骨をゆっくりと溶かしていくものだ。普通の戦いには使えないくらいゆっくりな……液状になった自分の肉を、こいつにじゅるじゅると啜られるさまを存分に見せつけられたくなければ……いいか? 真面目にやれ」
「ものすごく危険な魔神じゃないですかやだぁー!」
屋根の淵から転げ落ちそうになりながらも距離をとり、少女は悲鳴じみた声を上げた。
「いやー、実は私ですね、別になんにも特別なんじゃないんですよ」
たはは、と笑う。
「事の起こりは高校に入る前ですね、なんかはっちゃけるようになったねぇーって言われちゃう前ぐらい。こー、夢の中にですね? 女神様ってゆうんですか? 巨人族みたいにおっきくて神々しい女の人が、出てきまして……」
ようするに、神託であった。
「こう、言われたんです……汝、本を捨て剣を取れ。あ、でも鎌はだめですよ? あれ使いづらいんです。もともと農作業用ですから刃がへんなふうについちゃっててー……ってな感じで。すごくフレンドリーに」
「なんだそれは」
「ほんとにこんなふうに言われたんですって!」
呆れる亜人の女をよそに、少女は言葉を紡いでいく。
「私が勇者を選んだのは、単に勇者の強い直観力が欲しかっただけです。そりゃぁ多少はファンタジーに憧れてましたし? やったぁー、って感じじゃなかったってゆったらウソになっちゃいますけど」
「……それは、何のためだ?」
「神像を、壊すためです。頼まれちゃったので、フレンドリーに」
その女神に、もはや人に奇跡を与えるほどの力は残っていなかった。豊穣神としての権能がなくなり、名も消えた。そのまま歴史の中に埋もれ、神としての死を待つばかりのさなか――
「ある人たちが、死神として崇め始めちゃったんだそうで」
豊穣神として崇められ、その側面としての死神になるだけであればよかったのだが、しかし死神という側面だけを崇められ始めたことだけは許容することはできなかった。
「と、ゆーわけで……今からちょっと、神像壊すの手伝ってもらえません?」
○
干しレンガで造られた外壁には炎をまとった鎖分銅を片手に持つ苛烈な表情をした半裸の男と、太陽を意匠化した円環状の紋章が彫られている。
月光に照らされたその巨大な神殿の前で、少女は両手を大きく広げた。
「と、ゆーわけでっ!」
「何が、とゆーわけでっ、だ」
「やってきました巨人さんの神殿!」
「私の話を聞け」
「ちなみに大きなおともだち向けにポーズも取ってみました」
「……ハッ」
「ちょ、人の胸見て鼻で笑うとかやめてもらえません!?」
「ああ、すまんな? いやしかし関係ないのだが最近妙に肩が凝るな……いや、まったく関係ないんだが」
「ぐぎぎ………っ!」
ドヤ顔で肩を自身の肩を揉む亜人の女に、少女は歯ぎしりする。
「ふっ……まぁ、そんなことよりだ」
勝ち誇った顔をして、
「本当にこんなところにあるのか?」
すぐさまいぶかしげに眉を寄せて、問うた。
「ですよ?」
「ここは太陽神アーロンの神殿だろうが」
「ですね?」
少女は不思議そうにこてん、こてんと左右に首をかしげる。
「太陽神アーロンといえばですよ? かのゼウスよりも節操のない下半身で有名じゃないですか」
太陽神アーロンは、元々は日照りの化身である。強大なそれを崇め、時に慰めることで日照りを防ごうとする儀式がいつしか巨大な信仰へと変わったのだ。
その儀式の時には生贄を捧げることになっていたのだが、時を経るごとにそうした行為は野蛮とされ、紆余曲折あってなぜか婚姻の儀式となり……結果として、太陽神アーロンは人間、エルフ、ドワーフ、亜人……種族問わず、男女問わず複数人の嫁を持つに至った。
「やめんか貴様! もし太陽神の信者に聞かれでもしたら……!」
なお、ちょっとでもバカにすると過激派が鎖分銅を振り回しながら襲ってくる。
だいたいの宗教において同性婚を禁じる中、メジャーな神でほぼ唯一、太陽神にはその戒めがないのである。宗教でがっちりと絆を深めたマイノリティたちほど恐ろしいものはないのだ。
「まぁーたしかに失言でした。まぁそれはそれでおいといて……」
少女は小荷物を脇にどけるしぐさをして、
「神像はあります。絶対に」
少女は自信満々で答えた。
「その根拠はなんだ、根拠は」
「……太陽神の神官って、おおむかし、生贄のためにほかの町や村を襲ったりしちゃったんですよ」
別に宗教家が他宗派の土地を襲撃する、なんてことは珍しいことではない。宗教によっては、彼らが定義する人間とは自身の宗教の信者だけを指すなんてこともままある。堕落した魂を解放する、という言葉で異教徒――人殺しを許容したとある宗教なんて、なんと有名なことか。
「小さな村じゃ、生き残るのにも必死ですからねぇー。たとえば、自分が助かりたい村長さんとかが、いたいけな少女を『彼女は我らが神の化身だ!』とか言っちゃったりしちゃったりして? 自分よりも格上だからこの子を生贄にしろって言っちゃったりして? で、結果として神様同士で結婚しちゃうことになっちゃったり?」
珍しく、ツンツン頭の少女は忌々しげな表情を浮かべた。
「ま……そうやって望まず太陽神のお嫁さんになっちゃった神様は二、三柱ぐらいいるんです」
「ふむ」
「特に私にお願いしてきた女神様って死神の側面があるでしょ? 真歩ちゃん言ってたけど、確かほとんどの宗教で主神の次に偉いんですよね? だったらなおのことですよ」
「なるほど」
「……まぁ実際は本人から聞いたから知ってるだけですけどぉ」
「だったら無駄に文字数埋めずに最初からそう説明しろっ!」
「こっちにも理由がありますが、私たちこれから神殿に不法侵入して器物破損をしてくるとゆー犯罪を犯すわけで」
「言うな」
「決して見つかっちゃいけないわけです」
「……まぁ、確かにそうだ」
「とゆーわけで……」
少女は神殿の正面から少し逸れたほうへと歩いていく。目標物が極端に大きいせいか、いくら歩いてもまったく近づけないような錯覚さえ覚えるが……しかし、本当にほんの少しばかり歩いたところで、少女は立ち止まる。
「こっちから入ります」
それは外壁に意図的に設けられた、人ひとりが余裕で入っていけるようなサイズの隙間だった。
「…………これは?」
「みもふたもない言い方しちゃうと、ダンジョンの入り口ですっ!」
少女は興奮したように、鼻息を荒くした。
「そもそもこの隙間は私たちでいうネズミ取りみたいな意味で造られたものですがまぁ実際はネズミを相手にするんじゃなくて犬とか猫とかですね巨人族から見たらネズミみたいなものなんで翻訳するとネズミ穴ってなっちゃってる本がいくらか」
「御託はいいから二十文字以内で答えろ」
「罠があるシンプルな構造のダンジョンです」
亜人の女は頭を押さえて、ため息をついた。
「入り口って言いましたけど、ここって実際は出口なんですよね。これ、取っ手で」
亜人の女は改めてその隙間を観察してみる。気付いてみれば、確かにその形状は引き出しにつけられる取っ手のような形状をしていた。
「穴の中をたくさんの水で一気に押し流して、なんとかしちゃった死骸とかをここにまとめちゃうんです。で、開けて、取り出すんです。なんでこの神殿、他の家と違ってぜーたくにも焼きレンガを使ってるんですよ!」
干しレンガの弱点は何と言っても水である。とはいえしっかりと作られたそれは見かけ以上に耐水性に優れるため、集中豪雨などに晒されない限りは心配ないが。しかし水に晒される機会は少ないに越したことはない。
そうした難点であった耐水性をさらに強くするため、先人たちは石灰質を混ぜた漆喰を作り出したり、レンガそのものを焼いて作った焼成レンガを作り出したのである。
その中で焼成レンガは非常に多くの燃料を消費する建材だ。特に巨人族の作るレンガは非常に大きいため、中まで火を通すのにさらに高火力が必要になってくる。
このあたりを火の魔法でどうにか解決してしまう以前は、巨人族にとっての焼成レンガの建物とは富と権力の象徴であった。
「……真歩ちゃんに見せたらすっごく喜びそうなんで、明日、また来ましょうね?」
そうした歴史を感じさせる神殿を見上げながら少女は親友たちの顔を思い出し、「えへへ……」とはにかんだ。
「まぁ、それはそれでいいとするが」
そんな少女に一切の感傷を抱くことなく、亜人の女は腕を組みながら口を開いた。
「罠がある、と分かっているのに危険ではないのか?」
「そりゃぁ危険ですよ? でも動物を何とかしちゃう程度のものなんで、エロい感じの罠はありません。そー聞いてます」
「そうか」
なお、エげつない、ロくでもない、いやらしいの意である。
「まぁーエロいのあったら真っ先にアスタリッテさんを盾にしますけどねっ!」
ちなみに、文字通りのエロである。
「貴様よほど拷問されたいらしいな?」
「あはは……さ、御託並べてないでさくっと攻略しちゃいましょ?」
少女はLEDランタンの電源を入れた。
次話で最終話になります。