#03 巨人族の国、ですっ!
2015/03/06
投稿し忘れた分です。
大変申し訳ございませんでした。
二人はテーブルに差し向かいで座っている。
二人の間にはブランデーに似た琥珀色の酒が注がれたグラスと、透き通った黄金色をしたアップルジュースが注がれたグラスが一つずつ。そして、いつの時代のものとも知れない、かなり古いポラロイドカメラが一機あった。
「――あ、まっすぐ宿屋入ってってますね。シャッターお願いします」
「うむ」
ぽーっと虚空を見つめていたツンツン頭がそういうと、亜人の女はレンズカバーが外されていないポラロイドカメラのシャッターを切った。かしゃり、という音はそれがしっかりとメンテナンスされ、機能している証拠だろう。
「よし、あとはピンボケしていなければ仕事は終わりだな……」
それは稀代の"魔神使い"と新人の"異界渡り"がタッグを組んだ、もはや誰も逃れることができないであろう、究極の形とも言うべき浮気調査であった。
「調査通り、この時間帯に逢引だ。いやはや、こいつは自分の子供に申し訳ないと思わないのか」
ジィーという機械音と共に、まだ真っ黒な写真が出てくる。しばらくそのままにしていれば、ツンツン頭の能力によって異界をまたいだ向こう側の、調査対象が宿屋に入ろうとしている瞬間が浮かび上がってくるだろう。
亜人の女はそれを、汚らしいものでもつまむようにしてひらひらと振ってみせる。
「そんなことしてもはやく現像終わるわけじゃないですよ?」
「なん……だと……!」
「ってゆーか、それはそれとしてですけど、年端もいかないいたいけな少女にこんな夫婦間の闇を見せつけたことに対する謝罪はないんですかね?」
「んん? ああ、メンゴメンゴ」
「ばかにしてぇー!」
いつになくあっさりと一仕事終えたからか、亜人の女は背もたれに体を預け、リラックスした様子でグラスを傾ける。まるで気持ちのこもっていない謝罪に、ツンツン頭の少女はムキになったようにほおを膨らませた。
「まぁそう言うな。別に結婚に幻想を抱いているような初心でもないだろう?」
「いえ、私それなりに幻想抱いてるタチでして。てゆーか、まだ処女ですし」
「なん……だと……!?」
「え、これ驚くところですかね?」
亜人の女にとっては驚くことらしい。
「ち、ちなみにだ……その、どんな幻想を、抱いていたんだ…………?」
「え? そりゃぁー、白いおうちに大きな犬を飼ってですよ? こー、あれですよ。帰ってきた旦那様に、駆け寄ってですね」
わざとらしくしなを作って、
「あなたぁー、今夜は女体盛りよぉー」
どこまで本気かはわからないが、トンでもないその答えに亜人の女は絶句した。
「……そんな幻想捨ててしまえ」
「ですよねー」
冗談めかして、少女はアップルジュースに口をつけた。
「――うあっ、酸っぱぁー!」
それは思った味と大きく違ったせいか、噴き出すことこそしなかったが、少女は思わず大声を上げてしまった。
「ヘンなことを言ったバチが当たったんだろうさ。ネタ帳にもそう書いてある」
「アスタリッテさんちょくちょく意味わかんないところに接続するのやめたほうよくありません? まぁそれはそれとし……あっ、おねーさん。アイスクリーム追加で」
「おい待て貴様! ちゃんと金は持っているのか!?」
「持ってますよー? 財布にちゃんと五千円ほど」
「日本円じゃないか!」
「いいじゃないですか、アイスクリームぐらい。一口あげますよ?」
「甘いもの食べながら酒が飲めるか!」
「そですかー」
「……で、それはそれとして、なんだ?」
不満げにふんぞり返って、亜人の女は問う。
「いえ、ネタ帳にですね? 午前中に酒場でイベントがあるから行かなきゃいけないってありましてですね」
「貴様たまに変なところに接続するのはやめたほうがいいぞ?」
「何言ってるんですか、私の黒歴史帳に決まってるじゃないですか。電波さんもいい加減にしないと婚期逃しちゃいますよ?」
「婚期のことは言うなっ! あと貴様のそれは未来日記か何かか!?」
「あはは、そんなことどーでもいいじゃないですかぁー」
誤魔化すようにけらけら笑い、
「まぁー、そおゆう話なんで、アスタリッテさんにもついてきてほしいなぁー、と思ったり思わなかったり」
○
「邪魔するぞ」
少女が言った通り、亜人の女は午前中に酒場へと顔を出す。
「邪魔するなら帰ってくれないか」
「定型文にマジレスとか」
「お前はたまに言葉が通じなくなるな……」
四分の一巨人の店主が、頭が残念な者を見るような目で亜人の女を見た。
「……店はまだ開いてないぞ。もう少し待て」
「いや、別に酒を飲みに来たわけじゃない。ツンツン頭の小娘が呼んだから来てやったんだが……」
「結花ならまだ来てないぞ」
「なんだと?」
眉をひそめて、亜人の女は不機嫌そうに舌打ちをする。
「人を呼び出しておいてあの小娘はっ!」
「……結花は"異界渡り"だからな、入国ゲートあたりで詰まってるんだろう」
彼女のような"異界渡り"は、滞在契約が非常にややこしいせいだ。空いている時間に入出国ゲートへ行っても、一時間近く待たされてしまうことすらある。
「結花に用があるのか?」
「と、言うかだ。今回私はあれのお守りだ」
「なるほど……ならちょうどいいか」
「?」
「――はぁ? 買い付け依頼だと?」
「そうだ」
亜人の女が声を上げる。
四分の一巨人が口にした言葉に対して、亜人の女は間抜けな返事を返した。
「なるほど、イベントか……」
「お前との会話は本当にときどき意味不明になるな……」
「小娘よりはマシだ」
「結花のほうがまともだ」
はたから見たらどっちもどっちである。
「まぁいい。ともかく、昨日オルガが奢ると言ったせいで、店に酒も何もないからな……」
「それと私とあの小娘と、いったいどんな因果関係が……ああ、いや、そうか。疎開させる気か」
「言うなよ」
「そういえば昨日、それなりに高いボトルを一本、開けたんだったか……」
「…………俺のおごりにしておいてやる」
「ふむ、契約成立だな」
四分の一巨人は忌々しげに眉をひそめた。
「安心しろ、魔神使いは契約に忠実だ。それはそれとして買い付け依頼の報酬はもらうが」
がめつい女である。
「なにぶん金がかかるんでな。ちょうど、気に入りのブランドから新作の下着が出たことだし。日本から魔神契約の対価に使う最高級ラブドールも輸入しなければならないしな」
なお人間を生贄にする代わりに使用するものだ。
中国の饅頭の故事に近いソレである。
だからって最高級ラブドールはどうかと思うが。
「で、私はどこに小娘どもを連れていけばいいんだ?」
「フェアデヘルデだ。そこに、俺の叔母がいる」
「巨人族の国か……そこそこ遠いが、確かに疎開先にはぴったりだな」
亜人の女が言う通り、ここ帝国から馬車で三日ほどいったところにある。
巨人族はその巨躯を維持するために大量の食糧が必要だ。そのため規模だけでいうならばどの国よりも優れた農耕国家であり、そして同時に、国土のほとんどを穀倉地帯で占める土地を守る軍事国家でもある。
「紹介状はもう書いてある。叔母はいい女だから、薄汚いゴブリンどもから彼女たちをきっと守ってくれるだろう」
「守ると言うか、敵をすり潰す、だろ」
彼らは"守る"という一点においてはドワーフと似ている。
しかしその巨躯を生かした戦闘方法は実に攻撃的で、遺恨を残さぬためとばかりに敵は皆殺しにしようとしてしまう勢いだ。
しかも彼らは自身の巨躯に見合う良質で巨大な鉄器を作れなかったせいか、木製の棍棒――たいていは引き抜いただけの大木――であるためか、まさにすり潰すという表現がぴったりである。
「報酬は、適当な額にしておいてやる。結花たちが来るまで、その辺に座って休んでいろ……掃除の邪魔にさえならなければ」
「だったら適当にほかの店で時間をつぶすさ。なに、イベント発生までには戻ってくる」
「…………お前と話していると本当によく言葉が通じなくなるな」
それが魔神使いという生き物である。
――しばらくして、
「お邪魔します」
と、無表情メイドが酒場の扉を開いた。
「…………邪魔するなら帰ってくれないか?」
ほんの少しデジャヴを感じながら、四分の一巨人はそう答える。
「定型文にマジレス。ははっ、ナイスジョーク」
「………………なぁ、言葉が通じなくなるのは最近の流行りなのか?」
かなりのデジャヴを感じながら、四分の一巨人が呆れたようにそう返した。
「いえ、流行り廃りで言うならば間違いなく流行っていませんね。しかしながらこれは私の芸風ですので」
「そうか……お前は……芸人だったのか…………」
「いいえ侍女です。兼業で"奇跡使い"でもありますが」
「………………そうか」
もういろいろと疲れたように肩を落とした。
「……店はまだ開いてない。開いたとしても、お前が主人のために買って行くようないい酒の仕入れはかなり先になる予定だ。昼頃から、叔母のところに買い付けに行かせる予定で……ああ、いや、結花たちの件か。アスタリッテならほら、そこの席に――」
「いえ、今日はわたくし個人の私事でございます。ええ、月と狩猟の女神の飼っているというポジションの我が神である"人語を解す狼"から今朝方になって神託を下されましたのでございますよ。ええバウバウバウとか意味わかんないですね獣人語でおkでございますというかそもそも神獣信仰とかドマイナーすぎて話通じてませんね申し訳ございませんがどうでしょう説法などひとつ」
「………………まぁ、個人の信仰は自由だしいいんじゃないか? 俺は商売神信仰だから必要ないが」
「ああ、メジャーゴッド様の信仰でしたかこれは失礼――――――チッ!」
「!?」
亜人の女とは別ベクトルで話が通じない女の舌打ちに、どう対応していいかもわからず四分の一巨人は思わずたじろいだ。
実にレアな反応であった。
「しかしながら、バーナード様。わたくし神託によっていい感じに布教ができるという情報を得たのでこちらに来たので、なにかひとつお仕事をご紹介願えませんでしょうか?」
「……………………そうか」
神殿に行ってお祓いでもしてもらおうか……という考えがよぎる。
「お祓いが必要そうな顔をしているようですが」
「大丈夫だ、間に合ってる」
「そうですか」
こいつら追い返したら絶対に神殿に行こう――四分の一巨人はそう固く誓った。
「とりあえず今はゴブリンの大群が出たせいで行商人の護衛も何もない。まぁ、自粛しているんだろうな。それで一部の騎士どもが討伐しに行っているんだが……ほとんどの男が志願してな、義勇兵として三日……いや、二日後にこの町を出立する。今のところ、仕事はないな」
「なるほど神託は本当でしたか」
「…………お前もしかして、自分の神から下された神託を信じていなかったのか?」
「ははは」
答えずに無表情のままで笑い、
「しかしながらご亭主、あるにはあるのでしょう? たとえばそう――疎開のために適当な依頼をでっちあげたような依頼とか」
「………………」
地獄耳かこいつは……四分の一巨人は彼女のたれ耳を見つめながら、そんなことを思った。
○
馬車の最高速度は時速にしておよそ二十キロメートル、航続距離は馬の健康を考えると、比較的ゆっくり走ってせいぜい五十キロ。駅ごとで交換する早馬ともなれば、航続距離はおよそその半分以下まで落ち込む。
当たり前だが馬も生き物なのだから休憩させる必要があり、同時に大量の水分を飲ませてやらないと脱水症状で死ぬし、マッサージしてやらないとパフォーマンスが低下する。そのため休憩は一時間ほどもかかるのだ。
それを考慮して中継地点となる駅はだいたい十五キロ前後の距離で配置されており、一駅飛ばしの快速馬車でも、夜は走らせないとして、一日に三駅ほどに停車する。
――このため、頻繁に馬車が停車する駅周辺は非常に盛り上がりを見せていた。
「こー、アスタリッテさんの魔神に私が"目"をつけて空からでも場所確認してすぐ飛んだほうが早くありません……?」
ぶっちゃけ馬車の速度を計算して、一日のうちの九時から十七時を移動時間にあてるとして計算すると、巨人の国まではせいぜい東京から名古屋までの距離にしかならない。現代日本の新幹線などによる高速移動に慣れたツンツン頭からしてみれば、その程度の距離でもずーっと移動し続けるのは苦痛なのだ。
「バカだな、貴様は。こうやって景色を楽しみ、休憩時間にその駅の名物を食らう。その移動にこそ旅の醍醐味があり、速度など必要ないのだ」
彼女が香りを楽しんでいるその商品名「挽きたて豆の淹れたてコーヒー」はぶっちゃけインスタントで名物でもなんでもない。普段の彼女ならばいろいろと文句を口にしていただろうが、そうしたことも些細に思えるらしく、いつになく落ち着いたふうだ。
「――マルガリッテさぁーん!」
「わたくし布教できるチャンスだと神託を受けてお嬢様から休暇をいただいてやってきたわけでして、むしろこのほうがチャンス多くていいんじゃね? と思う次第でございますので別になんとも」
三つ編み少女の分の串焼きを買ってきたメイドは、二本のうちの片方を「熱いのでお気をつけて」と注意を促しながら手渡した。
「――真歩ちゃぁあああん!」
「ここの串焼き、おいしいよ? 久しぶりの牛だし」
三つ編みの少女は受け取った串焼きにさっそくかぶりついて、ほっこりと笑顔を浮かべる。
「うぅ……瞳子ぉおおお!」
「別に瞳子ドライブとか好きだし――ふぉおお、キタキタ……ァ!」
そして日焼け娘は赤いシロップのかかったかき氷――イチゴではなくこちらの世界のザクロの固有種から作ったもの――を頬張って、存分に頭痛を味わう。
「だめだ味方がいない」
ツンツン頭は喫茶店のテーブルに突っ伏した。
「まぁ、あれだな。貴様はなぜそんなに馬車旅が気に食わないのか理解できないんだが? 冒険といえばつまり、馬車旅だろう?」
わりと気を利かせたつもりらしい。
「ですからぁ、遅いのが気に食わないんですよぉー!」
「だから、それも醍醐味だと言っているだろう。これでも昔の馬車旅よりはずいぶんと楽になったんだぞ? 日本との交易で」
異世界――特に日本――と帝国が国交を始めたのはおよそ十年ほど前である。それを懐かしむように、亜人の女はコーヒーをすすりながら一息つく。
ちなみにこの駅町に酒場はないし、アルコールのたぐいは並んでいない。酔っ払いが馬で暴走しないとも限らないからだ。代わりに宿屋に行けば宿泊客限定で酒を出すところもある。
「ええ、まったく。昔は空気で膨らませたゴムタイヤなどありませんで、普通は木製輪でガタガタガタガ……うるさくて獣人族には非常にキツいものがございました。そのせいでお嬢様が幼少のみぎり、馬車が嫌いで嫌いで」
メイドは焼きたてで肉汁の滴るアツアツの串焼き肉を歯でしごきとると、そのまま噛まずに丸のみにした。
「乗りたくない乗りたくないと駄々をこねながら椅子にしがみついたのをお嬢様のお母上様がキレて椅子ごとぶち込んでいた記憶がございます。ええ思えば幼いわたくしの心に深く刻まれたそれで目覚めてしまったと言いますかそれはさておき昔と比べて実に快適でした。ええあの男の車よりはひどいものですが、昔と比べれば随分と」
何に目覚めたかなどと聞くものはいない。どうせ「ははは」と笑って誤魔化すだけだからだ。
「しっしょーって免許ってゆーか、車持ってたんです?」
なのでツンツン頭は話題を切り替えた。
「ああ。国交が始まってすぐのころ、国に帰っていろいろ手続きを終わらせたその足で学校に入ったとかなんとか言っていたな。最初の報酬も、中古の頭金で消えたとか」
「ほえー……」
「エンジン音がひどくて排ガス臭くて免許取り立てで、あれはきっと私を殺す気だったのでしょう。ぶっちゃけ自動車とか全滅してしまえばいいのにほんと死んでしまえ」
獣人族の中でも狼や犬系の鼻や耳は特にいいので、メイドにとっては十年前に売り出されていた型落ち中古車は苦痛だったのだろう。めったに表情を崩さない彼女が、大いに眉をひそめて言った。
「……そういえばどーでもいいことですけど。しっしょーって典型的な異世界召喚系ファンタジーでボーイミーツガールな主人公だったんですねぇー」
ふと、そういえばしっしょーの昔話あんまり聞いたことないなぁ、と思い出す。少女は、あわよくば話してくれるかなぁ、と亜人の女を見上げた。
「とうとうそれに気付いてしまったか」
「あ、ちょっとバカにしてるでしょ?」
「そんなことはないぞ、かしこいな、きさま」
「ばかにしてぇー!」
「それはそれとしてですが皆様――そろそろ馬車の出発時刻では?」
どうやら話す気はあまりないらしい。牛肉の串焼きを食べきって両手を合わせたメイドが、話題を切り上げるようにして口を開いた。
「ん? ああ、そろそろか……」
「あー! 逃げる気だぁー!」
「まったく、そんなわけがないだろう。また同じ馬車旅なんだぞ?」
ぶう垂れる少女をなだめながら、亜人の女は一息にコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「あ、ちょ、まって! かき氷なんてそんな早く食べられないよっ!」
「じゃぁ一口くれ」
「わたくしも一口」
「あ、私もぉー」
「えと、じゃ、せっかくだし、私も……」
「あげないよっ!?」
○
がたごと、がたごとと馬車が揺れる。
大人数が乗れる幌付きの乗合馬車に揺られて、もう三日目だ。目的地まで限りなく近く、だからこそ長く感じる時期でさすがに疲労の色が隠せない者も多い中、
「――そこで私は言ってやったんです。『神官の知り合いがいるから、紹介しようか?』と。その子はしどろもどろで、『えっ、あ、いや……』と返しました。『危険だから早く見てもらったほうがいいよ――左手に邪神が封印されているんでしょ?』と。その子は答えました、『えと、ごめんなさい、嘘です……』なんと、その子はただの邪気眼だったのです!」
ツンツン頭の少女は非常に元気よく、自分のプライベート領域から取り出したクラシックギターで弾き語る。
というかお前ギター弾けたのかよとか、ついこないだまでぶう垂れてたくせになんだよその元気は、とか言ってはいけない。
「はぁーっはっはっはぁ!」
とりあえずほかの人が笑って聞き惚れている。彼女にとっては、それだけでいいのだ。
こういうのなんか冒険者っぽいし、という理由さえあれば。
「…………結花ってさ、ほら、外面はいいから。お調子者だしね」
日焼け娘が呆れたように言う。
「ああいうのがいるから女怖いとかいう男が出るわけだな。女の二面性といやつが」
「あはは……」
親友である三つ編み少女は何も言えず、乾いた笑いを浮かべた。
「それはそれとしてお三方」
さりげなくツンツン頭を除外しメイドは呼びかける。
「見えてきましたよ。とはいえまだまだかなり遠いのですが――」
指さした御者越しのその先には、巨大な、レンガ造りの城壁があった。
まず、巨人族はその体躯からして、住処の建材は主に日干しレンガを使用している。
十メートルを超す彼らの体躯では、若木では成長が足りず老木では数が足りず、結果として木材は建材として不適格なのだ。
「森にはエルフが住んでて、いい鉄はドワーフが確保してるから、結果として、土と石の文化って、ゆうのかな? 巨人族の文化って、見どころが多くて、面白いんだ」
夕暮れの赤に染まる、都会の高層ビル群もかくやという超巨大な平屋造りの建物が立ち並んだ巨人族の街を、大きなノボリがついた馬車に乗りながら三つ編み少女はそんなことを言う。
「私が、百五十……うん、いちお、百五十あるはず……センチだから、だいたい、八倍くらいおっきいのかな? 私たちの感覚でいうと、二十センチぐらいのお人形さんが足元うろちょろしてる感じだから、こおゆう旗をさして歩くことが義務付けられてるんだとか」
見えなくて踏んづけた、蹴り飛ばしたではシャレにならないのである。巨人族は足だけでもちょっとした乗用車、ともすればファミリーワゴンぐらいはあるといえばどれだけ危険かわかってもらえるだろうか?
そのため一定以下の身長しかない種族は、巨大なノボリを背負わされたり、物陰から急に現れたりして蹴り飛ばしてしまわないよう道路のど真ん中を歩くことが義務付けられていたりと、他の種族にわりと配慮された――というより、守ってくれないと殺してしまうかもしれないので――法律が随所にある。なので異種族にとってはなかなか過ごしずらい場所かもしれない。
「あー……なるほどぉー……」
しゃべりすぎてハスキーな声になったツンツン頭が応じる。
「だからずいぶんとぉ、待たされたわけですねぇー……」
「そだね、酔っ払いとか特に危険だし」
巨人族の国では異種族用のタクシーみたいな馬車がある。乗らないとダメかと言われれば別に乗らなくても構わないのだが、その場合は巨大で重いノボリを個々人で背負わなければならない。当然だが数に限りがあるので下手すると城門付近の異種族向けの宿で何泊かしなければならない。
「一番いいのは、巨人族の知り合いに運んでもらうこと、かな?」
彼女たちはこちらから押しかけるような形になるので、さすがにそれはできなかったのである。
「お譲ちゃん、物知りだねぇ」
長いことこの仕事をしているのだろう、顔にうっすらとしわが刻まれ始めたころの、柔和そうな御者が語りかけてきた。帝国語なのは、やはり帝国からの客もそれなりにいるから、なのだろう。
「あはは……旅行雑誌とか、見てるだけでも楽しくなっちゃうタイプで……」
「せっかくここに来たんだから、酒と、牛肉料理は決して忘れちゃあいけないよ? 丸々一頭、姿焼きにしちゃうんだ」
「へ、へぇー……」
三つ編み少女は顔を引きつらせながら、それでもにっこりと笑い返す。
「これをね、もう王様のベッドみたいに大きな皿に山と盛るのは圧巻でねぇー……ま、僕たちには売ってくれないけどね、ほとんど残しちゃうから!」
巨大な体の彼らには牛だってちょっと大きめのネズミぐらいの感覚だ。そりゃぁバラにしてチマチマ食べるより、姿焼きにして山盛りにしてしまうほうが嬉しいし見た目もいいのだろう。
「あれ、もしかして鉄と炎の神様を信仰してる人だった?」
「あはは……知り合いが」
「あー、そりゃ駄目だ。ごめんね、気分悪くさせちゃって」
「いえー……」
牛の丸焼きのほうで顔が引きつっただけである。
「まぁ、何もかも大きいからね。住むには面倒くさいし、木も鉄もほとんどないから未開の土人だとか蔑む人もいるけれど、みんな賢いしいい人ばっかりだから、あんまり怖がってあげないでね」
「あはは……」
まぁ純粋に自分と同じ姿をしたものが八倍以上も大きくなって上から見下ろして来たら、普通は生理的な嫌悪感や恐怖心を感じて当然である。それでも怖がってあげないで、と言うのは、きっとその御者が本当にこの町を、巨人族が好きだからなのだろう。
「まぁ、大丈夫じゃないでしょうか」
四分の一巨人とはいえ、ほぼ毎日巨人族と顔を会わせている三つ編みの少女は、安請け合いするようにそう返した。
「うはっ」
日焼け娘が思わず声を上げた。
「お酒くさぁーい!」
その高さが四十メートルを超すレンガ造りの建物の前だ。どうも看板が掲げられているようなのだが、なまじっか建物に近づいてしまっているため、あまりにも巨大すぎるそれは文字として認識しづらかった。
「まぁ、酒蔵ですからねぇ」
その建物からは異常なくらいのアルコール臭が放たれている。
「特に巨人族ですとサトウキビなどから取れた糖と水を混ぜて発酵させて作る、貴方がたの世界でいうところのラム酒、麦芽を発酵させて作るエールまたはビールなどが主流となっております。ここではラム酒のようですね。巨人族は鉄器などが発展していないため密閉に難のある土器などで作成するためか蒸留時のアルコール臭が非常にキツいことでも有名ですので鼻の良い獣人族は臭いで酔うこともあるという噂でしたがどうやら本当だったようでなんだか気分がよくなってまいりましたひゃっほう」
御者が、顔がうっすらと赤く染まって妙なテンションになったメイドに苦笑いを浮かべる。
「それじゃ、城門からアマンダの酒蔵までで……そうだね、ちょっと負けちゃって十エーグになるよ」
「ああ、ご苦労」
亜人の女は銀貨を十枚、数えて渡す。
そうやって会計を済ませている間に、ツンツン頭が「いっちばーん」なんて言いながら馬車から飛び降りた。
「ひいふうみ……はい、確かに。帰りはどうする? 今言ってくれると、その時間あたりに僕が迎えにくるけど……」
「いや、いい。大丈夫だ」
「そうかい? それじゃまたごひいきに」
人の好さそうな御者は、「はいよぉっ」と手綱で馬を叩いて馬車を走らせた。
「…………で、どーやって呼び出すんですかね?」
サイズが大きく違うせいで普通に呼びかけるだけではおそらく聞こえないだろうからだ。
ツンツン頭は、たぶん相手に合わせたらそうなってしまうのだろう、畳のようなサイズの封書をくるくる巻いて糸で止めたそれをポシェットからするすると取り出す。
四分の一巨人から預かった紹介状だ。
「それはもちろん大声で呼びかけるのが普通の手段だとわたくし愚行いたしますれば、しかしながらわたくし狼種でございますれば必殺の"遠吠え"ですべてを薙ぎ払ってしまえますがいかがいたしましょう?」
「薙ぎ払うなバカ」
「"遠吠え"ってそんなにつよいの?」
「ううん、別に……」
獣人族のそれは単なるすんごい大声である。まぁ近くでやられたら鼓膜が破れて死ぬかもしれないぐらいの音量なので、ガラスぐらいなら無差別で割れるだろう。
「酔ってるだけっしょ」
「ああ、酔ってるだけだ」
「そんな、ひどい……」
わざとらしく演技がかったふうに、よよよと泣き崩れた。
「……無視するとして、だ」
「そんな、ひどい……」
「その辺に鐘はないか? もしくはレバー、大きな音を出して気付いてもらうためのものなんだが」
「そんな、ひどい……」
「いわゆるドアチャイムってやつですねぇー?」
「そんな、ひどい……」
「ちょっとマルガリッテさんうるさい」
「そんな、ひどい……」
「…………わかった、もうお前が呼びかけろ」
「お任せくださいアスタリッテ様」
「面倒くさい酔っ払いだな本当に」
亜人の女は顔をしかめた。
「それでは早速失礼いたします」
そんな顔をされても涼しい顔で、
「"――我らが獣の王よ、我にその獣の力を貸し与えたまえ"」
自身に"祝福"を付与した。
「ちょ、貴様この家ごと吹き飛ばす気か!?」
「いえそのようなつもりはまったく、そもそも我が神はマイナーゴッド、ゆえにさほど能力上昇は起こりません」
言っておいて、
「しかしながら、この程度で吹き飛んだら笑いものだとは思いませんか?」
不安になる言葉を付け足した。
「笑いごとじゃないだろう!」
「ははは」
まるで自重する気が内容にひと笑い、
「すぅ――」
その薄い胸に目一杯空気を溜めて、
「やめんかっ!」
亜人の女が首筋に手刀を一発。
「――おぅふ」
溜めた空気を抜けた声で吐き出しながら、メイドの意識は一瞬で刈り取られた。