#02 フラグは立てて……別な冒険ですっ!
そのクロースアーマーの赤は炎の象徴。黒鉄のプレートメイルは鉄の象徴。サーコートに錦糸で刺繍されている、斧を意匠化した紋章は鉄と炎の神を崇める教会のもの。身の丈よりもなお長大、人の顔よりも大きな斧頭と華美な装飾を持つ槍斧は武威の象徴。
――聖女オルガの戦装束は、味方を鼓舞し敵を畏怖するためにある。
「みなのもの、きけぇえええい!」
ドワーフの女はそうした重装備をものともしない身軽な動きでもって、樫のテーブルにひょいと一足で飛び乗る。それを演説台のようにして、彼女は大きく腕を振り上げた。
「先の話に聞き耳を立てておった者は知っておろう……今、帝国側よりコーに、ひいては我ら冒険者に依頼が発生した! ゴブリンの討伐じゃ!」
以前は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた恰好ではあるが、しかし今度こそは仕事であるからと恥ずかしがるようなそぶりは一切見せない。むしろ堂々と、高い位置から矮躯を大きく動かして演説を始めた。
「これは決して強制ではない。そして、褒章が出るような仕事でもない……しかし! 事の重大性はみなが知っての通りじゃ。ゴブリンは、決して、一匹たりとも逃してはならぬ! あるのは己が隣人の安全! ただそれだけを祈る、己が高潔なる誇りのために!」
彼女が酒場でその戦装束を見せるのは実に稀なことであるせいか、馴染みの者は「久しぶりだなぁー」と口にして、彼女が聖女と呼ばれる者だと知らなかった若者は「え、マジで……?」と口にした。
「よいかみなのもの! ワシらは神の子、人の子として、愛する者、親しき隣人、守るべき者たちを守り生かすため、ワシらはこの外敵をことごとく打ち払わねばならん! 我こそはと思うものたちよ、立ち上がれぃ――――!」
冒険者ならば誰しもゴブリンの脅威を知っている。ともすればゴブリン族に村を襲われ、親兄弟を無残に殺され、愛する妻や娘を犯され、家をことごとく焼かれたものもいるだろう。ゆえにこれは、ゴブリン族の群れを完膚なきまで、そして確実に叩き潰すための義勇兵を募るためのものだ。
だからこそ、一も二もなく立ち上がるものがいる。
恐怖に身をすくませながらも、雄叫びとともに立ち上がるものがいる。
武器を打ち鳴らし、己を鼓舞し味方を讃えるものがいる。
戦えないまでも、彼らのために薬や食料を用意しようとするものがいる。
「我らに神々の加護ぞある!」
『我らが神々の加護ぞある!』
唱和されるその言葉は、種族も信じる神もバラバラである彼らを確かに一つへとまとめあげた。
「出発は三日後じゃ! それまで準備と整え英気を養うがよかろう! ――今日はワシのおごりじゃぁあああああ!」
『うぉおおおぉぉおおおおお――――――――――!』
その雄叫びはまるで地鳴りのようだ。ビリビリとガラスが振動し、今まさに割れるのではないかとも錯覚するほどの大音響がその酒場を中心に発せられる。なんとも現金なことだが、懐を気にせず飲み食いできるということが彼らの士気を大きく上げることに成功したのだ。
それは確かに長い歴史の中でドワーフたちが培ってきた一つの手法ではあるが、しかし異界をまたいだその先の国も含めた、万国共通の手段であった。
「ふぅー……」
熱を帯びた演説にうっすらと汗を浮かべたドワーフは樫のテーブルからひょいと飛び降りると、ガントレッドに包まれた小さな手でサーコートの端をつまみ、それで額をぐいと拭った。
「お疲れさん」
すぐそばに控えていた男が、グラスのジョッキになみなみと注がれた牛乳を差し出す。
「おお、ありがたい」
それを嬉々として受け取ると、一気に喉の奥へと流し込む。
「ぶはぁ――――!」
と一呼吸おいて、
「のぅ、コーや……すまんが、ちょっと、金を貸しとくれんか…………?」
わりとノリと勢いでおごりと言ってしまった彼女は、懇願するように男を見上げた。
「やだよ」
男はその、ドワーフ娘に立ちかけたフラグを真正面から思い切り叩き折った。
「け、経費が……神殿から経費が落ちるまででいいんじゃ……っ!」
「落ちんのかよ……」
「あー、いや……まぁー、なんじゃ。ほれ、寄進というヤツでな……あれじゃ、大事のための軍資金ちぅやつじゃ」
さすがは軍神を祀る神殿といったところか。
「……落ちんのいつだよ?」
「ち、ちぃとばかし先、じゃな……?」
だめか? と上目づかい。
「やだよ」
男はすげなく答える。
「おねがいっ!」
「ええい勘違いされるから寄るんじゃねぇ――――!」
ものすごい力で縋り付くドワーフ娘を、男は必死に引きはがそうとした。
○
タダ酒に盛り上がる酒場を背にして空を見上げる。この世界でも空に浮かぶ月は地球と同じく一つだけで、満月が青白い光を放っている。排ガスなどで空気が汚染されていなくて、そして地上の明かりが少ないこともあってか、まるで降ってきそうなくらいの満天の星空が広がっていた。
「――世界は半球状で、空を支える柱がある。夜が暗いのは、神様が布をかけているからだ。星はほつれた布から漏れる光で、月はもっとも大きな穴なのだ」
背後から声に男が振り向くと、ツンツン頭の少女が「てへへ」と笑いながら手を振りながら立っていた。
「なんの神話だったかは忘れちゃいましたけど、そおゆう神話があるんですよ。あれ、神話じゃなくてふるーい天文学だったかな? ま、どっちでもいいや。たぶん神話です」
隣までトコトコと歩いて、男を見上げながら言う。
「……仕事しろよ」
「在庫切れでーす」
つんとすまして言った。
「ちなみに、オルガさん涙目でした。かわいかったです」
「うわぁ、ご愁傷様……」
金の無心をすげなく断った男は憐れむように酒場を見やる。
「しっしょーは何してるんです?」
「そらお前、オルガから逃げてきたに決まってるだろ」
「それもそーでした」
「……それにしても夢のねぇー神話だなぁ、おい」
「そですか? けっこー夢いっぱいだと思うんですが……」
少女はまっすぐ空を指さす。
その先には、月があった。
「あの月の向こうには神の国があるんですよ。お昼は明るすぎて見えないけれど、でも夜なら、あの明かりこそが神の国への道筋なんです……だから人は宇宙を目指すのかもしれませんね、アポロ十三号とか」
「…………悪いものでも食ったか?」
「失礼なっ」
妄言は妄言だが割と少女趣味な妄言だったものだから、男は逆に不安になってしまったのだ。いつもなら人をあっさり殺す妄言を吐くのだし、正しい反応だろう。
「確かにこーゆうシチュエーションって戦争行く前とかの静けさ的な感じなんで、今こうゆう話しておかないとフラグが立たないかなぁって思わなくもなかったですよ?」
どうやらフラグのために真面目な話をしたらしい。
「こーゆうときにちゃんとしっしょーの死亡フラグと私の失恋フラグを立てておかないと、しっしょー死なないせいで私ずるずると初恋引きずって未婚のままで終わりそうだなって」
「お前最悪だなっ!」
しかし結局は、いつもの彼女、ということである。
「ま、それはそれでおいといて」
小さな箱を小脇によけるようなしぐさをして、
「しっしょー、私に何か言うことありません?」
「妄想とはいえ人を殺すようなことしてるんじゃねぇーよ、ってゲンコツ落とせばいいのか?」
「うーん……私そっちの性癖は開きたくないんで、ちょーっとそれ以外ってことでどうかおひとつ」
朗らかに笑う彼女に毒気を抜かれ、はぁー、と深いため息を一つ。
「あとでアスタリッテんところ行くぞ。三人娘そろって今回はお留守番だかんな?」
「ま、そーですよねぇー」
あっさりとうなづいた。
「相手ゴブリンですし、たしかに貞操って重要ですよねー。男の人ってなーんかそーゆーのすっごい気にするってゆーかめんどくさいってゆーか……しっしょーは別に娼館通いだったそーですし気にしなさそーですからどーでもいいですけど。確かに悲劇のヒロインも悪くはないんですが、それってやっぱり外から見て感情移入するだけだからいいものであって、実体験したいかって言われたらノーサンキューですもんね」
「いいか、留守番だからな。絶対に留守番してろよ。フリじゃねぇーからな?」
「なんかちょっと前にも言った気がしますけど、しっしょーってなんだか私に対する、こー、信頼とか、そうゆうの低くありません?」
「ああ確かに低いな?」
むしろ皆無である。
「なんでそうなってんのかは、まず自分の胸に手ぇ当ててよーく考えてみ?」
「あやー、目の前で自分のおっぱい揉めときましたかぁー……」
「違う、そうじゃない」
「てへ」
もはやマイナスである。
「まぁお留守番はわかりましたけど、なんでアスタリッテさんのところ行くんですか?」
「最悪の場合を考えてアスタリッテに契約書書いてもらおうかなと」
魔神使いの使用する契約書は、一種の隷属の魔法である。これに記されたことは呪いとなり、契約者に強制するのだ。
「あ、ちょ、それはダメですってしっしょー! 人権侵害とかそーゆーアレコレに抵触しちゃいますよ!?」
「合法だから何ら問題はないな」
隷属の魔法と聞けば恐ろしいものだというイメージこそあるが、上手に利用すれば人的ミスの軽減などにつながるため、大掛かりな工事現場では事故率低減のために導入されることもある。
例えるならば末期がんの鎮痛剤に用いられるモルヒネのような感覚であり、そもそもメジャーな神に仕える神官ならわりとあっさり解除してしまえることもあってか、世間一般では"正しく使えば便利な魔法"という認識なのだ。
「だいじょーぶ! だいじょーぶですって、今回は!」
「だってお前悲劇のヒロインとか別に悪くないって」
「さすがに私だってゴブリンに犯されるとか嫌です! ――これでいいですか?」
「瞳子や真歩ちゃんは?」
「当然巻き込むつもりはないですよぅ。こんなバカ言ってもずっと仲良くしてくれてる大切な友達ですよ? それを捨てるだなんてとんでもないっ!」
バカを言っている自覚はあったらしい。
「…………ま、どっちにしろアスタリッテんトコにはいくけどな」
「ひどいですよぅ、しっしょー!」
「お前らの護衛を頼みに行くんだよ、ばーか」
さっさとほかの二人も呼んで来い、と。男は少女を追い払うように手を振った。
「――別にダメとは言わんが」
在庫切れで飲み食いする物もなくなってきたせいか、普段よりもずいぶんと早く客が掃けてきている酒場の隅で、亜人の女はキープしていたボトルをのんびりと開けていた。
「収入なしは勘弁してもらいたいな」
どうやら亜人の女は完全に酔っ払っているらしく、金色の瞳をとろんとさせて、普段ならばそんな無防備なことをしないだろうに、今夜はむっちりとしたふとももを男の目の前で組み替えた。
「わー、えっろぉーい……」
同性ですらそう思わせる扇情さに、ツンツン頭は思わずそうつぶやいた。
「契約している魔神が、人間の女が好きな奴らだからな。私とて好きでこんな恥ずかしい恰好をしているわけじゃない」
そのため魔神使いは基本的に女しか習得することができないと言われている。もちろん例外も存在するが、従える魔神の数や強さで言うならば、やはり女のほうが圧倒的に良いのは確かだ。
「えと、私たち学生だから、その、そんなにお金持ってませんよ……?」
「てーか瞳子ん家ビンボなのよ? ゴブリンって女が捕まっちゃいけないから寄り集まって安全なトコ行かなきゃダメってのはわかるけど、いつ終わるかわかんないコトにお金払い続けるとか無理だし」
「子供の弱みに付け込んで大金をせしめるなんて悪辣なことなんて考えてなんかいない、見くびるな。そもそも魔神使いは対等な契約を望むものだ、貴様らのその言葉は私への最大限の侮辱であり、差別にあたるぞ」
魔神使いとは、魔神と呼ばれる異界の住人と交渉し、そして契約した異形の者たちを自らに従える者たちのことだ。世が世なら異形の軍勢を手繰る魔王として討伐されてもおかしくはなく、そして事実、過去の魔神使いたちはそうした迫害の歴史を歩んできた。
ゆえに魔神使いたちは契約を至上とし、契約によって信用を勝ち取り、そして契約によって自らの安全を勝ち取ってきたのだ。
「えと……すみません」
「いや、分かればいい。それに私の言い方も悪かったからな」
いつかのように逆上して襲ってこないのは、彼女たちがまだ社会の知識が少ない子供だから、そして自分の非は素直に認める善人だからと信じているからだろう。別に彼女はこの世が憎くて差別だなんだと叫んでいるわけではないのだ。
「私は別に、保護者――たとえばコーか、それか貴様らの契約者から金が出るようにしてくれるんなら構わない」
「ぐ……がめついなぁ」
さらりと保護者枠で金銭を要求された男が、唸る。
「私の魔神は貴様にとっての武器と同じだ。私のは確かに魔法だが、しかしランニングコストがかかってしょうがないんだよ……インクとか、用紙とか、対価に支払う供物とか儀式場の維持費とか」
「うわぁー、大変ですねぇー……」
常時携帯している必要こそないが、魔神使いの魔法の行使にはいちいち契約書が必要なのである。精霊使いとの違いはそこだ。精霊使いは友人や好きな人の頼みだから従う、という関係であることに対して、魔神使いは契約書にあるから従う、というビジネスライクな関係なのだ。
ゆえに契約改変期などに差し掛かると大量の書類や供物が魔神使いの部屋にあふれかえってしまう。人によってはそのまま一週間ほどカンヅメ状態になることなどザラだ。まれに部屋から悪臭と奇声が聞こえることもある。
――それを解決する手段として、女好きの魔神と契約することが主流になった。
ようするに、彼女がいつもいつも痴女い恰好をしているのはそのせいなのである。ちなみにそうした手法の究極系が、この酒場で魔女と呼ばれ恐れられている獣人族兎種の女だ。
「改めて言うが、私は痴女ではない。わかったな?」
「あ、はい」
少女はそう答えるしかなかった。
「で、誰が金を払うんだ?」
「――しっしょー?」
「俺ぁたぶん無理。オルガに金貸さなきゃならんだろうし」
くだんのドワーフ娘はすでに酒場を後にしているようだ。気落ちした姿を見られたくはないのだろう。士気に関わるのだし。
「なんだ、結局兄ちゃんも出すんじゃん」
「しっしょーロリコン疑惑再びですねぇー」
「違う。士気に関わるからだ」
集団の前では気丈に振る舞うだろうが、しかし気落ちした雰囲気というのは伝わるものである。ゴブリン討伐は万が一にも失敗したくないのだ。
「あれ、でもオルガさん女の子ですよね? 出ちゃいけないんじゃないんですか?」
「後方に配置して治療に専念してもらうんだよ。この酒場で一番の奇跡使いだし」
「あー。なるほどぉー」
教義的には先陣を切って突撃しなければならない立場ではあるが、しかし同時に、勝つために全力を尽くすというのもまた教義である。全力を尽くすための作戦で後方待機が決まったのだから、教義的にはセーフなのだ。
ただまぁ、倫理と条例と契約で行動を縛っているとはいえ、"異界渡り"が出るならだいたいの敵は敵ではない。負傷する者が出るかも怪しいところだろう。
「むしろ戦闘シーンを描写する必要があるのかというレベルだからな。実際ゾンビでもない限りはコーが適当に剣を振ってれば終わる。空間つなげて切り刻むとかそれ何の冗談だよと何度思ったことか」
「あー、わかりますわかります。一度しっしょーから稽古つけてもらった時も『斜め四十五度で溜める感じ』とかなんだこいつちょっと頭おかしいとか思っちゃいましたもん」
鏡見て言え――男はその言葉を飲み込むも、
「そのあと遺跡で空気送ってるとか言っててマジ意味わかんないですよ」
「そうそう、こいつ一度だけ現界しかけた邪神の横っ面を遠間からぶん殴って、あげくボディーブロー連打したからな。亜空間ナッコゥ、とかなんとか。さすがにオルガの"祝福"込みとはいえほんとこいつ頭おかしい……」
「――てめぇーらが言うなっ!」
結局耐えきれず、言葉に出してしまった。
「つーか、戦闘シーン描写とか意味わかんねぇーよ、映画か何かか!?」
「画面の向こうのみなさんにしてみれば小説か何かじゃないですかね?」
「お前もいったい何を言っているんだ!」
「なにをいってるんでしょうねぇー?」
「なにをいっているんだろうなぁー?」
ツンツン頭と亜人の女は、互いに視線を交わして、意味深に笑う。
「……貴様、名前は結花だったか。魔神使いになる勉強をしてみないか? その才能を埋もれさせたままにするのはさすがに惜しいぞ」
「生きた魔剣とかそおゆうのがいるんでしたら前向きに考えますねー」
「いるぞ?」
「えっ、マジです?」
「ああマジだ。なんだ、紹介してやろうか? どぉれ――」
亜人の女は虚空に手を伸ばし――
「待て待て! 酒場で危ねぇー武器召喚しようとすんじゃねぇーよ!」
男に止められた。
「何を言う、結果としては別に貴様と変わらんではないか!」
「いやまぁ確かにそうだけど……てか、代償はなんだよ? お前の痴女い恰好か? まさかシャレにならん奴じゃねぇーだろうな?」
「痴女言うな! ……別にシャレにならんものじゃない。というか、こいつは意思が薄いせいで対価はほとんど必要ないからな。ただちょっと、私の視界内にいる者の今はいているパンツが消えるというだけで」
「あ、ほ、かぁああああ――――――――――――!」
明後日の方向に全力疾走だが、ある意味シャレにならない対価である。
「じゃぁ無意味に変身バンクが入る対価の魔法の杖みたいなやつにしようか。服装変わらんくせに一瞬全裸になるという」
「もうなんで魔神使いってそっちのほうに走るんだ!?」
「一回ふるうごとに人間の魂を要求されたり、コップ一杯程度の血が抜かれていく魔剣よりましだろう。どうせ威力は変わらんしな」
魔神の対価は基本的に生命活動がヤバいか社会生命がヤバいかの二通りである。
「じゃ、後は任せたぞ? めちゃくちゃ不安だけどな!」
「私のどこに不安を感じるのだ。失礼な奴だな」
「そういう無駄に自信満々なところだよっ!」
「自信のないやつに比べたらましだろう」
「くそ、残ってるので一番信用できるのがお前だけとか最悪だ……!」
嘆くように上を向きながら、手のひらで目を覆う。
「オルガ以外は男ばかりと付き合ってきたのが裏目に出たようだな。まったくホモホモしいったらありゃあしない」
「ホモじゃねぇーよ!」
「しっしょーはロリコンですもんね」
「ロリコンでもねぇーよ!?」
状況証拠的にロリコン扱いされてもしょうがないことではある。
「あー、もう……くそっ、俺ぁ帰る!」
「そうか、オルガによろしく言っておいてくれ。タダ酒は美味かった、とな」
「てめぇー後でオルガから殴られても知らねぇーからな!」
「はぁ――――っはっはっは! やれるもんならやってみるがいい! 身代わりと復讐の魔神契約を恐れないならなぁ!」
「くそがぁ!」
男は肩を怒らせ、高笑いを浮かべる亜人の女に背を向けた。
「――っと。そうだそうだ。エリザベスには俺から話通しておくからな? 期待されても困るけどよ。あと、俺がいない間と、酒場が開くまえまでならこき使ってくれて構わないから!」
大股で扉のほうへと歩いて行きながら、しかしふと思い出したように、振り向きざまにそう付け加える。
「お前らも迷惑かけるんじゃないぞ――特に結花、てめぇーだ!」
「ひどくないですかしっしょー!?」
妥当な評価である。
「まったくだな……」
「アスタリッテさんそれってどっちにかかる言葉です? 私の言葉です? それともト書きのほうです?」
「ト書きとか。貴様はいったい何を言っているんだ?」
「こんなときだけ常識人ぶってぇー!」
五十歩百歩である。
○
そこそこ度数の強いブランデーのように琥珀色をした酒が、透明な丸い氷が入ったグラスにほんのちょっとだけ注がれる。
「……なんだ、もうおしまいか」
残念そうに最後の一滴までグラスに落として、しかし名残を惜しむようにして瓶口にキスをした。
「おい、結花」
「なんども言ってますけど、在庫切れでぇーす」
ツンツン頭は振り向きもせず、樫のテーブルをごしごしと布で磨きながら答えた。
「ああ、そういえば……まったく強欲な奴らめ、タダ酒だと知れば店のすべてを飲み干してまったく……」
「もうちょっとしたら、ちょっと早いですけど店じまいですからねぇー」
「そうか、わかった」
自分も強欲な奴らのその中の一人だということを棚に上げて、最後の一杯を一気にあおった。
「代金はオルガにツケておいてくれ」
「ツケるもなにもそれ元々アスタリッテさんキープしてたやつなんでアスタリッテさんのお財布から支払ってもらうに決まってるじゃないですかぁー」
「そこをなんとか、こう、こっそりとだな……」
「言っておきますけど、瞳子ちゃんそーゆうのにすごく厳しいですからね? 数学苦手なくせにお金のことなら任せられるってなんてゆーか、アニメとかでよくいるドケチキャラですよね。普段頭悪い子ってタイプ」
「いわゆる盗賊によくいるタイプだからだろう」
「あー、瞳子ちゃん適性高かったらしいそうですし、わりとそうかも。盗賊って金額限定の見識判定できちゃうってゆーTRPGありますしねー」
うまく使えば値段にふさわしくない質の悪い商品や偽物のブランド品を避けられるようになる。なので盗賊という名称の割に、わりとまっとうな商人向けの技能だったりする。
「まぁバカとハサミは使いよう、犬と子供は躾次第というやつだな……そういえばその瞳子やら真歩やらとかが見えないようだが」
「瞳子ちゃんは別のところでレジ金額合わせとかしてますよ。真歩ちゃんは便利な魔法があるんで洗い物ですかね。心証よくして大入り袋とかお給料アップとかそのへん狙ってるんで…………で、これもぉ何度目の説明ですかねぇ? アスタリッテさん」
まるで物覚えの悪い相手を、少女は言葉だけでなじる。
「……そうだったな、貴様は役立たずだからこっちの掃除をやってるんだったな」
それにイラッとでもしたらしく、大人気なくも亜人の女は皮肉交じりにそう返す。
「看板娘になんとゆーことをゆうんですかねぇー!?」
自分で看板娘とか言ってりゃ世話ないというものだ。
「まぁ、それはそれとしてだ、結花」
「思いっきり無視ですかそーですか」
「人にケツ向けて話すようなヤツに言われたくはないが……まぁともかく。ちょっと手伝え。コーからはこき使っていいとお墨付きをもらったんだしな」
「言っときますけど、ろーきとかゆうやつは守ってくださいよ」
「この物語には労基もへったくれもないがな」
「妄想と現実ごっちゃにするのはやめてもらえません?」
「貴様がそれを口にするかっ!」
どんぐりの背比べである。
「ま、どっちにしろ話は閉店準備終わってから聞きますんで。私も一応、ボーナス狙いですし?」
「別にそう面倒な仕事じゃない。ちょっと"目"を飛ばしてもらうだけだ……片手間でできるんだろう?」
その言葉に、少女は仕事の手を止め、
「――……それ、誰に聞いたんです?」
振り返りながら、亜人の女を睨みつけた。
彼女の"異界渡り"としての能力については、まだごくごく一部の人間にしか知られていない。むしろ、限られた相手以外には極力知られないようにしている。
そのほうがかっこいいから、というのもあるが……できることがバレると非常に面倒なことになるのは目に見えているからだ。
そしてその限られた相手は親友二人と、彼女がしっしょーと慕う男、そしてあのとき居合わせたエルフぐらいしか知らない――つまり、亜人の女が知っているハズがない情報だった。
「ははっ、別にコーやリヒト、ましてや貴様の親友二人から聞いたわけじゃない」
亜人の女は自慢げに鼻を鳴らし、
「だが記録と記憶を操る魔神ログの持つ力を甘く見たな? 私ほど諜報能力に優れた魔神使いもそうはいないし、私はこれで食ってるんだ、残念だったな」
自信たっぷりに腕を組み、ふんぞり返ってドヤ顔。
「魔神使いって…………思ったよりもチートくさいですね?」
「代わりに契約書やら対価やら供物やら、異界とつなぐ門になる宝石やら維持に使う触媒やらがあるがな。おかげで見ろ、財布に翼が生えたように軽い軽い! ……なんて冗談はさておいて。むしろそれくらいチートでないと、私のことを髪の毛一本も知らん者どもからコーの寄生虫呼ばわりされるからな。自然と腕も上がるさ」
出る杭は打たれるもので、楽してズルして生きているように見える相手には情け容赦のかけらもないのが、無意味な正義感にあふれた赤の他人という生き物である。
「愛人だの体を売ってるだの、いろいろと面倒くさいんだ」
「あー……」
「まったくあいつらときたら自分の稼ぎが悪いことを私のせいにする……悪魔だのなんだのと人を見た目で判断して、無能低能ほど差別主義だ。有能すぎても差別主義になるが、そっちのほうがまだましだ。表だって言わない分、私の気分を害さないからな」
しみじみと亜人の女は語る。
しかし思い出してイライラしたのか、ちっ、と小さく舌打ち。
「河岸を変えるか。飲みなおしだ」
「あ、そうですか。それじゃぁお会けー……って、あれ? 手伝ってとか言っておきながら、行っちゃうんです?」
「だいたいちょうどいい感じの時間になったらまた来るさ」
「あー、なるほど。いわゆるお使いイベント的な……」
たとえメインシナリオそっちのけで何日もレベル上げにいそしんでも、イベントを進めたらまだ一時間も経っていないような――――そういうアレである。
「おいおい、ゲーム脳も大概にしたほうがいいんじゃないのか? 結花」
「あのですね、ちょくちょく常識人っぽく振る舞うのやめてもらえません?」
どっこいどっこいである。
あと二話、最後までお付き合いください。