#04 こらしめるっ!
「よっとぉー」
ツンツン頭が四人を運んだ先は、ずいぶんと中世風の調度品が並んだ、そこそこ広い応接間のような場所だった。
「ずいぶんと貴族趣味なんだねぇ、君は…………」
高級そうな家具を見て、身の丈に合わない金の使い方だなぁとエルフが眉をひそめると、
「あれ……ここ結花ちゃんの部屋じゃないよね?」
三つ編み少女が指摘する。
「ん、どういうことだい?」
「え? どういうこと、って?」
"異界渡り"としての能力を使うために使用したショートソードを鞘に納めながら、ツンツン頭は不思議そうに、首をこてんと傾けた。
「安全な場所に連れてきたんですよ?」
「聞き方が悪かったね……どこに連れてきたんだい?」
「ああー!」
ぽん、と手を打つ。
「ここは、おデブな貴族さんの御屋敷です」
少女は、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
○
広い風呂場の壁に大穴が空いている。そこから肌寒い夜の冷気が、大量の花粉とともに舞い込んで視界が遮られる。その花粉の向こう側に、いくつもの人影が浮かんでいた。
「よもや神聖な風呂場に、壁をぶち壊して侵入してくるとは…………恥を知れぃ!」
怒声を上げながらも、鉱山と縁深く粉じんの恐ろしさをよく知るドワーフの女は、手に持ったタオルを何回も畳んだもので口と鼻を覆い、気管支を保護する。
「オォ……オォ……」
そのセリフに応じているのか、しかし言葉にならないうめき声を上げながら人影らはざぶざぶと湯船の中を歩いて侵攻してくる。その人影たちが一歩足を進めるたびに、湯船の中が真っ黒に変色していく――その事象が神官としての知識と結びつき、彼女にその正体を見破らせた。
「亡者どもめ……女子の湯あみ姿見たさに迷い出よったか……!」
彼らはゾンビあるいはリビングデットと呼ばれるアンデッドだ。死者の体に悪性の精霊が宿って起こることもあれば、死者の無念が悪霊となって死体を動かすといった場合もある。時には死霊術師が精霊や浮遊霊などと契約したことで動き出すこともあるが、しかしその主な発生原因は、
(領主めっ! 葬式代をケチって森にでも捨てておったな!?)
正しく弔われず、死体に霊的な空白ができることが最大の原因だ。こうした神殿も教会もないような村では、村人に神官とのコネや金があることなどほとんどないため、基本的にその村を収める領主が神官を招致しなければならない。
これを怠れば墓場より這い出たゾンビたちによって村が危険にさらされる可能性すらあるため、その土地を管理するものは決してゾンビを発生させないように腐心する。こうした者たちを討伐するのは本当に最後の手段であり、外に自身の無能さをひけらかす大事件である。
(しかし、参ったのぉ……斧も鎧もワシの部屋じゃ……裸ではなんもできん……!)
ドワーフの戦闘能力は確かに頼れる。しかしそれは武器と鎧があってこそで、実はドワーフの徒手格闘術はかなり未熟である。
これは矮躯であったドワーフの敵に起因する問題だ。
彼らの敵は常に彼らよりも大きい、二倍以上の体躯をもった他種族であった。故に圧倒的にリーチに劣り、攻撃面積に劣り、そして機動力に劣っていた彼らは巨大な武器と硬い鎧でもって「耐えて殴り返す」という術理に特化していったためである。
(かといって逃げるのは……神官としては許されんしなぁ……)
逃げるだけならばたやすい。
しかしここで自分が逃げれば、もしかしたら仲間が危険にさらされるかもしれない。それは鉄と炎の神に仕えるものとして、外敵ことごとく打ち破る加護を与える軍神――ドワーフを守護する神の教えに背くことになる。
逃げるならば、全員の安全を確認してからでなければならない。
ゆえに、彼女は逃げられなかった。
「かぁー! ワシゃあなんと損な性格じゃぁ!」
脱衣場につながるドアの前に立ちふさがり、叫ぶ。ここを守れば、壁を抜かれない限りは目の前の外敵が仲間のところへと向かうことはないからだ。
しかし、裸のドワーフがたったの一人。花粉の向こうに数十体と浮かぶ人影どもすべてを相手にするのは不可能――!
「女子の柔肌を拝んだんじゃあ! おとなしく召されぃ!」
だが、彼女は確信していた。
「あとコー! さっさと来んかぁああああ!」
彼女が最も信頼する彼ならば、"異界渡り"の能力を持ったあの男ならば――
「おおぉぉおぉぉぉ――――!」
――雄叫びが浴室内に響く。
同時に、彼女の頭上を一陣の風が吹いた。
「――――らぁあああああ!」
異界をまたいで、文字通り"飛んで"きた男が、腰に差した刀に手をかけ、抜き放ちざまに一閃。
「オ――――――ォオオオオ――――――……………………!」
数体のゾンビが、苦悶と怨嗟のうめき声ととともにその場に崩れ落ち、ざぶざぶと音を立てて、両断された上半身と下半身を真っ黒に染まった湯船の中でもがかせる。
「大丈夫かっ!」
振り向かず、背を向けたまま男は問うた。
「遅いっ!」
ドワーフの女は、責めるように応じる。
「うるせぇー! これでも超特急だよ!」
確かに、尋常な方法ではこれ以上の速さで彼女のピンチには駆けつけられなかっただろう。ある意味で、女のわがままとも言えた。
「せめて服ぐらい持ってこんかぁ!」
これは完全に女のわがままである。
「ドワーフの裸にだれが欲情するかよ!」
「ワシのこと嫁にしたら畑耕して種蒔きせねばならんじゃろう! いつかの言葉は、ありゃあ嘘やでたらめか!?」
「そんときゃあ兎の秘伝薬でもミカヅキから貰うっつぅーの!」
「貴様ワシとの行為で薬に頼るとか失礼な奴じゃなあ!」
「女はどうか知らんけど、男は気合いだけじゃ勃たねぇーんだよ!」
ちなみに彼が口にした薬は非常に効果てきめんで、兎の女相手に毎晩やっていけるようになるほどの劇物である。ある意味で獣人族兎種の暗黒面、男どもを使い物にするためだけに異常な発展を遂げた、負の遺産である。
「てーかそんな話してる場合じゃねぇーよ! つーか俺の刀じゃ全然息の根止めらんねぇーんだよ!」
ゾンビが発生する原因は霊的な空白になった死体に霊的な存在が宿るためである。故に原因となる霊的な存在を退けなければ倒せない存在だ。その証拠に、男が乱入したと同時に叩き斬ったゾンビはいまだに蠢いている。ただの肉を治す手段はないためもうそれらがまともな戦闘を行えるわけではないが、しかし原因が悪性の精霊であった場合こちらを害する魔法を使わないとは限らないのだ。
「おっと、そうじゃった――"鉄と炎の神よ、彼の者に戦士の祝福を"!」
短い祝詞を女があげた瞬間、男の足元から、ドゥ、と炎が吹き上がる。それは彼の体にまとわりつくようにしてチロチロと燃え盛るが、しかしそれは男を決して燃やすことはない。"奇跡使い"であり聖女と称えられるドワーフの女が男にかけたのは、身体能力を大幅に強化し、悪性のもの、不浄なるものを退ける力を与える"祝福"だ。
「あとはワシが後ろで"癒し"をかけてやる――コー、やってしまえっ!」
「よっしゃあ!」
男は刀を正眼に構え、吠えた。
○
「んー、まぁー、すごく単純な話なんですが」
ツンツン頭が我が物顔で、無断で足を踏み入れた屋敷の中をずんずん進む。
「真歩ちゃんも不思議がってたんですけど、ずぅっと花粉が飛んでいて、普通の生活が送れないんですよ? …………たとえばですね、町で暴動が起こってるんだったら、普通、どうします?」
少女は指先をくるくる回しながら、問うた。
「……騎士団でも私兵でも、動かして、暴動を静めるね」
「ですよね? ふつー、私兵動かしますよねぇー……なのに、なんでそんな状況でわざわざ警備会社なんて雇っちゃうんでしょ? それとも、そっちのほうがスマートだってゆう風潮みたいなのがあっちゃったりしちゃうんですかね、豚さん?」
「いや……君の言うことももっともだ」
これは彼女を止めるべきか……と葛藤しながら、エルフは三人娘を守れるような位置を歩き、しかし先頭を往くツンツン頭をいつでも取り押さえられるように警戒しつつ、答えた。
「しかし、貴族の屋敷なんてどうやって見つけたんだい? わりと遠くにあるのか、迎賓館からじゃよくわからなかっただろう?」
「ええまぁー、なんとなーく気になりまして、執事さんに私の"目"をつけさせたと言いますかぁー……私、しっしょーと違って、そっち系のほうが得意みたいなんですよ」
ショートソードの柄頭をポンポンと叩いて、自身の力を使ったと示して見せた。
「……君、さらっと犯罪に手を染めてないかい?」
「あはは」
おいといて、というしぐさで強引に話題を切り替える。
「ひとつは、安全だからですね。ここに飛んだ理由は」
「……まぁ、うん、あとでコーに言いつけてやるとして」
「そですねー、そしたら酒場で、豚さんにセクハラされたって言ってみますかねぇー」
「僕は何もしていないじゃないか!」
「別に嘘ついちゃうわけじゃないですよぅ? 私はただ、ちょろっと涙ながらに訴えてみるとゆー、演技の練習をしてみようかなって言っただけで……あっ、噂と冤罪って怖いですよねー?」
「くっ…………!」
憎々しげに歯ぎしり。
「…………僕は何も聞かなかった、それでいいね?」
「演技の練習はまた別の機会にすることにしますねぇー」
腹黒エルフとの交渉成功に、少女はにこにこ笑う。
「でぇ、話を戻しますね? もうひとつは、村であんなことが起きちゃってるから私兵を出勤させちゃってください的なお願いしに来たってゆう理由で……」
んー、とわざとらしく、唇の下に人差し指をあてて考え込むフリ。
「そもそも、お外が静かすぎたんですよねぇー。ほら、私たち、窓際にいたんですよ? あーんなおっきい音がしちゃったら、狭い村みたいですし、わーわーきゃーきゃーって、なると思いません?」
「…………村が襲われていない、と言いたいのかい?」
「はい。あと、それとですね?」
首をこてんと傾けて、
「そもそも――なんでエント族さんたちが助けを呼ばないんですか?」
「は?
「ん?」
「――あっ!」
三つ編み少女が、何かに気付いたように声を上げた。
「森から逃げれないんだよ! エント族って、花粉飛んできたら逃げるハズだもん! だって、戦うのに向いてないから!」
「そーだよね」
我が意を得たりと、ツンツン頭は嬉しそうに顔をほころばせる。
「さっきはてきとーぶってゾンビ的なサムシングって言いましたけど、あながち間違いじゃないと思うんですよねー。だって死霊術自体は犯罪じゃないですし? バレちゃっても、自然発生しちゃったよって誤魔化しやすいですし?」
このへんかなー? うん、私だったらこのへんにするなぁー……などとぶつくさ呟いて、少女は何の変哲もない廊下のど真ん中で立ち止まる。
「さ、瞳子ちゃん! 盗賊の出番だよぅ!」
「…………はいぃ?」
「私の勘だとこの辺に隠し通路的な地下階段があると見たっ!」
まったく状況を理解できない日焼け娘の前で、ドヤァ……と胸を張る。
「ま、とりあえずてきとーに探してみてくれれば、判定ミスらないかぎり瞳子ちゃんなら見つけられるハズだからさ。難易度調整されてるハズってゆうか、そもそもそんな複雑な装置作ってたらかえって外から見たらバレバレになるってゆうか、そんな感じだし」
「いや、はんてー、ってゆわれても……」
「壁とかコンコンしてくれればいいよ?」
「うーん……それなら……」
いろいろと腑に落ちないものを抱えながら日焼け少女が適当に壁をコンコン、絨毯の敷かれた廊下をトントン、それっぽく探し始める。
「…………今度は何がやりたいんだい?」
「えっとですねー。なんで冒険者なんてのを呼んだんだろう、ってゆうことを考えてみまして」
ふんふーん♪ と鼻歌交じりに、言われてぎこちなく隠し通路的ななにかを探すように壁をコンコンとノックする日焼け少女を見つめながら、
「冒険者って、ゆっちゃうと、つまりは日雇いの労働者ってゆうか、やくざな商売ってゆうか、大金もらったらいつどこで失踪してもおかしくない人たちだと思われてるんじゃないかなぁー、と。おデブな貴族さんも、どーも底辺に頼むってゆーか、利用してやろう、みたいな雰囲気でしたし?」
愛嬌を出すように、こてんと首を傾ける。
「そもそも本気でエント族討伐とかゆうんだったら、お金に糸目をつけないで豚さん――リヒトさんと、アスタリッテさんも雇っちゃえばいいんですよぅ。あ、底辺に見ちゃってるし、かなり足元見れば最高ですね。キャラ的に!」
「キャラ的に、って……あはは……」
三つ編みの少女が乾いた笑みを浮かべた。
「…………じゃぁ、君はどういう思惑があって、彼らを雇ったと思うんだい?」
「そりゃー、生贄的なサムシングですよぅ」
事もなげに言い放ち、
「ぶっちゃけ、一番強いひとを倒したー、ってゆう名誉? ネームバリュー? そうゆうのがあればいいんですよ。特にオルガさんみたいに聖女とか言われてる人だと最高ですねぇー、神様に捧げるなら」
「っ!」
エルフの声が詰まった。
「やー、悪いお知らせですねぇー」
何がおかしいのか、少女はころころと笑う。
「――――……………………えっと、ごめん、さらに悪いお知らせ」
こんこん、と壁をノックしながら日焼け娘は困ったように三人に振り返る。
「ここなんか、部屋と違う空洞あるっぽい…………」
「秘密の隠し階段的サムシングきたぁー!」
「それは喜ぶところかい!?」
「喜ぶところですよぅ?」
周囲との温度差に、少女は不思議そうに首をこてんと傾けた。
「そもそも、私たち、なんでこんなに騒いでるのに、なんでだーれも飛んでこないんです?」
「…………えっ」
「正解はきっと、地下とかに引きこもって邪教のミサ的なサムシングが行われているからなんですよぅ!」
ショートソードを抜き放つ。
「――"開錠"カッコぶつりぃぃー!」
少女はそのショートソードの切っ先で空中に陣を描くと、すぐさま音もなく壁に大きな穴が空く――男が石像を壊した時のような、いや、邪魔な石はどこか遠くへ消し飛ばしたといったほうが正しい、そんな能力の使い方であった。
「ふぅ……仕事したぁー」
わざとらしく、汗ひとつかいていない額をぐいと拭って、
「じゃ、静かに降りていきましょうね?」
そこに現れた、地下に繋がる階段を切っ先で指し示した。
「…………君、いつもそうやって口にしているのは、本当に、妄言なのかい?」
「どーですかねぇー?」
私にもわかんないやぁー。わざとらしくそう言って、はぐらかす。
地下へと伸びる長い階段には絨毯が敷かれている。まるでこの先は神聖な場所だと言うように、ワインレッドの小奇麗なベルベット絨毯だ。その上を歩く限り、足音の心配はいらないだろう。
ツンツン頭を先頭にして、エルフ、三つ編み少女、日焼け娘という隊列で慎重に奥へと進んでいくと、じきにほんのりと明るい部屋が見えてくる。
――そこからは、人の気配がした。
(おいおい……彼女はいつも妄言を吐いているんじゃないのかい…………?)
ツンツン頭が足を止める。そしてその大きな口の端をにんまりと吊り上げながら、
「…………ふふふ」
笑い声を漏らす。
あ、これはマズいパターンだね――エルフの頭の中で警鐘が鳴り響いた。
「そこまでだぁ――――――――――!」
が、時すでに遅し。
ツンツン頭はショートソードに手をかけて、光の向こうへと突撃していった。
「ああもう! 待ちたまえっ!」
女好きのキザ野郎ではあるが、決してフェミニストではないエルフの青年は、こいつ殴ってやろうか、などと思わずにはいられない。
「――"おいでっ"!」
精霊語で叫ぶ。
すると彼の周囲に真っ黒な闇の繭がふわりふわりと次々にいくつも現れ、最初はビー玉サイズのそれが少しずつ大きくなっていく。幼児用のカラーボールサイズほどになると、それは影の粒子になってはらはらと散っていく。
そこに現れたのは闇の精霊――長い黒髪をポニーテールに、凛として怜悧な黒い瞳でエルフを見据え、黒い鋼鉄の鎧を身にまとい、黒い刀身に血管のような紅い筋の走るロングソードを目の前に掲げた十二人の少女たちだ。
「"彼女を止め――あ、いや、違う! 守って……じゃない! とりあえずなんかいい感じになんとかくれ!"」
とてつもなく抽象的な命令が下される。
一瞬「えっ……?」と悩んだような表情を浮かべるも、しかし闇の精霊たちは高度な知能を持ち自我を有する、自然現象などが魔力によって姿かたちを得た魔法生命体だ。ゆえに彼女たちは、主君のそんなあいまいな命令に従えないほど愚かではない。
「"とりあえず我らが主君を困らせるあのウニ頭をシメて参ります!"」
少女たちは互いに視線で意思を統一し、そして一斉に剣を掲げでそう叫ぶ。
「"いちおう僕は彼女の護衛なんだけどっ!?"」
まぁ、ようするに。知能と自我があるということは個人的な私怨で動く可能性もあるということだ。精霊使いとはかくも微妙に扱いづらい魔法技能なのである。
魔法で作られた白い光が天井から降り注ぐ。厳かな礼拝堂然としたつくりをしているその部屋の真正面には白い石膏で造られた女神像が鎮座していた。
尊顔をヴェールで隠し、右手には収穫用の大鎌、左手には収穫した麦穂を一束握りしめているその似姿は、少女がドワーフの国で見た地下神殿に存在した名も知らない豊穣神のものであった。
「な、何なんだ貴様たちはっ!」
法衣に身を包む数人の男女の家、もっとも位が高いであろうド派手なモノを着た男が、腹をぶるんぶるんと震わせてがなり立てる。
あの日、身分を隠して酒場にやってきた貴族であった。
「誰かと思えば、貴様は酒場にいた給仕の小娘ではないか!」
「ふっふっふ……ある時は日本の学生! ある時は酒場の看板娘っ! しかしてその正体は――悪を断ち切る正義の味方ぁ! 勇者結花ちゃんとは私のことだぁ――――――!」
一同、ぽかーん、である。
そんな胡乱げな視線を向けられる微妙な空気の中で、びしりと奇妙に体をひねった推定かっこかわいいポーズを決める少女の鋼に勝るその精神力は、確かに勇者以外の何者でもないだろう。
「――ああもう、遅かったか!」
エルフが十二の闇の精霊を率いて駆け込んでくる。同時に目に飛び込んできたその不思議な状況に軽い眩暈を覚え、エルフの青年は天井を仰いだ。
「――――はっ!?」
真っ先に混乱から復帰したのは、三段腹の貴族であった。
「こんな夜中に貴様らぞろぞろと無礼だな!」
ごもっともである。
「そこのエルフ、貴様がこの痴れ者の保護者か!?」
「僕は保護者じゃない! 保護者はコーで、僕はあくまで彼女たちの護衛だ!」
「子守をしてるのに変わりはないではないかっ!」
「くそっ、ちょっと言い返せないね!」
「あのー、ちょっと一言物申しますけど、私はちゃんと両親生きてますし子守が必要な歳でもないですよ?」
「そおゆう意味じゃないよ結花ちゃぁん……」
「てゆーか、おっちゃんのゆうとおり瞳子たちのほうが悪いんだからね?」
「誰がおっちゃんだ! これでもまだ二十代だぞ貴様失礼な奴だな!?」
「あはは、ごじょうだんをー」
「ちょっと結花ちゃん君は話を引っ掻き回さないよう黙っててくれないかなっ!」
静謐であるはずの礼拝堂が混沌という名の喧噪で満たされていく。仮にここで何らかの儀式をやっていたとしても、こんな空気になってしまっては完全に失敗してしまっているだろう。それだけこの場の空気は、乱れに乱れていた。
「ええい! 貴様らもう少し常識を学――――違う、そうではない! そもそもこんなところに何をしに来た! 俺の屋敷に無断で足を踏み入れ、おかしな言動ふりまくとか貴様"触れられし者"か何かか!?」
神様とか異界の住人に深く愛された者を指す言葉だが、聖人や聖女と違って、こっちはその言葉に耳を傾けすぎて一般常識とか欠落した奴のことだ。ようするにキ○ガイのことである。
「というかここをどこだと心得る! 畏れ多くも」
「邪教の礼拝堂!」
「ぶっ殺すぞ貴様ぁ――――!」
敬虔な信徒に「お前の神様邪神だよな」なんて言ったらそら怒るというものだ。
「ぐっ……はぁー、はぁー、はぁー…………!」
そうやって怒鳴りすぎて血圧でも上がったのか、くらくらとする体を同じような白い法衣を着た執事に支えさせ、額に浮かんだ汗を袖口でぐいとぬぐう。
「大丈夫です?」
「誰のせいだ!」
そりゃそうだ。
「おいエルフ、こいつ話が通じんぞ! どうなってる、説明しろ!」
「僕こそ説明してもらいたいね!」
「あんまり声上げるとまたくらくらしちゃいますよぅ?」
「「誰のせいでっ!」」
エルフと貴族の心が一つとなる。
「まぁー、いつまでもこんなことやってると日も昇っちゃいますし? そろそろいい加減本題に入っちゃってもいいですか?」
こてんと可愛らしく首を傾けて、問うた。
しかしこの場で誰一人としてその仕草が可愛いなどと称賛するものはいない。というか、関わり合いにもなりたくない。彼女が去らないなら今すぐ自分たちが帰りたい。でもそうやって放置したらなんかずっと追いかけてきそうだなぁ……みたいな空気が流れて、誰もが口をつぐんだ。
「と、ゆーわけでぇ! やいやいやい、邪教の司祭めぇー、お前のヤボーもここまでだぁー!」
おそらくツンツン頭本人が頑張って考えて練習したであろうセリフは、どういうわけか棒読みであった。
「…………リテイクいいです?」
「貴様はいったい何なんだ!」
ほんとに何なんだろうか。
「悪党に名乗る名前はないっ! 勇者結花ちゃんです」
「――――話が通じんぞどうなっているんだ説明しろクソエルフ!」
「もう小鳥のさえずりとかそういう環境音だと思えばいいんじゃないかな!」
それにしては大きすぎる音である。工事現場から響く不快な騒音のほうがまだマシかもしれない。
「んもー、いちいち声上げて話の腰折らないでくれません?」
いちいちぶっ飛んだ思考と言動で話の腰を折りまくり、疲れさせて発言力を奪って自分の独壇場にする能力に長けていると言う意味では「お前が言うな」である。しかしそれを誰も指摘できない。したくないというのが正しい。
「とりあえず――いいですか悪代官っ!」
人に指を突き付けて悪代官呼ばわりである。失礼極まりない。
「あなたが地下に秘密の礼拝堂を作ってるとゆー証拠はあがっちゃってるんです!」
まぁ、そこにいるしね。
「そして夜な夜なメイドさんたちと秘密のミサをやってるとゆーこともまるっとお見通しですっ!」
ここにいる法衣を着た女がメイドである確証はまったく存在しない。当たり前のように彼女の妄想である。
「くっ……なぜバレた…………!」
言わなきゃ妄言で済んだと言うのに。
どうやらよっぽど精神的に追い詰められているらしい。
「てゆーかそもそもっ! 私兵使わず冒険者雇って事件解決とかあやしいにもほどがあるでしょぉー! そのうえ地下にこんなの作って、入り口隠してるとかもぉー言い訳できませんよ! やるんだったらこの桜色の脳細胞を数時間でも誤魔化せるようにもーちょっと頭を使うんでしたねぇー!?」
あげく上から目線で「頭使ってくれないとつまんないですよぅ(意訳)」である。
彼女の脳内は常に小春日和だ。
「ぐっ…………くそっ、もう付きあってられん! ハンス!」
「はっ」
「やってしまえ!」
「かしこまりました」
この貴族はどうやら、悪役特有の敗北を悟ると開き直って殴り掛かってくるタイプだったようである。ハンスと呼ばれた執事の青年は、言われるがままに懐から装飾過多な短剣を抜いた。おそらく儀礼用のものであろうそれを構えると、貴族の前に立ってツンツン頭たちと対峙する。その後ろに続くかのように、女たちも似たような短剣を抜いて、へっぴり腰でもって彼らに突き付けた。
「こいつらも生贄に捧げて、俺の栄華の礎にしてくれるわっ!」
しかしこんなん生贄に捧げても神様は受け取り拒否しそうなものだが、そういうところまで頭が回っていないらしい。
「つまり自分の出世のために死神さんを作って並み居るライバル皆殺しってヤツでしたかー……ほんと初めてみたときから悪役ですねぇー。豚さん――は、二人いましたね。リヒトさんも、そう思いません?」
「君は少し悪びれたほうがいい!」
リヒトが腕を挙げる。十二の闇の精霊が整然と並び、一斉に剣を掲げた。
「うーん、これちょっと怖いですねぇー。なんとなーく呪われてるっぽいナイフ突き付けられちゃってるあたり、わりとテンプレな状況なんですが……」
ツンツン頭は横目で、ちらりと親友二人を見る。
三つ編み少女は両手で抱きかかえるように樫の杖を構えている。その先には"照明"が発生しており、いつでも投げつけられるようにしてはいるものの、肩に力が入りすぎて完全に身動きが取れないような状態だ。
日焼け娘は武芸者の職業だからか、シャムシールを構える。どこかスレた性格をしているが、しかしこういった荒事にはまったく慣れていない彼女の膝はがくがくと笑っていた。
「よしっ、ちょっと本気出しちゃいますかぁー!」
ツンツン頭はショートソードを引き抜く。
「――――"召喚:拘束"かっこぶつりぃー!」
じゃららららららららら――――――――――――――――――!
「んなぁ!?」
けたたましい音を鳴らして、突如彼らを中心に太い鎖がいくつも現れる。それは両端を床や壁、天井に埋め込みながら礼拝堂いっぱいに張り巡らされ、あっというまに貴族たちを拘束させた。
「…………うっわ、チートくさ」
「まるでコーみたいだよ…………」
日焼け娘がその状況を端的に言い表して、エルフの青年が呆れたようにつぶやいた。
「ふぅー、仕事したっ!」
少女は満足げに汗ひとつない額をぐいと袖口で拭うしぐさをして、
「じゃ、リヒトさん。あと闇の精霊で無気力化しちゃってください。そしたら、しっしょーのところに帰りましょ?」
エルフの青年を見上げて、ツンツン頭はにっこりと微笑んだ。
○
「あだだだだだだだだだだ――――――――――――っ!」
少女の絶叫が酒場にこだまする。
「ギブ、ギブですしっしょー! 私のあたまがぁあああああああ!?」
男の拳がツンツン頭のこめかみにぐりぐりと食い込む。いわゆる、梅干しの刑だとかグリグリだとか呼ばれる体罰を受けていた。
「おい…………あまり、いじめてやるな」
親こそは呼ばなかったが、しかし上司は呼んでいる。
普段は奥に引っ込んで表は三人娘に任せっきりの四分の一巨人が表にいると非常に威圧感がハンパないようで、少女に課せられる体罰の絶叫も相まって、酒場はシィンと静まりかえっていた。
「危ないことすんなって言い含めてたのにやらかしやがったんだぜオヤジ! しかも俺のココアとか勝手に使うわ、俺のスペースに呪われてるナイフを無造作に放り込んでるわ! 今怒らんでいつ怒るよ! 今だろ!?」
これは周知だ。こいつのやってることに巻き込まれたい奴はいないだろうな、こいつと一緒に怒られたい奴はいないだろうな、という警告だ。少女の舌先で踊るような輩が出てこないとも限らないからこそ、あえて男は酒場で叱っていた。
「…………なんの、呪いだったんだ?」
「致死系」
ざっくりと男は一言で済ます。しかし呪われたナイフは冗談では済まない話だ。四分の一巨人は難しい顔をしながら、少女を上から見下ろす。
「……………………も、もうやっちゃだめだぞ?」
――あ、あまぁあああああい!?
その威圧感あふれる厳つい姿には似つかわしくない一言に、酒場にいた者たちの心が一つになった。
「オヤジ、冗談はいけねぇよ……?」
「叱るのには、慣れていない……」
酒場で騒ぐ荒くれ者どもには容赦なく鉄槌を落とすわりに、本人はわりと平和主義なのである。しかしさすがに限度はあるというか…………ともあれ、三人娘を我が子のように溺愛しているという噂は本当であった。
「くそっ、オヤジはもうダメだ…………!」
男は顔を覆って嘆く。
「えと…………しっしょー?」
「あんだ?」
「とりあえず私の弁解を聞いてほしいんですが………………」
「致死系の呪いかかった短剣放り込んでくれやがったことについてか?」
「……は、反省文で済みますかねぇ………………?」
弁解のしようがなかったらしい。
少女は震えた声で、そう申し出た。
「済むと、思ってんのか……………………?」
「で、ですよねぇー…………」
その日、酒場に巨大な雷が落ちた――――
魔神の少女、勇者結花ちゃんの偉業そのいち
「邪神の力でコロコロしようとした悪徳貴族をぶっ飛ばした!」
ただし本人は不法侵入や器物破損、暴行等を犯した模様。
しかし刑事法が軟弱なこの世界では罪に問われることはない。
――これぞご都合主義である!