#02 きいろいあくま
帝国の某所、とある貴族が収める領地――わざわざ身分を示す紋章を隠してやってきたのだ、あえて言及することはあるまい――は山間部に存在し、十数戸の農家に、雑貨ならだいたい何でもおいてあるような小さなよろず屋が一軒だけ。その周囲は青々とした麦穂や、真っ赤に熟したトマトなどの野菜が植えられている広大な畑で囲まれている。
そうした田舎然とした景色が一望できる少し離されたところにぽつんと一軒建っている屋敷の前に彼らは立っていた。
「皆様にはこちらの、ゲストハウスを使っていただきます」
あの時、貴族と一緒にいた執事がそう告げる。
迎賓館などという耳触りのよい名前がつけられているが、ようするに外部の人間をまとめて村の外に隔離するための施設である。閉鎖的な村社会では、厄介ごとはいつも決まって外からやってくると考えられているために建てられたものだ。
「空あおーい!」
「空気きれーい!」
「ちょーいなかー!」
そうした事情も知らない三人娘はのんきに「あはははっ」と笑いあう。保護者として連れてきているエルフが苦笑いを浮かべながら「静かにしていようね」と嗜める。
――完全に夏休みのアウトドア気分であった。
「元気ですね」
「……お恥ずかしながら」
執事に言われ、男は複雑な表情を浮かべる。
「コホン……皆様にはこちらのゲストハウスを使っていただきますが、基本的に中の物はご自由に使用していただいても構いません」
「おー、ふとっぱらぁー!」
「ははは」
ツンツン頭の言葉に、執事は愛想笑いを浮かべた。
「庭の小屋に薪を、地下室には食材を十分な量だけご用意させていただきましたが……人数が増えてしまっているようですので、後ほど改めてお届けいたします」
「ああ、よろしく頼む」
「では、これで」
執事は恭しく一礼したのち、踵を返した。
「しっしょー、しっしょー」
麦畑の間を走る、土を踏み固めただけの細い道を歩く執事の背中を見送っていると、ツンツン頭が男の袖をくいくいと引いた。
「あん?」
「あの人の手前、聞けなかったわけですけど」
「うん」
「真歩ちゃんから教えてもらったんですが、エント族って人権が認められてるとかなんとか」
「そうだな」
「じゃぁお聞きしますけど」
首をこてんと傾けて、問う。
「それって討伐とかゆっちゃって大丈夫なんですか? てゆーか討伐って、それ迫害ってゆーか虐殺じゃないです?」
「いいところに気が付いたな、結花」
ぶっちゃけお前がそれに気付くとは思わなかったぞと言外に語る。
「俺たちはまず、それを調べなきゃならんのだ」
「ですかー」
「でもそれって国とかそういうトコのオシゴトじゃね?」
「瞳子も、いいところに気が付いたな?」
続けて疑問の声を上げる日焼け娘に、同じような含みを持たせた言葉でもって応じた。
「騎士団は今すげぇ人手不足で、こんなところにまで人をやってる余裕がないんだ」
「へぇー、そうなんだ?」
この原因は帝国の社会制度と、教育にある。
帝国では一種の職業身分による階級制度が導入されている。これはようするに、社会全体が親の仕事を引き継ぐという世襲制をとっているのと等しい。ゆえに親が子に教育を施し、そして親の教育ではカバーしきれないような社会的な道徳や倫理観は宗教によって担保している。
この方式の利点は教育に金や時間がそれほどかからないことと、その職業分野における人手を一定数確保し続けることができるという点だ。今の日本みたく農業などの後継者不足が問題になる、なんて事例はほとんど発生しない。欠点は教育水準が低くなりがちなことと、職業選択の余地がないため、逆に一度でも後継者不足や人材不足に陥ってしまうとそれが慢性化しやすいという点だ。
特に騎士団はそれが顕著に出てしまっている。
騎士団の中枢を形成している貴族たちはそもそもが指揮官の役割を担っており、総数で見ると実はさほど多いものではない。騎士団の多くを編成しているのは平民だ。その内訳としては家業を継げなかった次男三男が多く、まずは教育から施さなければならない。
で、騎士もしくはその従者にふさわしい教育を施されていく過程で、若者は気づいてしまうのだ。「あれ、日本に出稼ぎに行ったほうがよっぽど楽で裕福な暮らしができんじゃね?」と。
水は低きに流れると言うが、それはまぁ異世界でも同じこと。微妙に語弊があるが、日本と帝国は地続きになっていて、手続きの手間はともかくとして実際に行き来が簡単である。そうすると家業を継げなかった若者が実家に仕送りするために日本の就労ビザ取って出稼ぎに行ってしまうため、結果、若者の流出が止まらず人手不足に陥っているのだ。
ちなみにそうして日本に行って結局ビザが取れずに帰ってきたものが平等だとか平和だとかそういうのに染まっちゃったせいで妙な使命感を帯びて、でも騎士団に直接文句言うの怖いから一部の業務を代行してる冒険者に罵声を浴びせているという某団体の一員になっちゃったりしている。
こうした輩をいちいち捕まえているとそれこそ手が足らなくなるので、騎士団も放置しているのだが――まぁ、それは今は関係のない話である。
「まぁー、騎士団ってつまり軍人っしょ? 少ないに越したことはないよねー……って、兄ちゃん。なに変な顔してんの?」
「いや、平和だなぁー、って」
正直なところ騎士団は警察機構も兼任しているため一概に軍人であるとは言えないし、少なすぎると治安問題が出てくるし、そもそも軍事力がないと今度は周辺国から攻め込まれたりするのだが……そんなことなど微塵も考え付かない、少女の平和な考えに男は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「とりあえず話戻しますけど……会っていきなりズンバラリ、ってゆうのはないってことですね? しっしょー」
「ヤバめの宗教広がってたら、場合によっちゃズンバラリだけどな」
「ですかー」
そうして処断されたのが獣人族の国の王であった、現在では魔王と呼ばれる者とその直系の一族である。もちろん、助命されたものも何人かはいるが。
「ワシの手間が増えるし、そうなっていてほしくはないがのぉ……」
ドワーフ娘はそうぼやく。
彼女は鉄と炎の神を崇める神殿に聖人として登録されているので、もし仮に危険な宗教が広まっていたら、聖戦の発令を求めて国に戻って書類書いて法王に謁見して上奏して書類書いて謁見して承認してもらって聖戦士部隊を編成して書類書いて謁見して前線で指揮しながら先陣切って敵軍に突っ込まねばならない立場なのだ。
神殿から専用の武器や鎧が与えられている"聖女"の称号は伊達ではないのである。
「……書類作るのめんどうじゃし」
ただし本人は布教および奉仕活動という名目でデスクワークから逃げてる生臭坊主だ。これこそ神に認められて奇跡の一端を担っているからこそできる暴挙、職権の乱用である。
「で、それはそれとしてしっしょー。調べるっていったい、どうやって調べるんですか?」
「……俺たちには、親からもらった立派な足があるだろう?」
「ですかー……」
捜査の基本は足である。
昭和の刑事ドラマから連綿と受け継がれているそのフレーズを思い出し、少女たちは苦笑いを浮かべた。
「ははは、まぁそれは昼からでもいいんじゃないかな? そんなに長期間というわけでもないだろうけどね?」
エルフが意識を切り替えるように両手をパンと合わせて音を鳴らす。
「何日ぐらいって言われているんだい? コー」
「今日から三日だな」
「三日か。じゃぁ僕らはちょっとした避暑旅行みたいな気分でいられるね」
「おぬし手伝わん気じゃな!?」
「だって僕の仕事はリトルレディたちのおもりだからね!」
悪びれもせずに言う。
「なによりコー、君は彼女に『どこかに連れてって!』とお願いされていたじゃないか。いいチャンスだろう?」
「瞳子、海がよかったかなー」
「近くに川とかないですかねー?」
「ははは、東海岸のジンベエザメと呼ばれたこの僕が泳ぎを教えてあげよう」
「あ、泳げるんでいーでーす」
「変態死ね」
「なんか君たち僕に対する風当たりが強くないかい!?」
一種の自業自得である。
「えと、私はエント族に会いたいので、お兄さんたちのお手伝い、します」
「真歩ちゃんはいい子だなー」
「まったくじゃ、あのエルフとはまったく人間のデキが違う」
「君たちまでっ!」
そのやり取りに、ツンツン頭は「あはは」ところころ笑って、
「じゃー、とりあえず私たちここでお夕飯の準備とかしてますねっ!」
と。
まるで野外実習で張り切る女の子みたいに――いや、彼女は正しく女の子だが――自信たっぷりにガッツポーズを作る。
「結花はダメ」
「えーっ!?」
それを日焼け娘が一蹴、
「ただ辛いのとか甘いのとか、瞳子はあれを料理とは認めない」
断固として厨房には立たせないという態度をとった。
「おぬし、下手くそなのか……?」
一応炊き出しとかやってたことのあるこの聖女様はそこそこ料理ができる。まぁ、大量製造の弊害か、大雑把ではあるが。
「そんなんじゃ嫁の貰い手がねぇーぞ?」
こっちに来てからはわりと一人暮らし歴が長い男もそれなりに料理はできる。こいつもまぁ大雑把だが。
「コー、彼女に失礼じゃないか! そんなんだから貧相野蛮なドワーフ女に魂を引かれてしまうんだ!」
相手によっては「僕は料理ができないから」なんて調子のいいことを口にするが、このエルフ、モテるための努力は惜しまない性格をしているので実はちょっと引くくらい料理がうまかったりする。
「おう、おぬし最近ちぃとばかし調子のっとるのぉ……?」
づん、と。ドワーフ娘の肩に担がれていた大戦斧の石突が地面に突き刺さった。
「オルガ、子供の情操教育によくないからやめろ」
「じゃけど」
「後で俺も協力してやる」
「しゃぁないのぉ……」
この場を収める方便であってほしいと、エルフの青年は心の中で願う。
「……で、えっと? お前下手なん?」
「へたっぴじゃないですよーぅ!」
「真歩ちゃん、君の意見を聞こう」
本人の口から言わせておきながら、男は客観的な感想を三つ編み少女に求めた。
「あはは……ごめんね、結花ちゃん? 結花ちゃんは料理、へたっぴです」
「真歩ちゃぁああああん!」
裏切られた少女の慟哭が木霊する。
○
捜査の基本は足である。少女はそんな、刑事ドラマで使い古されたフレーズを思い出す。
「何はともあれ、何が起こってるのかくらい把握しておかないと対処のしようもないんだけど……」
見上げると、男は難しい顔をしていた。
「なんじゃ、こりゃあ……まるでゴーストタウンではないか」
ドワーフ娘が言葉を継ぐようにして呟く。
「一応、生活音はするっぽいけど……」
「……鎧戸まで閉めちょるな?」
「ああ」
「なにか、あったんでしょうか?」
顎に手を当て、ふむ、とドワーフ娘は思案顔を浮かべる。短いそれを経て、彼女は近くの家の玄関へと足を向けた。
「あー、誰かおらんかぁー?」
どんどんどん。鉄のガントレッドに包まれた小さな握りこぶしで、頑丈そうな木製の扉を叩く。
『…………誰だ?』
扉の向こうから、大股でやってきたような足音。その後すぐに、小さなくぐもった男の声が聞こえた。ドワーフ娘は、顔も見せないようなその対応に「ずいぶんと警戒されちょるのぅ……」と呟く。
「あー、ワシゃあ鉄と炎の神エーニュアリオス様の神官で、おしゃべり火山の向こうにあるドワーフの国から来とるオルガという者じゃ」
『司祭様? …………うちは太陽神信仰だから間に合ってるよ』
「違う違う」
別に相手と目を合わせているわけでもないのに、彼女は手を振って否定した。
「ここの領……あー、やんごとないお方から、ちぃとエント族についての問題をじゃなー、解決してほしいという相談を受けて、こうしてはせ参じたわけじゃが……」
『……そうか、わかった。じゃぁ、さっさと奴らを切り倒してきてくれ』
「いや、どういう状況かを知らんうちにそういうのはちぃと……」
『…………今にわかる』
なんと不親切な人なのだろう――少女はそう思うが、しかし、いつだか読んだ推理小説の舞台になったおかしな風習の残る閉鎖的な村もこんな感じだったなと思い出し、かえって納得してしまった。
「さようか。うむ、邪魔したの」
『ああ……』
分厚い扉の向こうから、人が踵を返して足早に去っていくような足音が聞こえた。
「……田舎ってもうちょっとあったかいようなイメージがあるんですけどね」
ドアの向こう側にいては聞き取れないであろうほどの小さな声でそうささやく。それを聞いた男は肩をすくめた。
「田舎はあったかいんじゃなくて、身内に甘いだけだよ」
それはそれで暴論じゃないのかなぁとも思うが、言い返さずに「あはは……」とあいまいに笑ってみせた。
「神官でこれじゃと、たぶんおぬしらでも、他の家でも変わらんじゃろうな」
「そうですね」
肩書が神官ならば――相手が信用してくれればの話だが――社会的信用があるが、しかし男と少女の肩書は冒険者である。日本で例えるなら日雇いで食いつなぐ肉体労働者といえばいいか。職業に貴賎をつけるつもりはないが、それを信用しろというのはいささか難しいだろう。
「じきに分かる言うておるしのぉ……なんぞ戦争でもしとるんかの?」
「バーナムの森が動いた、ってか?」
「なら女の股から生まれてない人を連れてこないと」
「それで死ぬの簒奪の王じゃん」
「ワシゃあよう知らんけど……それってつまりなにか? エント族が貴族を殺すとかそういう予言かの?」
「ん、今回のとは全然関係ねぇー戯曲だな」
「ですね。冗談で言っただけで、あんまり関係ない古典文学です」
「てか、真歩ちゃんマクベスなんてよく知ってるな?」
「あはは……図書館は私の庭みたいなものでしたので。そういうお兄さんこそ」
「こういう話は偉い人との話のタネになるからね」
「なるほど」
「――つまりワシだけのけものかい」
二人しか知らないことで盛り上がられて、ドワーフ娘は唇を尖らせる。
少女よりも背の低い彼女がやると、まるで正月ぐらいにしか会わない少女の従妹――小学生低学年である――がふてくされて拗ねたときのしぐさに似ていた。
「えと、それはそれとしてですけど……これからどうします?」
「町をぐるーっと一回りかなぁ」
「まぁー、ゲストハウスで隔離されとる身じゃとなぁ……」
「あ、やっぱりそうなんですか」
少女は自身を聡い子とは思わないが、しかし獣人族の魔神使いに「適性がある」ということで賢者の職業を当てられてからは妙に頭が冴える時が多くなってきたことを自覚していた。
これって学校のテストとかのとき卑怯なんじゃぁ……なんて思う反面、彼らの話についていけることが、素直にうれしかった。
「なにか手がかりがあるといいんですけどね。エント族って、そんなに、好戦的な種族じゃないってゆうか……………………あれ?」
「なんじゃ、どした」
何の気はなしに、ふと視線を二人から逸らした瞬間だ。
「あれ………………」
遠くの空を指さす。その先には、黄色い靄のようなものがゆっくりと村のほうへと流れてくるのが見えた。
「なんじゃありゃ?」
「霧、にしちゃ黄色いし。虫かなんか、にしちゃ羽音も聞こえないな?」
「幽霊かなんかかの?」
「黄色いのなんて聞いたことがねぇーよ」
それを見た二人は互いに首を傾げ、
「………………………………あっ!」
少女は、賢者技能で引き出された図鑑の知識がその現象と結びついて、慌てたように声を上げた。
「エントの花粉です!」
エント族は植物とほぼ等しい繁殖方法をとる両性具有である。ようするに繁殖期には花粉を飛ばして受精、どんぐりにも似た果実――堅果と呼ばれる――を地面に埋めて育てるのだ。ただ、すべてがエント族に成長するわけではなく、数百個のうちの栄養状態の良い一つか二つほどが長い年月をかけてエントに成長する。
「えと、人間の近くに住んでるエント族は、普段は水媒花とおんなじ方法をとっていて……」
風で花粉を運ぶなら風媒花、虫なら虫媒花、鳥の場合は鳥媒花といったふうに、雨などによって得た水で花粉を運ぶ植物の種類を水媒花と呼ぶ。身近な植物でいうと、梅雨に花を咲かせる栗の木だ。
「いや、そこはどうでもいい。問題はどうして、今、風で花粉を飛ばしてるか、だ」
遠くでも目に見えてわかる大量の花粉である。なるほど、花粉症でなくともあの量なら物理的に危険だろう、どおりで町の住人が外に出てこないわけだと、男は顔をしかめながら言う。
「あ、その前に――」
少女は両手で杖を構える。口の中で小さく呪文を唱え、
「――"空気の被膜"」
高山や水中など酸素が薄い、もしくはまったくない環境で活動するために使う魔法を自分たちに付与する。賢者は攻撃的な魔法こそ少ないが、こうした補助的な魔法を数多く使用できるのだ。
「ぬおっ?」
酸素を多く含む非常に澄んだ空気の被膜が、自分の全身を覆う感覚に戸惑うように、ドワーフ娘は小さく体をよじらせ、声を上げた。
「真歩ちゃんナイス」
「便利なの覚えてとるのぉ」
「えと、海でシーウォークとかやりたいねって、結花ちゃんと話してたので」
当たり前だが、いくら職業による補正が働いているとはいえ、魔法を扱うには多少の訓練が必要である。しかし偶然にも、少女は夏休みをエンジョイするための魔法として練習を続けていたのだ。
「それでですね、"空気の被膜"の酸素は一時間ぐらいしか持たないので、そのつどかけ直します」
少女はスマホを取り出し、余裕を見て五十分でタイマーをセットした。
「あと、剣とかで切られても大丈夫ではあるんですが、別に防御力とか上がるわけでもないですし、それに激しく動くと酸素の消費も激しいので、息苦しい、って感じたら言ってください。補充するんで」
「あくまで酸素ボンベってわけか」
「はい」
自身の補助魔法の説明を終え、
「それで――花粉の件なんですが」
少女は意識を切り替えるように、両手で大きな眼鏡の位置を直した。
「エント族は、外敵に襲われるとか、そうゆう危険が迫ると、イカ墨みたいに花粉をばらまくって、本で読んだことがあります」
○
右手にジャガイモ、左手に水を張った桶。
「ひぃいいいっさつ! ジャガイモカッタァアアアアア!」
ツンツン頭が妙に熱を入れた絶叫を上げると、ジャガイモの皮の下から、ぱちゅん、と水が弾ける。次の瞬間、一本につながったジャガイモの皮が剥がれ落ちた。
――"異界渡り"の能力を無駄に使った、スタイリッシュジャガイモの皮むきである。
「結花、いちいちうるさい」
それに対して、夕食の料理を仕切る日焼け娘が注意した。
「ごめーん。叫ばないとうまく発動しなくてー」
なかなか難儀な話だ。
「でもみてっ、とっても薄くきれーに剥けたよっ!」
「ふーん……もうちょっと厚く切ってくんない? てか、芽ぐらい取ってよ」
「えー? 栄養いっぱいなくない?」
「そこあるのは猛毒だよ!」
なお、ジャガイモに含まれるソラニンという神経毒素は芽以外に、表皮にも含まれている。なので、皮と実の間に栄養が、などというメシマズ理論は大変危険なのだ。
「だめだ、結花にはジャガイモすら剥かせらんない……!」
しかも"異界渡り"の能力を使った皮むきは非常に遅い。これは本人がジャガイモの形を把握しどう能力を扱うかを判断してからでなければならないからだ。ぶっちゃけ芽をとってくれないまでも、ピーラーで皮むきしてもらうほうがナンボか安心するレベルである。
「ははは。確かにそうかもしれないけれど、みんなでカレーを作るのはとても楽しいから、もう少し彼女にも頑張ってもらおうじゃないか。それはきっと、後々の楽しい思い出となって夜空の星のようにキラキラと輝くと思うな」
二人に合わせたレベルでニンジンの皮むきをしているエルフがそうのたまう。
「あ、とりあえず豚さんは同族さん切ってください」
「手伝てくれるのはありがたいけど、いちお、瞳子たちにそれ以上近づかないでね?」
「君たち僕のことがそんなに嫌いかい!?」
「好きか嫌いかって言ったら、まぁ、嫌いかな」
日焼け娘はあっさりと口にする。
「なんてゆーか豚さんってこー、女好きのイケメンだけど三枚目の印象が抜けきらない残念なキャラクターの臭いがするんですよね。昔の彼女さんの影を忘れようと一生懸命女遊びに励むんだけど結局忘れきれなくて、それで油断しちゃって戦死して周りから『あんな奴だったけど、いざいなくなると寂しいよな……』って言われてようやく報われる感じってゆーか」
「君はよく身内を殺す設定を吐き出すけどそれは何かの病気かい?」
しっしょーと呼んで慕う男なんか三回パターンくらい彼女の覚醒を手伝って死亡するシチュエーションで殺されている。エルフがそう聞いてしまうのも無理のない話だった。
「あ、じゃぁーせっかくイケメンさんですし、しっしょーに敵対する感じに悪堕ちしちゃったシチュで数話ぐらい尺とってそれがきっかけで腐女子さんにしっしょーとくんずほぐれつ」
「僕はノーマルだ! やめてくれたまえよっ!」
「まぁーなんてゆーか、こんなふうに熱い小宇宙的なものが私の中でこー、渦巻くわけなんですよ。なので決して病気ってわけじゃないです」
ただし病的ではある。
「とりあえず話戻しますと、なんか豚さんって戦場で惜しまれることなく死んじゃったあとにようやく評価される感じの臭いがするんで、縁起的にちょっとお近づきになりたくないかなぁー、と」
ひでぇ話である。
「…………ま、まぁ、僕の良さがわかるには少し時間がかかるしね?」
前向きなことを言って、エルフは精神の均衡を図った。
「とにかく、料理を続けようじゃないか。僕は豚肉を切ればいいんだね?」
「うん、よろしく――……で、結花」
「ん、なぁに?」
「ジャガイモいいからお皿出して」
「え、でもジャガイモまだたくさn」
「皿、出して」
「…………瞳子ちゃんのいじわるー」
「悔しかったらまともにジャガイモ剥けるようになってからでなおしてくんない?」
「ぶぅーぶぅー」
唇を尖らせながら、ツンツン頭はジャガイモをざるの中に放り込む。そのまま未練がましく踵を返して、屋敷に備え付けられた食器棚の、ちょっと高いところにある木製の皿に手を伸ばし――
「あっ」
少女の手の中で、それが突然、真っ二つに割れた。
「…………ふんふん」
食器がひとりでに割れるというのは不吉の象徴だが、しかしこれはこの中の誰のものでもない皿だ。そうなるといったい誰にこの不吉が降りかかるのかと短く思案し、
「おおっとぉー、しっしょーのおさらがぁー! …………なんちゃって」
少女は、しっしょーと慕う男の皿に見立ててそんなことを呟いた。
「おい、縁起でもねぇこと言うんじゃねぇーよ」
「――――ひゃぁああああ!?」
虚空から響いた声に、少女は背筋をピンと伸ばして悲鳴を上げた。
見上げれば台所の天井にぽっかりと青空が覗いていて、そこから男が少女たちを見下ろしていた。
「誰の声かと思えば、コーじゃないか」
ピクピクと耳を動かして、エルフが言う。
「どうしたんだい、こんな早くに。もしかしてお腹でも空いて、もう帰ってきてしまったのかい?」
「そいつぁミカヅキの持ち芸だ」
「それもそうだ」
くすくすと笑うエルフを傍目に、男はその、外の空間と繋がった天井の穴から「よっと」と声を上げて台所に着地する。
「ヤバいことになったから帰ってきたんだよ」
「ヤバいこと?」
「真歩ちゃんが気付いたんだけどな」
見上げて、三つ編みの少女が「えいっ」と飛び込んできたのをうまく抱きとめてやる。
「ありがとうございます」
「気にすんな」
「次ワシー」
「お前は自力で着地せいや」
続けて飛び込もうとした、ずっしりと重いチェインメイルや鋼鉄のガントレッド、グリープ、そして大戦斧を担いだドワーフ娘に、両手でバツ印を作ってみせる。
「ケッチじゃなぁー……………っと」
ずん、と重い音が台所に響く――幸いにも、床は抜けなかった。
「それで、何があったんだい?」
「エント族がすげぇー花粉飛ばしてる。外やべぇ。たぶん視界なくなるぐらい」
次いで、
「だから外敵に襲われてる可能性がある。花粉がなくなってから森に行くぞ」
深刻な事態を、言い放つ。
ツンツン頭のヒミツその1「妄想癖」
目の前で垂れ流してたらそら嫌われる。とはいえ、実際に起こってほしいわけではない。そんなこと当たり前か。
ツンツン頭のヒミツその2「メシマズ」
アレンジャーではない。彼女はイイカゲーンなのだ。
そして彼女はまだ変身を二回残している……この意味が分かりますか?