ALDNOAH.ZERO 考察と感想(これは小説ではありません。論文に近いです)
アルドノア・ゼロ 感想と考察
昨日で人気(?)ロボットアニメが最終回を迎えたわけだが、アニメオリジナルということもあって、制作側の意図を考察してみようと思う。
原作がある場合は往々にしてアニメと解釈や描写がずれるので考察が当てにならないので、今回はアニメオリジナルなのでアニメそのもを考察することで完結する。
キーワード
地球・火星間の星間戦争 アルドノア(未来的高エネルギー物質)
封建制度 資源問題 カタフラクト(ロボの通称)
世界観
1972年、アポロ計画の最中に月で地球と火星を繋ぐ古代文明の遺産『ハイパーゲート』が発見された。地球はレイレガリア博士を中心とする調査団を火星に派遣する。その後、火星で古代火星文明のテクノロジー『アルドノア』が発見された。それは高エネルギーを有し、現在地球が抱えているエネルギー問題を一挙に解決する夢の物質だった。
火星側の独占の主張と地球側の共有化の主張が対立し、徐々に火星と地球との軋轢が増していった。
1985年、レイレガリア博士は自らを皇帝と称し、火星に「ヴァース帝国」を建国。
1999年、2代目皇帝はアルドノアを軸に工業が大きく発展させたが、水の殆ど無い惑星であり、テラフォーミングを怠っていた背景も相まって、深刻な食糧問題が発生し、豊かな資源と環境をもつ地球に宣戦布告をすることなった。
しかし、突如ハイパーゲートが暴走を起こし月が砕ける大惨事「ヘブンズ・フォール」が発生。皇帝の戦死も伴い、2000年に地球と火星間で休戦協定が結ばれた。この時の教訓から地球側はヴァース帝国軍との交戦を想定して、人型機動兵器「カタフラクト」の操縦・戦闘技術の指導を義務教育として導入することを決定する。
現在
2014年が現在時間軸となるので、この世界は遠未来SFではなくパラレルワールドSFということになる。
概要
戦争の発端は資源問題が大きいが、15年前に休戦しているだけあって、地球はいたって平和だ。前述したカタフラクト操作の義務教育も行われてはいるが実践が伴わないため形骸化している。
舞台は現代日本から世界、宇宙へと広がっていくわけだが、アニメ第1話において星間戦争は再燃する。
原因は有効目的で東京を訪れた火星の第1王女が暗殺されたこと。
当然のことながら、火星は宣戦布告しないわけにはいかず、戦争は勃発する。
火星のカタフラクト戦力は圧倒的で、平和ボケした日本軍のカタフラクトは歯が立たない。
しかし、それを逆転していくのが本作一人目の主人公 貝塚稲穂少年だ。
彼の機転によって彼の同級生らは戦線離脱に成功する。
その途中で出会ったのがセラムと名乗る少女。彼女の正体がまさに火星の姫、アセイラム姫だったわけだ。
つまり暗殺はなされておらず、死んだのは影武者だったということだ。
彼女は自らの存命を本国に伝えるため、日本軍ひいては地球連合軍と行動を共にする。
しかし、そもそも姫の暗殺自体が火星の一部の軍人の計画であり、彼女の声は本国には届かない。
現段階において地球にとって勝ち目のない戦争を終わらせる手立てとして、稲穂少年ひいては地球連合軍はヴァース帝国へコンタクトを取ろうとするが、当然その最中に敵カタフラクトと戦闘になっていく。
一方、火星にも姫の生存を確認したものもいた。それが二人目の主人公スレイン・トロイヤード少年だ。
父が地球の科学者であり、アルドノア研究のために父子で火星を訪れていたが、事故によって父を失い、火星では使用人として虐げられていた。
彼は姫の存命確認後、姫の救出と戦争の中止のために奔走した。
が、ようやく姫と邂逅したとき、姫は火星軍人の凶弾に倒れ、稲穂少年もスレインに左目を討ち抜かれ倒れた。
それから19か月後、稲穂少年と友誼を結び戦争の終結を望んでいたはずの、また、凶弾に倒れたはずの姫は火星本国から地球へ向けて宣戦布告をするのであった。
当然その姫は偽物であり、地球資源を欲する火星軍人の思惑は継続していた。
本物の姫は一命をとりとめたが、昏睡状態となっていた。
地球連合軍は19か月の間に軍備を再編し、火星に抗しうる戦力を有した。それに大きく貢献したのが、地球が唯一手に入れたアルドノア戦艦『デューカリオン』だ。
デューカリオンには稲穂少年が乗り込み、火星との全面戦争へと突入していく。
スレインは紆余曲折あり、使用人から騎士、そして伯爵まで上り詰める。
そして、姫(偽物)とともに地球に新王朝を築くことを宣言。それまで個人主義だった火星軍人をまとめ上げた。
しかし本物の姫が奇跡的に意識を回復。スレインの所業を知るや当然止めにかかり、女王即位宣言とともに地球へ和平を申し入れた。
大義名分を失ったスレイン派火星軍は一度は投降の意思を見せるも、最終的には総力戦に挑み、宇宙に散っていった。
全24話構成の大スペクタクルアニメだ。
考察
まずこのアニメのテーマを考える。
間違いなく『戦争』はその一つだ。その背景となる過ぎた技術力や資源問題も上がってくる。
これを現実に当てはめてみる。
資源の問題は南北問題や南南問題にかたられている。現在は国際協調のおかげであからさまな侵略戦争は起きないが、資源原産国は常に技術大国の食い物にされてきた歴史がある。
それがかつてあった帝国主義だ。イギリスのインド侵略は綿やアヘンといった資源を欲したもの、或いは広大な版図もつことによる貿易路の拡大だ。
フランス、ドイツの軋轢は当時は伝統と言って差し支えないほどだが、両国国境付近にあるアルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)地方を奪い合うことが目的とされていた。
また、日本韓国間の竹島(独島)領有問題や日本中国間の尖閣諸島問題も排他的経済水域に伴う海洋資源の利権がか絡んでいる。
戦争そのもにに目を向ける。
火星の圧倒的技術力でアニメ2000年に地球軍は事実上敗北した。ヘブンズフォールが起きなければ、あの時点で侵略されていたのは間違いない。
そしてそれはアニメ2014年になってもほとんど変化はないように思える。
実戦経験のない、あるいは実践の想定できない軍隊に防衛能力は皆無だ。
これは、日本の自衛隊に対する暗示と考えられる。
第2次世界大戦終結からはや65年。その間日本は軍隊を持たず、自衛隊も当然実戦経験のないまま時間が経過している。
今まさに自衛隊が実戦に巻き込まれる可能性が出てきているわけだが、彼らには戦場を生き抜き、或いは母国を守るための戦力はない。
今、仮に中国から侵略されたら、或いはアメリカから侵攻されたら、日本は消えてなくなり、中国日本省になるか、アメリカのジャパン州になるのが関の山だ。
まともに戦えるようになるのは、アニメのように多大なる犠牲が出てからだろうし、そもそも戦えるようになる前に侵略されきってしまうだろう。
戦争の流れと行方に目を向ける。
発端は姫の暗殺自作自演だが、国家元首一族の暗殺というのは戦争に対して確固たる大義名分を与える。
もちろん、単なる不幸な事故であれば話し合いの余地もあっただろうが、仕組まれていたことから一気に戦争までこぎつけてしまった。
これに似た事例がサライェヴォ事件だ。これは不幸な事故であり、思惑等は歴史上には出てこない。
こちらに関しては、場所がヨーロッパの火薬庫であったことが一気に戦争へこぎつけてしまった理由だが、王族の死はただそれだけで戦争の理由になる。
ただし、乖離点はアニメでは姫が生きていたことだ。これが地球の一縷の望みとなった。
また、火星軍をまとめ上げたのも、スレインの策略とはいえ、王族との婚姻、新王朝の樹立という王家からの大義名分が大きな影響を与え、戦争終結も女王に即位してアセイラムの鶴の一声によるものだ。
現実では王族というものは形骸化、或いは象徴化し実権を持たない国が多いが、それでも王族の言葉は重く、影響力は計り知れない。
日本を含めた立憲君主制国家は首相の暗殺で戦争は起きなくとも、王族暗殺では簡単に戦争が起きるのではないか。
王族の存在は、国家をまとめる主軸であると同時に、弱点でもある諸刃の剣であるのだ。
結論
このアニメのテーマは戦争の醜さ、悲惨さ、などではない。
恐らく現実への『皮肉』だ。西暦をそろえてきていることからも、うかがえる。
地球が一つにまとまったというのに、地球から別れた火星と戦争を行う。
同一の祖先をもつ人類が互いに奪い合う愚かさは、技術・思想が発達しようとも変わらず歴史を繰り返し続ける。やっていることは100年前から変わっていない。
そんな現実への『皮肉』だ。
感想
皮肉に気づくものがどれだけいるだろうか。或いは制作側はそこまで意図していないかもしれない。
しかし、この皮肉めいた解釈にたどり着く者は少なくないのではないか。この皮肉を我々が受け取り、何を考えるのだろうか。
「戦争はいけない」「戦争は不毛だ」これらは決して真理ではない。
戦勝者には莫大な利益が転がり込むのだから、真理のはずがない。
「戦争をしたくない」「戦争に行きたくない」「人を殺したくない」
「死にたくない」
これらこそが真実だ。これらはすべて感情だ。
善悪ではなく、忌避感、或いは生存本能。
これらを理解したうえで叫ぶのなら叫ばなければ。
「戦争反対! 集団的自衛権反対!」ではなく。
『我々は戦争に行きたくない!死にたくない!殺したくない!巻き込まれたくない!』と。
時に感情は倫理観や理論、理屈よりも大きな力をもつ。
しかしそれは、戦争に突入するまでの話だ。
攻め込まれたら、否応なしに応戦しなければならない。
その時のために、実戦に耐えうる防衛力は必要となる。
自衛隊はそのためのものだろう。災害復興や支援のために存在するのではないはずだ。
このアニメでは、多くのことを考えさせられた。
国際社会が抱える問題をそれとなく浮き彫りにした名作だとおもう。
しかし、解決例をを出すわけではなかった。
その点に関しては、制作側の意図なのかはわからないが、快刀乱麻に解決できないからこそ、我々は考えなければならないのだろう。
『忘れるな。考えろ』と言われた気がした作品だったように思う。
これを読んだ皆様のご意見ご感想をいただけると幸いです。