リンゴと蜂蜜2
▽空腹
何処かに向かっている馬車の荷台に座り込み、うとうととしていた。時々カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。
此処、何処だろう……。ちゃんと港町に着いたかな……。ぼんやりと考えていたら、ぐるるるるると、お腹が鳴った。
「おなか、すいた……」
そう呟いたが、この荷台には食べ物は載っていない。右見ても左見ても本ばかりだった。
「おなか、すいた……」
再び呟く。二日も食べていないのだ。このまま食べ物にありつけなければ、流石に死ぬかもしれない。
「おなか、すいた……」
もう何度呟いたかわからなくなった頃、馬車が止まった。しかし、動く気力は無かったので、そのまま座り込んでいると、目の前のカーテンが勢い良く開いた。
「……え?な、何やってるんだ、お前は!」
カーテンを開けたおじさんが大声を上げる。しかし、そんなものに返事をする元気など無かった。空腹で死にそうだった。
「え?何?」
「何事だ?」
「なになに?」
人が集まって来ているのがわかる。しかし、逃げる元気など無かった。空腹で死にそうだった。
「どうしたんですか?」
「あ、アスカさん。実は、荷台に子どもが乗っていて……」
アスカと呼ばれた茶色の髪の男が荷台に乗り込む。
「君はどうして此処に?」
「…………」
「何処から来たんだい?」
「…………」
返事をする元気が無くて黙っていたら、アスカは「ちょっと失礼」と言って、髪の毛を一本抜いてきた。……痛い。
すると、急にアスカの掌に光輝く分厚い本が現れた。
「アナリシス」
アスカはそう言うと、本はパラパラとめくれ、先程抜いた髪の毛を吸収してしまった。次の瞬間、本の真上の空間に光の文字や数字が浮かび上がる。古語で書かれているのか、全く読めない。アスカは、その文字をじっと見つめた後、本を閉じ、少年を抱き上げて、荷台から降りた。
「低血糖だ!早く医者を呼んでくれ!」
てーけっとー?
なに?また、なんかの病気?
此処に着くまでに一度病院に連れていかれた事を思い出す。紫の髪をした医者に取っ捕まって、「風邪です」って言われて、甲斐甲斐しく世話までしてもらっちゃって。でも、早く逃げなきゃだったから、病院から抜け出してきちゃった。貰った薬はあと一錠。持つかな……、この身体……。
そうこうしているうちに、何処かの建物の中の狭い部屋のベットに寝かされてしまった。
「今に医者が来るから」
アスカは心配そうにこちらを見つめている。別にそこまでしてくれなくてもよかったのに……。
「君みたいな子どもが何故……。親はどうしたんだ?」
いないよ、そんなもん。物心ついた時には既に孤児院にいたんだから。
お茶を出されたから飲んで少し落ち着いて、暫くしたら眠ってしまっていたらしい。気が付くと、部屋が変わっていた。傍には誰もいない。起き上がろうとしたら、腕に痛みが走った。
「……なにこれ」
腕に何か付いている。管。それに、液体が入った袋。病院で見た事ある気がするぞ。しかし、腕を動かそうとすると痛くてうまく動かせない。管と腕に貼られたテープを剥がしてみると管に針が付いていて、それが腕に刺さっていた。痛い訳だ。こんなもん刺してどうするつもりだ。
「こら!触るんじゃない!」
引き抜こうとしたら、男の声が聞こえた。でも、髪の毛を引き抜いた奴とは違う声。少し年老いた、そんな感じの……。
「まったく……」
扉の傍に立つ声の主は声の通り年寄りだった。しかし、しっかりした足腰で、呆けてはいなさそう。
「これ、何?」
「あ?点滴も知らんのか?」
そう言ってこちらへ歩み寄る年寄り。呆れた顔をしている。
「てんてき?何でそんなものがオレの腕に刺さってるの?」
「お前の栄養が足りんからじゃ。ちゃんと飯は食っているのか?」
「……二日くらい食べてない」
「何故?」
「……いいじゃん、別に」
少年はそっぽを向いた。年寄りは溜め息をつくと、傍らにあった椅子に腰を掛けた。
「そうそう、ワシはこの村の村長のハルカ・バブーンじゃ。お前は?」
「……『M1-03(エムイチのゼロサン)』」
「は?」
「『M1-03(エムイチのゼロサン)』って言ったの」
「…………」
ハルカと名乗った年寄りは黙ってしまった。顔が徐々に険しくなる。
「……何処から来たんじゃ」
「教えない」
「黄色い髪はこの辺では珍しい。遠くから来たのか?」
「……そんなに遠くからは来てない。国内の筈」
最後に場所を聞いた時から二日しか経ってないんだから、まだ国内だろう。
「それより、港に行きたいんだ。ここ、港町?」
少年はハルカが何か質問出来ないように、先に質問した。此処が港町なら、さっさと脱走して船に乗らないとならない。
「……此処はディスターブ。どちらかというと、山の中じゃ」
「え?うそだあ……」
「嘘じゃない。ところで、何処から来たんじゃ?どの道を通って来たんじゃ?」
「……王都。通った道はわからない」
「王都から来たのか。なら、港町は通り過ぎた、という事になる」
そんな……。ここまで来て、道を間違えたなんて……。
「港に一体何の用事で行きたいんじゃ?」
「……アセンズに行きたくて」
「アセンズへ、亡命、という事か?」
「ぼーめー?」
「……亡命も知らんのか」
ハルカは悲しそうな顔でこちらを見ていた。そういえば、紫の医者も悲しそうな顔でこちらを見ていたな。
「とりあえず、暫くうちに居るといい。このままでは、すぐに野垂れ死ぬぞ」
「点滴は絶対に触るな」と言い残し、ハルカは部屋から去っていってしまった。




