リンゴと蜂蜜1
山吹色の髪の少年は物陰に隠れていた。その手にはさっき盗んできた包丁。息を切らし、肩を上下に動かし、震える手で握りしめている包丁を睨んでいる。
「……やりたくない。やりたくない。やりたくない……」
小声でブツブツと呟く。脚の火傷がじくじくと痛む。
「……でも、やらないと、また、酷い目に合う」
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。
殺しだけは、やりたくない。
そこまで汚れたくない。
「──はっ」
コツコツと足音が聞こえた。来てしまった。あの人が来てしまった。
少年は足音の主の前に躍り出る。主は青年。長い黒髪を一つに束ねている。しかし、瞳は茶色だった。青年は驚いた顔をしたが、すぐに険しい顔付きになる。
「……ソレで、オレをどうする気?」
青年が言葉を発したので少年はビクッと身体が跳ねた。包丁の事を言っているのだろう。
「こ、殺せって、言われた」
「何故」
「じゃ、邪魔だからって」
「……そう、か」
思案顔になる青年。ブツブツと小声で独り言を言っている。少年は、どうしたらいいのかわからず戸惑っていると、青年はある言葉を発した。
「アブソルート院の差し金か」
「!?」
少年は包丁を構える。院長が「殺せ」って言うくらいだから、やっぱり孤児院の敵なんだろう。この孤児院の秘密がバレてしまったら、きっと、自分達は殺されてしまうに違いない。その前に、この人を殺さなければ。
でも、怖い。だって、殺しだよ?盗みとは違うんだよ?カラダを売るのとは違うんだよ?
こんな事になるんなら、あの時、壺の傍に居なければ良かった。あの壺を割ってしまったから、お仕置きとして熱くて痛い思いまでして、その上、殺しまでさせられる事になってしまったんだから。
「……脚。もしかして、火傷か?」
「え?」
青年の視線が少年の手元から脚に移動した。悲痛な顔になる。
「見せて。ちょうど、火傷に良く効く軟膏を手に入れたばかりなんだ」
青年は少年が持っている包丁など目もくれず、少年の傍へ駆け寄ると足元に屈み込み、鞄から軟膏を出し、脚に塗りだした。
「い、痛い!痛い痛い!」
「我慢だ」
青年は軟膏を塗り終えると、今度は鞄から包帯を出し、少年の脚に巻き始めた。
「……これでよし。跡は残ってしまうだろうけど、小まめに軟膏を塗り直して、包帯を巻き直せば治るよ」
そう言って、青年はいたずらっ子みたいな顔で笑った。
「殺されてあげたいのは山々なんだけどさ、オレ、やらなきゃならない事がいっぱいあって、まだ死ぬ訳にはいかないんだ」
「……でも、失敗したら、火傷、増える」
「そうか……」
青年は困った顔をした。こちらだって困ってるんだけど。
「……やらなきゃならない事って、何?」
少年は訊ねてみた。死ぬ訳にはいかないくらいの大切な事ってどんなのか気になった。だって、自分には何もない。ただ、死にたくないだけ。死ぬのが怖いだけ。
「色んな世界に飛び散った悪魔を全部捕まえて、兄貴と一緒に家族が待ってる家に帰る。って言ったら、信じる?」
再びいたずらっ子みたいな顔で笑う青年。それが嘘なのか本当なのかは、少年にはわからない。
「じゃあ、何で、アブソルート院に命を狙われてるの?」
質問を変えてみる。すると青年は優しい顔でこう言った。
「君みたいな子を助けようとしているからさ」




