始まりの唄14
▽お月見
眠れる、訳が無い。
真夜中に家を抜け出したサトシは、家から少し離れた所で立ち尽くしていた。左手には短剣が握られており、右腕からは血が滴っている。もうすぐ満ちる月をしばらくじっと見ていたのだが、思い出したかのようにズボンのポケットからハンカチを取り出すと血を拭いた。
「……やっぱり、これくらい浅いとすぐに塞がるか」
傷があった場所を見ると、跡すら残らず傷が塞がっている。はあ、と大きな溜め息をつくと、その場で座り込んだ。
いつの間にか習慣になってしまった、真夜中の『お月見』と言う名の儀式。儀式に必要な物はただ一つ、宝物の『ヒカルから貰った短剣』だけ。この短剣には、アンティークのような星の装飾が施されており『twinkle』と文字が彫り込まれている。
『ティンクル』……
『光る』……
『お星様』……
ふと、今日はもう一つ持ってきている物があったのを思い出した。短剣とハンカチを片付けると、もう片方のポケットから紙包みを取り出す。そして、それを膝の上で広げ、包みに入っていた物を一粒摘まみ、空へ掲げた。
……やっぱり、お星様にそっくりだ。
それは、表面が凹凸状の突起を持った小球形の菓子。色々な色があり、最近のサトシのお気に入りだった。口に含むと、甘味が口の中に広がる。
今日は人のお家にお邪魔しているから、儀式は我慢しよう。これを食べたら、ちょっぴり幸せな気分になれるんだ。
お空に浮かんでいるお月様と、お空で輝いているお星様の事を考えて。そして、いつもの『唄』を唄おう。
『朱い月と龍の唄』を――
「コンフェイトか。一粒頂いても構わないだろうか」
「っ?!」
突如、真横から声がして、サトシは驚いて口に含んでいた菓子を思い切り飲み込んでしまった。小粒だったので喉に引っ掛からずに済んだのだが、あまり味わえなかったので、ショックを受けた。
「……そこまで驚かなくてもいいと思うのだが」
ショックを受けたのはサトシだけではなかった。サトシは声がした方へ視線を移すと、残念そうな表情を浮かべたアスカが立っていた。
「あ……、アスカ……さ、ん……」
サトシが名前を呼ぶと、アスカはにこりと微笑んだ。
「コンフェイト。一粒頂いても構わないか?」
「あ、はい。どうぞ」
アスカはサトシから菓子を受け取ると、断りもなくサトシの隣に座り込んだ。結構近いので、サトシは僅かに怯えていた。だって、大人は『怖い』。
「眠れないのか?」
「あ……、はい」
「そうか。だが、眠れなくて夜空を眺めるのに、その物騒なモノは要らないと思うのだが、どうだろうか」
物騒なモノ。短剣の事だろう。
「えっと……、すみません……」
「身体中の傷跡。魔物と戦って出来た傷にしては、腹と右腕に偏っている。……自分で傷付けたんだな?」
「…………」
「その短剣は、自分で自分を傷付ける為に持ってきた。合ってるだろうか」
「……すみません」
サトシが謝罪を口にすると、アスカは苦笑した。そして、サトシの頭をそっと撫で始めた。撫でて貰うのは嬉しい。でも、怖い。
嬉しい怖い怖い嬉しい
怖い嬉しい怖い嬉しい
でも、やっぱり、怖い
『喜び』と『恐怖』の天秤は『恐怖』の方が多かった。逃げ出したい気持ちになってきた瞬間、頭から手が離れた。
「……そんなに怯えなくてもいい。何も、捕って喰おうなんて考えてないんだから」
そう言うアスカの顔は見なくてもわかる。きっと、困った顔をしているに違いない。
「……すみません」
サトシは再び謝罪を口にすると俯いた。向こうはきっと、好意を抱いてしてくれたのだろうが、自分はそれに応えられない。それはもう、自分ではどうしようもない事で、胸が痛かった。
「あー。やっぱり、サトシ居た」
後方から聞き慣れた陽気な声が聞こえた。だからサトシは振り向くと、わざとこう言ってやった。
「うわ。何か来た」
「ひでぇ。何かって何だよ、何かって」
声の主ラインは不満げな表情を浮かべ、サトシの隣に座り込む。何故お前までオレの隣に座るんだ。大人二人に挟まれたら緊張するじゃないか。
「こら。傷見せろ、傷」
「どうせ切ったんだろ」とラインはサトシを睨む。ラインはサトシの自傷行為を快く思っていない。理由は教えてくれなかったが。
「腕を浅く切ったからすぐに塞がった。跡も無い。ハンカチが汚れただけ」
そう言ってサトシは話を切り上げると、膝の上のコンフェイトを見つめた。どの色を食べようかな。
「つーか、お前は何でオレにだけ冷たいんだ」
「お前が胡散臭いからだ」
「胡散臭いって……。オレって、そんなに胡散臭い?」
ラインは困った顔をアスカに向ける。アスカは真顔で首を縦に振った。わあい。やっぱり、ラインは胡散臭いのか。ラインはショックを受けた顔をしていたが、すぐにサトシの膝の上のコンフェイトに気付いて指を指した。
「ん?それ、今日買った金平糖?」
ラインはコンフェイトの事を『こんぺいとう』と言う。アセンズ国ではそう呼ぶのだと聞いた。コンフェイト自体はオポルト国のお菓子なんだけど。
「ちょーだい」
悪戯っ子みたいに笑うライン。お前はいつもこの調子だな。サトシはラインの事を不思議に思う。無愛想で口数の少ない自分と一緒にいても周りが明るくなる。自分もそれを嬉しいと思う。が、それはそれ。コンフェイトはお前には渡さない。
「……やだ」
「え?何で?」
「ライン、団子くれなかった」
「あれはお前が奪おうとしたんじゃん。『欲しい』と言わなかったお前が悪い」
「でも、くれなかったから、あげない」
サトシはそう言ってコンフェイトを一粒口の中に放り込むと包みを閉じた。
「ケチ」
ラインは不満げに口を尖らせる。それを見て、アスカは笑っていた。
ラインがいると、周りが明るくなる。ただ、ラインは組み手や余程の事がない限り、サトシに触れようとはしない。頭を撫でて貰った事も無いし、手を繋いだ事も無い。おぶって貰った事はあるらしいが、熱で浮かされていた為、覚えていない。
それは、自分が壁を作っているせいなのか、向こうが距離を置いているのか、わからない。だから、今、サトシとラインの間が人一人分空いているのが、何となく寂しかった。