動き出した刻ー2
一週間が経ち、夏休みの登校日を迎えた。
「オリールに写真立てのお礼を言わないと」
早めに朝食を終えたユリは制服に着替え、リビングでサクラを待った。
「待たせてごめんね」
二階からサクラの声がすると、いつものように階段から落ちる音がした。ユリは呆れ顔で廊下に出ると、サクラは座り込みながら腰を押さえていた。
「大丈夫?」
珍しく痛そうにしているサクラを見て、ユリは心配して声を掛けた。
「うん。大丈夫」
サクラはユリの手を掴むと、ゆっくり立ち上がった。
「じゃあ、行こうか?」
「うん」
二人はそのまま手を繋ぎながら家を出た。
学校に着くとユリは早速オリールを探した。しかし、オリールは旅行のため遅れてくるということで、まだ来ていなかった。
(学校終わっちゃうよ)
登校日は午前中で終わるため、ユリは浮き足立ちながらホームルームを受けた。
ホームルームを終えると、登校日を終えるチャイムが鳴り響いた。
二人は帰る仕度を始めた。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
「うん」
サクラが教室を出て行くと、ユリは校門を見つめていた。
(結局来なかったな)
ユリは軽くため息をついた。
サクラがなかなか戻ってこないため、ユリは心配してトイレに向かった。すると、職員室へ続く渡り廊下で話しているサクラとオリールを見かけた。
「来ているんじゃない」
ユリはオリールを驚かそうと背後に周り、ゆっくりと歩み寄った。
「……で、今度はすぐにカナダへ?」
「ああ、明日の夕方に発つんだ。 ……そういえば、写真立ては気に入ってくれた?」
オリールの言葉を聞き、ユリは柱の陰で立ち止まった。
「えっ?」
「ほら、先週の誕生日のプレゼントで上げたやつ。コンテストのときに撮ってもらった写真を入れておいたんだけど」
サクラは首を傾げた。
オリールはサクラとユリの誕生日を違えていた。そのことに気づくとサクラはたちまち気まずい顔をした。
「何?」
「先週はユリの誕生日なのよ。写真でオリールが誕生日を間違えたことを知ったら、ユリはきっと傷つくわ」
オリールもまた気まずい表情を浮かべた。
「どうしよう」
オリールは頭を掻いた。二人はどうすればいいかあれこれ考えたが、過ちを無きものにすことはできるはずもなく、何一つ解決策は思いつかなかった。
しばらくの間沈黙が続いた。
ユリはただ目を丸くした。
(……あの写真、私じゃないの?)
ユリは写真を思い出した。疑うことのなかった自分の姿を心寄せていた人に否定された気がして、肩を落とした。
ユリはかばんも持たず覚束ない足取りで学校を後にした。
(私じゃない? 私が本物なのに?)
ユリはつぶやきながら家へと向かった。
家へ着くと、ユリは黙ったまま自分の部屋へ入っていった。そして、写真立ての写真を見つめた。
(どう見ても私じゃない)
ユリは何度も鏡の中の自分と写真の中の人物を照らし合わせた。納得のいかないユリはアルバムを開いた。
(この写真は私?)
自分の姿を指差しながら、ユリは首を傾げた。
(……気持ち悪い)
ユリは自分の腕を握り締めると、体を震わせた。
ユリが家に着く頃、サクラとオリールは教室に戻った。サクラはユリのかばんがあるのに姿がないことに疑問を持った。
サクラは急いで下駄箱を覗き込んだ。
(もしかして、聞かれていた?)
サクラはユリと自分のかばんを持つと後を追った。
家への途中、サクラは電信柱の陰に人影を見つけた。
(ユリ?)
その人影は憎悪を伝え、すぐに消えてしまった。サクラは顔を見ることがなかったが、直感的にユリのような気がした。
(そんなこと……)
サクラは足を振るわせながらも急ぎ足で家へと戻った。
玄関を開けると、サクラは真っ直ぐユリの部屋へと向かった。そして、部屋のドアを開けると、ユリがアルバムの前で腰を下ろしていた。
「ユリ?」
サクラは優しい口調で声を掛けた。しかし、ユリは何の反応も示さなかった。
二人の様子がいつもと違うのを感じ、蘭もユリの部屋に来た。
「どうかしたの?」
蘭の声を聞くと、ユリはアルバムを指差した。
「どれが私?」
ユリは声を震わせながら尋ねた。
「ど、どれもユリじゃない」
蘭は動揺したように答えた。すると、ユリは机の上の写真を指差した。
「あれは?」
「……ユリじゃないの?」
蘭が答えると、ユリは何度も首を横に振った。
「仕方な……」
「気持ち悪いよ」
サクラの言葉を遮るようにユリが小声でつぶやいた。
「双子でもないのに、同じ顔しているなんて ……気持ち悪い」
涙がアルバムの上に落ちていった。
「何てことを言うの? 一体、どうしたの?」
蘭はユリの肩を揺すった。
「どうかしているのは皆だよ。ドッペルゲンガーと暮らすなんて……」
「やめなさい」
蘭は大声で怒鳴りつけた。そのやり取りを見ながら、サクラはゆっくり後ずさりをした。
「サクラ?」
「ごめんなさい。私、部屋にいるね」
蘭が目を遣ると、サクラは必死に笑顔を作った。しかし、堪えられない涙が頬を伝った。
サクラは自分の部屋に駆け込むと、ドアが開かないよう机を動かした。
蘭はひとまずユリとの話を優先することにした。
「どうして突然こんなことを言い出すの?」
蘭は悲しい目でユリを見た。それに耐え切れず、ユリは涙を流し始めた。
「だって、ドッペルゲンガーであるサクラのほうが、勉強ができて、人気もあるんだ。私の好きな人はきっとサクラのことが……」
ユリは言葉を詰まらせた。すると、蘭は優しくユリを抱きしめた。
「サクラは何でもあなたに譲ってきたでしょう? そのおかげで少しユリより大人なだけ。たまたま落ち着いた人が人気を持つ年頃なのでしょう」
「でも……」
ユリはサクラとの思い出を思い返した。すると、人一倍優しく微笑みかけるサクラの顔ばかり思い浮かんだ。
「サクラが嫌い? 憎い?」
蘭が問いかけると、ユリはそういうわけじゃないと首を振った。
「……ユリ、あなたがサクラに憎しみを持つと、サクラは消えてしまうかもしれないの」
蘭は苦渋の思いで話をした。
「どういうこと?」
「そのままの意味よ。私たちが過去の事例を調べ、今の状況に当てはめたところ、あなたがサクラに負の感情を強く抱くと、サクラに悪影響を及ぼす」
ユリは突然の言葉に目を丸くした。
「ケンカをするのは構わないわ。家族ですもの仕方が無いことかもしれない。でも、お願い。サクラを憎むのはやめて」
蘭はユリの両手を強く握り締めると、その手に額を当てた。
ユリは聞きたいことが山ほどあったが、この場は黙ってうなずいた。
「サクラに謝ってくる」
ユリは力の入らない足を何とか立たせ、サクラの部屋へと向かった。
「サクラ、ごめんね。ごめんなさい」
部屋のドアを叩くと、ユリは何度も謝った。しかし、部屋から返事が聞こえることはなかった。
(……サクラ)
ユリはドアに頭をつけた。
「今はそっとしておきましょう」
「う、うん」
蘭はユリの肩を抱き寄せると、階段を下りていった。
夕食のときもサクラは部屋から出てこなかった。
「私がご飯持っていく」
ユリは部屋に食事を持っていこうとする蘭の裾を掴んだ。
「そう。じゃあ、お願いね」
蘭は食事の乗ったお盆を手渡すと、ユリの頭を撫でた。
ユリは食事を溢さないようにゆっくりと階段を上がっていった。そして、部屋の前まで行くとお盆を置いてドアを叩いた。
「……サクラ」
ユリは声を震わせながら声を掛けた。
「ごめんなさい、サクラ。あの…… ご飯ここに置いておくから食べてください」
言い訳の言葉も見つからないユリは、自分の言動を悔いながら階段を降りていった。
「どうだった?」
廊下で蘭が尋ねると、ユリは涙を目に溜めて首を横に振った。
「大丈夫よ」
蘭は優しくユリを抱きしめると、サクラの部屋を見つめた。
一時間ほどが経ち、レウシアが帰宅した。そして、蘭から状況を聞くと、深くため息をついた。
「ごめんなさい」
「いずれこうなるとは思っていた。しかし、何とも時期が悪い」
レウシアはうつむくユリの前で頭を抱えた。
「どういうこと?」
ユリが尋ねると、レウシアは落ち着いた表情でユリを見た。しかし、レウシアの目が冷ややかな感じがして、ユリは身を強張らせた。
「二人は知らなくていいことだ」
レウシアは冷たく言い放つと、席を立った。そして、階段を上り、サクラの部屋へ向かった。ユリも恐る恐るレウシアの後についていった。
部屋の前には手付かずの夕食が置かれていた。
「サクラ、入るよ」
レウシアはドアを強引に開けた。しかし、ドアの前に机が移動されており、開けずにいた。
「サクラ、開けなさい」
レウシアはわずかに開いた隙間から呼びかけたが、中からは物音一つしなかった。
不安になったレウシアは蘭と協力してドアをこじ開けた。
「サクラ?」
三人が部屋に入ると、薄暗い部屋の中でベッドが膨らんでいるのに気づいた。
「サクラ?」
蘭は声を掛けながらベッドに近づいた。すると、布団が小さく震えていた。
蘭は布団を取り払った。サクラはうずくまりながら涙を流していた。
「怖かったんだ」
サクラは声を震わせていた。
「大丈夫よ」
蘭はサクラを抱きかかえると、強く抱きしめた。
「消えないといけないの?」
サクラが涙をこぼすと同時にユリも涙を流した。
「そんなことはない」
レウシアはユリを抱き寄せると、サクラのもとに歩み寄った。
「でも、博士は十五年が限度だって言っていたし、そのすぐ後にこんなこと…… それに家に帰るとき、ユリに憎まれているのが伝わってきたの」
「やめなさい」
レウシアは怒鳴りつけるように声を上げた。すると、サクラは恐縮して黙り込んだ。
しばらくの間沈黙が続いた。雨の屋根を叩く音が聞こえ始め、風の窓を叩く音が部屋に響き渡った。
「ごめんなさい」
ユリは重い空気の中、口を開いた。そして、サクラに抱きついた。
「ごめんなさい。サクラが消えなければいけないなら、その前に私が消えるから」
「何言っているの? そんな風に残っても少しも嬉しくない」
二人は互いを強く抱きしめた。その姿を見て、蘭は堪えられずに涙を流した。
皆が落ち着くと、リビングに下りてきた。
「二人は今まで通り仲良くしてくれればいい。必ずパパが何とかするから」
レウシアは二人に向かって言った。すると、二人は互いの目を見て笑い合った。
「わかった」
二人がうなずくと、レウシアも微笑みを浮かべながら大きくうなずいた。その横で蘭は静かに涙を流した。レウシアは泣いてばかりだと蘭の頭を小突いた。
レウシアとサクラは一緒に夕食を食べた。ユリは横でテレビを見ながら、時折二人のおかずをつまんだ。
一転して穏やかな夜が更けていった。しかし、ユリは何かを覚悟したように窓に映った自分の姿を見つめていた。
(オリールは明日の夕方、カナダに発つって言っていた。その前にシェリー博士にあって、すべてを聞こう)
ユリは窓を開けると、手を伸ばし雨に触れた。しかし、その手が冷たさを感じることはなかった。
(……私がドッペルゲンガーですか?)
雨音がユリの部屋に寂しく響き渡った。




