思いー1
中間テストが終わり、三週間が経った。学校ではコンテストの話題も冷め、そろそろ期末テストの話題が出始めていた。
ユリとサクラは勉学もトップクラスであり、二人の周りには必然的に人が集まった。
「ここは出るかな?」
「いや、それよりも……」
帰国子女ということで、とりわけ二人は英語を得意としており、放課後には英語を中心に男女問わず、しばし勉強会が開かれた。
「サクラ、数学でわからないことがあるんだけれど教えてくれないか?」
オリールは教科書を片手にサクラの横に座った。
コンテストが終わってからしばらく、周囲の人間は二人をカップルのように扱った。そのため、サクラとオリールが二人並ぶのは自然なことに見えた。
「どこがわからないの?」
「ここなんだけど」
サクラが尋ねると、オリールは教科書を開いて見せた。
時折、世間話を織り交ぜながら勉強会は終始穏やかな雰囲気で進んでいった。
「夏休みはどこか行くの?」
一人の女子がオリールに尋ねた。
「俺は祖父と二人でヨーロッパを回ってカナダの家へ行くつもり」
「ヨーロッパにカナダ。 ……いいなぁ」
クラスメイトたちはテレビでしか見たことのない外国の風景を想像した。
「サクラは?」
「まだ何も決まっていないよ」
オリールの問いにサクラは首を横に振った。
ユリはサクラと少し離れた席で友達に英語を教えていた。賑わい話す二人をユリは時折寂しそうに見つめた。
(二人とも楽しそうだな)
ユリは息をつきながら勉強を続けた。
陽が暮れる前にサクラとユリは学校を出た。途中までオリールに送られた二人は、いつまでも笑顔で手を振り続ける彼を尻目に帰っていった。
「まだ手を振っているよ」
「そうだね。ちょっと恥ずかしいよね」
二人は時折振り返ると、恥ずかしそうに笑いながら歩いていった。しかし、ユリはオリールの笑顔が自分に向けられているものではないように感じたため、寂しい表情を滲ませた。
「サクラ、最近オリールと仲いいよね」
ユリは気持ちを隠すように微笑みながら話しかけた。しかし、その頬は引きつり、無理をしているのが見え見えであった。
「そんなことないよ。ただコンテストの後、クラスで一番話す機会が多かっただけ。今はその延長かな」
サクラは弁解するように説明した。
「恋愛感情は?」
「ないない」
サクラは手をまごつかせた。その様子を見て、ユリはサクラの思いを汲み取った。
(サクラもオリールが……)
しばらくの間、沈黙が続いた。二人は横に並ぶと、互いの顔を見ることなく歩いていった。
サクラはふいにユリの手を握った。
「テストが終わったら夏休みだね」
重い空気を裂くようにサクラは話を切り出した。
「う、うん」
「どこかに行きたいね」
サクラは穏やかに微笑みかけた。夕陽に照らされたその顔はいつも以上に柔らかく見えた。
「そうだね。パパたちにお願いしてみようか?」
ユリもつられるように笑顔になった。
「うん」
「じゃあ、何て話をしようか?」
「そうだなぁ……」
二人は一本道を歩きながら、レウシアへの話の切り出し方を考えた。
レウシアの帰宅を待って二人は旅行の話を切り出してみた。
「……ねぇ、いいでしょう?」
二人が両手を合わせると、蘭はたちまちため息をついた。
「毎年おばあちゃんの家に行っているじゃない」
「おばあちゃんの家は帰郷。そうじゃなくて旅行に行きたいの」
ユリは食い下がったが、蘭は呆れ顔を浮かべるだけであった。
「テストが終わる前から何を言っているの? 早く勉強しなさい」
蘭が冷たく言い放つと、二人は頬を膨らませた。
「オリールはもうヨーロッパに行くことが決まっているのに」
サクラは周りに聞こえないくらいの小声でつぶやいた。しかし、蘭の耳には確かに届いていた。
「オリール? まだあの子と関わっているの?」
蘭はコンテスト以来、オリールの話題になると態度を急変させ、顔を強張らせた。
「仕方ないじゃない。同じクラスなんだから」
サクラは慌てて弁解した。
「クラスメイトでも話さない人はいるでしょう? お願いだから二度とあの子と関わらないで」
蘭は怒鳴るように二人に言い放った。二人はたちまち恐縮した。
「蘭、落ち着きなさい。 ……そうだな、今学期の成績が良かったら旅行を考えるよ」
傍観していたレウシアは蘭の肩に手を乗せた。そして、怯えるようにうつむく二人に話しかけた。
「しかし、パパも仕事が忙しいから、行けるかどうかわからないよ」
レウシアは二人の顔を覗き込んだ。
二人は気持ちを落ち着かせた。
「そのときは仕方ないね」
「うん。そうしたら、おばあちゃんの家で我慢する」
二人は互いの目を見ながら小さくうなずいた。
「それじゃあ、この話はおしまい。二人とも勉強しておいで」
レウシアが言うのを聞くと、二人は蘭の顔を窺った。
「ごめんね」
蘭は涙ぐみながら二人に謝った。
「うん。 ……じゃあ、勉強してくる」
二人は返事をすると足早に階段を上っていった。
リビングのドアが閉まると同時に蘭はレウシアの胸に泣きついた。
「しっかりしないか」
「だって……」
「シェリー博士は本当に何もするつもりはないらしい。オリールにも二人の秘密は話していないそうだ」
レウシアは蘭の背中を軽く叩きながら、頭を優しく撫でた。
「今はそうかもしれないけれど、気が変わったりしたら…… それに、彼の言葉が頭から離れない」
「長くは続かないという話か? それも調べているから大丈夫。カナダの知人にシェリー博士の研究資料を横流ししてもらう手はずは整っている。それを見れば解決するさ」
レウシアは蘭の体を起こすと、両手で涙を拭った。
「もし、どうにもできなかったら?」
蘭が尋ねると、レウシアは強く首を横に振った。
「何とかするさ」
レウシアはしっかりと蘭の目を見て答えた。
部屋に戻った二人は一緒にユリの部屋で勉強を始めた。そして、きりのいいところで終わらせると、二人でユリのベッドで眠った。
翌朝、二人は蘭のフライパンを叩く音で目を覚ました。
ユリは起きようとしないサクラの手を引っ張り起こした。そして、昨晩何もなかったかのようにいつもどおりの一日が始まった。
数週間が経ち、二人は無事にテストを終えた。
「テストどうだった?」
サクラが尋ねると、ユリは机に伏せた。
「一応できたけれど…… 疲れた」
ユリが答えると、サクラはクスッと笑った。
「サクラはどうだった?」
「まあまあかな」
サクラは自信満々で答えた。すると、ユリは深く息をついた。
「敵わないよなぁ」
「そんなことないって」
「旅行行けるのかな?」
「気が早いって。成績が出てから話をしよう」
サクラはユリの頭に手を置いた。ユリは頭を撫でられた猫のように目を細めた。
翌週からテストの返却が始まった。
「どうだった?」
「うーん。英語はよかったけれど、数学が最悪」
友達同士がテストを見せ合い、ため息をついたり喜んだりした。
すべてのテストが返却されると、掲示板にて学年順位が発表された。
「どれどれ?」
「どうせサクラが一位でしょう。勉強で勝ったことがないんだから」
二人はお楽しみということで互いの点を見せ合わなかった。
二人は掲示板に向かった。結果は案の定サクラが一位でユリが二位だった。
「ほらね。勝てないんだから」
ユリは悲しさ半分で掲示板を見つめた。その顔を見て、サクラも同様の表情を浮かべた。
「サクラ、一位じゃない」
掲示板を見に来ていたクラスメイトたちがサクラを囲んだ。
「ユリも二位。天は稀に二物も三物も与えるんだね」
「そんなことないって」
クラスメイトの言葉を聞き、二人は照れくさそうに笑った。
「そんなことあるって。サクラなんかコンテストも一位だったじゃない」
「そうそう。羨ましい限りだね」
周りの注目は自然とサクラに集まった。その様子を見て、ユリは胸にしこりがあるような違和感を抱いた。
(何か嫌だな。私って小さい人間だったんだ)
ユリはサクラから一歩遠のくと、肩を狭めた。
「ユリは二位? すごいな。俺なんか八位だよ」
うつむき加減のユリの横からオリールが声を掛けた。
「サクラほどじゃないよ」
ユリがすねるように答えると、オリールは優しく笑いかけた。
「サクラとユリは同じ人間じゃないんだから、比べる必要はないんじゃないかな?」
オリールの言葉を聞くなり、ユリはいっそう複雑な顔をした。
「……同じ人間じゃないか」
ユリは意味深に笑うと、小さく何度もうなずいた。
「そうだね。私は私だ」
ユリが明るく振舞うと、オリールも明るく笑った。
「そのほうがユリらしくていいよ」
「うん。ありがとう」
二人は笑いあった。その雰囲気を察したクラスメイトは視線をユリに向けた。
「なになに?」
「ユリも二位ですごいなって話」
オリールが答えると、周りは大きくうなずいた。
「本当だよね。コンテストも一票差だし、テストも数点差なんでしょう?」
「そう、三点差」
「うそ。すごいな」
サクラが代わりに答えると、次にクラスメイトはユリを囲んだ。
オリールは間を縫ってサクラの横に移動した。
「オリールは八位?」
「ああ。一桁ならいいかな」
二人は目を合わせると、自然に笑顔となった。
「ありがとう」
サクラが微笑みながら小声でつぶやくと、オリールは得した気分になって嬉しそうに笑った。
学校が終わると、二人は真っ直ぐ家へと向かった。その歩幅はいつもより大きかった。
「ママ、テストの結果が出たよ」
ユリは玄関を開けると同時に声を上げた。すると、蘭はいつものように笑顔でリビングから顔を覗かせた。
「どうだった?」
「サクラが一位でユリが二位」
二人は玄関を上がるとリビングへと向かった。
「すごいじゃない。よく頑張ったわね」
蘭は二人の頭を撫でた。
「パパに旅行の話をしないとね」
蘭が続けて言うと、二人は目を見合わせてやったぁ、と微笑みあった。
「さて、夕食を作らないと。今日は腕を振るっちゃおうかな」
「私たちも手伝う」
二人は甘えるように蘭に寄り添いながらキッチンへと向かった。
レウシアが帰宅すると、二人は出迎えながらテストの話をした。そして、リビングに戻ると、旅行の話をし始めた。
「……そうだな。二人とも頑張ったみたいだし、会社に休みが取れるか聞いてみよう」
「やったあ」
二人は手を合わせて喜んだ。
「まだ気が早いわよ。パパの休みが取れなかったら旅行はなしだからね」
蘭はレウシアに夕食を運びながら二人に釘をさした。
「わかってる」
ユリは適当に返事をしながら食器を運ぶのを手伝った。
「一応、どこに行きたいか決めておいてくれよ」
レウシアが言うのを聞くと、二人は大きくうなずいた。蘭はレウシアの隣に座ると、幸せそうに笑う二人の顔を見て微笑んだ。
「はいはい、この話はひとまず終了。二人とも早くお風呂に入っちゃって」
蘭は手を叩きながら催促した。
「サクラ、一緒に入ろうか?」
「えー」
サクラは逃げるようにリビングを出て行った。ユリもそれを追うようについて出た。
キャッキャと騒ぐその様子を、レウシアと蘭は幸せそうに見つめた。
ユリは風呂から上がると、以前買った日本と世界の旅行雑誌を開いて見た。
(どこがいいかな?)
ユリはベッドに寝そべりながらページをめくっていった。
(オリールはヨーロッパとカナダって言っていたよね。ヨーロッパは無理だろうけれど、カナダならパパの実家もあるし、行けるかな?)
カナダのページで手を止めた。すると、サクラと出会った公園が頭に浮かんだ。
(……カナダはみんなが嫌がるね。それにしてもサクラって何でいつも私より一歩上にいる感じがするんだろう? サクラは私の……)
ユリは禁句を頭に思い浮かべそうになり、何度も首を横に振った。
(サクラってオリールのこと好きなのかな?)
あれこれ考えているうちにユリは眠りについた。




