作文
ユリは小学四年生になり、自分と似た少女と出会って初めての春を迎えた。
『ねぇ、今度家に来ない?』
公園でブランコをこぎながらユリは少女に尋ねた。
『えっ、でも?』
『いいじゃない。だって、友達でしょう?』
ユリの言葉を聞くと、少女ためらいながらコクリとうなずいた。
『じゃあ、決まりね。パパとママ、驚くだろうな』
『どうして?』
『だって、こんなに二人が似ているんだよ。もしかしたら、入れ替わっても気づかれないかも』
ユリは楽しそうに笑った。
中年の男性が公園に入ってきた。すると、少女は慌てた様子でユリから離れた。
『サクラ、帰るぞ』
『は、はい』
男がサクラに声を掛けると、サクラは上ずった声で返事をした。そして、ユリの顔を見ることなく男のもとへ走り寄った。その表情は悲しそうにも辛そうにも見えた。
(あの子、サクラって言うんだ。ちゃんと名前があるのに、何であんなこと言ったのかしら?)
ユリは首を傾げながらもその名前を忘れないよう胸の奥で反芻した。
公園を出る際、サクラは一度だけ振り返り小さく手を振った。
『ばいばい』
ユリが声を上げると、男は立ち止まり振り向いた。そして、ユリの姿をジッと見た。
『あれは……』
男は驚きを浮かべていた。
サクラは慌てて男の背中を押し、男を前に向かせた。そして、サクラは男の手を引くようにして歩いていった。
男は横目でユリを見下しながら、鼻で笑い公園を去っていった。
ユリが目を覚ますと、そこは自分の部屋のベッドであった。
「今朝見た老人、あの時サクラを迎えに来た人に似ていた」
ユリはベッドで横になりながら考え込んだ。
しばらく考え込むと、ユリの腹の虫が鳴った。
「お腹すいた。今何時?」
ユリが時計を見ると、夕方の七時を回っていた。外に目をやるとすでに陽は沈んでおり、下の階からは夕食のにおいが漂ってきた。
「ユリ、入るよ」
部屋のドアを叩く音と同時にサクラの声がした。
「うん」
ユリはゆっくりと起き上がると、ベッドに座った。
サクラはドアを開けると、部屋の電気をつけた。
「やっと、起きた。具合はどう?」
「うん」
「ご飯できているよ。食べられそう?」
「うん」
ユリは穏やかな顔をしてうなずくと、立ち上がろうとした。しかし、足にうまく力が入らず、思うように立ち上がれなかった。
サクラはユリのもとへ歩み寄ると、手を差し伸べた。ユリは小さくうなずくと、その手を掴みゆっくりと立ち上がった。
「また、昔の夢を見たんだ」
「そ、そう」
ユリはサクラが嫌がるのを承知で話し始めた。
「今朝ママが話していた老人、昔サクラを公園に迎えに来た人に似ていない?」
ユリの言葉を聞いた瞬間、サクラは立ち止まった。サクラの手が一瞬で汗ばんだ。
「遠くで見えなかったからわからない」
「そっか」
「私、今が一番幸せなんだ。お願い、もう昔の話はしないで」
「うん。 ……ごめん」
ユリは口を閉じた。そして、二人は互いに手を力強く握りながら階段を下りていった。
リビングには夕食が並べられていた。
食卓にはユリが倒れたことを聞き、急いで帰宅したレウシアと深刻な顔をした蘭の姿があった。
「ユリ、大丈夫?」
「うん。心配かけてごめんね」
レウシアが心配そうに尋ねると、ユリは穏やかに微笑みながら答えた。
レウシアは深く息をつくと、ユリとサクラは席に座った。そして、家族四人は揃って食事を摂った。
世間話をしながら、いつもと変わらぬひと時を過ごした。
ユリは食事の最中に何度もあの老人のことを聞こうと思ったが、空気が重くなる気がして話すのを止めた。聞いてはならない雰囲気がその場を包んでいた。
「ユリは明日も念のために学校を休みなさい。学校には連絡しておくから」
食事を終えると、蘭は食卓を片付けながらユリに言った。
「何で? 大丈夫だよ」
ユリの言葉を聞いても、蘭はただ首を横に振るだけであった。
「いいじゃない。ママ公認で学校を休めるんだから」
サクラはユリの背中に手を置きながら笑いかけた。しかし、ユリはうーんと唸るだけであった。
「あなたは行くのよ」
「えー、ユリが心配だから休んでついているよ」
「ユリにはママがついています」
サクラと蘭のやり取りを横目に、あからさまにユリは不機嫌そうな面持ちを浮かべた。
ユリは深くため息をつくと、部屋へと戻っていった。
(何さ。みんなして私を病人扱いして)
ユリはベッドに入ると、布団に潜り込んだ。
昼間に十分睡眠をとったユリは真夜中に目を覚ました。
(三時か)
ユリはのどを潤すためにキッチンへと向かった。すると、リビングの明かりがついているのに気がついた。
ユリは足を忍ばせつつリビングを覗いた。
「……がドッペルゲンガーであることを話されたら、私たちの生活は壊れてしまう。あの人は偶然だと言っていたけれど、本当のところはわからないわ。早くここから去りましょう」
蘭は何かに怯えるように手を震わせた。
「もし我々を追ってきたのなら、いずれまた彼は我々のもとに現れるだろう。それでは意味がない。彼が今どこで暮らしているのか、サクラの名簿を見てわかったから、明日話をしてくる。いいね?」
レウシアは冷静に話を進めた。そして、蘭がうなずくと、レウシアは優しく手を握り微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「だって、あの人が長くは続かないと……」
蘭はうつむき、下唇をかみ締めた。
(長く続かない?)
ユリはその雰囲気から聞いてはいけないものを聞いてしまった気がした。
ユリは二人に悟られないように部屋へと戻った。
(あの老人はサクラがドッペルゲンガーだと知っている人? やっぱり、昔サクラを迎えに来た人?)
ユリはベッドで横になりながら、あれこれ考え込んだ。そして、いつの間にやら眠りについた。
翌朝、ユリはサクラの階段から落ちる音で目を覚ました。
「もう朝か」
ユリは目をこすりながら起き上がるとリビングへ向かった。
リビングにはサクラと蘭だけで、レウシアの姿はなかった。ユリはふと夜中の会話を思い返した。
「あれ? パパは?」
「パパは仕事があってもう出かけたわ」
蘭はサクラに答えながら朝食を差し出した。その言葉を聞きながら、ユリは気に留めないふりをして席に着いた。
サクラが慌しく家を出て行くと、ユリは黙ったまま席を立った。
「ユリ?」
朝から元気のないユリを見て、蘭が心配そうに声を掛けた。すると、ユリは反射的に笑顔を作った。
「大丈夫だよ。部屋の片付けしているね。こういう日じゃないと、なかなか出来ないから」
「……そうね」
ユリは明るく振舞いながら自分の部屋へと戻っていった。その背中を蘭は不安気に見つめた。
ユリの机は教科書やら少女マンガやらがごった返しており、机の中や本棚もすき放題散らかっていた。
「……これは一日かかるかも」
ユリは頭を掻きながら渋々片づけをし始めた。
「この本、読んだことあったかな?」
ユリは片づけをしながら机の中の奥底から出てくる雑誌を読み直した。
ユリが部屋に戻ってから数時間が経った。部屋から物音がしないため、蘭は気になって様子を見に階段を上った。
「ユリ?」
「何?」
中から返事が聞こえると、蘭はドアを開けた。すると、ユリはベッドに座りながら色褪せた絵本を読んでいた。
「何をしているの?」
蘭が尋ねると、ユリはベッドに座り直した。
「本棚を整理していたら奥から昔の本やら雑誌が出てきたんだ」
「そう。 ……ママは少し出かけてくるから、作っておいたお昼ご飯温めて食べてね」
ユリは蘭の言葉を聞くなり、うなずいた。いつもならどこに行くのか尋ねるのに、蘭の沈んだ顔を見たら聞くことができなかった。
蘭もうなずいて部屋を出て行こうとした。
「この絵本、日付を見たら小学校に入る前に発売されたものなんだ。 ……不思議だね。昔読んだはずなのに初めて読んだ感覚」
楽しそうに話すユリの声に、蘭は一瞬うつむいた。
「……何かデザートを買ってくるね。昼過ぎには戻るから」
「本当? やった」
蘭は足早に部屋を出て行った。ユリは蘭の様子がおかしなことに気づいたが、何も聞かずに絵本を読み続けた。
一通り読み終えたユリは散らかった本を本棚に閉まった。すると、昔書いた作文が出てきた。
「これ、小学校三年生のときに書いたものだ」
ユリは作文を手に取ると、斜め読みをした。
(パパとママは昔どこかの研究室で働いていて、その頃サクラと出会って…… いろんなことがあったなぁ)
ユリは昔を懐かしんだ。しかし、一つの疑問が湧いて出た。
(あれ? サクラと出会うその前は? どんなことがあったんだろう?)
ユリはサクラと出会う前を思い出そうとしたが、なかなか思い出せずにいた。
ユリはベッドに横になると、過去の出来事を年を遡るようにして思い浮かべた。
(すべてを忘れたわけではない。作文はサクラと出会う前だし…… でも、二年生の思い出はない。うーん……)
いたずらに時間が経ち、お腹の空いたユリはとりあえずキッチンに向かった。
「ママ、どこに行ったんだろう?」
ユリは寂しさを感じながら一人で昼食を摂った。
昼食を食べながら、ユリは相変わらず昔を思い返していた。
(やっぱり、思い出せない。ママに聞いてみようかな?)
昼食を終え、ユリはリビングでテレビを見ながらくつろいだ。そして、しばらくして蘭が帰ってきた。
「ユリ、シュークリーム買ってきたから一緒に食べましょう」
蘭の声がすると、ユリは嬉しそうにリビングから顔を覗かせた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
蘭は笑顔で答えると、ユリにシュークリームを手渡して、そのままお茶を入れにキッチンへと向かった。
用意が整うと、二人はリビングでくつろいだ。
「片付けは済んだの?」
蘭が尋ねると、ユリは笑いながら首を横に振った。
「だと思った」
「だって、面白そうな本とか色々出てくるんだもん」
ユリは恥ずかしそうに言い訳をした。その顔を見て蘭は穏やかな表情で微笑んだ。
「そういえば、私ってどんな子供だった?」
ユリが尋ねると、えっ、と蘭は首を傾げた。
「どうしたの? 突然」
「あのね、小学三年生のときに書いた作文が出てきたんだけれど、その前のことを思い出そうとしてもなかなか思い出せないんだ」
ユリの言葉を聞くと、蘭はたちまち表情を曇らせた。すると、ユリは慌てて続けた。
「ほら、サクラがいるときは過去の話はできないじゃない?」
「そうね。 ……恥ずかしいことだけれど、私たちは研究室に閉じこもっていたから誰と何をして遊んでいたとかわからないな」
蘭は申し訳なさそうにうつむいた。
「そっか」
「でも、よく公園で遊んでいたんじゃない? ブランコに乗って遊んでいたって話はよく聞いたわ」
蘭の言葉を聞くと、ユリは鮮明に公園の情景を思い出した。
「そうだったね。 ……そう、だった」
ユリは窓の外を見つめながら昔を想った。その横顔を蘭は哀しそうに見つめた。
「よーし、部屋を片付けよう」
ユリは食器をまとめると席を立った。
「キッチンを片付けたら手伝ってあげる」
「うん」
ユリは笑顔で答えると、自分の部屋へと上がっていった。
蘭は食器を重ねると、ユリの確かな温もりを感じた。
(しっかりしないと)
蘭は自分に言い聞かせると、頬を両手で叩いた。
蘭は急いで食器を片付けると、ユリの部屋へと向かった。ドアを開けると、いっそう散らかった部屋を目の当たりにして、蘭は愕然とした。
ユリは分類しているのと誤魔化したが、蘭にはただ散らかっているようにしか見えなかった。
蘭の協力もあって、何とかその日のうちに片づけを終えた。
「随分散らかしていたわね」
蘭はくたびれながら肩を叩いた。
「ごめんなさい。でも、おかげできれいになりました」
ユリは、はにかみながら頭を下げた。
外は陽が傾いていた。
部屋に差し込む夕陽はあらゆるものに穏やかさを与えた。
「さて、夕食の準備をしないと」
「私も手伝う」
ユリが言うと、蘭は愛しそうにユリの肩を抱き寄せた。
「じゃあ、ユリの好物のハンバーグにしようか?」
「やったあ」
ユリは満面に笑みを浮かべながら蘭と一緒に階段を降りていった。
「それにしても、サクラ遅いなあ」
ユリは蘭に聞こえるか聞こえないくらいの声でつぶやいた。
夕食を作り終えてもサクラは帰ってこなかった。
「サクラ、遅いね」
「友達と話でもしているのでしょう。あなただってこんな時間まで帰ってこないことがあるじゃない」
蘭は気にも留めず、食器を食卓に並べ始めた。すると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
サクラの声が聞こえると、ユリはリビングから飛び出した。
「遅かったね」
「うん。皆と話し込んじゃって」
サクラはそのままリビングへ入っていった。
「今日の夕飯は私も手伝って作ったんだ」
ユリはハンバーグを器に盛った。
「へー、怖いな」
「なに?」
サクラが言うと、ユリは頬を膨らませた。
「それで、今日はどんなことがあったの?」
「あのね。今日学校で……」
蘭が尋ねると、サクラは声を弾ませた。その話をユリは若干の寂しさを隠しながら聞いた。
サクラが話し終えると、ユリは部屋の片付けの話をした。そして、いつもと変わらぬ夜が更けていった。
「明日から学校行ってもいい?」
ユリが蘭の顔を窺うと、蘭はうなずいた。
「顔色も良いみたいだし、今日一日元気だったからいいでしょう」
蘭の言葉を聞くと、ユリとサクラは喜び合った。
タイミングよくレウシアが帰ってきた。二人はその勢いのまま玄関に飛び出した。
「ただいま」
「おかえりなさい」
二人はレウシアの荷物を持つと、リビングへと向かった。そして、例のごとく同じ話を繰り返した。




