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姉と弟

 ピアノの音がなめらかに響く。外に音が漏れない防音室なので、思い切り弾くことが出来て、志穂はとても気分がよい。余韻を残して弾き終わると、フゥと息を漏らした。

 ふと、昨日もらったクッキーのことを思い出した。「美味しかったなぁ、また作ってくれないかなぁ」などと思い、くれた先輩のことを考える。日本的な顔つきで優しげだけれど、長めの前髪で隠れている意志の強そうな漆黒の瞳が印象的だった。背が高いのにヒョロリしているようにと見えないのは、姿勢が良いためだと思う。少し低めの優しい声も耳に心地良かった。生徒会の役員をしているくらいなのだから、きっと頭も良いのだろう。

 志穂はあまり他の人間に興味を持たないため、彼が他の女生徒達からどう思われているか知らなかった。

 昨日の昼休みに恵輔が志穂を尋ねて来ていたため、クラスメイト達から根掘り葉掘り聞かれた。志穂は首をかしげて、「傘を貸した」という答えるだけしか出来なかった。他に話せる内容などは持っていないのだから当然なのだが。

 ポーンと鍵盤をたたく。

「この高さの声だよね。」

 志穂は自然に微笑む。なんだか楽しくなってきた。

 さぁ、もう一曲と構えたところ、扉が開いた。


「…志穂ちゃん、もう十時だよ。約束の二時間はとっくに過ぎているけど。」

 不機嫌そうに扉に寄りかかり、晧が言った。

「え、もう?」

「…時計、見た?」

「えっと…。」

 晧は、視線を泳がせる志穂に大股で近寄ると顔をのぞき込んで、にっこり笑う。女の自分よりもきれいな顔が腹立たしい。

「約束は二時間だったよね。今日はもう終わり。テスト勉強の時間です。」

「うー、コウくん意地悪だ。いま、いいところなのにぃ。」

「うなっても駄目、ほら、立って。図書館行くから支度して。」

 晧は、小柄な姉をひょいと抱えていすから下ろすと、クルリと扉の方を向かせて背中を押す。恨めしそうに見つめる志穂の視線など気にせず、あっという間にピアノを片付ける。

 自分より年下なのに大人な弟が、こういう態度の時は反抗しても無駄なことは生まれた時からのつきあいで良く解っている。

 志穂は大きくため息をついて、ノロノロと部屋を後にした。


 カフェで軽めに食べてから、図書館の受付カウンターで学習室の空いている席を尋ねると、ほどほど混んでいるようで、隣り合っている席は空いていなかった。仕方なくはす向かいの席を申込み、志穂と晧は、学習室に向かった。

 学習室はテスト期間のためか学生が多かった。志穂は一番奥の窓際の席、晧はそのはす向かいで通路側である。晧の隣の席つまり志穂の正面は、大学生のようで、ちらりと顔を上げたがすぐに資料に目を落とした。一方志穂の隣は、開いている参考書を見る限り高校生のようだ。紺色の縁の眼鏡を掛けて俯いているので顔はわからないが、真面目そうな様子である。志穂が周囲を見ていると視線を感じたので、そちらを見ると厳しい弟が睨んでいた。志穂は首をすくめ、鞄から問題集を取り出した。





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