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海岸にて

いつもありがとうございます。

 恵輔はふと目を覚ました。窓の外はまだ薄暗い。

 時計を見ると四時前である。一度目を閉じたが、すぐに起き上がった。

 昨晩はなかなか寝付けなかったのにもかかわらず、今度は目が覚めてしまい、寝直すこともできそうにない。

 自分で思っているよりも緊張してるようだ。

 目を閉じれば、志穂の顔が浮かぶ。返事はいつでも良いといったものの、自分を選んでくれるのか不安で仕方がない。

 恵輔は頭を振ってベットから降りた。ランニング用のウェアに着替えると洗面所で身支度を整えて玄関に向かう。当たり前だが、母親はまだ起きていない。音をたてないように外に出た。

 夜明け前の空気を吸って、大きく伸びをする。

 簡単にストレッチをしてからランニングを始めた。

 時間が早いので、いつもとは違うコースにすることにした。恵輔の住んでいる市は、南北に広がっている。北はなだらかな丘陵地帯で、南よりにある駅から離れると田畑のほか果樹園すらある。そのほかに図書館や広々とした市民公園があり、のどかな光景である。駅をはさんで南側は古くから拓けており、療養所の跡地や歴史ある旅館、美術館がある。さらに南には海が広がり漁港もあるのだが、砂浜の一角は海水浴場になっている。夏はかなり混雑していて、あまり近づきたくないが、さすがにこの時間は大丈夫だろう。

 恵輔の家からも海岸までは二キロと短いのだが、海岸にはサイクリングロードがあり走りやすい。

 恵輔は簡単にルートを考えてから走り出した。


 早朝の海岸はひっそりとしていた。走っているうちに海から太陽が登り始める。

 何となく砂浜に降りると犬をつれた若い女性がいることに気がついた。

 こんなに朝早くから散歩だろうか。

 女性は恵輔に気づいていないが、犬の方は気がついていて、こちらを警戒しているようだ。驚いたことにシェパードである。

「ワン」

 飼い主に注意を向けさせるためだろう、犬が吠えた。

 女性が振り返った。フワリと長い髪が揺れる。

 恵輔と同じ年頃だろうか、清楚な雰囲気で街を歩けば振り返る男は多いだろう。

「おはようございます。」

 澄んだ声で挨拶をされて、恵輔も挨拶する。恵輔の顔を見ても表情すら変わらなかった。恵輔はそれだけで好感を持った。もしかしたら、相手も同じだったのかもしれない。

「おはようございます。お散歩ですか?」

 犬の前に屈むと女性もスカートに砂が付くのも気にしないでしゃがみこみと飼い犬の首を撫でる。

「触っても大丈夫。タロウはおとなしいから。」

 恵輔はそっと手を伸ばしてタロウの頭にそっと触れる。

 ゆっくり手を動かすとタロウは気持ち良さそうに目を細める。

 モフモフと飼い主と同じように少し大胆に撫でてみると、タロウは大きく尻尾を振った。

「タロウ良かったわね。撫でてもらって。」

「ありがとうございます。」

 砂を払って立ち上がると、彼女もつられたように立ち上がる。

 それで気がついたが、彼女は思ったよりも背が高かった。長いまつげに縁取られた黒目がちの瞳が印象的である。正面から見て彼女の目元が赤くなっているのに気づく。恵輔はどうしたら良いのか経験が無いためわからない。

「ね、何か飲まない?おごるから。」

 彼女はいたずらっぽい笑顔を恵輔に向けた。


「私ね。大好きだった幼馴染みに振られるちゃったの。」

 漁港の近くの自販機でスポーツドリンクをおごってもらい、近くの堤防に並んで腰を下ろしたとたん、彼女は話し出した。

「いつもね一緒だったの。家も近くて物心ついた頃にはもう一人の幼馴染みと三人でいつも一緒だったの。幼稚園から小中高とずっとね。」

 彼女は遠くの海を眺めている。恵輔は何も言えず黙って横顔を見ていた。

「高校は学区外に進んだのは私たち三人だけで、ほとんど毎日一緒に通っていたわ。三人とも部活は違っていたけど、帰る時間も同じようなものだったから、一緒の電車で一緒に帰った。いつも一緒だっだけど、気がついたら、私は彼が好きだったの。でも、彼にとってただの幼馴染みだったのね。」

 彼女は手に持ったミネラルウォーターを口に含んだ。恵輔もペットボトルに口をつける。

「大学に入って、初めて三人バラバラのになったの。私ともう一人の幼馴染みは東京の大学、彼だけが北海道の大学に進んだの。ゴールデンウィークになっても帰って来ないから、こっちから行ったの。もう一人の幼馴染みが背中を押してくれたから。」

 彼女は目を伏せた。

「彼のアパートには、可愛い女の子がいたわ。キスもしてた。」

 恵輔は彼女が泣くのではないかと思った。しかし彼女は泣かなかった。

「自分でも薄々気がついていたんだと思う。見たときヤッパリってどこかで思っていたから。」

 恵輔はふと自分と志穂に置き換えてみた。考えただけで胸が痛い。

「でも、悲しかったんじゃないんですか?」

 口にしてから、ハッと口を押さえる。その様子を見て彼女はクスリと笑う。

「悲しかったわよ。すごく泣いたもの。あの時は康弘も大変だったと思うわ。未成年なのにお酒飲んで酔っ払って、べろんべろん。記憶はあやふやであまり覚えてないし、康弘も何も言わないけどね。あ、康弘って言うのはもう一人の幼馴染みね。」

 恵輔は瞬きした。この人男と二人で男を訪ねたのか?よく親が許したな。など関係ないことを考えてしまった。

「今もね。まだ彼のことを考えると胸が痛い。もっと早く自分の気持ちを言っていれば、また違っていたかもとか、いろいろ考えてしまうし。でもね、私を選んでくれなかったからって、彼を嫌いにはなれない。逆に幸せになって欲しいと思う気持ちもちゃんとあるの。不思議だよね、人の心って。」

 彼女は優しい目を恵輔に向けた。

「あなたは好きな人に自分の気持ちを伝えた?」

 恵輔は思わず頷いた。

「付き合うとかはともかく、僕の気持ちを知っていて欲しいと思ったから。昨日伝えました。」

 彼女はふんわりと微笑んだ。

「それで今朝は早く目が覚めてしまったのね。きっと大丈夫、あなたは優しいもの。彼女の不安を除いてあげればあなたの方を向いてくれるわ。あなたはしっかり彼女を見ていてあげて。」

 まるで志穂のことを知っていて話しているかのようだ。知っているはずは無いのに。

 恵輔は首をかしげて彼女を見つめた。

 彼女はタロウの頭を撫でる。

「あなたのことも彼女のことも私は知らないわ。でも、あなたを見ていたらあなたが好きな彼女が、どんな女の子なのか想像つくわよ。彼女のことを考えているとき、とっても優しくて甘い顔をしているから。その顔を向けられたら、どんな女の子だって好きにならずにはいられないわよ。」

 最後に悪戯っぽい笑顔を見せて、彼女は大きく伸びをする。

 ヨイショと立ち上がりパタパタとスカートを払う。

 恵輔も立ち上がった。何だか不安だった心がスッキリしている。

 彼女も気のせいかスッキリした顔をしている気がする。話したことで、気が楽になったのかもしれない。

「由衣!」

 凛とした声に彼女が声の方を振り返る。漁港の方から少し年上の青年が走ってくる。眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の青年である。

「ワン!」

 タロウが尻尾をグルグル振る。よく知っている人物なのだろう。そこまで考えて気づいた。

 彼女を見れば、にこりとした。

「由衣、探した。」

 あちこち探したのだろうか、はぁはぁと息を切らせている。

 恵輔よりは低いが平均身長よりは高いだろう。洒落た眼鏡をかけてホッとしたような表情を彼女に向けていた。

「タロウと一緒なんだから、心配いらないのに。」

 拗ねたような表情を浮かべる彼女に向ける彼の視線はとても柔らかい。彼女が恵輔を見たときに表情が変わらなかった理由が簡単であった。恵輔とは系統が違うが、彼はとても綺麗な顔をしている。顔の綺麗な男には免疫が有ったのだろう。

 不意に彼が恵輔を見た。切れ長の二重の目が真っ直ぐに恵輔を射ぬく。彼女を傷つけるのは許さないといった瞳である。

「君は?」

「ランニングの途中で、タロウと遊んでくれてたのよ。今は疲れたから休憩中ってわけ。ね。」

 つい、恵輔は頷いた。間違えではない。だが、かなり違う気がする。

 彼は、彼女の説明を胡散臭そうには聞いていたが、肩をすくめて納得した様子を見せた。彼女の言うことは何でも信用するようにしているのかもしれない。

 彼女は少し困ったような表情を彼に向けて首をかしげた。

「お母さんもう起きてた?」

「おじさんが仕事に行く途中で俺の家に寄った。」

 彼女はばつが悪そうに苦笑いする。

「ごめん。」

「心配した。大丈夫?」

 彼は彼女の頬にそっと触れる。別にラブシーンでも無いのに見ている恵輔の方が恥ずかしくなる。思わず屈んでタロウの頭を撫でる。

 なにも言わずに帰るわけにもいかないだろうし、この場に居るのもいたたまれない。どうしようととりあえずタロウをモフモフすることにする。

「おばさんも心配してるよ。帰ろう。」

「うん。迎えに来てくれてありがとう。」

 恥ずかしそうな彼女に彼は優しくて甘い表情を向ける。先ほど恵輔に向けた表情とは大違いである。

 なるほど、僕も志穂のことを考えているとき、こんな表情をしているのか。

 恵輔はそんなことを思って立ち上がる。

「これ、ごちそうさまでした。」

 恵輔がペットボトルを見せると、彼女がどういたしましてと笑みを浮かべる。

「ね、もしかして、月ヶ嶺?」

 恵輔は驚いた顔を向けた。恵輔の学校は県立月ヶ嶺高校である。

「何で?」

「んー、何となく?」

 視線をそらす彼女に彼がクスリと笑う。

「首のタオル、学校のからもらったタオルだろう。」

 恵輔は首にかけていたタオルを外して広げる。確かに入学記念に学校で配布されたタオルである。

 薄手だがしっかりと縫製してあり、肌触りも良いため恵輔は愛用している。もっとも学校では使っていないが。

 しかし、首にかけていたのにどうしてわかったのだろう。

「そのタオル、俺たちも持ってるから。」

 恵輔はポカンと口を開けた。

「えぇ!?」

「俺たち、月ヶ嶺高校の卒業生。何年生?」

「二年です。」

「残念。ちょうど入れ違いだわ。」

 彼女の言葉に恵輔も残念に思う。

「もうすぐ文化祭よね。今年は覗きに行かない?」

 楽しそうに隣に立つ青年を彼女は見上げる。彼は優しそうに目を細めてうなずいた。

「10月の第一週の土日で今年も変わりない?」

「はい、ぜひ来てください。例年通り盛り上げますから。」

 恵輔は思いの外熱心に誘う。この二人とはまた会いたいと思ったのだ。

 二人はにっこりとして頷いた。

 去って行く二人と一匹を見送って恵輔は大きく伸びをした。

 腕時計を見ると五時半である。今日は平日だが、たまには朝食を作ろうかなと思う。それから学校の仕度をして駅で志穂と合流しよう。志穂のはにかんだ笑みを思い浮かべ、自分も家に帰ることにした。






海岸の二人の話は、またいづれということで。

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