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帰路

ずいぶんと遅くなってしまいました。

 野原兄弟が去ったあと、恵輔は何となく窓の外を眺めていた。

 夏至を越えた空はまだまだ明るい。梅雨はまだ明けていないが、今は青空が覗いている。

 ガラリと近くの扉が開いた。

 そちらに視線を送ると、夏服に着替えて困ったような表情の志穂が立っていた。白いブラウスにエンジ色のリボンと冬服と同じデザインのベストとスカートを身に付けている。校則に規程されている服装のままである。もっとも恵輔も規定どおり白いワイシャツにエンジ色のネクタイと紺色のスラックスである。

「帰ろうか。」

 恵輔が近づくと、志穂は泣きそうな顔をした。

 やはり先程の兄弟の声は中に聞こえていたようだ。

 恵輔はそっと手を伸ばして志穂の頭を撫でる。

「あれだけ大きな声で話していたら、聴こえるよね。ごめんね、気がきかなくて。」

 志穂は大きく首を振った。

「すみません。あの、一人で帰れますから。気にしないでください。」

 恵輔はその言葉は予想していた。遠慮がちな彼女は、友達にすらなっていない恵輔に甘えることはしないだろうと考えていた。

「それは無理だよ。心配で、気になるよ。同じ方向なんだし、一緒に帰ろう。それとも、僕と帰るのは嫌かな?」

 志穂の性格を見越して恵輔は意地悪な質問をした。

「いえ!そんなこと。」

 慌てて首を振る志穂を見て、自然と笑みが浮かぶ。

「それなら問題ないね。」

 志穂はほんのり頬を染めて、ハイと頷いた。


 ホームにあるベンチに志穂を座らせていると、パタパタと階段のほうから足音がした。

「ケイ、今帰り?」

 振り返ると、幼馴染みの葉月である。白のシャツにクリーム色のニットベストを着ている。本来は志穂のように紺色のベストなのだが、男女とも指定されたニットのベストの着用も認められている。

「あれ、葉月?打ち上げだったんじゃないのか?」

「そうだったんだけど、カラオケだしね。ケイのクラスも学校近くのカラオケ屋だったでしょ、山崎君と早めに出てきて駅前でお茶してた。」

 いたずらっぽく笑って、髪を後ろに払う。

「薫と?うまくいっているみたいだね。」

 デートの下見に付き合わされた身としては、うまくいっているに越したことはない。

「ケイは生徒会?それともデート?」

 ヒョイと恵輔の後ろを覗き込んで、葉月がニヤニヤする。恵輔は慌てて手を振ったが、顔が赤くなっているのはばれているだろう。

「こちらは一年生の佐々宮さん。同じ駅だから送っていくところだよ。こいつは二年の本郷葉月。」

 恵輔の紹介で志穂は頭を下げた。立ち上がろうとしたところを恵輔に制されて、座ったままである。

「佐々宮志穂です。四条先輩にご迷惑をかけているところです。」

「ぷっ、ケイは迷惑なんて思ってないから、気にしないで大丈夫。遠慮なんてしないで、怪我人は甘えて問題なし!」

 腕を組んで力説する葉月に志穂は目を白黒させている。葉月の少しずれた感性は、かなり面白い。

 恵輔は二人の様子を眺めて笑みを浮かべた。何となく俯いたままだった志穂が、笑顔を見せている。

「ところで、気になっていたんだけど。」

 葉月が志穂の顔を覗き込んで、首をかしげた。

「この間、武道場にきてたよね?」

 質問ではなく、確認のようである。

 恵輔は女子生徒が武道場に行くなんて珍しいとおもい、志穂の様子を見て首をひねった。

 なんで赤くなっているんだ?

「ノリちゃん達と一緒に見ていたよね。」

「はい。」

 消えそうな声で志穂が答えた。

「やっぱりね。誰だろうって思っていたんだ。ノリちゃんが連れて来たみたいだったから、ケイの知り合いかと思っていたけと、なんにも言わないし。」

 そう言って恵輔を睨む。

 恵輔は前髪をかきあげて、葉月を見下ろした。何を言っているんだと考えて、ふと思い出した。

「それって、葉月と打ち合った時?えぇ!?」

 思わず声をあげると、志穂が小さく謝った。

「いや、謝ることないけど、知らなかったから、驚いた。」

 範子達ということは、崇一も一緒だったのだろう。全く気がつかなかった。

「でも、あのときケイてば、手を抜いたんだよ。信じらんない。」

 プンと葉月が拗ねたように怒るので、恵輔はため息をつく。

「そんなことないって、最近道場も休みがちで稽古してないから。」

「嘘はよくない。他の人は気づかないかも知れないけど、私を誤魔化せると思っているの?」

 恵輔は肩をすくめた。

「ごめん。葉月と打ち合うのは久しぶりだったから、ちょっと遠慮したかな。」

 葉月はエイっと恵輔の頬を引っ張った。小さい頃からのやり取りである。なんだか懐かしい。

 葉月と話している横で、志穂は携帯をいじっている。自宅に連絡しているのだろうか。

「志穂ちゃん、稽古を見た感想は?」

 覗きこまれて、志穂は驚いたらしく瞬きをして首をかしげる。

「えっと、なんか冬の朝みたいでした。凛とした空気というのか、すごくきれいで、近寄りがたい雰囲気で、張りつめていて、格好いい…。あ」

 志穂は口を押さえた。葉月がニヤニヤとこちらを見た。

 思わず手で顔を隠したしまった。顔が熱い。真っ赤になっていること間違いないだろう。チラリと志穂を見れば、志穂も頬を押さえていた。耳が赤くなっている。

 少しは自惚れても良いのだろうか?


 混み合う電車の中で松葉杖を使う志穂をかばいながら立っていると、横から葉月が小声で話しかけてくる。

「明日からどうするの?」

「終業式まで付き添うよ。あと3日だからね。その頃には松葉杖にも慣れるだろうし。夏休みは僕も忙しいから、難しいと思うし。時間が合えば付き添うけどね。」

「そう、ね、志穂ちゃん、アドレス交換しよ。ケイも何かあったときにすぐに手伝えるでしょ。」

 葉月の提案は願ったり叶ったりである。戸惑う志穂を説き伏せた時には葉月の降りる駅であった。

「じゃ、ケイ後で志穂ちゃんのメールして。じゃあ、明日ね。」

 にっこりと手をふって降りる葉月に手を振り返すと、電車は静かに走り出した。

「ごめんね。葉月が馴れ馴れしくて、驚いただろう。いつもはあんなじゃないから。今日は多分彼氏とデートの帰りで興奮していたんじゃないかな。」

 混んだ電車の中で、庇うように腕の中に囲っている志穂を見下ろすと、志穂は俯いたまま小さく返事をする。この体勢が恥ずかしいのかもしれない。実を言えば恵輔自身も少し恥ずかしい。あと一駅なのにその時間が長く感じる、でももっと長くても良いにとも思う。矛盾した心を抱えて、とりあえず窓の外へ目を向けて気を逸らすことにした。


 改札を抜けてバス乗り場に着くと、出たばかりらしく誰もならんでいなかった。ベンチに並んで腰を下ろし、携帯番号とアドレスを交換する。

「そういえば、お家に連絡ついた?」

「いえ、それがコウくん、携帯電源切れているみたいで、家の電話も留守電のままだから帰ってないみたいです。」

 心配そうに手に持った携帯をじっと見つめている。両親は都心にいて、いつもは弟と二人きりだと以前に話していたことを思い出した。

「今日は晧君は学校?」

 私立の中学校の予定は公立高校とは違っているだろう。ふと気になって志穂に尋ねると、志穂は首をかしげた。

「今日は、ホームルームだけで部活もないって、昼には家にいるって、何でいないの?」

 青ざめてしまった彼女に恵輔が慌ててしまう。

「中学生なんだし、友達と会っているのかもしれないよ。家まで送るから、案外寝てるかもしれないよ。」

 不安そうに見上げてくる志穂は、儚げで可愛らしい。抱きしめたい衝動を押さえて、安心させるように笑みを浮かべると、つられたように志穂も笑みを浮かべた。

 バスに揺られて二十分、最寄りのバス停につく。図書館前である。まだ開いているらしく明かりがついている。

「ここです。あ、明かりついてる。」

 志穂の視線を追うとわりと大きな家であった。庭もかなり広いようだ。

 音楽家の家は音で周囲に気を使っているのかもしれない。

「ただいま。」

 玄関を開けると奥から慌てたような足音がして、晧が顔を出した。そして志穂を見てギョッとした。

「ど、どうしたの志穂ちゃん、その足?!」

 志穂が苦笑いして恵輔を振り返った。

「ちょっと捻挫しちゃった。コウくんと連絡つかなくて、四条先輩に送ってもらったの。」

「ありがとうございます。図書館に行っていたから、携帯の電源切っちゃて、ご迷惑をおかけしました。」

 礼儀正しく頭を下げられて、恵輔は少し居心地が悪い。

「いや、困ったときはお互い様だしね。それより、明日は何時の電車?合わせるから、バスに乗るとき連絡くれる?」

「いえ、悪いですから、気にしないでください。」

「助かります。朝、姉から連絡させますから、よろしくお願いいたします。」

 恵輔の言葉に姉弟は正反対のことを返した。慌てている姉にたいして、弟は現実的である。

 恵輔も姉志穂の言葉は聞き流し、弟晧と打ち合わせ、携帯の番号とアドレスを交換して帰路についた。

 恵輔の下心は晧にはばれているかもしれない。







いつもありがとうございます。

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