体育祭4
いつもありがとうございます。
部活対抗リレーが終わるとしばらくは得点外の競技になる。
恵輔はその間に体操服に着替えを終えて、竹刀を戻しに武道場へ向かった。武道場は体育館の一階にあり、その横には運動部の部室が並んでいる。校舎から武道場に向かうには、部室長屋の前を通ることになる。竹刀を片手に歩いていると、少し先の扉が開いた。
二人の女子生徒が楽しそうに話しながら外に出て来て、校庭側に立っている恵輔に気づいて慌てたように扉の内側に声をかけている。恵輔はそのまま武道場へ行こうとしたが、女子生徒が飛び出して来て立ち止まった。その女子の顔を見て、立ち止まってしまった自分に舌打ちをしたくなった。
二人が向かい合ったのを見て、先に出てきた二人が意味深に笑って「ごゆっくり」といって校庭の方へ走っていく。
恵輔は立ちすくむ斉藤亜由美を射貫くように見つめた。
大人びた容貌は先日のパーティの時よりも年齢相応に見える。怯えたようなその姿は、男の庇護欲を刺激する。恵輔自身も志穂と出会っていなければ、同じだったかもしれない。でたらめな噂を流され、身動きがとれなくなったところで、噂を真実にしていたかもしれない。
「四条君、あの、好きな子って、さっきの弓道の子?」
縋るような瞳で立ち止まったままの恵輔に近寄って来る。なんで葉月のことを亜由美に説明しなければならない。恵輔は無表情に亜由美を見つめた。
「ねえ、どうなの?違うよね。だってたいして可愛くない。」
恵輔に触れようと伸ばしてくる手を避けて、一歩下がる。傷ついたかのような表情をしているのが気に障った。
「なんで、何も話してくれないの?私たち友達だよね。」
恵輔は竹刀を前につきだした。ビクリをして亜由美は恵輔を見上げる。
「……それを壊したのはあなただよね。」
恵輔は冷めた声を出した。普段の柔らかい声しか知らない者は、別人と思ったかもしれない。
「あの噂、取り消していないよね。理由は何?」
いつもは笑みを浮かべている瞳が、冷たい凍り付くような光を放っている。整った容貌が無表情になっているだけでも怒っているように見えるのに、今の恵輔は怒っていた。それでも、話を聞く余裕はある。
「あ、あれは、否定したけど、みんな信じてくれなくて…」
亜由美は怯えたように、泣きそうになっている。恵輔の脳裏に志穂の悲しそうな表情が浮かんだ。
「あの、それより、恵輔君の、好きな人って、」
「僕の名前、勝手に呼ばないでくれる?」
恵輔は自分の名前を勝手に呼ばれても怒ったことはない。名前なのだから、かまわないと思っていた。しかし、亜由美に呼ばれたのは気分が悪かった。面と向かって名前を呼んだのは今が初めてであったのだが、ごく自然に口にしたと言うことは日頃から使っていたのだろう。見えないところで名前を口にされるのも不快だ。
「う、うん。それで、」
恵輔が竹刀を下ろしたので、亜由美は再び近づいてくる。
そっと恵輔の胸に触れようとする。恵輔はさらに一歩下がった。
「あなたに関係ないけど、僕の好きな人は、さっきの彼女じゃない。でもとても大切な人だ。」
亜由美の横をすり抜けて、恵輔は小さな声で言った。そのまま振り返らず、武道場に向かった。もうこれ以上、話をするのも面倒だった。背中に視線を感じていたが、無視をした。
崇一の隣に座ると恵輔は大きくため息をついた。
「なんか、疲れてるか?」
バサリと頭の上から学校指定のジャージをかぶせられる。よほどひどい顔をしているらしい。
「……斉藤と話した。何言ってもダメだね。会話にならない。あんな女だとは思わなかった。」
ため息混じりにぼそぼそと話すと、崇一は背もたれに寄りかかったらしく、ギシと音を立てた。
「もともと評判は良いからな。」
「僕のせいで変わったと言うことかな。」
恵輔は背もたれに寄りかかる。
「違う。今までネコを飼っていたんだ。」
「ネコ?家でネコを飼うと性格が変わるのか?」
息苦しくなってジャージを外しながら問うと、崇一は奇妙なものを見るかのような表情をこちらに向けた。
何か変なことを言っただろうか。恵輔が戸惑うように首をひねると、その姿を見やって崇一は笑い出した。
「ネコって、飼い猫じゃないって。背中にかぶるものだよ。いわゆる『ネコかぶり』。お前面白すぎ、腹が痛い。」
笑い転げている崇一に、恵輔は口元を押さえる。再びジャージをかぶって赤くなっているであろう顔を隠した。
「……で、ネコを飼っていることを崇一は何で知っているんだ?」
隣の笑いが収まるのを待って恵輔は話の続きを振る。
「あー、涙出た。それは斉藤と同じ中学出身の奴に聞いた。気に入った男子と取り巻きの女子には良い顔するが、それ以外にはそうでも無かったらしい。」
「……なんだ。僕は見る目が無かったって事か。」
ガックリとうつむくとガシガシとジャージ越しに頭をなでられる。
「普通、クラスメイトだったら話くらいするだろう?別にカレカノになった訳じゃないんだから、気にするな。お前は気づいてなかった訳じゃない、気にしていなかっただけだ。」
恵輔は首をひねった。意味がわからない。
「簡単に言えば、特別に気になる存在ではなかったから、見ていなかったってこどだよ。最初から恋愛対象外だったって事。上っ面しか見せていないことなんか、無意識に気づいていたんじゃないか?」
説明されて、どうだろうと考える。良く解らない。でも、クラスメイト以上の関係になりたいと思ったことは無い。他の男子が亜由美のことを話しているのを聞いても興味はわかなかった。
「……ありがとう。少し浮上した。」
頭を上げてジャージを取ると親友は優しく笑った。崇一はいい男だと思う。別に変な意味ではない。人間が出来ているというか、器が大きいというか。とにかくいい男だとしか言いようがない。自分も同じようになりたいと思った。
午後最後の得点競技「色別対抗リレー」は、各クラス男女それぞれ一人ずつ選抜され、一チーム十二人でアンカーを除く十一人はトラック半周を走る。アンカーだけはトラック一周になっている。走る順番は男女交互であれば自由である。各色とも作戦を立てて、走る順番は直前まで秘密にされている。
「あれぇ、恵輔アンカー?」
声をかけてきたのは渡辺である。襷を掛けているので白組のアンカーのようだ。
「おお、渡辺先輩。アンカーですか。いいか、恵輔負けるなよ。ここで勝てれば、優勝だ。」
恵輔の前にいた崇一が話に入ってくる。
「崇一もいるのか。これはきついなぁ。でも負けないよ。こっちも優勝がかかっているからね。」
「正々堂々勝負ですね。」
恵輔が言うと渡辺は楽しそうににやりとした。
生徒会役員が三人で話していると、どうしても注目を浴びてしまう。渡辺が白組の列に戻るのを見送って、恵輔はリレーの選手達を見渡した。
緑組の中頃に志穂がいた。すぐ後ろの女子生徒と楽しそうに話している。笑顔を見ることが出来るだけで、何だがほっとした。大きく息を吐き、意識を切り替えた。
大きな歓声が校庭中に響く。
六人目の男子が走り出す。現在の順位は白、青、緑、紅である。青組はすぐ前の白組を追う。順位はそのままに、七人目の女子が走る。恵輔は緑の鉢巻につい目がいく。志穂である。速いの一言につきる。お下げにしている髪を大きく揺らし、前を走る青組にグングンと迫る。バトンリレーの時はほぼ同時であった。青組と緑組は僅差で並び、前の白組を目指す。十一番目の男子にバトンが渡るときには紅組を除いた三組は横並びになっていた。青組の崇一がほんの少しだけリードして、次の女子につなぐ。恵輔は一番内側のラインに立った。隣には渡辺が並んだようだ。気になるのでそちらは見ずに、走り込んでくる青組の女子に集中する。
「おねがい!!」
受け取ったバトンを握りしめて走る。大きな歓声が聞こえる。恵輔の名前を呼んでいる声も聞こえる。
すぐ後ろから追ってくる気配がする。後ろを振り返り確認する余裕など無い。自分の息がうるさい。
たかが学校の体育祭なのに、優勝したからといって何か商品があるわけでもない。
そんなのは判っている。ただ、負けたくない。期待されているから、それに応えたい。だから……!
恵輔はゴールのテープを切った。一際大きく歓声が上がった。
膝に手をあててゼーゼーと呼吸しているとガシッと崇一に抱きしめられる。さらに同じリレーを走ったメンバーに揉みくちゃにされる。
「やったぜー!!優勝だ!」
「四条先輩。サイコー!かっこいい!!」
他の色の選手達が拍手をしている。渡辺はニコニコして恵輔に握手を求めてきた。
「おめでとう。」
「先輩がすぐ後ろにいたので、必死でしたよ。」
ぽんぽんと肩をたたいて渡辺はチームメイトの元へ戻った。そちらを見ると志穂も他の生徒達と一緒に手を叩いていた。恵輔ににっこりと明るい笑顔を向けてくれた。つられたように恵輔も笑みを浮かべた。自分では気づいていなかったが、とても自然なその笑顔は恵輔のファンをさらに増やしたのだった。
体育祭終わりました。
誤字修正しました。




