自覚
いつもありがとうございます。
「彼女のこと、どう思っているの!」
範子に問われて恵輔は手のひらを見つめる。
どうして、見かけたときは必ず声をかけたのだろう。そういえば、少し前に志穂が不可抗力で薫に抱きしめられていた時は、苛々して無理矢理引き離した。彼女が笑うと嬉しくなり、悲しそうだと抱きしめて慰めたくなる。クルクルと変わる表情が可愛らしく、いつも見ていたいとまで思うのは、なぜだろう。
恵輔はそこまで考えて、空を見上げた。
何だ、僕は志穂を好きなんだ。
そう思ったら、苦しいものはすっと消えた。胸の中が暖かくなる。
視線を下ろすと心配そうな友人がこちらを見ていた。
恵輔は自然と微笑む。
「…やっと気づいたか?」
「恵輔君は、自分のことには鈍感よね。」
二人の言葉に苦笑いするしかない。確かに自分自身もそう思う。
彼女はどう思っているのだろう。それがものすごく気になる。でも、今までの様子から好かれていることは、間違いないと思う。
「彼女、昨日泣きそうだった。噂のせいだったんだね。きっと。」
範子に確認するように問うと、「たぶん」と頷く。
「それまで仲良かったのなら、他に考えられないと思うわ。泣きそうだったなら、尚更ね。」
恵輔は怒りが湧いてきた。あんなでたらめな噂のために、志穂に逃げられたなんて、噂を流した当人を許せない。ぐっと手を握る。
「恵輔、斉藤と話すか?」
「…そうだね。斉藤と話したほうがいいね。」
唇に指先をあてながら恵輔が答えると、二人も頷いた。
範子が崇一の袖を引き、何か話しかけた時に、恵輔の携帯電話が鳴った。
宛名を見れば、父親の秘書をしている人物である。
そうだった。今日の放課後、約束していたことがあったのだ。
「恵輔です。すみません、遅くなって。ええ、わかりました。すぐ行きます。」
電話を切ると友人の二人を振り返る。
「ごめん、もう明日の関係で迎えが来るから。」
「ああ、親父さんの会社のパーティーに出るんだっけ?」
この二人には、家族のことは話をしてあった。明日が創立記念パーティーだということも。
中庭を出ると三人は揃って校門に向かう。話は噂のことではなく、来週の体育祭のことになる。
テラスを通り抜けると昇降口から五、六人の女子生徒が出てきた。恵輔は何気なくそちらを見て、あっと声を出した。その声に一緒にいた二人もそちらを振り返る。
一人だけ、こちらを見ていた。茶色味かかった長い髪が風に揺れる。眼があって、恵輔が声をかけようと一歩踏み出したとたん、表情を歪ませ他の女子生徒達に何事か話すと、素早く走り去った。
彼女の走りっぷりを初めて見た崇一と範子は、ポカンとした表情である。
「また、逃げられた。」
恵輔はガックリと肩を落とした。
「…もしかして、彼女?!なんか、ものすっごく可愛かったわよ!」
「…なんか、すっげー逃げ足!。俺でも追いつかねーな、あれは。」
友人二人が思ったことをつかみかかる勢いで恵輔に訴えるので、三人に気がついていなかった他の女生徒達がこちらを振り返った。黄色い悲鳴が上がる。
「あぁ!生徒会の役員さん達よ!」
「今帰りですか?」
「私たちもご一緒して良いですか?」
三人はあっという間に取り囲まれてしまった。
「いやぁ、それは、……」
「ちょっと、急いでいるから、…」
崇一と範子がやんわりと断るのだが、彼女たちは全く聞き耳を持たない。恵輔は無言で二人の腕をつかむと器用にスルリとすり抜ける。
二人を校門の方へ押しだし、まとわりつく女子達を見下ろした。
「悪いけど、役員同士で大事な話があるからね。遠慮してもらえるかい?」
にっこり笑顔をつけると、彼女たちは恵輔に見とれて大人しくなる。自分の顔がこういうとき役に立つのはありがたい、などと思う。
「ありがとう、それじゃ、さようなら。」
再び二人の腕をつかんで校門を出ると、駅の方へ向かう。バス通学の二人が戸惑った声を出すが、恵輔は無視してスタスタと歩を進める。
「今、バス停に行ったら、彼女たちに捕まると思うけど。」
「あぁ、でもお前、迎えが…」
話していると道ばたにシルバーの外国車が止まった。恵輔は後部座席のドアを開いて乗るように促した。
「途中まで送っていくから、相川もそれで良い?」
恵輔が範子を振り返ると、範子はきらきらした瞳で、捕まれていた手を逆にがっちりつかむ。
「じゃあ、彼女のこと教えてくれるのね。」
「お、確かに俺も聞きたいな。」
掴んでいたはずの両手を逆に捕まれて、恵輔は首をかしげる。
なんだか墓穴を掘ってしまった気がした。
十分ほど走りバスの終点のターミナル駅の近くで二人を下ろすと、恵輔は疲れたようにため息をついた。いつもなら後部座席に座るのだが、今日はもう面倒なのでそのまま助手席である。
振り返れば恋人同士の二人は、仲むつまじく手をつないで駅に向かうのが見えた。
「良いお友達ですね。」
クスリとしながら運転している御崎辰彦がちらりとこちらを見た。彼は父親の秘書の一人である。秘書の中では一番若くまだ30歳である。小学生の頃はよく遊んでもらったうえ、恵輔の剣道の試合のビデオ撮影などはすべて彼が行っている関係もあって、恵輔は彼のことを兄のように慕っている。
「…まあね。」
車に乗っている間中、恵輔は志穂のことを聞き出そうとする二人に根掘り葉掘り質問攻めにあっていた。
いろいろ聞かれたが、自分の知っていることもそれほど多くはない。秘密にしたいことは隠し通したつもりだが、きっといずれ話す羽目になるのだろう。
「そういえば、恵輔君好きな娘ができたんですか?」
「あ、いや……うん。父さん達には、まだ内緒にしておいて欲しいんだけど。」
三人の会話を聞いていたのだから、ごまかしようが無い。恵輔は頬を赤く染めて辰彦の横顔を見つめた。
ちらりと視線を恵輔に向けて、辰彦は微笑む。
「いいですよ。でも、どんなお嬢さんなんですか?」
水を向けると恵輔は嬉しそうに話し出した。幼い頃から大人びた子どもだったが、今の様子は年齢相応に見える。恵輔の人を見る目は信用しているし、上司である恵輔の両親にも秘密にしておくが、こっそり相手のことを調べておこうと思っている。辰彦は恵輔のことをとても可愛がっているのだ。
辰彦は先程の友人二人よりも、さらに相手のこと聞き出すことにした。
いつになったら、噂の彼女が出てくるのでしょうか。




