姉と弟2
志穂は久しぶりに弟と家に帰ることになった。
二人並んでバス乗り場に並んでいると、チラチラと視線を感じる。一人の時は感じないので、弟が視線を引くのだろう。容姿の良い弟は自慢だが、こういうときはうっとうしい。などと考える。
ふと隣に立つ晧が自分よりもずっと背が高いことに気がついた。横を向いても顎の辺りしか見えない。ほんの少し前まで同じくらいだったと思う。しかし、まだ中学三年なのでまだまだ成長期である。志穂自身はすでに止まったようなので、なんとなく羨ましい。
「今日の夕食何かな。腹減ったよ。」
「うん、そうね。」
ぼんやりと答えると、晧が首をかしげるのがわかった。確かに普段ならば、もっと言葉を返すのだが、何だか今日は返事をするのも面倒だった。
夕食は通いの家政婦が下ごしらえまで済ましてくれているので、調理法のメモの通りに仕上げをすれば大丈夫になっている。調理の必要のないサラダなどは冷蔵庫に入れてくれている。
子どもが二人きりで生活することに留守がちの両親が心配し、平日は家政婦が通ってきてくれているように手配したのだ。晧が小学校を卒業するまでは、同居までしてくれていたが、その後は近くのアパートで生活している。。彼女は夫に先立たれて女手一つで一人息子を育て上げたしっかりした人物で、二人は生まれたときからお世話になっていると言っても過言ではない。志穂と一回り離れた彼女の息子も高校卒業までは一緒に生活して、妹のようにかわいがってくれた。すでに結婚しているが実家に帰ってきたときは、家族連れで一緒に遊んだりもする。
二人で食後の片付けを済ませると、志穂はいつものように防音室に入った。
ピアノの前に腰を下ろしたが、何も弾く気にはならずぼんやりしていると、扉が開いた。
「志穂ちゃん、久しぶりにアンサンブルしない?」
晧がにっこり笑って入ってきた。
「良いけど、珍しいね。」
志穂が言うと「たまにはね」と笑って、持ってきていたヴァイオリンを差し出してきた。
「だから、志穂ちゃんがこっちね。」
首をかしげながら受け取ると戸惑っている間に椅子を用意され、ピアノの前からどかされる。
仕方なく音を合わせると、晧はぱらぱらと鍵盤を適当にたたき、意地悪そうに笑った。
「じゃ、始めようか?」
二時間後、志穂は晧の隣で、息切れしていた。体力のある晧も同様である。気がつけばアンサンブルではなく、連弾になっていた。
晧は日頃ピアノを弾いているところは見せないが、自分の部屋では弾いていたらしい。しかも何を考えているのか、ものすごい早弾きであった。志穂は最初の一曲でヴァイオリンはあきらめ晧と交代したが、志穂の早弾きに晧もヴァイオリンを手放し、二人で連弾になっていた。
ふふふっと志穂が笑うと同時に晧もくくくっと笑い出す。
顔を見合わせて、声を出して二人で子どものように笑った。
「楽しかったぁ。またやろうね。」
くすくすと笑いが治まらない志穂に、晧が冷蔵庫からミネラルウォーターを出してふたを開けてから手渡す。にっこりとして礼を言う姉を見て、弟はほっとしたような表情をした。
「やっと笑った。心配したよ。」
そう云われてペットボトルから口を離し、志穂はうつむいた。
「ごめんね。なんだか疲れちゃって……。」
晧は黙って近づいてきて、手元のペットボトルを受け取ると一口飲んでから蓋を閉める。ピアノの上に置きながら、志穂の隣に座る。
「学校で何かあった?」
志穂は首を振った。
「……良く判らないの、自分でも。特にね嫌なことは無かったの。無かったと思うの。でもね、なんだか……。ごめん、上手くいえない。」
晧はうつむく志穂の肩を引き寄せた。
「……僕は、年下で、男だから、志穂ちゃんの相談に乗っても的確にアドバイスできる訳じゃない。でも、話を聞いてあげることは出来るし、泣きたければ胸を貸すことだって、出来るよ。」
志穂はそっと抱きしめられた。幼い頃は寂しくて泣く晧を抱きしめていたが、いつの間にか逆になっていたようだ。
「……情けないね。私、お姉ちゃんなのに…。」
晧は首を振ったようだ。
「僕は、志穂ちゃんは「お姉さん」だって思っているし、感謝してるよ。お父さん達が僕のことを同じ道に進めようとしているのを志穂ちゃんが庇ってくれているのも、ちゃんと知ってる。」
志穂は小さく首を振った。
「頑張っているのは、コウくんだから、私がしたのは、ほんのちょっとだから。」
「だから、僕も志穂ちゃんの力になりたいんだ。姉弟なんだから。一人で頑張らないでよ。」
晧は腕に力を込める。
「また、一緒に弾こう。」
「うん。…コウくんが弟で良かった。ありがとう。」
志穂は晧の背中に手を回して、ぎゅっと抱きついた。
自分だけで頑張っても心配をかけることが判った。これからは、大きくなった弟に少しだけ寄りかかることにしようと思った。




