僕と隊長1
それは、最初から先のない恋だった。
はっきりと二度の失恋を経験したのは、所属する自分ですら覚えられない長い名前の隊でのことだった。
僕、ラング・イルファはリブラ国で伯爵位にある家の三男として生まれた。
上に二人も兄が居る以上、自分に伯爵位が巡ってくることはまずないので、僕は早々に身の振り方を考えなければならなかった。
容姿に優れていたなら、爵位を継ぐ娘の婿に収まることも可能だっただろうけど、残念ながら並より少し上、という程度だったのでそれは早々に諦めた。
残るは神殿に入るか、騎士として生計を立てるか…と色々と考えて、普通以上に身体能力が高いことを理由に騎士になることを選んだ。
最初は父の領地に近い、リブラ西軍に所属する隊に入ったが、そのうちに才能と実力が認められて、王都を守る中央軍へと籍を移したのは、僅か十四歳のころだった。
思えばその頃から、僕は自分の才能を勘違いして思い上がっていたのだと思う。
それから様々な隊を転々として、十九歳で配属を命じられたのは、『リブラ中央軍魔獣駆除及び対策特殊機動部隊』だった。
何とも長ったらしいその隊は、もともとは別だった『魔獣駆除部隊』と『魔獣対策部隊』が後年に一つになったため、今でも両方の名を取っているのだ。
誰もがこんな長い名前を覚える気はなく、隊は初代隊長の名を取って通称アルフェッカと呼ばれていた。
その隊は、凶悪な魔獣を相手にすることから騎士や兵士の中でも選ばれた者しか所属できない、名前の通り特殊な隊だった。
選ばれた特別な者しか入れないアルフェッカは、騎士や兵士らの憧れであり、目標だった。
僕は若くして実力が認められたと舞い上がり、意気揚々と入隊したものの、しかし早々に鼻っ柱を折られることになる。
かなりの使い手だと自負していた僕の実力は、アルフェッカの中では、並程度だった。
いや、むしろ下から数えた方が早かった。
それぐらい隊士たちは強者ばかりだった。
僕と同時期に入隊したニールも同じ挫折を味わい、二人で酒を飲みながら泣きに泣いたのは情けない思い出の一つだ。
最初の頃はとにかく先輩たちについていくのがやっと、と言ったところで余裕も何もあったものではなかったけど、半年が経つ頃にはようやく周りを見回すだけの余裕ができてきた。
先輩たちを観察してみて、化け物並みに強い隊士の中でも、実力の差があることが分かる。
まず、現隊長。
隊長は隊の中でも古株で発言力も強いけれど、残念ながら剣の腕では四番手。
剣の腕を補うだけの経験と知識があったが、やはり三十五歳を迎えた隊長には魔獣討伐は体力的に厳しいこともあって、次の任務を最後に地位を退く予定だった。
次にその地位に就くのでは、と言われているのは二十五歳の現副隊長。
けど副隊長も隊の中では、剣の腕前は三番手で、隊長からの打診を辞退したとの噂もある。
それどころかむしろ副隊長の座もとある人物に譲り、自分は隊長、副隊長の補佐に降りたいと話しているらしい。
そのとある人物というのが、二番手を行く二十一歳のメレディス・ナイジェルさん。
リブラの中でも名門公爵家の二男、容姿も端麗、物腰も丁寧で優しいと、完璧を体現するかのような人。
隊の中でも人気のあるメレディスさんなら、副隊長の座に就いても文句も出ないだろう。
それなら、次の隊長に就くのはやっぱり――――王子だろうか。
王子、とはそのままこの国の第二王子レンシェル殿下。
最初はなんで王子がこの隊に所属してるのって疑問に思ったよ、どうせ実力もないくせに我侭言って入れてもらったんだろうって。
けどそんな考えは、訓練する王子の姿を見て一瞬で吹き飛んだ。
「オレも、次の隊長はレンシェル王子じゃないかなって思う」
「……だよね」
ニールと僕が眺めているのは、王子とメレディスさんが訓練している姿。
もうね、僕らと格が違う。
どれだけ訓練を重ねても、努力だけでは決して越えられない壁っていうのは存在すると思う。
僕にとってそれが、王子とメレディスさん。
メレディスさんよりも三歳年下の王子は、十八歳になったばかりだがその実力は隊の中で文句なく一番。
二番手のメレディスさんですら王子から十本に一本取れれば良い方、って有様。
自分よりも一歳年下の王子の実力に嫉妬を感じないかと言えば……嘘になる。
でも小さな嫉妬なんて吹き飛ばすぐらい、王子は強かった。
僕はこの半年で三度、魔獣討伐に向かったが、一人で八級の魔獣を倒すのがやっとだった。
魔獣には、その強さを基準として一から十の級に振り分けられ、一級を最高とし、十級を最低と決められている。
そんな中、王子とメレディスさん三級の魔獣を余裕で討伐していた。
彼らなら一級の魔獣でも、余裕でとはいかないだろうが、一人で討伐可能と言われているほど。
最早、彼らは別次元の存在、と最近では思うようにしている。
これで性格が悪いとかなら、良いのにと僕は常々思う。
メレディスさんだけでなく、王子も人柄がとても良かった。
この国の第二王子、というこの上ない身分でありながら、誰にでも気さくで、誠実。
容姿は、平民たちに比べて美を誇る貴族の中でも浮くぐらい平凡。
だけど、あの強さと性格もあって女性が放っておかない。
……そう、何を隠そう僕が恋をしたアルフェッカの先輩隊士で一歳年上のルビアナさんも王子のことを想っているのだ。
アルフェッカの紅一点、ならぬ紅二点のうちの一人、ルビアナさんは生まれこそ平民だが、美人で体つきも豊満。
彼女が動くたびに震える……まあ、主に胸に僕は入隊した頃から釘づけだった。
性格も姉御肌で、面倒見の良い性格となれば、恋をしないわけがなかった。
それとなく休日に食事に誘ってみたが、結果は全戦全敗。
つい先月、玉砕覚悟で告白するも、
「ごめん……あたし、殿下のことが好きなの」
……本当に玉砕してしまった。
ああなぜ気づかなかったのか、と僕は自嘲した。
僕は自分の恋に夢中になっていて、彼女の恋など見えてはいなかった。
知ってしまった後は、笑ってしまうぐらい、彼女が王子のことしか見えていないことが分かるのに。
いつだって彼女の目が追っているのは王子で、
「ルビィ」
そう呼ばれる度に嬉しそうに微笑むのも、王子にだけ。
僕なんて最初から眼中になかったんだ。
その日は、いつものように泣きながらニールと酒を飲んだ。
ニールも泣いていた。
僕の失恋につられたわけではない。
彼も失恋したのだ、もう一人の女性隊士、フィリスさんに。
彼女はメレディスさんが好きだったらしい。
「ニール……仕方ないよ。だってメレディスさんだもん」
「ラング……お前だって同じだ。だって殿下だからな」
お互いを慰め合い、その日はぐでんぐでんに酔っぱらって、翌日は二日酔いで苦しんだのはまた情けない思いでの一つだ。
それからルビアナさんへの想いを断ち切るためにも、僕は必死に訓練を行った。
お蔭で五級ぐらいまでなら一人でどうにか討伐できるようになったけど、相変わらず女性と縁のない日々だった。
あれから数年経つけど、ルビアナさんは、相変わらず王子を想っているようだった。
告白は、たぶんしていないのだろう。
身分の違い、それもあるのかもしれないけど、きっと彼女は王子の方から告白してくれるのを待っているのだろう。
けれど、王子の方はといえば……何と言うか、鈍感だった。
前の隊長の後、やっぱり隊長の座に就いた王子は、若いこともあって少し足らないところもあったけど、信頼のおける人だったし、やっぱりその強さは皆の尊敬の的だった。
僕も王子のためなら、と思うし、素晴らしい人だと思うのだけれど、女心に疎いのはちょっとどうかなって思う。
だってあれだけあからさまにルビアナさんから好意を向けられながら、全然気づいてないからね。
隊の中では、ルビアナさん可哀想、どうにかして王子との仲を取り持ってあげたいなんてやきもきしている人もいるくらい。
失恋した身である僕は傍観していたけど、でもたぶんそのうちに二人がくっつくんじゃないかなって思ってた。
身分差はあるけど王子が王位を継ぐわけじゃないし、なんて思っていた僕らにその報せは青天の霹靂だった。
何と、王子はスコーピオウの第一王女と婚約を交わし、最短期間で結婚したのだ。
あの天蠍宮の神の娘を務めた、美貌の姫として名高い姫と。
このときのルビアナさんの落ち込み具合は半端なかったけど、僕らの驚きも大きかった。
だって、あの男の夢とも言われる、美貌と豊満な身体を持つ姫と容姿は平凡が代名詞の王子がなんて。
結婚式で並ぶ二人を初めて見たけど……どうにも釣り合いが取れていない。
どう考えてもメレディスさんか、メレディスさんよりも質は落ちるけどミストラ公爵家の跡取り息子の方が釣り合いが取れる。
それは誰もが思っただろうけど、王子は今まで見たことがないくらい幸せそうな様子だった。
「クインティア!」
訓練場に姫が現れると、誰よりも早く王子が気づき、駆け寄る。
それに応える姫の笑みの美しさと言ったら。
目にした僕らは皆、訓練を忘れて見惚れてしまう。
恋心、そんなものはどこかに置き忘れてきたんじゃないかと思っていた王子も、姫の笑みを嬉しそうに見つめている。
そう、王族にありがちな政略結婚だと思われた二人は、仲睦まじいようだった。
少なくとも王子は姫を溺愛しているし、姫も……満更ではないんじゃないかなって見てて思う。
王子は姫への想いを隠さない熱い目で見つめるし、姫は姫で訓練する王子をずっと見つめている。
やってられるか、と剣を投げ捨ててやろうと何度思ったことか。
ここに居る隊士の誰もが思っただろうが、腐る気持ちよりもあの美しい姫を見たい気持ちの方が強く、今のところ皆我慢をしている。
決して自分のものにならないことは端から分かっているし、手を伸ばすほど身の程知らずではないけれど――――心は自由にならないもの。
アルフェッカに居る多くの者が姫の美貌に憧れを抱いていた。
だからどうしてか姫が訓練場に現れなくなった頃は、誰もが残念に思ったし、王子へそれとなく探りを入れたが、王子にも分からないようだった。