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神の娘  作者: くま
レンシェル
8/12

囚われ

 雲一つない、青空が広がる日。

 その日、初めて誰よりも焦がれた人を、妻に迎えた。

 彼女が自分に好意を抱いているわけではないことも、何か目的があるだろうということも初めから分かっていた。

 それでも構わないと思えるほど、ただ彼女が欲しかった――――。



 それは、本当に偶然だった。

 スコーピオウ国にある、天蠍宮で当代の神の娘が最後の舞を舞う儀式に参加するのは、本来であれば王太子である兄の役目だった。

 しかしその日は、王太子妃の出産が近いこと、そしてその直近の日に自分がスコーピオウの隣国から依頼を受けていた魔獣討伐に向かうこととなっていたため、兄の代わりに出席して欲しいと両親、兄夫婦から頼まれれば断る理由はなかった。

 魔獣討伐の後、数少ない従者だけを伴い、アルフェッカの隊士たちとは別れてスコーピオウへと入国を済ませた。

 当日は、王族らしい振る舞いを心がけながら案内された席へと腰を落ち着けると、その後も各国の王族、貴族が続々と集まることに驚く。

 皆、今日の舞を見ることを楽しみにしている様子で、周囲と神の娘を話題にして会話をしている。

 集まった参加者の多さから、余程天蠍宮の神の娘は人気があるらしいことを悟る。

 天秤宮の神の娘とは大違いだな、と心の中で呟かずにはいられなかった。

 自国にある天秤宮に入ることが決まった、その娘は最初から神の娘などなりたくない、と泣き叫び、神殿入りした後も役目に身が入らないようだ。

 神殿の者からも民からも人気がなく、一年に一度開催される舞も義理で国内の貴族らが参加する程度である。


『行きたくない!』


 そう叫んで泣いた当代の神の娘は、六歳年下の妹だった。

 当時八歳だった妹は、神の娘となることが決まったときから、駄々をこねて母に泣いて縋った。

 母とて妹を手放したくはなかっただろう。

 だが、母の立場と身分がそれを許さなかった。

 もしも母が王妃という権力を使って妹を守っていれば、あっという間に母は王妃の座から転落し、自分も妹も王宮を追われていたことだろう。

 何せ母の平凡な容姿すら槍玉に挙げられるような世界である。

 結局妹は、嫌々ながら神殿に入り、現在まで七年の時を過ごしている。

 この七年間、妹の神の娘としての評価は低かった。

 天秤宮では、神の娘の評価の指標として魔獣の存在がある。

 魔獣による被害が多ければ多いほど神の娘としての評価は低くなる。

 魔獣と神の娘に何ら因果関係などないし、こんなものは迷信でしかない。

 それでも不思議と国内から人気のある神の娘が居るときは魔獣の被害が少ないという事実があった。

 妹の場合は、郊外で多くの魔獣が出て人や畑に被害を与えた。

 魔獣を討伐する立場にある、自分にとっては頭の痛いことである。


「………」


 そんなことを思っているうちに、厳かな儀式は始まっていた。

 参加者らは沈黙し、神の娘が現れるのを今か今かと待つ。

 それほど興味のなかった自分は、早く済めばいいとだけ思っていた。

 だが、静まり返る天蠍宮に現れた一人の女性の姿を見た瞬間から―――――目が離せなくなった。

 気がついたときには、既に儀式は終わり、ぽつりぽつりと参加者たちが席を立っている。

 中にはまだ余韻に浸るかのように座ったままの者も居た。

 そのうちの一人だった自分は、ぼんやりと目の前にある祭壇を眺めた。

 そこで、彼女は舞を舞った。 

 美しい――――その一言に尽きる舞を。

 それは今まで見た誰の舞よりも美しく、そして彼女自身誰よりも美しかった。

 青空のような、澄んだ青い瞳は生き生きと輝き、時折参加者の方へと向けられると、不思議と胸が高鳴った。

 美しい青に囚われた、と妙に冷静な頭で思った。

 それは生涯で二度目の感覚だった。

 一度目は、初めて魔獣を討伐しに行った、荒野で。


『……マール』


 共に任務に就いた同僚は、そこで命を失った。

 自分がどうにか傷を負いながら魔獣を倒したときには、既に彼は事切れていた。

 地に付した魔獣を倒したという高揚感よりも、同僚を失った絶望よりも―――――自分が生き残った喜びと罪悪感が大きかった。

 ぼんやりと絶命した同僚と魔獣を、荒野を眺めた。

 そこは魔獣によって荒らされ、草すら枯れているような場所だった。

 だが、ふと見た足元に。

 花が一輪だけ、風に揺れていた。

 青い、どこにでも生えている、珍しくもなんともない花。

 けれどそれを自分はそのとき、何よりも美しく尊い花だと思い――――ようやく、同僚を失った悲しみに涙が零れた。

 青い花を見つめながら涙を零し、同僚へと別れを告げた。

 それから四年後、再び足を運んだその地には……あの青い花が、花の盛りを迎えていた。

 あれほど荒れていた地に根を下し、一面に花を咲かせる姿に声もなく見惚れた。 

『綺麗、ですね』

『……ああ』

 ぽつり、と呟いたのはあのとき失った同僚と同じ道を選んだ、彼の弟。

 静かに涙を零す彼の頭を撫でながら、きっとこの光景を自分は一生忘れることができないだろうと思った。

 この美しい、場所を――――。


「――――殿下、そろそろ移動しなければ宴に間に合いません」

 ぼんやりとしていた自分は、従者から声を掛けられ、ようやく腰を上げた。

 あの美しい人が居た場所から、背を向ける。

 まるで断ち切るような動作が、どうしてか辛いと思った。

 それほどまでに誰かを美しいと思ったのも初めてであれば、欲しいと、手を伸ばしたいと思ったのも初めてだった。

 けれど同時にあれは――――。

「手の届かぬ、花か……」

 ただ一度だけでも彼女を見つめることができた、それだけでも僥倖だと自分を納得させて。

 翌々日にはスコーピオウを立った。

 しかし、国に帰り、いつも通りの日々を過ごしながらも彼女のことは忘れることができなかった。

 忘れられず、無駄だとは思いながら各国の王族や貴族らがスコーピオウ王の元へと送る縁談の申し込みに自分も混ざったほど。

 望みは薄いのに諦めの悪いことだ、と苦笑しながら送ったそれに返信が来たのは、数か月後のことだった。

 まさか、と父王の言葉を疑いながらも喜びは隠し切れず、逸る気持ちを押さえて再びスコーピオウの地を踏んだ。

 そこで過ごした日は、日数にすればとても少ないが、幸せな日々だった。


「レンシェルさま」


 初めて聞く彼女の声も澄んでいて美しく、その声に名を呼ばれるだけで舞い上がった。

 容姿だけでなく、彼女の心根もそれは美しいのだと僅かな時間過ごしただけでも分かる。

 気の利かない自分の話を嫌がることもなく聞いてくれる姿に、どれほど喜びを覚えたか彼女には分からないだろう。

 彼女がどうして自分を国へ招いてくれたのか、それは分からない。

 けれど自分をまるで見定めるかのような目をする彼女に、彼女は何か理由があって自分を招いたのだろうということは分かった。

 利用されているのかもしれない、そうは思ってもそれでもいいと思えるほどに、彼女に対する――――恋心は膨らみ。

 最早後戻りできないほどになっていた。

 この縁談がうまくいかなくても、自分は一生彼女への想いを捨てることはできないだろう。

 それでも構わない。

 それだけ彼女と過ごした日々は、宝となるものばかりだったと思いながら再び帰国した。

 ――――どうして、彼女をそれほど欲したのか分からない。

 どうして、彼女だったのか。

 彼女でなければならなかったのか。

 その答えは、今でも分からない。

 だがあの舞を見たときに、思い出した荒野に咲く花。

 あれを思い出したときから、もう彼女に自分は囚われていた。

 彼女しかいらないのだと、心が叫んでいた。

 愛しているのだと、口に出して言いたかった。 



「……クインティア」


 それは、彼女が自分の妃となってくれた今でも変わらない。

 どんな奇跡が起こったのか、彼女は自分へと嫁いできてくれた。

 それだけでも己の幸運に感謝したというのに、彼女は愛を受け入れ、愛してくれた。

 誰かに触れる喜びを教えてくれた。

 何があっても生き残らなければならない、と思うようになった。

 それらは、挙げれば数えきれない。


「愛しています」


 すやすやと隣で眠る彼女の頬に唇を寄せ、それから緩やかに抱きしめて目を閉じた。

 次に目覚めたときには、その青い瞳を見せて。

 きっと自分に微笑んでくれるだとうと思いながら―――――。



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