面倒になったの
――――――今からお話しすることは、きっと誰にも秘密にしてくださいませ。
同じ『神の娘』であったあなた方だから、お話しするのですから。
私と旦那さまが出会ったのは……。
「うーん……」
その日、行儀悪くもテーブルに頬杖をついたまま、私は小さく唸っていました。
目の前に広げているのは、自分に送られてきた恋文。
今日も今日とて送られてきた恋文は、これで二十通目です。
思いの丈が籠ったその手紙は、いつもいつも長文で、これだけ書くのに一体どれぐらいの時間を費やしているのか、そちらの方が気になるわ。
「ねえ、シャーリー……もうこの人で良いかしら?」
恋文の差出人は、リブラ国の第二王子・レンシェル。
五歳年上の、二月前に会った彼は、帰国後もこちらが引くぐらいに手紙を送り続け、時には贈り物もくださる。
「これだけ私のことを好きでいてくれるなら大丈夫そう。私をきっと大切にしてくださるわ……それに何よりも断るのが面倒になっちゃった」
「クインティアさま、そんな適当な……」
呆れたように嘆くのは、王家に戻ったときから私に仕えてくれている侍女、シャーリー。
侍女の中でも黒髪が美しい彼女は、私が素を出して話ができる一番のお気に入り。
私は、肩をすくめるといただいた手紙を丁寧に折り畳み、もう一度ため息を吐きました。
神殿を出てから一年、そこから始まった私の結婚相手選びも終わりを迎えそうでした。
『神の娘』として長く神殿で育てられた私も、人に戻れば唯の王家の娘です。
当然、国のためにも結婚は避けられません。
しかし通常の王女と違い、私の国では『神の娘』となった者は、ある程度の自由が利き、自身の意思で嫁ぎ先を決めることができました。
これは神殿で不自由な生活を送ってきた娘を不憫に思うため、と言われています。
私の両親もその傾向が強く、『当分は好きにしていい』とまで言ってくださっていました。
しかし私自身は王家に長く留まるつもりはありませんでした。
なぜなら、
「だって『神の娘』としての名誉がまだあるうちに探した方が選択肢も多いと思うの」
王家に戻った途端に結婚相手を探し始めたことを不思議に思うシャーリーにも言った言葉でした。
私は、神殿育ちでかなりの世間知らずといえるでしょう。
しかし、閉ざされた神殿ではあってもある程度の情報は、耳に入ってきます。
世間では、『男は浮気するもの』であり、『愛している』と言った翌日には平気で妻を家から追い出す生き物と言われているようです。
これは夫から捨てられた方や夫から逃げてきた方たちからの情報なので、偏っている感はありますが、大体は事実だと私は思っています。
私の先代である、叔母さまの話もそれに拍車をかけました。
叔母さまは、『神の娘』としてはそれなりの実績を作った後王家に戻りましたが、兄王、つまり私の父王の好意に甘えて王宮で好き放題してなかなか嫁ぎ先を探さなかったらしいです。
そのため、『神の娘』であったことが周囲の記憶から薄れ、次第にただの我侭王女の称号得てしまい、気付けばただの嫁き遅れた王女とささやかれるようになり。
神殿から帰った直後は、閉鎖された空間で育ち、男を知らない汚れなき娘という評判から多くの縁談が舞い込んだというのに、気づけばそれも減り、さすがに慌てたのでしょう。
急いで探した相手ではありましたが、美貌を誇る、他国の第二王子の元に嫁いで行かれました。
結婚相手である王子も、始めは美しい叔母さまを気に入り、一時は似合いの夫婦と言われたそうですが、しかし、その後王子が新しい妻を迎えたりと不仲がささやかれるようになり、とうとう叔母は僻地に追いやられたと聞きます。
それを聞いて、私、ますます男とは信用のならない生き物なのだと悟りました。
もちろん、王家に戻った今はごく一部の男性だと分かっていますが。
叔母さまや神殿に駆け込んできた女性たちの話を聞きながら、私なりに分析しました。
要するに、相手に浮気をできるだけの財や容姿があるからいけないのでしょう、と。
そして聞いたところによれば、夫よりも妻の方が美しければ、その夫婦は他の夫婦に比べればうまくいっているようでした。
私の相手の場合はまず間違いなく、王族や貴族となるのだから『財』の部分は妥協しなければならないでしょう。
ですが『容姿』は選ぶ余地があると思うのです。
こう言えば自信過剰のようですが、これでも私はその頃世間では『美姫』として名が通っておりました。
ですから自分よりも容姿が劣る男性はいくらか居るはずですし、その方を選べば――――と他人が聞けば呆れるか怒るだろうことを考えていたのです。
それから送られてきた絵姿すべてに目を通し、吟味しました。
……私がここまで結婚相手に拘ったのには、もちろん理由がございました。
世間の女性方が思うように、私も幸せな結婚というものをしたかったのです。
相手の方を想い、相手の方から想われる生活を。
神殿に逃げ出してきた女性や、叔母さまのお話から男性に捨てられた女性がどうなるか、よく知っているつもりです。
私は、絶対にそうはなりたくありませんでした。
愛した方から捨てられる、きっとそんなことに耐えられるはずがありません。
それに、私の中には……ある『狂気』のような感情がありました。
きっとその『狂気』は、もともと誰にでもある感情でしょう。
しかし、私のそれは人よりも強く、大きいようだと気づいたのは、神殿に入ってからかなり時が経ったころでした。
幼いころには気づかなかったその『狂気』に気づいた今は、ある程度は制御ができましたが、それでもいつその制御が外れるか分かりません。
ですから私は、慎重に結婚相手を吟味しました。
最高の舞、と最後に奉納した舞を賞賛されたお蔭でしょうか、縁談相手はかなりの数に上りました。
とりあえずその中から五人の男性を選び、彼らに会うべく招待状を送りました。
こちらかの招待に彼らは気を悪くすることなく、応じてくださり、それぞれの方と日程をずらして王宮で7日の時を共に過ごしました。
すべての男性と会い終えたのが、二月後。
それから同時に私は、彼らに礼を述べる手紙を送りました。
もちろんすべてに返信が届きましたが、今度はそれに返信をしませんでした。
この時点で一人が消え、残る四人はさらに手紙を送ってきたのです。
今度はその手紙には返信をしましたが、内容は神殿から戻り、王家で肩身の狭い思いをしていると嘆いた内容のもの。
真っ赤な嘘でしたが、ある方は『私の国に来ればそんな思いはさせない』と、またある方は『今すぐ迎えに行きます』と書いてくださいました。
そんな中、四人のうち一人だけは私の嘆きを慰めた上で、両親と話し合いをすることを勧めてきたのです。
家族でも話さなければ分からないこともある、そこで相手の非だけではなく自分の非も分かるかもしれないと書かれた手紙を読み、私はとても驚きました。
己が一番不幸だと信じて疑わない、私からしてみれば『馬鹿じゃないの』と言いたくなるような物語の一端を借りた手紙に、彼は真剣に考えて返信を寄越してくれたのです。
その手紙は、何と15枚にも及びました。
長さも内容の濃さも四人の中で文句なく一番。
もちろん彼らへと、先日送った手紙で書いたことは、両親との話し合いで自分の勘違いであったと詫び、どうぞ捨て置いてくださいと手紙を送りました。
話し合いを勧めてきた彼には特に礼を述べる手紙を書いて。
「レンシェル王子ってどんな方だったかしら……」
手紙の衝撃は一番でも、残念なことに彼の印象は文句なく一番下でした。
ちゃんと会ったはずなのに、彼のことがぼんやりとしか思い出せません。
もう一度送られてきた絵姿を見て、『ああ、あの平凡な顔』と失礼なことを呟いたくらいでした。
そう、彼はひょろりと背の高いことを除けば平凡も平凡、印象に残らないような容姿でした。
ただ一つ覚えているのは、王子という肩書きの他に自国で『リブラ中央軍魔獣駆除及び対策特殊機動部隊』という隊の隊長を持っていると聞いたことくらいでした。
一度では覚えられない長い名前、それに隊長だなんてきっと親の七光りね、と。
しかし、本人は印象に残らなかったのに、彼はその後も印象に残る手紙を送り続けてくれました。
三通に一度しか返事をしないことなどお構いなく、手紙を書いてくる彼は、手紙の内容から見てもとても誠実な人柄のようでした。
さすがに二十通も手紙をくだされば、どれほど取り繕おうとも人柄や性格は滲み出るものです。
しかしそれらの手紙はすべて一文字一文字丁寧に書かれ、内容もどれも被るものではありませんでした。
ですから次第に私は彼ならば浮気をしないかもしれない、大事にしてくれるかもと思うようになりました。
というか、一番の理由は断るのが本当に面倒になったのです。
「陛下に謁見を申し出ておいて」
この方に嫁ぎましょう、とシャーリーに言うと彼女は本当に良いのですか、と問いたいような顔をしていましたが、無言で頷きました。
それから三か月後、私は旦那さまとなる、レンシェル王子へと嫁ぎました。
旦那さまとなった彼は、リブラ国の王宮に着いた私を見て、
「クインティア姫と結婚できるなど……夢のようです」
とその平凡な顔を紅潮させます。
ああこんな顔でした、と失礼極まりないことを思っているなど露知らず、大事にすると誓ってくれました。
それから神殿で式を挙げ、その日に初夜も無事に終わらせました。
……まあ、初めてでしたので非常に痛かったとだけ申し上げましょう。
旦那さまはかなり私を気遣ってくれましたが、これは仕方がないことらしいです。
おろおろする彼に気にしないでくださいと微笑むと、再び押し倒してきそうになったので、やんわりとお断りしました。
そのときの悲しそうな顔。
まるで茶色の頭の上に耳と、お尻に垂れた尻尾が見えるようでした。
大型犬のよう、と失礼にも思いながら、旦那さまの髪を撫でると嬉しそうに笑う彼を見て、私は――――やっぱりこの方でよかったかもしれないと微笑みました。
手紙を見て思ったように旦那さまはやはり誠実な人柄で、始まった新婚生活は穏やかそのものでした。
手紙でささやいてくださったほど、愛をささやいてはくれませんでしたが、別にそれを不満だとは思いませんでしたし、こんなものでしょう。
嫁ぎ先での生活が安定すると、次に私は職を探し始めました。
旦那様は一応、リブラ中央軍魔獣駆除及び対策…何たらという隊、初代隊長の名を取って通称『アルフェッカ』の隊長ではありますが、何分親の七光りだと思いますので、いつ職を失ってもおかしくありません。
王子という身分も、第一王子が王座に就けば失うかもしれないのです。
なぜなら旦那さまのお母さまである王妃さまは現王の二番目の王妃、つまり後妻でした。
先妻との間に第一王子が生まれており、旦那さまのお母様が嫁がれたときには、既に立太子も済んでおりました。
現王妃さまも旦那さまも王太子を差し置いて、という考えはないようで、王太子に常に礼を尽くしております。
しかしあちらはどう思っているか分かりません。
ですからいずれ旦那さまが無職になろうとも、養って差し上げるくらいの気持ちで職を探し始めました。
ですが仮にも私は王子妃ですから、考えられる職は限られておりました。
まあ結論から言えば、私の就職先はすぐに決まりました。
というか、神殿くらいしかなかったのです。
元『神の娘』として儀式の手伝いや民衆への祝福、と簡単なもので、微々たるものですが一応御給金もきちんと出ます。
就職先を決めた日、早速旦那さまに報告しましたが。
「神殿ですか……」
最初、旦那さまは良い顔をしませんでした。
薄い茶色の眉毛を寄せ、顔をしかめたのです。
どうも神殿が気に入らないというよりは、私が住まいとして与えられている蓮の宮から出るのを嫌っているようでした。
ちょっと庭を散歩して、会った貴族の男性に挨拶したのを見たときも、むっと顔をしかめて不機嫌になってしまわれました。
その夜は……まあ、ここで言うことではありませんね。
「ええ、週に四日ほどですが」
「……多いですね」
ぽつり、と呟いた声はやはり低いです。
このままいけば、駄目だと言われかねないとさすがに私は焦りました。
せっかく見つけたお仕事なのになかったことにされると、非常に困ります。
次など見つかるか分からないもの、と思わず懇願するように旦那さまの胸元に手を当てて見つめました。
背が高いので必然的に上目使いになりながら、
「駄目、でしょうか……?」
小首を傾げました。
世の男性というものはこういった仕草に弱い、と神殿で逃げてきた女性たちが言っておりました。
彼女の中の一人は、こういった媚びのうまい女性に夫を取られたらしいのですが。
果たして旦那さまはうっと息を詰まらせ、視線を彷徨わせ始めました。
もう一押し、と私は調子に乗って目も潤ませます。
「天秤宮は、アルフェッカの訓練場の隣だとお聞きしております。レンシェルさまが近くにいらっしゃるから安心だと思ってお受けしようと思いましたが……ですがレンシェルさまが反対だとおっしゃるなら、お断りします」
「クインティア……」
「―――――レンシェルさまが訓練されている姿を見に行ったり、たまには一緒に訓練を終えられたレンシェルさまと帰れるかもしれないなどと思いましたが」
浅はかな考えでした、と呟いて顔を伏せると。
慌てたように旦那さまは首を振りました。
「いいえ、断る必要はありません!」
「ですが……」
「確かに、あなたがここから出るのはちょっと、いえかなり嫌ですけど! ですが、あなたが見に来てくれたり一緒に帰ったりするのはかなり魅力的……」
「まあ……」
「いやっ、その……あなたから自由を奪うつもりはありません。神殿に勤めたいと言われるのでしたら、俺は反対しません」
きっぱりと言う旦那さまはやはり誠実でした。
本当は嫌なのでしょうが、私の意思を尊重してくれるのです。
このことが本当に嬉しくて、私はにっこりと微笑みました。
「ありがとうございます」
「クインティア……」
そのまま私の頬へと手を伸ばしてきそうな旦那さまから身を離すと、
「ではすぐに神殿に返事をしてきます」
「え、あ、クインティア……」
悲しそうな声が聞こえました。
旦那さまの頭にはまた垂れた耳が見えるようです。
でも振り切るようにくるりと踵を返し、部屋を出た瞬間にくすくすと笑ってしまいました。
この一部始終を見ていたシャーリーは、
「……お見事です。もう殿下の手綱を握っていらっしゃる」
と感心していました。
私にはそんなつもりはないのですが、そう見えるようでした。
ともかく、こうして神殿に勤めることになりましたが、私の勤めは順風満帆そのものでした。
こう言っては何ですが、リブラの王都にある、天秤宮の『神の娘』はあまり民衆や神殿の者から人気がないようで、逆に私は歓迎されてしまいました。
いっそのこと一年に一度の舞も私に、という話まで出てきそうで、さすがにそれはお断りしましたが。
当然、反対に『神の娘』からは嫌われてしまいましたが、会う機会は少ないので大した問題ではありません。
それから旦那さまの訓練場には何度か足を運びました。
「クインティア!」
行く度に嬉しそうに旦那さまは歓迎してくれます。
それが嬉しくて私も何度も足を運びましたが、ですが一月経つころには次第に足が遠のくようになりました。
旦那さまがやはり親の七光りで隊長とは名ばかりの弱っちい王子だったから無様な姿を見たくなくて……ならどんなに良かったでしょうか。
結論から言えば、旦那さまは、親の七光りという言葉からは程遠い、それはもうお強い方でした。
剣術など全く分からない私でも、一目見ただけで他の者と一線を隔しているのはすぐに分かりました。
動きがとにかく、人と違っていました。
平凡顔の旦那さまに思わず見惚れてしまうくらいに。
見惚れてしまうほど美しい動きをなさる旦那さま見たさに通った私ですが、ですがいつの頃からか、次第に不快感を覚えるようになったのです。
というのも、旦那さまは自分の隊に居る隊士たちから慕われていました。
……その中に居る女性の隊士にも、特別な好意を抱かれるくらい。
彼女の眼差しいつもは旦那さまただ一人に注がれ、その眼差しの強さはそのまま想いの強さを表しているようでした。
私が旦那さまとお話しているときに感じる、嫉妬の強い視線――――。
「ルビィ」
ルビアナ、という彼女を愛称で呼ぶ旦那さまに嬉しそうに微笑む彼女は、眩しいほどでした。
男たちの中に混じった彼女は、背が高く細身でしたが、十分に美しく、同僚の中には彼女を想う男性が数人いるようだと、通ううちに気づきました。
一心に旦那さまを慕う彼女を見ても、私は旦那さまに愛されている自信からはじめは特に何も思いませんでした。
ですが、ふと考えるようになると、彼女が強敵ではないかと思えてきたのです。
何せ旦那さまは毎日訓練を欠かしませんし、時には郊外に魔獣が出たと聞けば先陣を切って出撃するような方です。
そんな彼と彼女は常に一緒に居るのです。
ただ守られるだけの私とは違い、旦那さまと肩を並べて共に闘える彼女。
それはとても、羨ましいことのように感じられました。
もしかしたら命を落とすかもしれない状況を共有し、そして万が一には―――――魔獣に命を奪われる旦那さまを看取るかもしれない彼女――――。
「誤算だったわ」
失礼にも女性にもてなさそう、で選んだ旦那さまのそばには、伏兵が潜んでおりました。
きゅっと唇を噛み、悔しさに手を握りしめます。
確かに最初は顔すら覚えられなかった旦那さまですが、あれだけ愛をささやかれ、大事にされれば誰でも心を動かされるでしょう。
私も、いつしか旦那さまを深く愛するようになっていたのです。
彼を愛するようになるのに、大きな切っ掛けも理由もありませんでした。
ただ誠実で、常に優しく私を気遣い、私を慈しんでくれる彼を少しずつ時間をかけて愛したのです。
以前の私なら、もしも浮気などしようものならすぐに離縁をして国に帰ろうと思ったでしょう。
ですが今は――――八つ裂きにしてやろうとまで思うのです。
もしも心変わりをされたら悲しみのあまりどうにかなってしまいそうです。
そう思うようになって以来、私は訓練場に通う勇気がなくなりました。
もしも旦那さまが、自分を見つめる彼女の存在に気が付いたとき、もしもずっとそばに居る彼女の存在に目を留めてしまったら、と思うと苦しくてたまりませんでした。
私を見るような特別の眼差しを彼女に向けないで欲しい、と縋ってしまいそうになる自分を抑え、鬱屈と日々を過ごしました。
旦那さまはそんな私をあれこれと心配してくれました。
それを申し訳なく思うのと同時に、嬉しいと思う私は最低なのでしょうか。
まだ私のことを好きでいてくれる、と試すようなことを思って、そんな自分にまた嫌気が差しました。
「私にもっと魅力があれば……」
そうすれば、こんなにも不安になることはなかったのでしょうか。
ため息をつくと、神官服を脱がせてドレスを着つけてくれていたシャーリーもため息をつきました。
「……それを本気でおっしゃられているのですかクインティアさま」
これだけ愛されていて、と胸元に浮かぶ赤い痕を呆れたように眺めます。
昨日は不安なあまり自分から求めてしまい、それに煽られた旦那さまに激しくされてしまいました。
「確かに私の身体は気に入ってくださっているようだけど……身体だけだったらどうしようかしら」
「はいはい。戯言は帰ってから聞きますから、とりあえず神殿を出ましょう」
「戯言だなんて、私は本気で悩んでいるのに」
ひどいわ、と膨れて見せてもシャーリーに効果はなく、さっさと神殿から連れ出されました。
勤めを終えるのは、いつも大体夕方ころで、今日も神殿を出れば夕日が差していました。
いつもなら旦那さまが手配してくれる馬車に乗って王宮まで帰るのですが、今日はそれを断ってシャーリーと歩いて帰ることにしました。
自国であれば許されないことも、この国ならば許されることでした。
というのも、かなりリブラの治世は安定しており、高貴な女性ですら他国と違って少ない供だけで出歩くこともあるのです。
王宮と神殿は隣の敷地内に建っていますし、貴人のみが通れる道を通れば、何の問題もありません。
初めは二人で出歩くことを躊躇った私たちも、今では慣れたものでした。
「今日も寄らないで、よろしいのですね?」
「……いいわ」
神殿の隣に建つ、アルフェッカの訓練場が見えましたが、首を振りました。
旦那さまには会いたいですが、やはり彼女の存在が気になりました。
ため息をつき、再び歩き始めます。
二人で他愛ないことを話しながら王宮への道を歩いていると―――――突然男たちが現れたのです。
それは一人や二人ではありません。
気配など察する能力などない、女二人です。
あっという間に彼らに囲まれていました。
「クインティアさま、後ろへ」
シャーリーが庇うように私の前に出て、短剣を構えようとしますが、私は止めました。
少しは心得があるとはいえ、この人数では返り討ちにされるのが目に見えています。
「私たちに何の御用でしょうか」
恐らくはこの集団の頭と思える男に、問いかけます。
正直、ただならぬ雰囲気に震えそうでしたが、私の矜持がそれを許しませんでした。
何よりも主人として守らなければならない、侍女もいます。
彼らは金銭目当ての破落戸とは明らかに風体が違いました。
案の定、
「我が主が貴女を屋敷にお招きしたいと申しております。お迎えに上がりました」
というものでした。
何を馬鹿な、とシャーリーが呟きましたが、私も同じ気持ちでした。
「女二人に随分と大人数ですね。それに私は招待に応じるなどと返事をした覚えはありませんが」
「貴女ほど高貴な御方をお迎えするのですから、これくらいの人数は当然です――――招待に応じていただけない場合は……」
「……っ」
頭目が手を一振りするだけで、男のうちの一人に声もなくシャーリーが囚われ、喉元に剣が突きつけられます。
予想通りの展開だったと言えるでしょう。
息をのみ、視線で抵抗しないようシャーリーを言い聞かせ、
「……分かりました。シャーリーを離しなさい」
「ならば、」
「……ええ、あなたの主の元に参りましょう」
毅然と顔を上げること、私にできるのはそれだけでした。
レンシェルさま、と胸の中で一度だけ呟くと、彼らが用意していた馬車にシャーリーとともに乗り込んだのでした。