僕と隊長2
――――それが起こったのは、突然のことだった。
始まりは、一人の侍女が訓練場に駆け込んできたことだった。
最初は興奮してわめくばかりだった侍女の言葉の断片をどうにか繋ぎ合わせ、
「クインティア姫が侍女とともに攫われた」
と分かったときの王子とメレディスさんの顔は、僕らでも恐怖を覚えるものだった。
すぐさま王子が従者を走らせて蓮の宮に確認に向かわせ、メレディスさんが駆け込んできた侍女の言葉から馬車を特定させて後を追わせる手筈を整わせる。
それらはすべて僕らが呆然とするうちに行われ、気が付けば僕らは先を駆ける王子たちの後を必死に追っていた。
心臓は走っている所為だけではない、嫌な音を立てていた。
――――あの侍女の言葉は、正しかった。
たまたま神殿への用があったため通りかかった彼女は、男らに攫われ馬車に乗せられる姫と侍女の姿を見たのだ。
メレディスさんが調べて特定した、その馬車の行き先は、ミストラ公爵家。
まさか、と誰かが呟いたけれどそれは僕も同じ気持ちだった。
これはどう考えても、ミストラ公爵家の王家に対する、反逆だ。
貴族が第二王子妃を攫うなど、許されることではない。
本来であれば王子はまず陛下へと報告し、指示を仰ぐべきなのだろう。
だがその正しい道筋をたどっていれば、その間にも姫は危険な目に遭わされることは間違いない。
王子たちは正しい道などすっ飛ばして、一人ででも姫を取り返しに行くつもりなのだ。
王子は決して、僕らに隊長として指示を出さなかったし、副隊長であるメレディスさんも同じだった。
アルフェッカとして、動くつもりはないという意思表示。
どうしようか、と迷ったのは一瞬。
僕らは自分の意思で、馬で街中を駆け抜ける王子について行くことを決めた。
途中まで馬で駆け、貴族街に入ると馬を捨てて自身の足で走る王子とメレディスさんは誰よりも速かった。
あれだけ訓練しているはずの僕らでもついていくのがやっと。
「やっ、ぱ、化け、物だ……っ」
ひいひい言いながら、僕はどうにかミストラ公爵家の高い塀を登った。
すでに王子とメレディスさんは余裕で塀を超えて、庭園に入っている。
塀に近いところに植えられている背の高い木の枝を使いながら僕らが庭園に降りると、既に彼らは二手に分かれて庭園の奥へと進んでいくのが見えた。
慌てて僕らも分かれてその背を追いながら、見えてくる物たちに緊張が走っていく。
……荒れた庭園には、いくつかの骨、恐らくは人骨が落ちていた。
同時に大きな獣の爪痕や、足跡も確認できた。
「これって、魔獣のだよね」
「……それもかなり大きい」
等級は恐らく四級以上。
ごくりと息を呑んだ僕らは同時に、あの噂を呟いていた。
「『ミストラ公爵家では、魔獣を飼っている』」
と。
魔獣を飼う、それを国は禁じているし、正気であればそんなことを考える人間はいない。
だが、中には敢えて禁を犯す者も居るだろうし、自分の子どもすら攻撃する魔獣を飼うのも不可能なことではなかった。
過去に魔獣を子どもの頃に捕えて、特定の人間になつくよう実験し、研究した者がいたのだ。
それにより、魔獣も子どもの頃から育てれば人間に従わせることは可能だと一部の者は知っている。
中には、魔獣の子どもを取引する闇の組織もあると聞く。
まさか王の膝元である王都でそれが行われているとは、思わなかったけど。
「―――隊長を探そう」
「ああ。いくら隊長でも一人でいるのは危険だ」
頷き、王子の後を再び追った僕らは、衝撃の光景を目にする。
庭園の中央に近い当たり、そこにはむっとするような臭気があった。
アルフェッカに所属していれば、嫌でも嗅ぐその匂いは魔獣の体液のもの。
はっと目を見開く僕らの目の前に居たのは、体液を地面に振り撒き、巨体を地面に横たわらせた魔獣と――――返り血を浴びた王子だった。
誰だ、隊長でも一人じゃ危ないって言ったやつ。
「二級、と言ったところか……」
魔獣の首を持つ王子のその顔の凄惨さと言ったら、いい大人の僕でも失禁してしまいそうなほど怖かった。
姫を攫われて完全に怒り狂っている王子を前に、僕らは恐怖で固まり、直立不動だった。
王子の少しでも意に沿わないことをすれば、殺られる……。
沈黙する僕らの前で王子は、何かを感じたのか、ふと顔を上げると屋敷の方へと歩き出した。
その手に魔獣の首を持ったまま。
僕らは恐ろしい王子をすぐに追いかけることもできず、ただその場に立っていた。
「……俺、絶対隊長には逆らわない」
恐怖に喘ぎながら、やっと誰かがぽつりと呟いた言葉に、その場に居た誰もが頷いた。
もちろん僕も。
結局、ミストラ公爵家であの魔獣を飼っていたのは、どうやら跡取り息子だったらしい。
僕らがどうにか気力を振り絞って王子の後を追ったとき、どういう状況か分からないけれど
「大嫌い――――――――――っ!」
と姫が王子に向かって叫んでいた。
その姫の足元には情けなくも跡取り息子が転がっている。
それよりも僕は、普段ならいざ知らず、今の王子に向かってこんなことを叫ぶのは姫でも危ない、と緊張した。
それぐらい、王子は怒り狂っているし、恐らくは魔獣の血に酔っている。
最悪、王子から姫をどうにかして逃がさなければと戦慄が走る僕たちが見つめた王子は、大嫌い、と叫ばれたことに固まっていた。
それまでの勢いをどうしたのか、ぴきりと固まった王子はちょっと情けない。
それから姫は泣きながら現れた侍女とともに馬車へと乗り込み、王子を放置して去って行った。
頼むから置いて行かないで、その場いたアルフェッカの面々は思ったけれど、王子は呆然としたまま。
しばらく経って、やっと名残惜しげに馬車を見つめるメレディスさんに、
「メレディス……大嫌い、とはどういう意味だろうか」
と尋ねていた。
嫌いのさらに上だよ、と僕は心の中で思った。
聞かれたメレディスさんは、
「殿下が好きで好きでたまらないという意味でしょう」
しれっと答えていた。
なんで嘘をつく、なんで大嘘をつく、とその場に居た誰もが突っ込んだが、皆は懸命にも黙っていた。
王子はこの大嘘にもまだ呆然としたまま。
誰がこの事態を収拾するんだ、と隊士の間で責任の押し付け合いを目で行っていたが。
結局、ため息とともに補佐が指示を始め、僕らは騎士らが来るまでカイル・ミストラの確保と現場保存をしたのだった。
魔獣を飼っていたカイル・ミストラが生涯幽閉、ミストラ公爵家は取り潰しが決まり。
一時は騒然としていた王宮も元通りに戻りつつある。
そうそう、大嫌いと叫ばれた王子は、それから二日ほど『不機嫌です』ということを隠さない表情をしていて、相当……厳しい訓練を黙々とこなしていた。
僕らに八つ当たりで同じものを命じることはなかったけど、でもまあ、隊長である王子が厳しい訓練をしているのに隊士である僕らが楽をするわけにはいかないよね。
副隊長のメレディスさんも目をきらきらさせて王子と厳しく苦しい訓練に挑んでるし。
早く姫と仲直りしてくれないかな……とぼろぼろになりながら誰もが思った頃。
王子の機嫌もいつの間にか戻り、姫も神殿への勤めを再開して、以前のように訓練場に姿を現すようになった。
駆け寄る王子の姿に微笑む姫。
その目は、最初の頃に比べて熱を帯びているようで……最初からやっぱり無駄な恋だったよねと僕は呟いた。
王子が姫のためだけに怒り、必死になるのならば、姫も王子のためだけに微笑むのだ。
誰よりも美しく、幸せそうに。
「……仕方ないよね。だって殿下だもん」
前に振られたとき、慰めてくれたニールと同じ言葉を呟き、僕は彼らから背を向けた。
今日はまたニールを誘ってとことん呑もうって思いながら。
それでぐでんぐでんになって、きっと明日は二日酔いで苦しむだろうけど。
その後は、今度こそ自分を見てくれる人を探そう。
自分だけを見て、微笑んでくれる人を―――――。