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苦手な方はご注意ください。

終焉の詩姫

終焉の詩姫【災いの王妃】

作者: 立川マナ

実在した都市名、人物名、儀式等がでてきますが、実際のものとは全く関係ありません。モデルにはしていますが、史実とは大きく異なります。ご了承ください。

 まだ、神が人にとって身近な脅威であったころ。

 まだ、人類が手探りで『文明』を築き上げていたころ。

 地球(エリドー)には、リーダー格といえる四つの巨大な『文明』が存在した。その中の一つ、特に発達していた国家があった。二つの大河の恵みと加護を受け、繁栄した国。神と密接に関係しつつ、独自の文化を発展させた偉大なる国――ウル。

 彼は、その王だった。名を、シュ・シンという。

 勇ましきウルの獅子。肥沃な土のような浅黒い肌。黄金の冠に、首飾り。めったに笑みを浮かべることの無い唇。その下には、まだ若い顔に似合わないあごひげ。たくましい筋肉に覆われるその体に、国の女は目を奪われたと言う。

 シュ・シンは、実父から王位を簒奪(さんだつ)。若くして王となった。

 そして彼は、ウルの王たる証に、イナンナという女神――正しくは、その代理。いわゆる、巫女ってやつだ――と契りを交わすこととなる。それはこの国において、伝統だった。ウルの王は女神イナンナの化身たる巫女を妃にもつことで、晴れて民に認められた。

 当時ウルでは、秋の収穫を祈る祭りが毎年新年に行われていた。女神と王との婚儀――聖婚(ヒエロス・ガモス)は、そのフィナーレとも呼べるビッグイベント。民が見守る中、新王シュ・シンは女神の神殿へと進み、そこで運命の花嫁……いや、運命にとらわれた娘と出会った。


 彼女の名は、クバティム。国で最も美しいと称された、(たっと)き女神の巫女。

 長い黒髪はウルの闇夜。唇は、まるでカーネリアン(紅い宝石)。深みのある漆黒の瞳は、ウルを潤す大河を思わせる。薄い白いドレスは、誰にも穢されていない純潔の証。伏せ目がちな少女はしおらしく、しなやかな肢体はか弱く見えた。愛と美の女神イナンナの(しもべ)にふさわしい……いや、イナンナも嫉妬するほどの麗しい少女だった。


 神殿には、王と巫女、そして寝台が一つだけ。そこで初めて顔を合わせた二人は、その場で契りを結び、晴れて夫婦となる。聖婚(ヒエロス・ガモス)においては、その行為――つまり性交にのみ、意味があった。王が巫女を通して、女神と通じる。それが儀式の全て。愛は必要なかった。

 だが、儀式上の夫婦であったはずの二人は、歳の差を超え、惹かれあうようになる。当時、二十三であったシュ・シンと、若干十五のクバティムは、『愛の女神(イナンナ)に祝福された夫婦』と謳われるほどになった。

 そんな二人を、ずっと見守っていた女がいる。彼女は、クバティムを生まれたときから見守り続けていた侍女。クバティムの母親代わり。輿入れしてからも、王宮でクバティムの傍を片時も離れなかった。――唯一、クバティムがシュ・シンと夜を共にするとき以外は。彼女の名は、シャシャ・エン・アトラハシスといった。


 それは、クバティムが十七を迎えようかというとき。シャシャは、シュ・シンに妙なことを言い出した。

「『収穫』が近づいています。真実を今、明かすことをお許しください。王妃殿下は巫女でもなければ、人でもありません。お二人の聖婚(ヒエロス・ガモス)は、神の一族によって仕組まれたものです。――全てはクバティムさまが十七になるまで、無事に暮らせるように」

 クバティムが人でないなら、何なのだ。シュ・シンは、そう尋ねた。すると、シャシャはこう答える。

「パンドラにございます」

 その言葉は、シュ・シンを愕然とさせた。パンドラ――それは、地球(エリドー)に神々の怒りが下されるときに現れるとされる生きた人形。世界に終焉をもたらす言霊をもつ神の人形。エリドーが進む道を誤れば、パンドラが現れ世界を滅ぼす。だから、道を踏み外さぬよう国を治めよ。それは、王から王へと伝えられる伝承のようなものだった。シュ・シンを始め誰もが、ただの伝説だと思っていた。今までパンドラが現れたことは一度たりともなかったのだから。ところが、どうやら自分の代になってその脅威が現れてしまったようだ。愛する妃となって。

 打ちひしがれるシュ・シンに、シャシャは続ける。

「二つの神の一族が王、マルドゥクとニヌルタが、ぜひともお目通りを願いたい、と申しております」

 王は、会おう、とだけ答えた。


 そしてシュ・シンの前に現れた、二人の神の子孫。黒と白、色違いのマントを頭から羽織り、顔を隠して現れた。それぞれ、天使(エミサリエス)を従えて。エンキの天使(エミサリエス)――つまり、ケットなんだけど――は金の髪と目をもち、エンリルの天使(エミサリエス)は黒の髪と目。双子のような二人の天使は、見た目は幼いながらも、気おされるほどの威厳をもっている。そして、マルドゥクとニヌルタもまた、人間離れしたオーラを放っていた。

 マルドゥクとニヌルタはひざまずき、シュ・シンに淡々と話し出す。始めに口を開いたのは、マルドゥクだった。しなやかな女性らしい高い声でこう告げる。

世界(エリドー)の脅威たるパンドラを、妃という形で王宮へと引き入れた無礼、心からお詫びを申し上げる。ウルの王たる貴殿を欺いたのも、全ては神々(アヌンナキ)のご意思。パンドラが十七になるまで、安全な場所にて保護をせよ、との神託あってのこと。この国で最も安全たる場所は、貴殿の傍に他はない。それゆえの、貴殿とパンドラとの聖婚(ヒエロス・ガモス)にございました」

 そしてニヌルタが続ける。こちらは、低い落ち着いた男らしい声だ。

「『収穫の日』、どうかパンドラをどこかの部屋にお引止めしておいていただきたい」

 それは、我が妃を監禁しろ、ということか。シュ・シンが憤りをあらわにそう尋ねると、ニヌルタはうなずいた。

「ウルの王。どうぞ、神々(アヌンナキ)に背こうなどとは考えぬよう」

 マントから覗くニヌルタの黒い瞳が、シュ・シンを貫いた。得体の知れないプレッシャーに襲われ、シュ・シンは何も言うことができなかった。それは紛れもなく、ニヌルタの遺伝子がもつ神の力の仕業だったのだろうが、王はそれを知る由も無い。


   *   *   *


 神の子孫が訪れてから、三日が過ぎ、『収穫の日』は訪れた。

 シュ・シンは寝室にクバティムを呼び出すと、マルドゥクとニヌルタの決闘が終わるまで、愛の語らいを続けた。たとえ神によって図られた結婚だったとしても、それから育んできたものは本物だ。シュ・シンはそう信じていた。それを伝えるかのように、クバティムに愛の(ことば)をささやき続けた。

 その会話の中、シュ・シンはクバティムにある質問をした。もし、お前にこの国を滅ぼす力があったとしたらどうするか。クバティムは、おかしなことをおっしゃる、と笑って答えた。

「そのような力、存在してはいけません。どうか、陛下の手で、わたしの命と共に消し去ってください」

 お前はそう答えるような気がしていた。シュ・シンはそう言って、クバティムを抱きしめたという。


 地球(エリドー)に初めて訪れた『収穫の日』。決闘は(我が先祖ながら情けないが)マルドゥクが敗北。ニヌルタが勝利し、『テマエの実』を手に入れた。

 そして、しきたり通り、クバティムは何も知らされること無く、その実を与えられた。それは神の決めたルール。シュ・シンは、止めることはできなかった。

 『テマエの実』を口にしたクバティムは己の使命を思い出し、逃げるようにシュ・シンの前から消え去った。それすら、シュ・シンに止めることはできなかった。パンドラとなった彼女とは、もう未来は無い。彼女の死か、世界(エリドー)の終焉か。どちらにしろ、戻ることの出来ない甘い過去しか二人の間には残らない。シュ・シンにはどうすることもできない。

 マルドゥクは、絶望の淵にいるシュ・シンに助言をする。

「彼女が『終焉の詩』を詠う前に、王の権限で、国を挙げて探し出すのです。今、彼女を殺すことができるのは、わたしのもつ『聖域の剣』だけ。彼女を殺さなければ、世界(エリドー)は滅びます。王たる貴殿の使命は、国を守ることのはず」

 シュ・シンに、他に選択肢はなかった。言われた通り兵を国中に遣り、ニヌルタの妨害にも負けず、なんとかクバティムを捕らえることに成功した。


 パンドラとなったクバティムと対面し、シュ・シンは生まれて初めて涙した。自分の妃であった彼女の姿はなく、そこにあるのは罪びとのような扱いを受けている世界(エリドー)の敵だった。手錠と足かせ。ひざまずいて自分を見上げるその目には、憎しみしかない。二人は言葉を交わすことはなかった。ただ、見詰め合っていたという。

 そしてシュ・シンは、マルドゥクにこう尋ねた。剣をわたしに貸してはくれないか。

 マルドゥクの天使(エミサリエス)――つまり、ケット――は、ひどく拒絶したが、マルドゥクは違った。

「罪を背負う覚悟がおありですか」

 その問いに、シュ・シンはこう答える。クバティムは言ったのだ、我が国を滅ぼす力など命と共に消し去ってほしい、と。それも、わたしの手で。それが彼女の望みであった。せめて、それだけでも叶えてやりたい。

 マルドゥクはそれを聞くと、パンドラを殺す神の剣――聖域の剣――をシュ・シンに手渡した。

 シュ・シンはその剣を手に、仕組まれた聖婚(ヒエロス・ガモス)で妻となった女に歩み寄った。パンドラは顔色一つ変えずに、シュ・シンを見据えていた。

 シュ・シンは彼女の前で立ち止まり、重い剣を構える。そして、王らしい堂々たる風貌でこう唱えた。


 クバティム。お前への愛を、罪と共に残そう。永遠に、この剣に。


 そして、シュ・シンは愛した妃の腹をその剣で突き刺した。宮殿中に悲痛な叫び声が木霊し、パンドラの傷口からは血ではなく泥が流れ出て剣にまとわりついた。ボロボロと人の体を失いつつ、彼女は最期のその瞬間まで、愛した男を憎悪に満ちた瞳で見つめていた。

 シュ・シンが見守る中、クバティムの体は土へと還り、どこからともなく吹き込んできた風に舞って去っていった。残されたのは、彼女を拘束していた手錠と足かせ、そして纏っていた薄い一枚の布。若き女王の遺物とはとても思えないものばかり。唯一、それを見下ろす若者――彼女の夫にして、ウルの王シュ・シンを除いて。

 これが、最初のパンドラ……クバティムの最期だった。

 その後、シュ・シンは短剣で己の喉をつきさしてクバティムの後を追い、二人が暮らした国・ウルは次王の代で滅びたという。皮肉なことに、シュ・シンは知らなかった。クバティムの魂は『パンドラの箱』に封じられ、次の『裁き』のときを待っていることを。魂だけとなっても、二度と二人は逢うことはない。


 全てを見届けたシャシャ・エン・アトラハシスは、後に再会したマルドゥクの王に嘆いた。「パンドラはまるで災いの人形(・・・・・)だな」と。

読んでいただいてありがとうございました。

このエピソードは本編にいれるつもりだったのですが、雰囲気が大きく変わってしまうので、本編からはずしました。

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