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どうせ異世界に来るのならもっと勉強しておけば良かったよ  作者: まゐ


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22/25

22、マヤの宿

 エデンで1番古くて1番大きな宿屋、それが『マヤの宿』だった。


「ゴーシュじゃないか、久しぶりだね」


 扉を開けて中を覗くと、そこに居たふくよかな女性が振り向きながら大きな声でそう言った。


 それにゴーシュは「オッス」と軽く答えて、先陣を切って中に入る。


 気心の知れた仲。そんな雰囲気を漂わせながら、ゴーシュはそこから少し横にズレて、ふくよかな女性を俺達に紹介する様に見せる。


「女将のマヤさん。強いから喧嘩は売らない方がいいよ」


 そう言うゴーシュに、マヤさんは「何言ってんだ」と豪快に笑って、ゴーシュの横まで歩いて来てその肩を叩いた。


「知り合い3人。アキラとノワとトール。部屋空いてる?」


 叩かれた肩を摩りながらゴーシュがこちらを指して紹介してくれる。その声に合わせて、俺達は順に軽く会釈をしていった。


 その間マヤさんはずっとニコニコしていて、その優しそうな表情に、俺は彼女の人柄の良さを感じた。


 良い人そうだ。


「ああ、空いてるよ。4人で一部屋で良いのかい?」


 聞いてきたマヤさんの言葉に、伺いを立てるように俺達3人の顔を見てくるゴーシュ。俺は何も考えずに頷こうとして、ハタと考え直した。


 一緒で、良いのか?と。


 ゴーシュは、自分がバイセクシャルだと言っていた。つまりは男である俺達も性愛の対象だと言う事だ。


 例えば、だ。『俺とクラスの女子3人で同じ部屋に泊まれ』と言われた時の事を考えてみる。そんな事になったら非常に困ると思うのだが、ゴーシュにとって今の状況はそういう事なのでは?と思うのだ。


 ならば、どう答えるべきなのか。


 一瞬の間に俺は脳をフル回転させて考え、その考え抜いた答えを言った。


「ゴーシュが、それで良いのなら」


 と。


 その考え抜いた答えを聞いて、ゴーシュは眉を上げて目を見開いた。明らかに驚いた表情をされて、俺は頭の中にクエッションマークが浮かんだ。


 何をそんなに驚いているんだ?


 そんな彼の肩をマヤさんが軽く小突いた。軽く小突いたように見えたのに、見た目よりも力が強かったのだろう。押されてゴーシュが前のめりになって一歩踏み出し、俺に近付く。同時にゴーシュの顔面が崩れて、口元が緩み、そのまま両腕を前に出して俺に向けて伸ばしてきた。


「そんな君が好きだよ、ハニー」


 突然の甘々なゴーシュの声に、俺は青ざめて一歩引いた。


 何で急にこんな声出して迫って来るんだよ。


 訳が分からず混乱する俺の前に、ノワとトールが入り込んで来る。トールが俺の両肩を掴んで背後に庇い、同時にノワがどこから取り出したのか片手鍋の取っ手を持ってゴーシュに突き付ける。


「アキラに手を出さないと誓うのならば、同室でも構いませんよ」


 トールが言い、


「アキラが良いって言うならしょうがないけどさ、何かしたら許さないよ?」


 続けてノワがそう言った。


 ゴーシュは、鍋の直前で急ブレーキを掛けつつ、俺に向けて伸ばした腕を曲げて手のひらをかざし、降参の意思を示す。


「相変わらずガード堅いな。分かってるよ、手は出さなよ」


 そんなゴーシュの声を聞いて、マヤさんは豪快に笑った。


「いい子達じゃないか、気に入ったよ」


 と、マヤさんが言ったその時だった。


 突然、空気の濃度が変わった気がした。濃く、ギュッと濃縮されたかと思うと、その濃縮された部分が強炭酸のボトルの栓を抜いたかのように一気に泡立って、凄い勢いで広がって行くみたに感じる。


 同時に感じる、嫌な気配。


 寒く、暗く、何の音も無い静寂。そして、この上ない孤独感。


 この感覚を、俺は知っていた。ほんの何日か前。船に乗ってマジール王国にやって来る前の日に感じた空気だ。


「何?」


「アキラ、どうかしましたか?」


 俺とノワの唯ならぬ雰囲気に、ゴーシュとトールがそう言って固まり、マヤさんは驚いて目を丸くしている。


 その感覚を感知したのは、俺とノワの2人だけみたいだった。


「ノワ、これって・・・」


 俺は、前で片手鍋を掲げているノワに言った。俺もそうだが、ノワも感覚を研ぎ澄ませて、何があったのかをもれなく感知しようと必死になっているのが分かった。


「冥府の門が、開いた・・・。すぐ側で・・・」


 身動き一つせずにノワが言った。それを聞いて、ハッとなるトール。


「それは、何だ?」


 尋常じゃない様子に、声を顰めてゴーシュが聞いて来た。が、それを説明する間が惜しい。


「アキラ・・・」


 ノワが俺の名を呼んだ。俺は、頷きながら「行こう」と呟いて、その気配を感じる方へと走り出した。


 俺に続いてノワとトールも駆け出し、ゴーシュも続こうとする。


「あ、ちょっと。部屋どうするんだい?」


 後ろからマヤさんが叫ぶ。それにゴーシュが「4人部屋一つキープ宜しく!」と叫び返した。




 ひたすらに皿を洗った。洗っても洗ってもどんどんやって来る皿やコップを、まずタライに張った水に浸けて軽く汚れを落とす。それから目の粗い布で擦ってしっかりと汚れを落とし切り、綺麗な水で流してから籠の中に立てて水気を切った。籠がいっぱいになると、新しい籠と交換して再びその中に入れていく。


 その繰り返し。


 終わりの無い永遠の作業かと思われたが、昼時のピークを過ぎると徐々に量が減っていき、とうとう洗う物が運ばれて来なくなると店主の声が掛かった。


 客足が落ち着いた今のうちに、交代で休憩を取るようにと言われたのだ。


 隣の娘も、店主もイールもまだ忙しく動いている。まず最初は、私1人だけが休めるようだった。


「賄いを用意してあるから、食べていいよ」


 そう言われて探してみると、調理場の横の小さな机の上に見つけた。握った白米に塩漬の葉野菜を巻いた物と、魚のほぐし身と刻んだ野菜クズをとじた卵焼き。その2種を盛った中皿が4枚置かれている。すぐに店主とイール、隣の娘と私の分だと分かった。


 横付けされている椅子に座り、手前の皿を引き寄せて葉野菜に包まれた白米をかじった。程よい塩気と葉の香が立ってとても美味しい。


 マジールの食べ物はどれも手が混んでいて美しく、美味しそうに見える。こちらに来てから食事をするのは2回目だが、エデンに来る途中に立ち寄った店で食べた『サンドイッチ』なる物も、フワフワのパンに新鮮な野菜と複雑な味のソースが挟まれていて、口に入れると、フワ、サク、ジュワと、色々な感覚が次々にやって来て驚いた。勿論美味しかった。


 この店で出す料理も、焼いたり炒めたり揚げたり蒸したり、食材によってはタレに漬け込んだりと、正直手間が掛かり過ぎて作るのが大変だと思う。けれども、作っている最中から漂う良い香りは食欲をそそり、出来上がりを待つ客達の期待感を高めている事は間違いない。


 今度は卵焼きをかじった。ただの卵焼きとは全く味が違う。美味しい。錬った小麦粉を焼いた団子と干し肉ばかりの村の食事を思い出し、私は初めて「ここに来て良かった」と思えた。


 上手く仕事が出来ない事は悔しい。隣の娘よりも自分の方が劣っている事が誰の目に見ても明らかなのも悔しい。下膳すらもろくに出来ず、おまけに皿を割って迷惑まで掛ける有様。


 考えると少し涙が出て来た。でも食べるのは止まらずに、あっという間に自分の分を食べ干してしまう。満腹になると気持ちが落ち着き、ホッと一息ついたところで店主の声が聞こえた。


「もう少し休んでて良いからね」


 急に聞こえて来た声にビクッとなりつつ、それに「はい」と答えた。何となく焦りつつ、自分が食べ終えた皿を片付けようと立ち上がった所で、何かがカタンと音を立てた。


 スカートのポケットの中の物が、立ち上がった拍子に机の足にぶつかったのだ。ポケットの中に片手を入れると、中の木箱に手が触れる。


 そうだ。この木箱を、闘技場に届けに行かなければならないのだった。


 思い出して、私は店内を見た。客は殆どいないものの、まだ3人とも休める雰囲気では無い。こちらに来られるようになるまで、まだ時間が掛かりそうだ。


 ちょっと、届けに行っても大丈夫だろうか・・・。


 隣の娘に一言告げようかとも思ったが、忙しそうにしている所に声を掛けるのも申し訳ないと思い、私は誰にも告げずに、そっと出掛ける事にした。


 裏口から店を出て、ぐるりと回り込んで大通りへ。そして真っ直ぐ行けばもう闘技場だ。


 行って、渡して、帰って来る。


 それだけ。すぐに帰って来られるはずだ。


 そう思って私は意を決し、店を出た。が、思った通りに事は運ばなかった。


 大通りに出る前に誰かに手を掴まれてしまったのだ。


「なぁ、待ってたんだぜ」


 人通りの乏しい裏道で、掴まれた手を引き寄せられた。肩に手を置かれ、振り返るとそこには、さっき店内で声を掛けてきた男がいる。食事を済ませた後、ここで待ち伏せしていたのかも知れない。


 怖い・・・。


 恐怖で脚がすくんだ。


 離して下さい。


 そう言いたいのに、言葉が出て来なかった。


「さっきはイールに邪魔されたけどさ、俺本当にお前みたいなコが好きなんだ。遊びじゃなくて。お前さ、男いるのかよ?」


 何も言えないでいる私に、男は聞いて来た。


 怖い、やだ、離れて。


 その思いだけで頭の中がいっぱいになって、私は必死に首を左右に振った。男から距離を取ろうと、後退る。


「そうか、いないのか。なら、俺と付き合おう。な?良いだろ?心配なんだよ。お前大人しいから、すぐ別のヤツに無理やり捕まっちまいそうで」


 嫌がっているのを勝手に肯定と受け取って、ベラベラと喋る男。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 ・・・消えれば良いのに・・・!


 体温が上がって行くのを感じた。暖かく、熱く。


 肩にかかる髪が、一房、また一房と浮かんで行く。


 呼吸が荒く、早くなる。眉間の辺りに何かが集中して行くのを感じた。


 刹那・・・!


 私を掴んでいた男の手が離れた。離れてシュッと遠ざかり、目で追うと、男の両足が何かに強く引っ張られるみたいにして前のめりに倒れて、地面を後ろに引き摺られて行くのが見えた。


 その先に、いつの間に表れたのか、暗くて深い穴がある。周囲の砂埃や細かな紙屑などが、次々にその穴の中へと吸い込まれて行く。


 男が振り返ってその穴を見た。


「ひっ!な、何だコレ!」


 男は吸い込まれまいと地面に爪を立てて、必死に抗う。が、ジリジリと引き摺り込まれて、足先が落ち、太腿が落ち、胴も落ちて、とうとう腕と肩と首から上だけしか見えなくなった。


 私は、驚いてその場にへたり込んでしまった。


 何よ、これ・・・!


 頭の中に、白い女の姿が浮かんだ。


 目を合わせて、いなくなるように願っただけなのに。


 側に寄って来なくなるだけだと思った。目に見える範囲には入って来なくなる、その程度の事だと思ってたのに。


 こんな、こんなの・・・!


 こんな事、願ってない・・・!


 体が震えた。噛み締めた唇が冷たく痛い。


 どうしようどうしようどうしよう!


 恐怖のせいか、目から涙が止めどなく流れ出て来る。頭が上手く回らない。何も考えられない。どうしよう。どうしたら・・・、と、とにかく、助けなきゃ・・・!


 思って私は、突然表れた穴の中に落ちて行こうとしている男に向かって手を伸ばした。遠い、遠くて届かない。それどころか、男が私の手に気付いてもいない。


「つ、掴まって下さい・・・!」


 蚊の中みたいな小さな声。震えるのを必死に抑えて、私は男に向かってそう言った。


 男がそれに気付く。目を見開いて私を見て、そして手を伸ばそうとしてガクッとその腕が穴に落ちる。


「・・・!」


 2人して声にならない悲鳴を上げた。


 もっと、側まで行かないと・・・!


 へたり込んだ姿勢のまま、私は男に向かってズリズリと前進し、手を伸ばした。と、ある程度進んだ所で、強い力に引っ張られて、私自身も穴に引き摺り込まれそうになる。


「キャッ・・・!」


 小さく悲鳴を上げて、側にあった建物の外壁の出っ張りに掴まった。何とかそこに掴まる事は出来たが、引き摺り込もうとする力は強くて、グルンと足の方から落ちて行きそうになり、私は両腕で出っ張りにぶら下がる形になってしまう。


 身動きが、出来ない。


「大丈夫か・・・?」


 息も絶え絶えといった声で、男が私に聞いてきた。男の顔を見て、私は必死に頷く。それを見て男は頷き、そして、私に向かって「逃げろ!」と言う。


 私は、驚いて男の顔を食い入るように見た。


 私がやった事なのに。私の所為なのに・・・。


 それなのに、私の身を案じて「逃げろ」と言ってくる男。


 その瞬間、私の中に強い罪悪感が生まれた。胸が熱くなって、それに比例して涙が出て来る。


 そんな、そんなの・・・、


「やだ!」


 気付くと、私はそう叫んでいた。


「あ?お前、何そんな、強く拒絶して・・・!」


 面食らった顔で男がそう言った時、最後の引っ掛かりの腕が外れてしまった。


「!」


 誰か、助けて!


 声にならない祈り。ぶら下がるように出っ張りに掴まる事しか出来ない私の、それでも必死な声無き祈り。


 それが天に届いたのだろうか。


 その時、凄い勢いで誰かが走って来た。


 見覚えのある、2人の少年。


 彼等が、今男が落ちて行った穴の淵に腹這いになって手を突っ込み、伸ばす。


 2人で何かを大声で話し合っているみたいだけど、引き込む力が強過ぎて音すらも吸い込まれているのだろうか、或いは周囲の空気を引き摺り込むその風圧の所為なのか、何を言っているのかは全く聞こえなかった。


 吸い込む力が強くなっていく。今では、私のいる場所でも呼吸をする事も辛い程だ。


 意識が薄れていく。視界が霞んで行く。


 そこ霞む視界の中で、2人の少年が穴の中から何かを引っ張り上げる動作をした。息を合わせて、同じタイミングでグッと力を入れて、持ち上がって来る、男の腕。


 頭が出て、腹までが出て、一度折れ曲がってからズズッと足先までが引き摺り出された。


「!・・・」


 私は、声にならない叫びを上げた。


 良かった。本当に良かった・・・!


「大丈夫ですか!?」


 突然、耳元でそう言う大きな声が響いた。男の人の声で、聞こえた途端に引き揚げられるような感覚を味わう。


 それが限界だった。


 その声に答えるよりも先に、私は意識を失った。

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