12、目で追ってしまう人
船が港に着いて下船し、少し待つともう一つの船が着港した。後からやって来たマジール製の船は、私達が乗って来た船よりも大きく立派で、これで料金が同じだという事に改めて不満が湧き上がるのを感じてしまう。が、今それはどうでも良かった。いや、どうでも良くはない。けれど、もっと重要な事がある。
着港した船から続々と乗客が降りて来た。家族連れ、老夫婦、若い夫婦、職人の集団。沢山の人が下船して、最後の乗客が降りて来る。
最後の乗客は、乗組員と何かやり取りをしながら船橋を渡る3人の男性。1人は背の高い旅装束、もう1人は顔まで覆う黒いマント姿、そして、仕立ての良い珍しい服を着た男の子。
彼だ。
風が吹いて彼のサラサラの黒髪がなびいた。形の良い額が露わになる。その下の薄い眉、少し吊り上がった黒い目、高くは無いが筋の通った鼻、薄い唇。
初めて彼を見たのは、船に乗船した時だった。その珍しい服に目を惹きつけられて見ているうちに、気付くと彼自身から目を離せなくなっていた。
常に他の2人を細やかに気遣い、時々遠くの方を見て何かを思案する。
きちっとして優しくて、そしてミステリアスな人。
それが第一印象。
そんな彼の印象が180度変わったのは翌日。酷い雨の所為でほとんどの乗客が船室で過ごしていた時、その船室に大きな魔物が現れたのだ。
私はユリアちゃんと身を寄せ合って大部屋の隅に逃げた。乗客達がパニックを起こし、我先にと出入口に殺到して行くその中に、入り込む勇気が私達には無かった。
魔物も怖い。でもパニックを起こす人達も怖い。
だから、2人で小さくなって息を潜めていた。
このまま危険が過ぎて行きますように。
そう祈りながら。
けれども、祈りは通じなかった。
気付けば船室の中には、夥しい数の魔物が溢れていた。声を上げて逃げる人、それを追いかけて行く魔物。漏れ出しそうになる悲鳴を喉の奥でキュッと殺して、少しでも小さくなるようにユリアちゃんとキツく抱き合った。
それなのに、見つかってしまった。
迫り来る魔物。
もうダメだ・・・!
覚悟して目を閉じた。
振り上げられた魔物の前脚が風を切る音が、直に耳に届いた。風が肌を押すのを感じる。近い。本当に近い。
痛みが来る!刺されるの?切られるの?それとも掴み上げられてそれから噛まれるの?
怖い怖い怖い怖い・・・!
閉じた目の脇から涙が流れ出る。
長い一瞬が過ぎた。ザッという音と、床を踏み鳴らす振動が響く。
私の体がビクッとなった。ユリアちゃんも驚いたのだろう。彼女の震えも伝わって来る。
次の瞬間、魔物の悲鳴が聞こえた。断末魔と共に、ボタボタと何かが床に落ちる音も聞こえて来る。
・・・何?
そう思った時、肩に何かが触れた。
トン、と優しく。
「大丈夫?」
耳元で優しい声が聞こえた。
私やユリアちゃんよりも低い声。その声が、頭の中に直接響く。
触れられた肩が温かい。
私は、恐る恐る目を開いて振り返った。
そこには彼がいた。
間近で見る彼の顔は、遠くから見るよりも綺麗で、その綺麗な顔の彼が、私の肩に手を置き話し掛けてくれている。反対側の手には剣を持ち、どうやら私達に向かって来ていた魔物はその剣で斬り捨ててくれたみたいだった。
余りにも驚き過ぎて、何も言えなかった。体も動かせなかった。ただあわあわとしている私の視界の隅で何かが動いた。それは新手の魔物で、しかも3体。こちらに向かって走って来ている。
彼は魔物に向き直ると、魔物が近づいて来るスピードよりも速く動いてその3体を瞬く間に斬り捨てた。床に崩れ落ちる魔物は次第に縮み、小さな虫のサイズに戻って息絶える。
「凄い・・・」
ユリアちゃんがそう呟いた。その言葉に私は頷いた。
再び私達の元に戻って来ると、彼は「立てる?」と聞きながら私の体を支えてくれた。強い力に引っ張られて、私の体は抱き合うユリアちゃんごと持ち上がり、勢い余って少し宙に浮いた。
なんて力・・・。
彼の力強さに驚きつつも、体の近さに心臓がトクンと大きく音を立てた。服越しにも彼の鍛えられた体を感じてしまう。
「室内は危ないから出た方が良いんだけど、2人で行ける?」
そう言われて出入口の方を見てみる。と、先程までパニックを起こしていた人達が落ち着きを取り戻して行儀良く順番に退室していた。
頷くユリアちゃんに合わせて私も頷いた。
それを見て、彼は微笑んだ。
笑顔に胸が高鳴って痛む。息をするのも苦しく感じるのは、魔物に対する恐怖の所為じゃ無かった。
震える足を頑張って動かす私達を背に庇い、彼は魔物を倒し続けてくれた。
守られている。その事実にまた胸が締め付けられる。
彼が、好きだ。
「ねえ、お菓子さっきの人に渡したい」
魔物は船の警備員と彼等が全て倒してくれたらしく、ホッと胸を撫で下ろしていた時にユリアちゃんがそう言った。
「うん。私もそう思ってたの」
船に乗る前に2人で焼いてきたクッキー。連絡船で恒例の恋の応援イベント。未婚の女性から未婚の男性へと贈る甘いお菓子。渡したいと思える人がいるとは限らないけど、一応作って持っていこう!と頑張って作ってきたのだ。
「受け取ってくれるかな?」
受け取って貰えれば、添えた連絡先に相手から手紙が来るかも知れない。そこから仲良くなれる可能性が広がるのだ。
「分からないけど、渡さない事には何も始まらないよね?」
「うん、そうだよね。一緒に渡そう!」
そう言って2人で頷き合った。
大部屋で暫く待っていると、彼が戻ってきた。連れていた背の高い旅装束の男の人は、その顔の造りの良さと魔物と戦う姿がカッコ良かった事とで、すぐに多くの女の子達に囲まれて身動きが取れなくなってしまっていた。
みんな見る目がないなぁ。
そう思いながら、私はユリアちゃんと一緒に彼に向かってクッキーを差し出した。
「えと、俺達にくれるの?トールじゃなくて?」
旅装束の男の人を指差してそう言う彼。隣には顔まで黒いマントで覆った同じ位の背丈の男の子が立っている。こちらが2人だから、2人に貰ったと思わせてしまったのかも知れない。けれども、違うと否定する事も出来ずに、私達は俯いて頷く事しか出来なかった。
受け取って貰えるか、ダメか、どっちなのかドキドキして待つ。と、
「ありがとう」
彼はそう言って、クッキーを受け取ってくれた。
私は目を見開いて彼を見た。口元か笑っているように見える。
喜んでくれてる。
そう思って、私はユリアちゃんと目を見合わせて抱き合って喜んだ。
「やった!OKって事だよね!」
「うん。どうしよう嬉しい!」
2人で喜びを噛み締めていると、すぐに少し困った様子で彼が言った。
「えっとさ、聞いても良い?俺よく知らなくて。何かの行事?」
それを聞いて、私はユリアちゃんともう一度顔を見合わせて、ちょっと噴き出しながらこのイベントの事を教えてあげた。
こんなに強くてカッコ良い素敵な人でも、分からない事があるという事が可愛く思えたのだ。
説明のやりとりをしていると、横から黒マントの男の子が手を出してクッキーを取った。包みを開けようとする黒マントの男の子を焦って止める彼。それが甘いお菓子を取り合っている子供みたいに見えて、ますます可愛く見えてきてしまう。
剣を振えばあんなに強いと言うのに、そのギャップにまた胸がときめく。
彼が黒マントの男の子の首に腕を掛けて、2人で後ろを向いてしまう。そのまま、こちらに声が聞こえない様にコソコソと話し合いを始めた。
何を話しているんだろう・・・。
微笑ましいと思えたその行動が、少し長く感じた。聞こえない2人だけの話し合いに、私達は不安になってきてしまう。
私達は2人に近付いて、彼の背中をトントンと叩いた。
「あの・・・」
彼等が同時に勢い良く振り返った。
「やっぱり、迷惑、でしたか?」
よく知らない、と言っていた。もしかしたら、受け取れない理由があったのかも知れない。
不安な気持ちが顔に出たのか、黒マントの男の子の方が慌てて言う。
「そんな事無いよ!嬉しい。凄い嬉しい!」
その言い方が謝罪に感じてしまう。
やだ、どうしよう。ダメ、だった・・・?
胸の辺りで膨らんだ喜びが、シュンと縮んでいく。
そんな私達を慰めるように、彼が口を開いた。
「お菓子貰えたのは本当に嬉しいんだ。ただ、俺達この恒例イベントの事全く知らなくて。間違いや誤解があったらゴメン。これさ、受け取ったら気持ちが通じてカップル成立って事なの?だったらこっちは彼女いるし、俺は気になってる子がいるから受け取れない」
「こっち」と言う時に黒マントの男の子を指差してそう言う彼。
それを聞いて、私は固まってしまった。
「気になってる子がいる」
その言葉が胸に突き刺さった。
頭が真っ白になった。少し前まで高鳴っていた胸が、急降下するみたいに沈み込んで冷えて行く。
ああ、世の中思い通りには行かないものだよね・・・。
「貰って下さい」
そう言って一歩前に出て彼の手を握った。
無意識だった。直後自分の行いに気付いて、私は慌てて手を離す。
やだ、私何してるんだろう・・・。
顔が赤くなるのを感じた。両手で触ると頬が熱い。恥ずかしくなって下を向いた。
「ゴメンなさい、急に触っちゃって」
「いや、大丈夫」
謝る私に、そう言う彼。
私は下を向いたまま黒マントの男の子からクッキーを奪い返して、そして彼に押し付けるみたいにして渡した。
「お2人で食べて下さい」
そう言って小さくお辞儀をして、ユリアちゃんの手を掴んで走って逃げ出した。
それから、彼とは会っていない。彼等はすぐにマジールの船に乗り移って、向こうの船で大きな魔物と戦ったのだという。
船室の窓からは、その戦闘の様子を見る事が出来たみたいだけど、私達は見なかった。見るのが辛かったから。
名前すら、聞けなかった。
目を閉じれば、彼の笑顔が浮かぶ。
遠くに見える彼は相変わらず素敵で、自然と目で追ってしまう。
やっぱり、好きだ。
けど、叶わない想いだ・・・。
涙が出そうになったその時、周囲がザワザワとし始めた。何事かと思っていると、騒いでいるのがみんな若い女の子だという事に気付く。
1人が駆け出す。と、それに遅れを取らないようにみんな走り出す。目指すのは一様に彼等3人。
きっとみんな、甘いお菓子を渡すのだ。
3人の周りにそれぞれに女の子が群がる。大部屋の中では背の高い旅装束の男の人が1番群がられていたが、今は違う。
彼の周囲が、1番混雑していた。
それを見て、私は腹が立ってしまった。
何よ、私が最初に彼の魅力に気付いたのに・・・。さっきは私達以外、誰1人として彼に甘いお菓子を渡そうとはしなかったくせに。
そう思った時、誰かが横から声を掛けてきた。
「あなたの方が早かったのに、ね」
ビクッとなって、私は横を振り向いた。
ユリアちゃんは今は居ない。荷物を取りに行っているのだ。だから、ユリアちゃんじゃないはず。
振り向いて、声を掛けてきた人を見て驚いた。
白い髪に白い肌の、とても綺麗な女の人が立っていたのだ。
「あなたの方が早かったのに、あの子達どういうつもりなのかしらね」
女の人は、彼から私に視線を移して、そして言った。
「みんな、居なくなればいいのに。そう思わない?」
表情の無い、冷たい視線。その目が私の目を貫く。
あの女の子達が、今すぐ消えて無くなれば・・・、そうしたら、どうなるだろうか?
そんな事を考えてしまう。
そしたら、彼は私を見てくれる・・・?
思って、私は彼の方を見た。
すると、彼が広げた両手の平を女の子達に向けて拒絶の意思を表しているのが見えた。
それを見て、私は目を丸くした。
丸くなった私の視線の先で、彼は逃げるように女の子達から離れて行く。
そうだ。彼はそういう人なのだ。女の子に囲まれて喜ぶような人ではない。きっと、誰に対しても公平で誠実で、真っ直ぐでブレない。
だから、あの女の子達が居ても居なくても、私に対する態度は変わらないだろう。
私は、白い女の人に向き直って言った。
「思わないわ」
言って笑った。
そして、その女の人を無視して歩き出した。
「・・・」
釣れなかった。行けると思ったのに。
私はその娘の後ろ姿を見送った。
若い娘の恋慕の念は扱い易い。ひとつ失敗したタイミングでいい駒が見付かったと思ったのに、残念だ。
そう思って踵を返したその時だった。
「思うわ」
背後からそう声を掛けられた。
振り返ると、今釣れなかった娘の友人が立っていた。
「私が先だったのよ。なのに後からワラワラと湧いて来て、鬱陶しい」
少し驚いて、そして私は笑った。
釣れた・・・。
「手伝ってあげる」
言って、その娘に微笑み掛けた。




