10、家族
結局その後、俺も意識を失ってしまった。
多分トールが元に戻って安心したんだと思う。眠気の限界はとっくに超えていたし、気絶と言うよりは寝落ちである。
気が付くとふかふかの布団に包まれていた。真っ白で清潔なシーツとカバーに包まれた布団。そんな上質なモノにお目に掛かったのは、この世界に来てから初めての事だ。
雲の上にいるような、フワフワと暖かい天国気分を味わう。ゆっくりと揺れているのを感じるから、多分まだ船の上なのだろう。天候は回復したのか、穏やかな河面の様子が想像出来る。
ずっとこのまま眠っていたかったが、すぐ横に誰かの気配を感じた。俺は、惰性的にそのままでいたいという欲望を抑えて、意を決して首を起こし周囲を見回した。
俺の体は、そこそこ立派なベッドの上に寝かされていた。広くは無いが、掃除の行き届いた簡素な部屋。その部屋のベッドの横、簡素な丸椅子の上に腰掛けて何か細かい手作業をしているナイルの姿が見える。
ぼーっと眺めていたが、その手の中にあるのが俺の制服の上着だと気付いて俺はガバッと体を起こして声を掛けた。
それの内ポケットには、アレが・・・。
「あの・・・」
そう呼び掛けると、ナイルは顔を上げて俺を見た。
「起きたか」
そう言って少し笑う。
よく見るとナイルは糸を通した針を持っていて、あちこち切れたり破れたりした俺の上着を直してくれていた。デカい体に見合うデカくてゴツい手なのに、指先は器用でその慣れた感じに俺は目を丸くした。
内ポケットは、触ってないみたいだな・・・。
俺は軽く驚きながらもそれを確認して、ホッとして枕に背を預ける。
「以外だろう?得意なんだ」
安心した俺にそう言って、ナイルは針仕事をしながら俺が寝ている間の事を教えてくれた。
俺がトールの相手をしている間、ノワと共にナイルとゴーシュが船内を探し回ってレニアⅩⅢを発見し、倒してくれた事。その根には乗客がなんと8人も捕まっていた事。甲板で助けた黒いワントーンコーデの男が、全部で6人いたシージャック犯の1人だった事。犯人の他の3人は河に落ち、残り2人がⅧの根に捕まっていて命を落としていた事。
そして、シージャック犯の目的が、秘密裏に船内に運び込んだ荷物を、予定の航路から上流に外れた別の港に運ぶ事だったという事を。
「今その荷物を4人で確認しに行ってる」
4人というのは、ゴーシュとアンジェとトールとノワだろうか。
「みんな、怪我とかは大丈夫だったの?」
目の前のナイルを含め、ゴーシュ、アンジェ、ノワの事も勿論心配だったが、何よりもレニアⅩⅢに操られたトールの事が心配だった。一緒に確認しに行っているという事は、後遺症的なものは特に無かったという事だろうか。
そう思いながら聞いてみたのだ。
「死んじまった2人の犯人以外はな。根っこに捕まってた奴らはだいぶ衰弱してるが、他はみんな元気だ。多少の怪我はあっても大した事は無い」
「そうか、良かった」
俺はホッと胸を撫で下ろした。安心した所で、ナイルが「ほらよ」と制服を渡してくる。礼を言ってそれを受け取ると、トールに切られた所は勿論、それまでに破けたりほつれたりした所も全てが元通りに直っていた。
「凄い、キレイに直ってる」
感動して俺は呟いた。プロの裁縫士みたいだ。
「母親がな、目が悪くてよ。物心ついた頃から手伝ってたんだ。お陰で家の事は大体何でも出来るんだぜ」
そう言って爽やかに笑うナイル。褒められて嬉しそうに見える。見た目に似合わず何だか可愛いヤツ。
思いながら、俺は内ポケットの中を確認した。中にあるのは、充電の切れかけたiPhone。それだけ。
・・・それ、だけ・・・?
『黒い棘』が、無い!
俺は、ハッとなってナイルの手元を見た。
今は壁に立て掛けられている大斧、それを扱うナイルの手には沢山のマメが出来ていて、その上あちこちの皮が分厚く盛り上がっている。逞しく頼り甲斐のある立派な手だ。
とりあえず、『黒い棘』は持っていない。
どこいった・・・?
「ささくれだらけだろ?」
見られているのに気付いたのか、ナイルが手の平を俺に見せてくれた。
確かに爪の周りは乾燥して白浮きしていて、ささくれ立っている。所々赤黒く瘡蓋みたいになっているし、お世辞にもキレイな手とは言えない。けれどもそれは、長年の水仕事の成果だと思えた。
戦士の手と家父の手、両方の特徴を持ち合わせている。ギャップの詰まった、素晴らしい手だ。
「母親も、こんな風に荒れた手をしていた。それを、俺が受け継いだ」
「受け継いだ・・・?じゃあ、お母さんは・・・」
棘の行方を気にしつつも、引っ掛かりを覚えて俺はナイルの顔を見詰めた。ナイルはちょっとだけ俺を見て、そして再び自分の手を見る。
今ナイルはきっと、その手の中に母親を見ているのだ。
悲しそうだけど、誇らしい表情。
「立派な人だったんだな」
俺がそう言うと、ナイルはニッと笑ってから、照れ隠しのように窓の外を見た。
窓からは、さっきレニアⅤやⅧ、そしてトールと戦った甲板が見える。今いるのはマジール船の個室で、甲板を歩く人達が小さく見える程に高い位置にあるようだった。
そこに大きな箱を運び出す一団が見えた。重そうに広い甲板の真ん中まで運ぶと、降ろして蓋を開け、中身を確認し始める。確認する面子の中にゴーシュとアンジェの姿もあった。
あれが問題のシージャック犯が持ち込んだ箱なのだろう。
「女手ひとつで俺と妹と、他人の子を8人育て上げてくれた。俺の生まれ育った村は小さい村だったが、場所柄争いが絶えなくてな。大人は皆んな、男も女も関係無く戦いに駆り出されたんだ。徴兵されても戻ってくるのはひと握り、お陰で村は孤児だらけさ。そんな中で、目が悪くて連れていかれなかった俺の母親は、親の無い子供を皆んな自分が育てるんだっつって一人で全員面倒見てたんだ」
「凄い」
思わずそう声が出た。目が不自由でハンデがあるというのに、そんな事は意に介さず行き場の無い子供達を引き受けるという豪胆さに、良い意味で驚かされた。
先程パニックを起こした乗客達を誘導する際のナイルの様子を思い出す。背の低い子供達が踏み潰されないようにと気を配るナイルのカッコ良さは、きっとその母親譲りに違いない。
「そんなこんなで、親を無くしたゴーシュとアンジェも一緒に育った。血は繋がって無いが、アイツらは家族さ」
通りで、お互いズケズケ言い合ってると思ったのだ。昨日今日の間柄で出来る息の合い方では無い。
納得しながら俺はナイルを見る。窓の外、ゴーシュとアンジェの2人の姿を見詰める表情が、何やら辛そうに見えた。
・・・何だ?
『黒い棘』も気になるが、そんな顔をされると気になってしまうじゃないか。
「あの2人がどうかした?」
そう口にしてから、アンジェがゴーシュの事が好きな事を思い出し、そしてゴーシュが俺に構ってくる事を思い出した。
「あー・・・」
答えを聞く前に察して、俺はそんな声を出した。
親代わりみたいなナイルにとっては、頭の痛い問題なのかも知れない。
「言わずとも伝わったか?」
笑いながらそう言うナイル。
「ゴーシュはさ、男が好きなんだろ?それを知っててアンジェはゴーシュの事を好きになっちゃった訳?」
「いや、ゴーシュはどちらも。この間まで女と付き合ってた。と言うかだな、何と言うか、いつも遊びで来る者拒まず、そんな感じだ」
俺は遊びか。
「逆にアンジェは一筋だ。物心付いた時から常にゴーシュに引っ付いて離れない。もうお互いいい歳なのに、いつまでもこんな調子だとなぁ」
困ったようにため息を吐くナイル。
「何だか本当の父親みたいだな」
まだそこまで歳じゃ無いだろうに、老け込んで見えてしまう。損な役割だ。
その後、俺はナイルと色々な事を話した。何だか話しやすいヤツだったって事もあるけど、ナイルが普段誰かに話を聞いてもらう事が無いらしく、聞き役に飢えていたらしい。
自分達が、『真ん中』の国の大分田舎の方の出身だという事。母親が死んでからも、ナイルと妹と8人の子供達は一緒に暮らし、村の畑仕事や家畜の世話を手伝って生計を立てていた事。15になったナイルが収入を得る為に船の警備の仕事を始めた事。4年後、ゴーシュが15になるとナイルに続き警備の仕事を始め、翌年にはアンジェが加わった事。それから5年経った今現在、妹と他の子供達はみな結婚して家庭を持ったが、ナイルとゴーシュとアンジェの3人は未だ独り身だという事。
どうやら、『真ん中』では15から成人として職に就けるらしい。それに習うなら、俺も成人という事だ。仕事どころか結婚も15からだと聞いて何故か焦りを感じてしまう。
「アキラは?家族はどうしてる?」
聞かれて俺は耀を思い出した。
一緒にこの世界へと落ちて来た耀。今頃アイツはどうしているだろうか。
「双子の弟と、あと母親がいる」
答えながら、向こうの世界にいるはずの母親の事も思い出した。
思えばウチも母子家庭だ。母さんが女手ひとつで育ててくれた事はナイルと同じ。
向こうの世界でもこちらと同じように時間が流れているのだとしたら、俺と耀が消えて、心配しているのでは無いだろうか。
そう考えて、俺は急に罪悪感みたいなものを感じてしまった。
「双子か。だったら親は大変だっただろうな。どんな人だ?お前の母親は」
聞かれて、俺は母さんの事を思い浮かべた。
「どんなって聞かれると、そうだな、背が低い」
小柄で、やたら元気で、いつも忙しく飛び回ってる人だった。仕事で家を空ける事が多くて、いつも残業で、夜遅くに帰宅するから朝は寝ていて顔を合わせる機会が殆ど無い。多忙な母さんに代わって、小さい頃は母さんの友達や弟(俺から見たら叔父)が面倒を見に来てくれていた。
そう言えば、こちらに落ちて来た日の朝は珍しく起きてたな・・・。
ふと、俺はデコに触れた。
そうだ。あの日学校に行こうと玄関で靴を履いている時に・・・。
「えっ!な、何?!」
後ろから耀の変な声が聞こえた。その唯ならぬ様子に、靴を履き終わって何事かと振り返ると、廊下で壁に背を預けて座り込んでいる耀を見て俺は驚いた。
「何だ、どした?」
声を掛けるが放心していて返事が無い。
と、急に母さんが目の前に立った。
たたきに立つ俺と、上がりかまちに立つ母さんと、大体同じ位の身長だった。
母さんが俺の頭を両側からしっかりと挟み込んで、そして顔を近づけて来る。
「えっ!何してんの?!」
驚く俺を無視して、母さんは俺のデコに唇を触れさせた。
瞬間、チュッという音と共に、触れた所からビリッと電気が走ったみたいに痺れた。
「ぅわっ!何?何だ?痛ぇ!」
持ってた荷物を落っことして、ドアにぶつかるまで後退った。そして母さんの顔を見る。多分、俺の目はまん丸になっていた事だろう。
そんな俺と、座り込んで動けないままの耀に、母さんは笑いながら言った。
「頑張って行ってこい。幸運を祈る」
親指を立ててニッと笑い、開けたドアから俺と耀をポイポイっと追い出すように送り出した。
あの時のデコの痺れるような痛み。それは、耀が側にいる時に感じる痛みに似ているような気がした。
・・・気のせい、かな・・・。
「何だ?ホームシックか?」
急に黙り込んだ俺にナイルが聞いてきた。
「いや、そうじゃ・・・」
「アキラ、起きた?」
言い掛けた所でドアが開いた。そしてそこからノワが飛び込んで来る。
「アキラ!良かった。何処か痛い所はありませんか?その、申し訳ありません!まさか操られるとは思っておらず・・・」
続けてトールが入って来る。2人共俺の横になっているベッドに駆け寄ると、ノワはガバッと抱き付いてきて、トールは手前で土下座した。
「しょうがないよトール。わざとじゃ無いんだから、そんなに謝らないで」
「トールずっと凹んでてさ、もういい加減ウザい」
辛口なノワの言葉に「そんなっ」とショックを受けるトール。その元気そうな様子に俺は安心した。
「ノワも船酔い大丈夫?怪我も無い?」
改めて確認する様に2人の体を見た。痛めている所は無さそうだし、顔色も悪く無い。
「うん、こっちの船の方が揺れないし全然大丈夫!」
良かった。
「で、アキラも大丈夫だったら一緒に来れるかな?犯人が船内に持ち込んだ荷物、確認するところなんだけど」
ノワがそう言って窓の外を指差した。
箱の中身を覗き込むゴーシュとアンジェの姿が見えた。
「ああ、行くよ」
俺は頷いてそう言った。




