1、悪天候と虫達の集い
この作品は『どうせ異世界に来るのなら転生の方が良かったよ』『どうせ異世界に来るのならもっと特別な能力が欲しかったよ』に続く3作目です。
「降り出しましたね」
トールがそう言うのを聞きながら、俺は甲板の上で空を見上げた。出発する時には晴れ渡っていた筈なのにあっという間に雲に覆われてしまって、薄暗くなり、冷たい風が吹き始めたかと思うとポツポツと雨粒が落ちて来たのだ。
「何だか酷くなりそうだな」
元の世界で何度もお目にかかったゲリラ豪雨みたいな感じだった。同じ様にドバッと降り出しそうな気がして仕方がない。
「中に入ろう。おい」
呼び掛けながら俺は、肩に寄り掛かってグッタリとしているノワの背中を軽く叩いた。
「・・・無理・・・動けない・・・」
元々白い肌は更に青ざめて人形みたいに見える。
「無理って・・・、多分もっと降って来るから。中入らないとびしょ濡れだよ?」
俺の言葉に、力無く「うー・・・」と唸るノワ。
「しょうがないな、運んでやるから。ほら、乗れ」
言って俺は、ノワに背中を差し出した。
ノロノロと背中から両肩に腕を乗せて来るノワ。俺は前屈みになって背中にノワを乗せると、腹の横にダラリと垂れ下がる膝に腕を入れておぶってやった。
「うー、吐いたらゴメン・・・」
「耐えろ」
「荷物運びます」
言いながら荷物を持ち上げたトールが前に立って歩き出した。
そう。半神は船酔いしたのだ。
「僕、船って初めて!楽しみ!!」
そう言って出発前はご機嫌にはしゃいでいたのに、船が動き出した途端にこれだ。
船に乗るのが初めてなら、船酔いもきっと初めての経験だろう。過敏な三半規管を持って生まれてしまったのだ。そればっかりは仕方が無い。
「中入って、寝れるなら寝た方が楽だよ」
そう声を掛けると「うー」と答える。心底辛そうだった。
甲板から屋根の中に入ると、ザッと雨が激しくなった。
間一髪間に合った事にホッと息を吐くと、前から「わっ」というトールの高くて小さな悲鳴が聞こえた。
トールの高い声なんて初めて聞いたもんだから、俺はギョッとなってしまった。
「え、何?どしたの?」
「あ、すいません変な声出して。ちょっと驚いてしまって」
振り返りながら恥ずかしそうな顔をするトール。その足元を何か小さなモノが駆け抜けた。その数5〜6匹。
Gから始まるアレでは無い。もっと小さいヤツ。
「ひっ」
俺も変な声を出した。
形はカメムシ。色は黄色っぽい茶色、黄土色。手足と触覚が長くて縞々。ちょっとゾッとする見た目だ。
そいつらが俺達と一緒に、雨から逃げる様にして屋根の下に駆け込んで来る。5〜6匹ずつの集団を作って、次から次へと。
「え?多くね?」
言いながら踏まない様に俺は避けつつ足踏みをする。
「ゆ、揺らさないで・・・」
「ああ、ゴメン」
奥の方からは他の乗客達の悲鳴と、踏んでしまったのであろう絶望のボヤキも聞こえて来る。それを馬鹿にする者、馬鹿にされて怒る者、軽い喧騒。
「雨だとね、出てくんのよコイツら」
降り出した雨から逃げ遅れたのか、俺の背後にずぶ濡れの男が立っていて、その男がそう言った。
背の高い男だった。着古した薄手のシャツは雨に濡れて透けていて、鍛えられた体の線がハッキリと見えた。トールにも負けない位の筋肉の線。
「どっかに巣があるんだろうけど見つかんねーの。晴れてると見ないんだけどさ」
言いながらその場でブーツを脱ぐ。逆さまにするとドバッと水が出て来る。短期間でかなりの量の雨が降っているみたいだ。
男は、反対側のブーツも脱ぎながら俺とおぶられたノワを見た。
「船酔い?」
ノワを指差してそう聞く男。俺は「そうなんだ」と答えながら頷いた。
「難儀だな。この雨の所為でちょっと揺れるし速度が落ちる。到着が遅れるかも知れん」
「マジか」
俺はゲンナリとしてそう言った。背中でノワが「地獄が長引くとか・・・無いわ・・・」と呟いてオエっとなる。やめてくれ、危ない・・・。
「大部屋なら左手に行きな。小窓があって外が見える。そっちの方が良いだろう」
この船には何個かの個室と2つの大部屋があった。生憎個室はソールドアウト。俺達3人は大部屋で、2つある大部屋のうち好きな方を選べるシステムだった。
「そうなんだ、親切にありがとう。船員さんなの?」
船員、もしくは常連なのかも知れない。思いながら俺は聞いた。どちらにしろ、この船に詳しいヤツとは仲良くなっておくに越した事はない。
「まぁ、そんな所だ」
答えながらブーツを履いて、側に寄ってくる男。
「俺は・・・」
名乗って、今後何かあったらよろしくと言おうと思ったその時だった。
船室へと続く通路の先から、凍る様に冷たくて、刺さる様に強い視線を感じて、思わず黙る。俺と背中のノワが2人してビクッとなって振り返ると、そこには目付きの鋭いトールがいた。こちらを睨んでいる。
な、何だ・・・?
そう思っていると、大股で俺達と男の間に入り込んで、そして男にガンを飛ばす。
いつもの優しいトールの豹変に驚いて、俺は固まってしまった。
「先に行っていて下さい。私は彼と少し話してから行きます」
俺に背中を向けたままで言うトール。
「う、うん、分かった」
有無を言わさないトールの声に、俺は素直に頷いて先に大部屋へと向かった。勧められた左手の方に。
急な雨の所為で大部屋は混み合っていた。その上変な虫の所為で騒がしい。
部屋は、宿屋の大部屋と同じく、何も無い空間だ。床があり、壁があり、所々に柱がある。それだけ。乗客達は各々に同行者と纏って座り込み、持参した毛布や布を敷いた上に座っている。寝る時にはそれを体に巻くのだろう。
奥の方に申し訳程度の小窓があり、俺はノワを連れてその場所まで行った。ノワを降ろして床に直に座らせると「うー」と唸ってその場で丸くなって目を瞑った。相当辛そう。
「寝ろ」
と言うと、また「うー」と答える。そして俺の上着の裾を握り、どこにも行くなよとでも言う様に離さない。
室内はちょっと賑やかだった。賑やかと言うか、騒がしい。
「クソッ、またいやがる」
「うわ!中入ってるよ!」
あちこちでそんな声が上がる。あの虫がいるんだろう。
「・・・」
想像すると鳥肌が立った。俺達、ここで寝るんだぜ?
窓の外は土砂降り。甲板よりも低い位置の窓だから水面が近く、打ち付ける雨と跳ね返る飛沫とで殆ど外が見えない。それでもすぐそこに外があると思うと、圧迫感が薄くなるから不思議だ。
その、上下から飛んで来る水の動きを暫く見ていた。形の定まらない水の動きは、例えそれが荒々しくても見ていて飽きない。
スッと横に荷物が置かれた。見るとトールで、動作はスマートだけど疲れた顔をしている。
「トール、さっきの人と何話してたの?」
そう聞く俺に、トールは真剣な顔をして言った。
「あの男には近づかないで下さい。アキラも、ノワ様も」
「え?うん。良いけど、何で?知り合い?」
唯ならぬ様子に俺は聞いた。
良い人そうに見えたんだけどな。
「知り合いではありません。初対面です」
「初対面?だったら何で」
何であんな態度だったんだ?
言わずとも通じたんだろう。トールは困った表情を浮かべる。でも、その理由は言わなかった。
窓の外を、グッタリしたノワと一緒に見ていると夜になった。河面を見ながら楽しく過ごせると思っていたのに、方やグロッキー、方やピリピリ。そして背後は虫との戦いでみんなイライラしている。
雨は少し弱くなっていた。雨の酷かった昼間よりも外がよく見えるようになり、この船から離れた所に他の船の影が見える。
「あ、お船が見えるよ!」
隣の窓から子供の声が聞こえた。そこには船酔いをしていない子供を連れた家族が陣取っており、悪天候ながらも船旅を楽しんでいるみたいに見える。
「マジール王国から来たお船だね。向かうお船と帰って来るお船がすれ違うんだよ」
母親が説明していた。
成る程。連絡船同士のすれ違いか。
「向こうのお船の方が大きいねー」
「そうね。あっちのお船の方が立派ね」
親子のその会話の通り、俺達が乗っている船よりも向こうの方が良い船に見えた。
「マジール産の船です。私達が乗っているのは『真ん中』産の船。見た目もそうですが性能もだいぶ劣っています」
振り向くとトールも窓を覗き込んでいた。
「転生者によってもたらされる文化を受け入れる国と、受け入れない国との差。それをどうぞその目でしっかり見ておいて下さい」
そう言うトールの表情は無。何の感情も浮かんでいない。
今まで居た『真ん中』の国は、転生者を差別する事で、彼等からもたらされる外来文化をシャットアウトしていた。それによって自国の文化を守っているのだと言う。
対して隣の『マジール王国』は、転生者を優遇し、彼等がもたらす知識を取り入れて発展しているのだと聞く。言われてみれば、向こうの船の方が大きくて速い。虫もいなそうだ。
ぶっちゃけあっちの方が良いと思う。
「乗る料金はあっちの方が高いの?」
「いえ、同じです」
え、そうなのか。だったら余計にあっちの方が良いじゃないか。
「往復する船に、来た順に乗り込んでいます。なので選ぶ事は出来ません」
どっちに乗るかは運なのだ。
「トール、ちょっとトイレ行く」
ウトウトするノワをトールに任せて、俺は1人でトイレに行った。
トイレ、というか床に穴を開けて下に受ける桶を置き、そこを木製の目隠しで区切っただけの場所なのだが。そこはやはり臭いが酷いので、宿泊部屋から離れた場所に作られている。
緩やかに揺れる通路を、下をよく見て虫を踏まないように注意深く進む。壁に手を付いて。
だから、前をよく見ていなかった。
「おっと」
誰かにぶつかってしまったのだ。
「あっと、ゴメン、悪い」
謝って一歩下がると、相手に背中を抱えられた。別に転んだわけでもないのに。
顔を上げると、背の高い男の顔がすぐ側にあった。さっき雨が降り出した時に会った男。
「やぁ、トイレかい?」
眉を上げて少し驚いた表情を見せる男。俺はトールに近づくなと言われた事を思い出して、そういう意味ではない気もするがとりあえず物理的に距離を取ろうとした。
相手の胸を押して、背中を支える腕を外そうとする。
が、何故か男は腕を外さない。それどころか逆に力を込めて体を密着させてくる。
「え?」
驚いて俺は声を漏らした。
「ん?」
男は、何やら楽しそうな声を出して、そして俺の反応を楽しむように顔を見てくる。
その時、俺の頭の中に『!』とビックリマークが出てきた。
成る程、そういう事か!
瞬間、トールの態度の理由が分かった。
こいつ、男が好きなんだ。
いや、性の嗜好はどうでもいい。そこは自由だ。誰が誰を好きになっても良いと思う。
でも、そこには合意が必要だろ?
こいつは俺の許可も何も無く、今現在俺を抱き寄せている。手が早い。合意のある無し関係無く、無理矢理行くタイプだ。
以前、真夜中の市でトールに言われた事を思い出す。
『男色の方の好む相貌をしています』
その恐ろしい言葉を思い出して、俺は左手で力一杯相手の胸を押し空間を作り、右手で拳を作り、顎を狙った。
察して背中に回した腕をパッと外し、距離を取る男。
「思ったよりも活きが良いんだね」
そう言って両手の平をこちらに見せて降参の意思表示をする。
「何すんだよ」
言い返す俺に、「ゴメンゴメン」と謝りながら男は言った。
「ちょっと性急過ぎたね、悪かった。好みのタイプだったからつい」
好みのタイプだからと言って、急に抱き付いてはいけない。
そう思いながら、俺は男を警戒し続けた。猫だったら尻尾をMAX膨らまして全身の毛を逆立てている所だ。威嚇しながらな。
その時、男の背後から別の声が掛けられた。
「何してるんだゴーシュ」
低くて太い声。見ると、こちらも背が高く、ガタイの良い男。両腕を胸の前で組んで背中に何か大きなモノを背負っている。
「あ、ナイル・・・」
俺に抱き付いた男はゴーシュ、ガタイの良い男はナイルと言うらしい。
ゴーシュは、ナイルに見つかってどことなくオドオドとし始めた。イタズラを見たかった子供みたいに。
「また仕事中にナンパか?いい加減にしろ」
言ってナイルはゴーシュの頭を殴った。痛がって頭を抱えるゴーシュ。
何だか、助けられたのか?俺。
「おいボウズ、トイレか?そのまま真っ直ぐだ。早く済まして帰んな」
そう言って、俺にしっしっと払う仕草をする。
「あ、うん」
答えて、俺はナイルに軽く頭を下げた。それを見て、軽く笑うナイル。そのままゴーシュの両腕を後ろで掴み上げて、縛られた罪人みたいな格好にさせると、連行するみたいに進んで行った。
後手で手を降りながら。
ナイルの背中が見える。その背中には巨大な両刃の斧が背負われていた。




