4.歪みは真実を語る
冷たい。
そして、痛い。
英介はそう思った。しかし、視覚や聴覚、臭覚が一向に戻る気配が無い。ここがどこかも分からない。
(大和は…)
色々なことを考えて、ボーッとする頭を何とか覚まそうとするが、さほどの効果は無かった。
どうすることも出来ないので、そのまま数分の間、英介は何もせずに力を抜いていた。すると、段々と感覚が戻ってくる。暗かった視界が明るくなるにつれて、周りの様子が分かってきた。どうやらここは地下のようだ。壁は石で出来ていて、隙間から水が染み出ている。しかし、明かりは蛍光灯であるあたり、意外に近代的なのかもしれない。
状況を確認すると、英介は上半身を起こした。見ればすぐ近くに大和がうつぶせになって倒れている。
「大和、起きろ」
えいやっ、という掛け声とともに英介は大和の後頭部を思い切り殴る。ガン、と鈍い音が周りの岩壁に染み渡った。すると大和は跳ね上がるように起き上がり、のそのそと英介のほうを眠そうな目で見つめる。
「腹減った、ああ腹減った、腹減った」
「またそれか。五・七・五にしてもさほど感動しないんだけど」
英介が呆れていると、不意に足音が聞こえた。
「シッ! 誰か来た!」
英介は、未だに寝ぼけている大和の口をきつく押さえる。
「んむぅ! あめお(やめろ)」
「(しずかに)」
足音は段々近づいてくる。まずい、と咄嗟に英介は大和を抱えて近くの分かれ道を左に飛び込む。
「これで何人目でしたっけ?」
「7人目だ。今日は落ちてくる奴が多いな」
会話が聞き取れるほど、足音はすぐ近くまで迫っていた。どうやらここは牢獄であるらしく、2人の看守が気を失っている罪人を抱えているようだった。大和の絶対感覚で50mほどの距離が2人と看守の間にはあったが、逆に言えばもうそれしかない。そろそろ気付かれる、そう思った英介と大和は、息を殺し、一切の音を消した。
「一体、表の世界で何があったんでしょうね?」
看守の1人が尋ねる。
「何があっても関係はないが、後処理がめんどくさくなるのは勘弁だな」
もう一方の看守はつまらなそうにそう答えた。
「そういえば、2年前くらいにもこんなことがあったそうですね」
「そうか、新入りのお前にはあのときのことは分からないか」
新入り看守は首を傾げた。そして、急に納得したようにあぁ、と声を出す。
「何でも、1人の女がここに攻め込んできたとか」
先輩看守は頷き、疲れたような顔をして言う。
「まぁ、馬鹿としか言いようが無いが。確かあの女、千代とかいったか。二十歳にも満たん子供がここへ攻め込むとは思いも寄らん奇行よ」
「警備も固いですしね」
「ああ」
そんなことを話しながら看守達は分かれ道を直進する。途中大和がコホン、と咳払いをしてしまったときはどうなるかと思ったが、看守達が大きな声で話していたため気付かれることはなかった。
英介は看守達の言葉を思い出す。
(2年前に事件? それに表の世界って)
少し引っかかりを覚えた英介はとりあえず状況を把握するため、大和に現在時刻を聞くことにした。
「今何時だか分かる?」
そう言われて、大和は少し真剣な表情になった。絶対感覚を使うときはいつもこういう風になるらしい。
「…?」
突然、フッと力が抜けたように大和は真剣な表情を崩した。
普段なら一瞬で現在時刻をコンマ1秒の狂いもなしに答えてくるのだが、大和は目を瞑ったまま悩みこんでしまう。その後何秒か首をあっちにこっちに傾げ、1つの結論を出す。
「分からない!」
「はぁ!?」
その一言に英介は驚愕する。理由は簡単。こんなことは今まで一度も無かったからだ。気絶のショックで絶対感覚を失ったのではないかと心配になった英介は、ちょっと違うことを聞いてみる。
「じゃあ僕の声の騒音レベルは?」
「約13dB」
大和は即答する。どうやら絶対感覚を失ったわけではないらしい。
「じゃあなんで時間は分からないんだよ」
尖った声で英介は言う。一方の大和も一切の原因が分からないといった感じで、
「さぁ。なんつーか時間の進み方がバラバラになっている感じなんだよ。普通は1秒を基準にすんだけどさ、その1秒にほんの少しの誤差があるんだ。要するに時間の進み方が違うんだって」
と、眉間に皺を寄せた。英介は苛立ちを抑えて、あくまで冷静に考えてみる。
(時間の進み方が違う…?)
1秒の間隔が違うとはどういう意味だろう。歪み、というものなのだろうか。だが、そんなことがこの世界で起きる筈が無い。英介は心を静めて、頭を冷やして、もう一度思考を再開する。
(どこに矛盾点があるんだ…? どこに矛盾があればこの結論を覆せる? 1秒が基準という仮定か? それとも――)
「まさか!!」
いきなり大声をあげる英介に、大和は屈んで耳を塞ぐ。今の騒音レベルは98dBだぞ、と大和が音の大きさを数値化したが、英介は口を開けたまま小刻みに震えていて全く気付かない。傍から見れば馬鹿とも思える格好だが、彼のそれは本当に驚いたときに見せるものだった。
「や、大和、今から言う質問に答えて」
「お、おう」
やや、面食らった様子の大和は惑いつつ、とりあえず返事をする。
「じゃあ聞くよ。まずはこの空気中の酸素濃度をお願い」
「約35%だ」
「次にここからあっちの突き当たりまでの長さをmで表して」
「57.27mだな」
「じゃあydだと?」
「64.5688ydだ」
ここまで聞いて、英介は確信する。
「やっぱりか」
「ん?」
分かる人には分かった筈だが、いつも感覚だけに頼っている大和は博学なわけではないので、疑問符を頭の上に3つ程浮かべている。そんな大和を尻目に英介は不敵な笑みを浮かべつつ、独り言を呟く。
「この世界では普通、酸素濃度は21%、それに57.27mは約62.6312ydだ」
「おい待て、それって…」
ふふふ、と微笑んだ英介は冷たく鋭い視線で遠くの壁を見て、
「そうだよ、この世界は僕達の居た世界じゃない。ここは異世界、ってやつだよ」