第96話 第7セクターの変化
第7セクターに出勤すると、タカハシが待っていた。
「誕生日おめでとう、カナミ」
「ありがとうございます」
「そして、これも」
タカハシが差し出したのは、正式な辞令だった。
『窓プロジェクト 責任者任命』
「え?」
「上層部も、ようやく気づき始めた。このままでは、人類は緩やかに滅びる」
タカハシが制御パネルを操作する。
画面に表示されるのは、この一年の市民の感情指数グラフ。
「君が帰還してから、全体的に上昇傾向にある。特に、第7セクター周辺は顕著だ」
確かに、グラフは右肩上がり。
「感情の伝染。上層部は恐れているが、一部の者は希望と見ている」
「ミレイ課長も?」
「彼女が最大の支援者だ。そして——」
タカハシが、壁の一角を指差す。
この一年で、1センチの亀裂は30センチの「窓」になっていた。
「今日、試験的に一般公開する」
■記憶の混濁
準備をしながら、また記憶が混ざる。
制御パネルを操作していると、指先に水の冷たさを感じる。川遊びの記憶。
報告書を書いていると、かき氷の甘さが口に広がる。
ドアを開けると、駄菓子屋の匂い。
もう、現実と記憶の境界は曖昧だ。でも、それでいい。1980年の夏が、2131年の春に溶け込んでいる。
「カナミ、大丈夫?」
新しく配属された若い技術者が心配そうに声をかける。
「ええ、大丈夫」
答えながら、ふと気づく。自分が目を細めていることに。
空を見上げる時の、ヒナタの癖。
いつの間にか、私の癖になっていた。
「変な癖がついちゃった」
苦笑しながら言うと、技術者も笑った。
「でも、なんか良いですよ。カナミさんといると、楽しくなります」
彼は気づいていないけど、作業しながら鼻歌を歌っている。
あのメロディー。
感情は、確実に伝染している。
■窓の試験開放
午後2時。窓の試験開放の時間。
「本当に来るでしょうか」
技術者が不安そうに呟く。
告知はしたけど、反応は薄かった。17年間も空を見ていない人々が、今更興味を持つだろうか。
でも——
「来ましたよ」
タカハシが入り口を指差す。
一人、また一人。
結局、集まったのは12人。
老人が3人、中年が5人、若者が4人。
みんな、無表情だった。効率化された顔。
「これが、窓です」
30センチ四方の開口部。そこから見える、本物の空。
最初、誰も反応しなかった。
でも——
「あ……」
一人の女性が、小さく声を漏らした。40代くらい。じっと空を見つめている。
「動いてる……雲が、動いてる」
そう、電子スクリーンの雲は動かない。でも、本物の雲は生きている。
女性の目から、涙が一筋流れた。
「これは……何?」
涙を指差して、彼女は混乱している。
「涙です」
私が答える。
「悲しい時、嬉しい時、感動した時に出るものです」
「感動……」
17年ぶりに、この街に涙が戻ってきた。




