第92話 朝の変化
翌朝、目が覚めると、自分が笑っていることに気がついた。
理由もなく、ただ微笑んでいる。
鏡を見る。17歳の顔。でも、リョウ先輩の言う通り、何かが違う。目が生きている。
朝食の配給を受け取る。味のない錠剤3粒。
でも、口に入れた瞬間——
味噌汁の味がした。
1980年の宿で飲んだ、あの朝の味噌汁。大豆の香り、出汁の深み、ネギの辛み。
幻覚だと分かっている。でも、確かに感じる。
廊下を歩いていると、同僚とすれ違う。
「おはよう」
普通の挨拶。でも、相手が驚いたような顔をする。
「カナミ? なんか……明るくなった?」
自分でも驚く。挨拶に、感情が込もっていた。
■新しい配属先
午後、人事部から通達が来た。
『第3課エージェント・カナミ 配置転換通知』 『新配属先:環境制御保護膜管理部第7セクター』
電子ドームの管理部署。
「地上勤務か……」
普通なら左遷だ。でも、私は嬉しかった。空に近い場所で働ける。
配属先は、電子ドームの制御施設。地上150メートルの高さにある。
エレベーターを上がっていくと、次第に光が強くなる。人工光じゃない。外からの光。
「ようこそ、第7セクターへ」
出迎えてくれたのは、初老の男性だった。
「私は管理責任者のタカハシ。君がカナミ君か」
「はい、本日付けで配属となりました」
「聞いているよ。時間遡行任務から戻ったばかりだとか」
タカハシは複雑な表情を見せた。
「実は、うちの部署には、君のような人が多い」
「というと?」
「過去を見てきた人間は、現在に満足できなくなる。だから、ここに来る」
タカハシ自身も、その一人なのだろう。
■隙間の発見
タカハシが施設を案内してくれる。
巨大な制御パネル。ドームの状態を示すモニター。そして——
「これは?」
壁の一部に、小さな亀裂があった。
「ああ、それは修理予定箇所。ドームにも経年劣化はあるからね」
亀裂に近づく。幅は1センチもない。でも、そこから——
光が漏れている。
本物の太陽光。
目を近づけると、向こうに見えるのは——
青。
本物の空の青。
胸が高鳴る。思わず指を伸ばして、亀裂に触れる。
風が、指先を撫でた。
「!」
2130年の管理された空間で、初めて感じる本物の風。
「修理は、まだしなくていいですか?」
タカハシを振り返る。
「なぜ?」
「これは……窓みたいなものです。小さな窓」
タカハシは少し考えてから、微笑んだ。
「君の判断に任せるよ」




