第90話 監視記録の異常
「カナミ」
ミレイ課長に呼ばれて、第3課の課長室へ向かった。
室内には、大きなホログラムディスプレイが浮かんでいる。私の7日間の生体データが、グラフとなって表示されていた。
「これを見て」
ミレイが指差したのは、感情指数のグラフ。
最初は0に近い値。でも、日を追うごとに上昇している。そして最終日——
「測定限界を超えています」
「はい」
「なぜ嘘の報告を?」
ミレイの目は厳しい。でも、どこか優しさも感じる。
「人物データが一件もない。これも異常です」
「記録する必要がないと判断しました」
「なぜ?」
深呼吸する。そして、正直に答えた。
「大切なものは、データにできないから」
ミレイは長い沈黙の後、小さくため息をついた。
「あなたも、か」
「え?」
「いいえ、なんでもない」
ミレイは窓の方を向いた。いや、窓はない。あるのは窓の形をした電子スクリーンだけ。
「実は、あなたが帰還してから、奇妙なことが起きています」
■感情の伝染
「見てください」
ミレイが別のデータを表示する。
第3課全体の感情指数グラフ。
「あなたが帰還してから、この階の職員全員の感情指数が、平均0.2ポイント上昇しています」
確かに、グラフは微妙に上向いている。
「これは誤差の範囲を超えています。まるで、感情が伝染しているような……」
その時、ドアが開いて、若い技術者が入ってきた。
「課長、定期メンテナンスの——」
技術者が言いかけて、止まった。そして、小さく鼻歌を歌い始めた。
メロディーに聞き覚えがある。私が先ほど歌っていたのと同じ、ハーモニカの曲。
「君、何を歌っているんだ?」
「え? あ、すみません。なんとなく頭に浮かんで……」
技術者は慌てて謝罪して、部屋を出て行った。
ミレイが私を見る。
「あなたから、始まっているようね」
■リョウの理解
課長室を出ると、リョウ先輩が待っていた。
「やっと出てきた。心配したよ」
「すみません」
「謝ることない。それより……」
リョウは周りを見回してから、小声で言った。
「変わったね、カナミ」
「え?」
「いい意味で。前は人形みたいだったけど、今は……生きてる感じがする」
リョウは優しく微笑んだ。
「本当の意味で、お帰り」
その言葉に、涙が込み上げてきた。
「泣いてもいいよ」
リョウが肩を叩く。
「実は俺も、3年前の任務で同じようなことがあった」
「同じような?」
「詳しくは言えないけど……過去で出会った人を、記録できなかった」
リョウの目が、一瞬遠くを見る。
「前任者のユキもそうだった。みんな、過去に心を置いてきちゃうんだ」
「リョウ先輩……」
「でもね、それでいいんだよ」
リョウが、小さな紙片を渡してきた。
「今夜、この住所に来て。君に会わせたい人たちがいる」




