第59話 朝の迷い
2130年の独白
樹齢300年。その時間の重みを手のひらで感じた時、私の中の時間が狂い始めた。
2130年に、300年生きているものはない。建物も、50年で建て替え。効率化のため。古いものは非効率。新しいものが正義。
でも、あの欅は違った。江戸時代から、明治、大正、昭和、平成を経て、1980年の夏もそこにいた。
戦争も、震災も、開発の波も生き延びて、ただ静かに立っていた。
その樹皮に手を当てた時、300年分の時間が一気に流れ込んできた。私の17年なんて、一瞬。私の任務なんて、些細なこと。
そして気づいた。時間は、直線じゃない。円環だ。過去と現在と未来が、あの木の中で混ざり合っている。
私も、その円環に巻き込まれた。
1980年8月14日、午前9時。
五日目の朝。
昨夜、感情抑制剤を川に流してから、初めての朝。
体が、違う。
もっと敏感になっている。光が眩しい。音が大きい。匂いが濃い。
そして——
ヒナタに会うのが、怖い。
昨日の告白。『カナミちゃんが、好きだ』
返事をしていない。できない。
でも、会いに行く。
商店街の入り口。
ヒナタは、もう来ていた。
「おはよう」
「お、おはよう」
目が合って、すぐ逸らす。
ヒナタも、少し気まずそう。
「今日は、どこ行く?」
「そうだな……神社は?」
「音無神社?」
「うん。静かだし」
静かな場所。
それがいい。
二人の間の、微妙な空気を落ち着かせるために。
商店街を抜けて、住宅街を通り、さらに奥へ。
神社は、町の外れにある。
小高い丘の上。
「階段、きついけど大丈夫?」
「うん」
石段が見えてくる。
古い石段。苔が生えている。
一段一段が、歴史を刻んでいる。
「気をつけて。滑るから」
ヒナタが先に上る。
私も続く。
蝉の声が、さらに大きくなる。
ここは、蝉の聖域。
木が多いから。
大きな杉、松、そして——
「すごい木」
思わず立ち止まる。
階段の途中から見える、巨大な木。
「御神木だよ」
ヒナタが説明する。
「欅。樹齢300年」
300年。
3世紀。
私の人生の、約18倍。
木漏れ日が、階段に模様を作る。
光と影の、まだら模様。
風で葉が揺れると、模様も揺れる。
まるで、生きている光。
一歩、また一歩。
上るたびに、空気が変わる。
涼しくなる。
神聖になる。




